第十四話:ひとやすみ

 宿の食堂。もう慣れきった喧騒の中、僕は意を決してナナシノに言った。


「ナナシノが最近少し元気がない」


「……え? …………え?」


 目の前の席で、どこか品のある動作でトーストを齧っていたナナシノが目を丸くした。隣のシャロもキョトンとして僕を見ている。

 おいこらサイレント。本当に元気がないんだろうな。これで気のせいとかだったら大恥である。


 僕はフォークを回転させ、皿の上のサイレントをぶすぶす突っつきながら続けた。


「だから今日は少しでも元気が出るようにナナシノに気を使って――」


「え? ええ? 私に? 気を使って? えー……」


「それほんにんにいうことじゃないぞ、あるじ」


 サイレントが茶々を入れてくる。本当にうるさい眷属だ。


 ナナシノがホームシックにかかっている可能性があることはわかった。

 ならば、この世界のいいところを少しでも多く見てもらうべきだろう。きっと寂しさも忘れられるはずだ。


 まだナナシノはアビコルの世界の一割も楽しんでいない。

 そもそも、今のシステムじゃ楽しみ切ることなんて出来ないんだけど――


 幸いなことに、この近くにはいい感じの場所がある。僕は一度咳払いして言った。


「――ダンジョン探索に行きます」


「!? …………えー……」


 せっかく気を使ってあげてるのに、さっきからナナシノが「えー」しか言ってない。

 予想外の反応だ。僕が人のために何か行動するなんて滅多にないことなのに一体何が不満なのか。


 複雑そうな表情をするナナシノを置いて、シャロが恐る恐る手を上げ、上目遣いで質問してきた。

 綺麗な鳶色の目からは、イラストレーターの、モブだけどちょっとは可愛くしておいたぞという意思が感じられる。


「あの……師匠? ダンジョン探索って……いつもやっていると思うんですが……」


「今日行くダンジョンは一味違うんだよ……まー行ってみればわかるけど――難易度高いし、下手したら眷属が消失ロストするかもしれないから気をつけてね」


「えぇ!?」


 この世界に来てから僕は基本安全なダンジョンやフィールドばかり選んで攻略していたが、そういったダンジョン攻略ばかりがアビス・コーリングではない。

 幸いなことに、ここしばらくの攻略で石にも余裕がある。数個石を使うだけでナナシノの好感度を上げられるならば安いも…………うーん……やっぱりやめておこうかな……。


「あんしんするがいい、ななしぃ。われがいるかぎり余裕だぞ。なぁ、あるじ?」


 サイレントが骨付き肉をがじがじ齧りながら能天気に言った。

 今日――死ぬことも知らずに。



§




 変な蛙の引く中型の馬車に乗って果てなき道を進んでいく。

 既に主要な道は外れ、周囲に他の馬車などは走っていない。


 御者は弟子に任せ、窓の外に広がる光景に目を細めた。


 地平線の彼方まで見えるかのような広大な平原と、その先に連なる山々は美しく雄大で、ずっと日本に住んでいたらまず見ることがなかったであろう光景だ。

 そして、それだけだったら国外に行ったり写真だったりで見ることが出来たかもしれないが、ぽつぽつとあちこちを闊歩している魔物は間違いなく元の世界では見られなかった。


 ナナシノは膝に手を置き、どこか物憂げに外の光景を眺めていた。

 なるほど、確かに少し元気がないかもしれない。膝の上に乗せられた手の平もギュッと握りしめられている。


 隣で見るその様子は一枚の絵のように決まっていた。やはり可愛い。面がいい。この世界、美男美女ばっかりなので目立たないが、元の世界で言うのならば上のほうだ。


 こいつもしかしてNPCなんじゃないか? 


 一瞬そんな考えが浮かぶがすぐに否定する。


 ナナシノにはスタミナバーもプレイヤーレベルも表示されているし、大体アビコルのストーリーで来歴が不明なキャラは――プレイヤーだけだ。


 ふとナナシノが僕の視線に気づき、こちらを見る。


「……どうしたんですか? ブロガーさん、こっちをじっと見て……」


「……いや。『ナナシノの献身』を破壊しておいて本当に良かったなって思ってただけだよ」


「ほんとうだぞ。あるじは先見の明、あるよね」


 サイレントが感心したような声をあげる。


 ギオルギ討伐の報酬として手に入れた指輪のことを思い出す。


 あれを壊してなかったら使ってたかもしれない。可能性はある。極わずかだが。多分。恐らく。

 自分を信じなかった過去の自分を褒めてあげたい。さすがの僕でも人の道に背きたくはないのだ。



 ……壊さなければよかったかなぁ。



「……壊さなかったらナナシノに色々できたのに」


 ぽつりと零す僕に、ナナシノが俯き、かなり恥ずかしそうに言った。


「…………ほ……本人の前で、言わないでもらえます?」


「もう二度とあんなもの作っちゃダメだよ。ちゃんと自分の事も考えないと」


「つ、作りませんよ!」


 まー万が一作られたら僕があらゆる手段を使ってぶち壊すんだが、ナナシノは考えなしなところがあるので少し心配だ。僕が予約しているのを忘れないで頂きたい。


 と、その時、馬車が停止した。御者席からシャロが顔を出してくる。


「あの、師匠……こちらで、本当にあってるんですか? 街で貰った地図にはこの辺にダンジョンなんて――」


「大丈夫大丈夫。まっすぐ行って。曲がる時になったら言うから」


 僕の視界端のマップにはちゃんと表示されている。自分たちを示す光の点はちゃくちゃくと目的地に近づいていた。


 そこでナナシノが腰をあげる。


「あ、シャロ。次、私が御者変わるから……」


「え……でも――」


 シャロがちらちらと僕の顔色を窺っていた。


 僕は一応師匠だが、アビコルの師弟制度に弟子が師匠の命令を絶対に聞かなくちゃならないなんていうルールは存在しない。


「んー、いいんじゃない?」


「!! え!? ほんとですか!?」


 シャロの表情はぱぁっと明るくなる。隣のクロロンが呆れたような目で僕とシャロを見ている。


 ……今気づいたけど、クロロンってもしかして呆れてるんじゃなくて元々そういう顔なのか?


「まー疲れただろうし、ちょっと休みなよ」


「は、はい! ありがとうございます!」


「珍しいですね、ブロガーさんがシャロに――」


「いや、いつもこんな感じだと思うけど……」


 シャロと入れ替わりにナナシノが御者台の方に向かう。シャロが嬉しそうに僕の隣に座る。

 僕もついでに立ち上がった。


「? なんでたってるんだ、あるじ?」


「ナナシノの隣で運転でも見てようかなって。座る所、二人分あるし」


「……あるじって、こんすたんとに最低だよね」


 隣を見ると、あんなに嬉しそうだったシャロが泣きそうな表情に変わっていた。


「し、師匠……そんな……わたしと、いるの、そんなに、嫌、ですか?」


 よくもまあそんなにころころ顔色を変えられるものだ。

 もしかしてクロロンみたいにもともとそういう顔なのかな?


 それに誤解しないで欲しいが、別に嫌なわけじゃない。ナナシノ眺めている方がいいだけで。


 というか――。


「今思いついたんだけど、サイレント、君、ナナシノの代わりに御者やれよ。何自分だけ休んでるんだよ」


「じぶんだけって、あるじもやってないのに……眷属づかいがあらいなあ。…………じゃあ、ひさしぶりにくまのかっこうでやろっと……」


 サイレントが中型のクマの姿に変化し、のっそりとしたくまっぽい動作で御者台に向かう。


 御者台の方でナナシノの悲鳴があがった。何やってるんだか……。



§




 辿り着いたのは王都から北西に二時間、街や主要なダンジョンに繋がる道を大きく外れた場所にある――何もない平原だった。


 馬車を止めさせ、数時間ぶりに地面に下りる。馬車は蛙が引いてるにしては異常なまでに揺れがなかったが、久方ぶりの地面に少しだけふらつく。


 遅れてナナシノとシャロも下りる。僕と同じだけの時間馬車に揺られていたはずなのに、二人は全く平気そうだ。


 シャロは一息つくと、きょろきょろと辺りを見回し首をかしげた。


「?? あのー……師匠? なにもないんですが。途中休憩ですか?」


「マップ上はこの辺りなはずなんだけど……」


 ナナシノが大きく両手を上げて背筋を伸ばして深呼吸をしている。後ろから抱きしめたい。


 背の低い草が穏やかな風を受けて小さく揺らめいている。魔物の姿も見えない。

 視界の隅に映るマップを拡大する。


 ……ゲーム時代はダンジョンを選択するだけで入れたので、どうすればいいかわからない。


 マップはシャロ達には可視化できない。ナナシノも見られないのだろう。

 これじゃ僕は偉そうなことを言って何もない平原を進ませた、ただの変人だ。


「なんてダンジョンなんですか?」


「んー……【トニトルス幻想王国】。このあたりのダンジョンではまぁまぁ難易度が高いところだよ」


「え……? ダンジョン、ですよね?」


 ナナシノが聞き慣れない言葉に目を瞬かせる。ダンジョンだよ。そういう名前なんだからしょうがないじゃないか。


「この辺りのはずなんだけど……」


 どう見てもただの平原だ。障害物のない平原にダンジョンが隠れる場所なんてない。

 だが、マップは確かにこの場所を示している。


 シャロが困った表情で周りをもう一度確認すると、恐る恐る進言してくる。


「あの……師匠。王都の、ギルドで確認した限りでは……この辺りにはダンジョンなんてないはずで……」


「うーん……」


「その……も、もしかしたら、昔はあったけど、今はなくなっちゃった、とか……」


「あるじはなさけないなあ。しゃろりんにふぉろーしてもらうなんて」


「い、いえ! そ、そんなんじゃ――違うんです、師匠。そういう意味じゃ――」


 内気弟子をサイレントがいじってる。


 が、それはさておき、これはどういうことだろうか?

 他のプレイヤーの仕業? だが、リヤンの遺物を回収することはできても、ダンジョンを痕跡なく破壊することなど流石にできないだろう。


 そう。痕跡である。目の前に広がる光景は徹頭徹尾、何の違和感もないただの草原だ。


 【トニトルス幻想王国】は城型のダンジョンだ。それを破壊の跡もなく消し去るなんて――好きな眷属を使っていいからやれと言われても難しい。


 と、そこで気づいた。


「あれ? ナナシノは?」


「……ふぇ?」


 サイレントとシャロが下らない言い合いをやめて辺りを見渡す。

 さっきまで大きく伸びをしていたはずのナナシノとその眷属がどこにもいない。


 シャロが慌てて馬車の中を確認するが、馬車にも乗っていないようだ。

 いや、正確にはいないんじゃない。


「青葉ちゃん!? どこ!?」


 マップ上には確かに仲間プレイヤーの印である光点がある。すぐ目の前にある。

 それなのに――いるはずなのに見えない。


 僕は光点の方に一歩近づき――その瞬間、風景が変化した。




「あ、ブロガーさん! みみ、みてください! あれ!」


「……なるほど。見えないだけか」


 そりゃギルドでも知られていないはずである。

 どういう理屈かわからないが、冷静に考えるとこのダンジョンの見た目と風景、普通じゃないしね。


 突如目の前に現れたナナシノが震える声をあげる。

 その指先は童話から抜け出したかのような巨大な白亜の城に向けられていた。


 地面はいつの間にか一面茶色になっていた。土ではなく、つるつるした質感の地面だ。

 そこかしこにはアニメチックな丸っこい花が咲き乱れ、堀には水飴のようにどろどろした水が流れている。

 空は一面緑色で、キリッとした顔のついた雲が浮かんでいた。


 僕の動きを見ていたのか、サイレント達がこちらの世界に入ってくる。


「………………なにこれ……? まさかいかいのいりぐちだったのか?」


「!? え……? ええ……? ……?????」


 シャロが混乱に目をぐるぐるさせている。

 ナナシノが恐る恐る屈み込み、足元に生えた花を一本抜き取る。キュポンとワインの栓でも抜いたかのような音がした。


 まーたナナシノはゲームで出来ないことやっちゃって。


 ナナシノが花を握りしめ、僕を見上げた。

 目がきらきらと輝いている。恐怖よりも混乱よりも好奇心が勝ったらしい。さすがの順応力だ。


「ブロガーさん! な、なんですか、ここ?」


「目的地だよ。楽しいでしょ?」


 今までナナシノが訪れたことのある場所は現実の延長上だった。だが、ここは違う。

 絶対に現実ではあり得ない光景だ。そして、そういったダンジョンやフィールドがアビコルでは腐るほどあるのである。


 サイレントが珍しいことにつっこみを入れることなく、腕を組んで首を傾げる。


「…………いかいの入り口みつけるのって、ぐうぜんでもないと無理なはずなんだけどなぁ……」


「あ、ブロガーさん、見て見て! なんか出てきました!」


 ナナシノが僕の腕を引っ張り、興奮した声をあげる。その視線は城の正門に向けられていた。


 予想通り元気が出たようだ。よかったよかった。


 ちょこちょことした動きで門野中から現れたのは、アイリスの単騎兵と同じくらいの大きさのヌイグルミだった。


 クマ、ウサギ、ネコ、イヌ。それぞれが玩具のように小さな武器を持っている。こちらを見つけ指を指してぴょんと飛び上がると、とてとてとこちらに向かってきた。


「【トニトルス幻想王国】で現れる魔物は全部ファンシーなんだよ」


「か、かわいい……あ、転んじゃったッ! かわいそうッ――え? ブロガー……さん……?」


 助け起こそうとでもいうのか、いきなり駆け出しかけたナナシノの二の腕を掴み制止する。主より余程危機感のあるアイちゃんが剣を抜き、ナナシノの前に立った。


 魔物だって言ってんだろ。しかもここ、今まで訪れたどのダンジョンよりも適正レベルが高いから。

 ナナシノのためじゃなければ絶対に今のレベルで来たりはしない場所である。早まったかもしれない。


 ……サイレントで倒せるかなぁ?

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