第三章 悲しみを背負う召喚士の物語

Prologue:条理

 アビス・コーリングの世界に奇跡なんてない。

 あるのは熱心な開発チームの生み出した金を絞るためのシステムとえげつないまでに研究・調整されたAIだけだ。


 だから僕は、いつの間にかこの世界に迷い込んでからずっと、ゲームの条理に則って動いてきた。


 初めに入手したまあまあ強いサイレントを万が一にも失わないように注意に注意を重ねてクエストをこなしてきたし、貴重なアイテムの入手が見込まれるストーリークエストやレアモンスターの討伐にはリスクを飲み込み参加した。


 初心者であり僕と同じく迷い込んだナナシノアオバをマルチプレイ時に協力し合うフレンドと想定し、ある程度の知識は教えたし、相手の中身が男である可能性が残っている事を考慮の上に姫プレイを楽しんだりもした。


 エレナはやっぱり死ねばいいのにと思ったし、二度目の召喚では都合のいい眷族は出たりせずにゴミクズなアルラウネが出てしまった。僕の知るアビス・コーリングとは異なる点も多少はあったが、大まかな仕様はゲームと同一だった。


 だから、安心していた。いや――自分を納得させていたのだ。

 目を背けていた。残酷な真実から。逃避は得意だった。僕は辛い現実から目を背ける事にかけては自信があったし、ゲーマーとは大なり小なりそういう側面を持つものなのだ。


 アビコルでは弟子が師の下に初めてついた時、魔導石を一つ入手出来る。

 魔導石が一個足りずに召喚できなかったシャロを弟子にする事で魔導石を入手させ、眷族を召喚させる。

 その選択を取れたのは、僕がこの世界に向き合える程度には成長できたからなのかもしれない。


 しかし、僕がシャロが眷属召喚で呼び込んだその結果を見て、その衝撃の結果を確認して、初めに思った事は――『なぜ?』だった。


 光のオーブは眷属ロスト時に得られる特殊なアイテムだ。それを使用する事によってプレイヤーは次の眷属召喚実行時、ロストしたものと同じ種類の眷属を召喚出来る確率が上昇する。

 ただし、上昇確率はそこまで大きくない。普通に召喚するよりは少しだけマシ程度の確率だ。有志で検証してもほとんどわからない、そのくらいの確率だ。

 だからレア度の高い眷属を誤ってロストしてしまった間抜けな召喚士は、大抵の場合光のオーブによる眷属召喚でも同じ眷属を引けず、その代償を大量の魔導石で贖う事になる。


 もう一度言おう。アビス・コーリングの世界に奇跡なんてない。

 あるのは熱心な開発チームの生み出した金を絞るためのシステムとえげつないまでに研究・調整されたAIだけだ。


 だが、僕の弟子になったNPCの少女、シャロリア・ウェルドが光のオーブを使い、眷属召喚アビス・コーリングで召喚したのは――




 レッドカラーのアルラウネだった。



 最後のチャンスに賭け、ぎゅっと目をつぶっていたシャロがゆっくりと目をあける。その光景を見て、シャロの表情が緊張から忘我に変化した。

 華奢な喉元がコクリと動く。その目がじわりと潤む。そして、シャロはまるで飛びつくかのようにその進化前ゴボウもどきに抱きついた。

 震えた声がその名を呼ぶ。


「く、くろろんッ!!」


 シャロは小さいが、進化前のアルラウネは更に小さい。まるでベアハッグでもかけるかのように抱きついたシャロにアルラウネが手をフラフラさせる。

 今にも泣きそうな表情でナナシノが涙を拭いている。きっと感動の涙だろう。だが、僕が出せた声はたった一言だった。


「そんな馬鹿な――」


 アルラウネを引ける事すら奇跡なのだ。アルラウネは雑魚ではあるがレア度7だし、他にも同等レベル以下の眷属は腐る程いる。たとえ光のオーブを使ったところで狙って引ける可能性など万に一つもあるまい。

 しかも、引いたのはレッドカラーだ。アルラウネには無駄に三種類もカラーがあるのだ。クロロンと同じレッドカラーのアルラウネを引ける可能性となるともはや奇跡と呼ぶ他ないだろう。


 何故? 脳内にその単語がとめどなく溢れていく。もちろん、光のオーブを使ってロストした眷属を取り戻したプレイヤーもいるにはいた。だがそれは膨大な試行回数あってのものであって、影には引けなかったプレイヤーの屍が無数に存在しているのだ。

 目の前で、たった一回の試行でそれを引き当てられるとなると受ける衝撃は途方もない。


 僕はシャロを慰めたし希望を持たせるような事も言ったが、うまくいくとは思っていなかった。

 まだ最高レアの眷属を引き当ててくれたほうが納得出来る。


 クロロンに頬ずりしていたシャロが我に帰り、僕を見て、今度は僕の方に抱きついてくる。まるで先日ロストした際の消沈が反転したかのようだ。


「あ、ありがとうございますッ! ブロガーさんッ! わ、わたし……」


「……良かったね」


 僕の身体に抱きつき、ただただ感謝の言葉を言うシャロ。僕はその高い体温を感じる余裕もなく、押し殺したような声を出すことしかできなかった。


 何故? どうして? 偶然? 奇跡? そんな馬鹿な!!


 ――ありえない。

 よしんば、僕が絶対に引きたくなかったアルラウネを引いてしまったのは類稀な物欲センサーが働いたからだとしよう。だが、二度目となると本当に何らかの意図を感じずにはいられない。

 戦慄する僕をよそに、サイレントが言う。


「良かったな、シャロ。余程クロロンを大事にしていたんだな」


「うぅ……あ、ありがどうございまず」


 今更、嗚咽混じりに礼を言うシャロ。涙がぽたぽたと床に落ちていく。

 だが、僕はシャロの言葉よりもサイレントのかけた言葉が気になった。


 サイレントは冥種だ。畜生だ。情けない声を出すことが多いし蹴飛ばしたり叩いたりしているが、その精神性は大きく歪んでいる。時たま垣間見える言葉も邪悪に満ちており、僕はこいつ以上に悪辣な存在をエレナ以外に知らない。


 だが、同時にサイレントは適当な事は言わない。


 そして、こいつは自分の事を『一単語の系譜ザ・ワード』だと認識していた。ある程度、眷属に対する知識は持っているのだ。

 僕は口元をヘラヘラと三日月に変化させるサイレントの握りやすい頭を掴み、持ち上げる。


「おい、サイレント。今、クロロンと言ったな?」


「あ……ああ。言ったが……いきなり持ち上げるとは、主は我を何だと思ってるんだ?」


 戸惑いながら、手足をばたばたさせるサイレント。


 クロロンはロストした。ロストした以上は戻ってこない。

 光のオーブはロストした眷属と同種の召喚確率を上げるが、召喚できるのはあくまで進化前だ。現に、シャロがロストしたクロロンは進化を一回行った『エルダー・アルラウネ』だったが、今回眷属召喚で出てきたのはただのアルラウネだ。


 アビコルのゲームでは同じ種類、同じレベルの眷属でも、個体間の能力に誤差と呼んでいい程度のばらつきが存在する。僕達プレイヤーは才能値などという単語で呼んでいたが、同じ種類の眷属だった場合その値を除いて個体差を見分ける事などできない。

そもそも、アビス・コーリングは所詮ゲームであり、眷属は所詮データであり、同一個体かどうかなど拘っている人などいるわけもないのだ。


 だが、サイレントは今、確かにその個体を『クロロン』と呼んだのだ。色の同じ別のアルラウネである可能性に触れず、躊躇いなく、『クロロン』、と。

 普段ならば一笑に付しても構わないような内容だ。僕にとってシャロに奇跡がおきようがおきまいが何の関係もないのだから。今の状況も別にハッピーエンドだねの一言で終わらせてしまってもいい。


 だが、その小さな誤差がどうしても気になった。ありえない。本来ならば奇跡が起こるなどありえないのだ。アビス・コーリングはそういうゲームではない。


 サイレントを掴み、ぶらぶらさせる僕に、ナナシノとシャロが困惑したように見る。

 僕はサイレントを釣り上げたまま部屋の隅に行って問いただした。


「あいつは本当にクロロンか?」


「……どう見てもクロロン以外の何物でもないだろう。顔も身体もクロロンそのものではないか。何を言っているのだ、主は」


 サイレントの道理を説くような口調。ゴボウの見分けなんて付かねえよ。

 そのことには触れず、単刀直入に聞く。


「どうして一度ロストしたクロロンが戻ってきた?」


「……緑霊界のクロロンがシャロの眷属召喚アビス・コーリングの求めにもう一度応じたからだろう。光のオーブを使うと、以前と同じ場所にゲートを開けるからな……そこでクロロンが召喚されるのを待ってたんだと思うぞ? 自分をロストさせた主の召喚に再度応じるなど、滅多にないことだ、余程大切にされていたのだろう。我は少し羨ましいぞ。まぁ、我もロストしたとしてももう一回戻ってくるがな!」


 サイレントが長々と答え、何故か最後に自慢げに胸を張る。


 僕はそれを無視して考えた。どうやら僕とサイレントの間では認識に齟齬があるようだ。

 僕はロストと死が同義だと思っていた。だが、サイレントの口ぶりからすると異なるように聞こえる。


 緑霊界と言うのはガチャの中のことだろう。この世界に来て度々聞いた『現実故の理屈』という奴だ。

 だが、今サイレントが言った内容は今までこの世界で味わったどうでもいい理屈とは一味違う。

 何故ならば、サイレントの言葉が真実だと仮定すると――眷属召喚の対象にはコントロールできる余地がある事を示しているからだ。


「……いや、君がロストしても光のオーブ使わないから」


「な……何でそういうこというのだぁ!?」


「間違っても召喚に応じるなよ。もっといいやつ引くんだから」


「それ冗談か? なぁ、冗談だよな? 主? あるじぃ!?」


 まるですがりつくように腕を伸ばすサイレントを蹴っ飛ばし、そのまま踏みつける。僕は真面目な話をしているのだ、遊んでいる暇などない。


 後ろでナナシノが息を呑む音が聞こえた。

 しくしく咽び泣くサイレントをぐりぐり踏みつけながら尋ねる。詳しい理屈や設定はどうでもいい。大事なのはたった一点だけだ。


「サイレント。君の基準で教えてほしいんだけど……例えば僕がある特定の対象を召喚したいと考えたとして、うまくそれを召喚する方法はあるか?」


「あ、あるじが何を考えているのかしらないが……そんなの、無理だぞ? だって、どこの世界にゲートが開くかはランダムだし。世界間の距離だって日々少しずつ変化していて……対象の前にゲートを開いたとしても、応じるかどうかは別だし」


 荒い呼吸を落ち着ける。今鏡を見たら僕の目は血走っていたかもしれない。


 嘘では……ないだろう。サイレントの言葉にゆっくりと足を上げる。

 夢のような可能性につい興奮しすぎてしまったようだ。ありえない。ああ、ありえないとも。アビコルの世界はそんなに楽ではないのだ。


 ナナシノとシャロが引いた目で僕達の様子を見ていたが、サイレントは壁に手をつき、何もなかったかのように立ち上がった。そして指のない腕を変形させ、わざわざ人差し指を作って元気よく僕の方に突きつける。


「だから、あるじはわれを召喚できた幸運を存分にかみしめるべきだとおもうぞ!」


「君のメンタルって地味にすごいよね」


「むぎゅ……あるひには、はへはひほ」


 ローキックでサイレントを蹴り倒し、そのまま胴を踏みつける。マウントを取って顔をむにむに伸ばす。いつか絶対に目にものを見せてくれる。


 シャロが進化前に戻ってしまったクロロンらしきアルラウネの手を握ったまま、上目遣いで僕を呼んでくる。


「あの……ブロガーさ――ブロガー、師匠?」


 ……チッ。早まったか。

 NPCでも師弟システムが適用されるか確認するためとはいえ、しでかしてしまった感がある。


 師弟システムは師匠側に大きなメリットがない事で有名なシステムだ。弟子を取った時に、弟子であるシャロだけが魔導石を手に入れたことからも分かる通り、この仕組みはあくまで初心者救済のための仕組みなのだ。

 ランクが上の人間は下の人間の弟子にはなれないので、僕が誰かの弟子になって魔導石を手に入れるわけにもいかないし、誰かの弟子になるなんて僕のプライドが許さない。

 そもそも、シャロを弟子に出来たところで、僕がNPCの弟子になれるのかはまた別なんだけど。


 ……まぁでも、師弟で受けられるクエストは色々あるが受けなければいいだけだ。魔導石を一個手に入れただけでシャロは僕に土下座して感謝すべきだろう。ましてやクロロンも戻ったんだし。 


 深く、どこまでも深く深呼吸をする。それよりもやらねばならない事があった。

 この世界に来てから二ヶ月。そろそろ潮時だろう。自分を騙すのももう限界だ、ずっと疑問に抱いたことを……確認せねばならない。


 シャロのクロロン召喚は、サイレントの答えは、僕にとっての一つの契機だった。


「ちょっと出かけてくるよ」


「……どこに行くんですか?」


 どこか不安げなシャロの表情。僕を慮ったようなナナシノの目。

 僕はそれらに笑顔を向け、嗚咽を我慢しながら言った。


「エレナの所さ……ちょっと聞きたいことがあるんだ」


§


 そして、僕はエレナからの答えを聞いて、さっさとリセマラを決行する事にした。


 ギルドからの帰り道、店で太いロープを買い込み、宿の自室に戻り、椅子の上に立ち上がって、天井の梁にロープを通して自分の首に巻きつけ、しっかり首が圧迫されるのを確認すると、


「じゃー、またね」


 躊躇いなく飛び降りた。次は絶対にもう妥協しない。

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