第一話:新たなる真実

「ど、な、え……な、何してるんですか!!???」


 混乱したようなナナシノの声が室内に響きわたる。

 アイリスの単騎兵がぴょんとその刃を閃かせる。それだけで僕が首を釣るのに耐えうるロープが切断される。ちょうど首を釣るために飛び降りた僕は支えを失い無様に部屋に転がった。


 背中を打ち付け、肺が縮んだような感触がした。息が詰まり咳き込む。ぐきりとひねった肩が鈍い痛みを伝えてくる。


「げほっ、げほっ、な、何してくれるんだよッ! 止めるなよ!」


「ええええ!? と、止めますよ!? だ……だって、何で目の前で自殺なんて――た、淡々と進められたから止めるの遅れちゃったじゃないですか!?」


 ナナシノの瞳孔が小さく縮む。隣ではあわあわとシャロが無様に慌てふためいている。

 僕はまだロープの残る喉元をさすり、涙目で叫んだ。


「自殺じゃない……リセマラだッ! 何で分かってくれないんだ!」


「わかるわけないでしょっ! さ、サイレントさんと、フラーは、どうしたんですか!?」


「邪魔しそうだったから送還デポートした」


「えええええええええ!?」


 初めからそうすればよかったのだ。サイレントはいくら素早くても眷属なのだから。

 アイリスの単騎兵がまるで牽制するかのように僕の前に立っている。レア度の低い眷属とはいえ、身体は小さいとは言え、近接戦闘型の眷属だ。能力は僕なんかとは比べ物にならないだろう。


 青ざめた表情で唇を戦慄かせるナナシノに訴えかける。


「またねって言ったじゃん!?」


「そんな……いきなり目の前で自殺されそうになる私の気持ちもわかって下さい!?」


「いや、別に君らの目の前でリセマラしようとしたわけじゃないよ。自室でリセマラしようとした目の前に君らがいたんだ」


 確かにエレナの所に行く前も僕の部屋にいたけど、何で家主がいなくなった後も帰ってないんだよ。

 首元を押さえながら立ち上がる。アイリスの単騎兵のせいでロープが短くなってしまった。これじゃもう一度買いに行かねばならない。


「僕が自分の部屋で何しようが勝手だろ!? 失せろッ!」


「それはそうですけど、自殺は話が別ですよ!?」


「自殺じゃないって。リセマラだって。次はランク21が出るまで繰り返す。最初からそうすべきだったんだ!」


 半端に妥協したのが全てのミスであった。既にこの世界にきてから二ヶ月が経過している。リセマラするとそれが無駄になってしまうが、逡巡していると更に無駄になるだろう。

 時は金なりである。体制を立て直さねば、なんらかのイベントが発生した際に後悔するだろう。

 イベント期間にだって期限があるのだ。一秒も無駄にはできない。


 主張する僕に、ナナシノがすがりついてくる。必死の表情で僕をがくがく揺さぶる。


「何が悪かったんですか!? どうしていきなり自殺なんて――」


「ずっと思ってたけど、ナナシノってけっこう僕の言葉聞いてないよね」


「ブロガーさんは、サイレントさんもいて、召喚士としても評価されて、レアモンスターも倒して、シャロの事を助けてくれて、貧乏でもないし、自殺の原因になるようなことなんて――」


 まるで溢れ出す衝動を濁流のような言葉に変え、ナナシノが続ける。涙で滲んだ真っ赤な目、その顔色からは冷静さが欠片も見えない。このままではきっと、リセマラを受け入れてはもらえないだろう。

 ナナシノがそこで大きく目を見開く。涙で濡れた黒い黒曜石のような瞳が僕を映している。


「あ……まさか――わ、私が、な、何もして……あげなかったから……」


 ……僕を何だと思ってるんだよ。超絶ダメ人間じゃないか。


 ナナシノの出した結論にほとほと呆れ果てる。確かにナナシノは可愛いし胸もそこそこあるし性格もちょっと理解できないくらいに、頭おかしいくらいに善良だ。それがいいかどうかは別として。

 だがしかし、僕はその気になればそんな事で自殺を決意しなくても、サイレントを使ってふんじばってナナシノを好き放題できるのだ。警戒心の薄いナナシノを捕縛するのなんて赤子の手を捻るよりも簡単である。

 それをしないのは単に僕が人間としてかなり強い倫理観を持っているからなのだ。感謝していただきたい。


 ナナシノがぐっと唇を噛み、僕の首元のロープを指先でなぞる。


「わ、わかりました……やります。なんでも――ブロガーさんがしてほしいこと、なんでもやりますから……」


「君って話聞かないよね。じゃあとりあえず足でも舐めて貰おうか」


「!? わ…………わかりました。やり……ますッ!」


 適当に言った言葉にナナシノは泣きそうな表情を浮かべてかがみ込む。僕の足を舐めたいとはナナシノは変態だなぁ。


 仕方なく、リセマラ決行時に倒れた椅子を立て、そこに腰を下ろす。


 顔を上げると、さっきまであわあわしていたシャロがドン引きの目で友達を見ていた。

 ナナシノは混乱すると早とちりするところがあるようだから、側で会話をしっかり聞いていたシャロからすればナナシノの行為には思うところがあるのだろう。それは友達かどうかなどとは別の話なのだ。


 ナナシノが震える手で僕の脚を触れる。僕は手を伸ばしてナナシノの頭を必要以上にぐしゃぐしゃに撫でた。


「ひゃ!?」


「舐めなくていいよ。今度、別の所を舐めてもらうから」


「は……はい」


 ナナシノの自己犠牲の精神がどこまでいけるのか見てやろうじゃないか。

 だが、今はそれどころではない。そんな下らないことを考えている場合ではない。


 冷静に考えると、ナナシノも僕と同じプレイヤーである。一応フレンドではあるし、自分一人でリセマラをするのも冷たかったかもしれない。マルチプレイはフレンドも強ければ強い程いいのだ。

 髪をぐしゃぐしゃにした手を下ろし、ナナシノの頬に当てる。

 ナナシノがびくりと震える。その頬は涙で濡れ、すこしだけひんやりと冷たかった。


「ナナシノもさ……一緒にリセマラする?」


「……へ?」


 ナナシノが鳩が豆鉄砲を食らったような目をする。その顔の輪郭を指でなぞりながら続ける。


「ずっと気になっていたんだ。ただ、気づかない振りがしていた。でもそろそろ現実を見る時かなってさ……エレナの所に行ったのは彼女が最も優秀な召喚士の一人だったからだ」


 そして、魔導石を湯水の如く使わないと手に入らない眷属を持っている召喚士でもある。

 森聖人は人よりも長命という設定がある。エレナの実年齢は知らないが、エレナだからその眷属を手に入れられたのか、それとも僕にもその余地があるのかが知りたかった。


 真剣に見る僕の視線にナナシノが軽く目を伏せる。


「何を……聞いたんですか?」


「これを聞けばナナシノもきっとショックを受ける。リセマラする気になるだろう。でも、現実は受け止めないと先に進めない」


 この世界はゲームであって現実だ。僕が手に入れた情報はきっとナナシノにとっても転機になるだろう。

 息を潜めるように僕の言葉を待つナナシノに、一度深呼吸をして言った。




「この世界には――『課金』が存在しないんだ」



「……え?」



 課金ゲーから課金を取ったら何が残るんだよ。

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