第二話:リセマラの理由

 この世界にきてから、今までも課金しようと思ったことはあった。アビス・コーリングは課金ゲーなのだから、当然と言える。


 だが、できなかった。ショップと叫んでも魔導石変換と叫んでも無駄だった。だが、僕はそれを現金がないせいだと思っていた。いや、思い込もうとしていた。

 クレジットカードが登録されていないせいだと、言い聞かせていた。これは紛れもなく現実逃避である。

 何故ならば、ゲームではクレカ登録をしていなくてもショップ画面を開くことくらいは出来たからだ。


 進化ウィンドウもそうだが、この世界では新たにウィンドウが開けない。ゲームで出来た操作の多くは出来るが、マップを開いたり眷属のステータスウィンドウを開いたりアイテムウィンドウを開いたりは出来ない。ログインボーナスがないのも酷いが、機能そのものが制限されるというのはひどすぎるバグである。


 だが、僕はそれでも一縷の望みを持っていた。

 何某かの手段で課金できるのではないか、と。


 アビス・コーリングのゲームバランスは課金を前提としている。

 全盛期、アビコルのプレイヤーの中には様々なしばりプレイを行っていた者はいたが、課金縛りをやっている者だけはいなかった。前半はともかく、後半に行けば行くほどアビコルのクエストはエゲツない程難易度が上がっていくのだ。再生コンティニューを連打しなくては太刀打ち出来ない程に。

 アビス・コーリングでは、月初めに魔導石の安売りが行われていた。一アカウントにつき一セットのみ購入出来る魔導石セットはプレイヤーからは『納税』などと呼ばれ、新たな眷属が実装される度にじゃぶじゃぶ課金していた僕のような重課金者でなくても、購入するプレイヤーが多かった。

 それくらい、ゲーマーでもない一般人でも課金をしてしまうくらいに、アビコルのコンテンツは魅力的で数が多かったのだ。


 僕の述べたあまりにも絶望的な内容にショックを受けたのか、ナナシノが目を見開き、固まっている。


「エレナは……あの女は、そんな話、見たことも聞いたこともないと言っていた」


 エレナの持っている眷属は特殊だ。アビス・コーリングのサービス終了直前に実装された眷属、『昏き神々の宴アンダー・ゴッデス』シリーズの一体であるそれは強さもさることながら、入手条件――進化条件のえげつなさから僕を始めとした廃課金ユーザーでもなかなか手に入らない代物だった。


 本来ならば湯水の如く課金しなくてはどうしようもない眷属である。


 エレナならば課金していると思っていた。一番可能性が高いと思っていた。だが、彼女はそんな話知らないという。

 まぁ元々NPCなんだから当然と言えば当然なのだが、無課金の彼女が『深青ディープ・ブルー』を保有しているのは、もはや彼女が優遇されたキャラだからという他、理由はないのだろう。エレナ死ね。


 サイレントがいればしばらくは戦っていける。魔物の素材の売却額と生活費を考えると、食っていくだけだったらナナシノでも可能だろう。

 だが、前に進もうと思ったらとてもじゃないけどやっていけない。


 仮にレア度21の眷属を一体引いたところで、課金のないこの世界を渡っていくのは厳しいだろう。だがそれはベストを尽くさなくていいという事ではない。僕はゲーマーなのだ。


 ショックのせいかふらりとナナシノがふらつく。崩れ落ちかけたその華奢な肩を支えてやる。

 ようやくナナシノも事の重大さを理解したか。

 

 ナナシノはぺたんと床に座り込み、その形の良いアーモンドのような瞳で僕を見上げ、震える声で言った。


「そ、そんなことで自殺しようとするなんて――」


 ……どうやら全然通じていなかったらしい。ソシャゲ未プレイのナナシノには少し難しかったようだ。

 僕はナナシノにその重大さをちゃんと理解させるのを諦めた。


「まぁ、かなりやばい状況だって思ってもらえればいいよ。なんたって、ログインボーナスもないんだし」


「か、課金? なんて……なくたって、クエストをクリアして、魔導石を、手に入れればいいじゃないですかッ!」


「幾つクエストがあるのかは知らないけど、それだけじゃ足りないんだよ」


 課金とは現金リアルマネーで時間を買っているのだ。実際に身体を動かしてクエストを達成しなくてはならないこの世界ではどれほどの時間が掛かるかわかったものではない。

 実際、僕がこの世界に来てからせっせと集めた魔導石は課金があれば一日目に手に入れられる程度の量である。課金さえできればさっさと枠を増やして飛行系の眷属を手に入れてこの街からおさらばできたのだ。


「とにかく、自分の命は、大事にしないと駄目ですよ」


「ああ、わかったわかった。もうやらないよ」


 後でナナシノ達が帰った後にやろう。あまりにも焦っていたとはいえ、ナナシノの目の前でやろうとしたのは大きな間違いだったかもしれない。


 軽く答えた僕の言葉を聞いて、ナナシノがじわりとその目に涙を浮かべる。


「う、うそッ! 絶対うそっ! ブロガーさん、私がいなくなったらやるつもりですね!」


「……そんなことないヨー。ボク、ウソ、ツカナイ。ツイタコトナイ」


「ねぇ、やめてください! ぶ、ブロガーさんが、いなくなったら、弟子にするって言った、シャロはどうなるんですかっ!」


 必死に叫ぶナナシノ。状況が分かっておらずぽかんとしているシャロと、その腕の中にクロロンに視線を向ける。


「破門」


「ッ!?」


「大丈夫、師匠がアカウント削除されたら自動的に師弟関係は解除されるから」


「そ、そんな……」


 まさかシャロには僕が善人のように見えていたのだろうか。手取り足取り召喚士コーラーのイロハを教えてもらえるとでも思ったのだろうか。

 僕はシャロなんてどうでもいい。死のうが生きようがどうでもいい。僕の都合で弟子にしたが、無責任に放り出す事に何の躊躇いもない。


「魔導石手に入っただけで良かったと思いなよ。甘えんな、自分の事は自分でやれ! 当然だろッ!」


「ッ!?」


 シャロが目を見開き、びくりと肩を震わせる。僕の言葉の意味を考えているのだろうか。


 てか、師弟関係って言っても、アビコルはただのゲームなのでそれほど重い意味はない。師弟関係を組んでいなければ受けられない特殊で面倒臭いクエストが出たり、マルチプレイした時に弟子側に多少のメリットがあるくらいだ。

 硬直するシャロに、少しだけ考えて助言する。


「まぁ、とりあえずクロロンを進化させて元の姿に戻したらいいんじゃないかな」


「!! は、はいッ! わかりましたッ!」


 ぱぁっと明るい笑顔をつくり、元気のいい返事をするシャロ。まー後は好きにしたら。

 最悪の状況は脱せただろうし、ナナシノもいる。アルラウネのレベルもすぐに戻せるだろう。つまり全て元通り。僕にそれ以上求めるな。


 ナナシノも自由だし、僕も自由なのだ。


「……私、ブロガーさんの事がわからないです」


「僕だってナナシノの事は良くわからないよ。それでいいじゃん?」


 基本的に僕は他人に期待していない。僕の言葉に、ナナシノが少しだけ悲しそうに眉を歪めた。

 わからないとは言ったが、ナナシノとの付き合いももう二月になる。そこそこ僕の事はわかっているだろう。

 ナナシノがぽつぽつと続ける。


「も、もしかしたら……エレナさんが……知らないだけかもしれないじゃないですか……」


「まぁその可能性もあるね」


 エレナは所詮NPCだ、プレイヤーを相手にした課金制度を知らなくても不思議ではない。

 だが、それにしても全く話を聞いたことがないというのは不思議な話だ。今現在、プレイヤーはナナシノと僕以外に見つかってはいないが、二人もいるんだからもっと他にも来ていると考えるのが自然である。多分。


「そ、それに、自殺してもリセマラ、出来ないかもしれないじゃないですか……」


「そうだね」


「リセマラできたとしても……次にサイレントさんより強い眷属が出るとは限らないじゃないですか……」


「まーその可能性の方が高いね。サイレントはあれでも眷属の中では上等な方だし」


 だが、無限に試行すればいいだけだ。アルラウネなんて引いちゃったし、次は良いものが来るかもしれない。

 僕の表情に、ナナシノの声が小さくなっていく。


「が、頑張って、魔導石ためて……眷属召喚すれば、いい眷属が出るかもしれないじゃないですか……」


「そうだね。出るかもしれないね」


 多分出ないけど。

 見ただろう、僕が迂闊に眷属召喚アビス・コールを試みてアルラウネを引いてしまったのを。

 あんなの序の口だ。十連を使ってレア度七未満のゴミを十一体引いた者にしかアビコルの味はわからない。


「が、頑張りませんか? 私も……協力しますから……」


 無表情の僕に、ナナシノがあざとい上目遣いで言う。彼女に何が出来るのか?

 だが、確かに、ナナシノの言うことも間違えてはいない。リセマラはいつでも出来る。僕はまだ次の街にも行っていないのだ。


 どうしたものかな……。


 その時、ふと腰に下がっているギオルギからドロップした剣について思い出した。サイレントの攻撃と打ち合って刃こぼれ一つできなかった切れ味尖そうな剣だ。銘は知らないがかなりの業物だろう。うまく目に突き刺したら即死――即リセマラ出来るんじゃないだろうか。

 腰から剣を抜こうとする僕に、ナナシノが僕にしか聞こえないような小さな声でぽつぽつと言った。


「……次、ブロガーさんが、リセマラしようとしたら……色々、やらせてあげませんから……」


 ぱっと剣の柄から手を離す。


「まー、リセマラはいつでもいいし、また今度でいいか」


 顔を真っ赤にするナナシノを見て、その言葉がどうとかそういうわけでもないが、とりあえずリセマラ案は保留にすることにした。

 まぁリセマラはいつでも出来るし、ナナシノの案を聞くのもたまには悪くないだろう。ナナシノの言葉がどうということもないけど。




§ § §



 がんっ、がんっ、と、硬い物を殴る音が断続的に響く。


 古都の中心。都市の治安を守る衛兵の詰め所、都市警備隊本部の地下にそれはあった。

 清潔な白の石造りの床は強い光で照らされほとんど影も出来ない。どこまでも長い通路の左右には分厚い鋼色の扉が並んでいる。

 地上への扉には常に剣と杖を携えた特殊な衛兵――看守兵が二人並んでおり、小さく欠伸をしながら通路を監視していた。


 そこは牢獄だった。古都で捕縛された罪人や指名手配者を無力化し、閉じ込めるために牢獄。壁や扉は魔法に対して強い耐性を持つ金属でできており、優れた魔術師の攻撃魔法でも破られないよう設計されている。

 いや、元々この牢獄に閉じ込められた時点で罪人は全ての装備を解除されており、魔力の増幅装置である杖や、武器を持たない戦士では扉を破ることはできないだろう。


 今、本来静寂であるべき房の中では怒鳴り声が響き渡っていた。


「ぶろがああああああああああああああッ! 絶対に殺すッ!」


 すぐに房内での異常を察知するために、房の一つ一つには防音がなされていない。どこか獣の鳴き声に似た怒鳴り声に、入り口近くに立っていた看守兵の一人がため息をつく。


「まーたやってるよ……管理番号666号」


「あー……召喚士コーラーだっけ? 大暴れして裏で指名手配されていたっていう、なんだっけ? 獣王? ギオルギ?」


 扉は優れた身体能力を持つ剣士や魔導師でも破られない強度を持っている。その事を知っている二人の声に焦りはない。たとえ獰猛な獣でも牢の中にいるのならば恐れるに足らない。

 辟易したような視線を音の源に向ける。


「すごい体力だよなぁ。もう牢に入れられて一月だってのに。本当に召喚士か?」


 絶え間なく叫び続けているわけではないが、さすがに日中ずっとやられるとうんざりだ。交代制の看守でも辟易しているのだから、その左右の房に入れられた者は最悪の気分だろう。

 初めは怒鳴り合いが起こっていたが、既に左右の房は諦めたかのように沈黙を保っている。


「やれやれ、わかんないのかねぇ。いくら過去強力な眷属を持っていたとしても――眷属をロストした召喚士コーラーに扉は破れないってのに」


「なんでも、誰も手を出せない程強かったんだって? ロストさせた召喚士も大概だなぁ。ぶろがあ? ははは、ずっと叫んでるから、名前覚えちまったよ」


 看守の会話を聞いているわけでもないだろうが、扉を殴りつける音が大きくなる。

 中を覗ける格子の入った小窓からまるで地獄の底に燃える炎のような目が輝いていた。看守の一人が肩を竦めながらそこに近づく。暴れている囚人を前に黙っているわけにもいかない。


 扉の前に立つと、よく撓る細身の杖で扉を強く殴り、怒鳴りつける。


「うるさいぞッ!! 666号ッ! お前の部下は全員黙ってるってのに、毎日ぎゃーぎゃーわめきやがってッ! 静かにしろッ!」


 ギオルギが殴りつける音とは異なる鋭い音が幾度も響く。しかし、その隙間から覗く目は怒鳴りつける看守の事を見ていなかった。


「ぶろがあああああああッ! 殺すッ! 俺がこの手で、あらゆる手を使って、殺してやるッ! 俺の、俺が【フランマ】から取ってきた――『赤風』を――奪いやがったッ!」


 罪人に与えられる食事は最低限のものだ。ギオルギの頬は痩け、髪はぼさぼさで格子の隙間から見える手には薄く骨が浮き出していたが、その目は高い生命力を示していた。

 狂人。その言葉に相応しい様相に、看守が呆れたように返す。古都は陸の孤島だ。古都で捉えられた罪人は全てこの牢に落とされる。一人一人の狂気に当てられちゃ看守は務まらない。


「何の話だか知らんが、お前は罪人だ。おとなしく自分の罪を悔い改めるんだな」


「ぶろがあああああああああああッ!!! 『召喚コール』だッ! ゲール、獣王よ再臨せよッ! 我が手にッ!」


「おいおい、てめえに召喚コールは許可されていないだろ。『雷衝波ライトニング・ショック』」


「ッ!!」


 たとえ全眷属がロストしていて何の効果もなかったとしても、収監されたものには魔術を唱える行為は認められていない。


 看守の伸ばした杖から紫電が奔り、今まで格子を揺すっていたギオルギがはじけ飛ぶように床に転がる。

 看守は魔法と剣術を納めた一流の戦士でもある。暴れる囚人にはある程度の対応を取ることが認められている。


 さしもの狂人でも雷衝波には耐えられなかったのか、静かになった房の中を覗き込み、看守がため息をついた。

 床に倒れ伏す身体は今この房に収容されている他の囚人と比べてもずっと細く、この閉鎖された空間に一月も捉えられてまだ叫び続けられる程体力があるようには見えない。

 看守兵には細かい罪状は知らされていないが、これに強力な眷属がついていたとなると、その被害は計り知れないだろう。


 握りしめられた拳がびくびくと痙攣している。それを見ながら、看守はこれみよがしと舌打ちを鳴らした。


「とんだ厄介者だ……お前みたいな奴がついこの間まで表を歩いていたと思うとぞっとするぜ」


 雷衝波は対象を麻痺される術式だ。殺傷能力は高くない。

 静寂が戻ったのをしっかり確認して、看守は大きく背筋を伸ばして戻っていった。




「ッ……俺が、最強だッ……『赤風』と、ゲールさえいれば……二度と負けねえ。待ってろ、今に、取り戻しに行くッ、絶対にッ!」


 ギオルギの握られた手。その中に感じられる硬い感触に、管理番号666号、囚人はギオルギ・アルガンはにやりと引きつったような笑みを浮かべた。



§ § §



「んー、この剣持っていると衝動的にリセマラするかもしれないし……フラー、食べる?」


「……」


 いやいや首を振るフラーを見て、僕はギオルギからドロップした剣をその辺に放り捨てた。

 もしかしたらナナシノの眷属なら食べられるかもしれないな。騎士型だし。


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