第四話:迷子とろくでなし
王都トニトルスでは一年に一度、竜種の象徴とされる黄の月が最も近づく時期に祭を行う。
竜神祭。
もともと【王都トニトルス】は竜種の力の強い土地だ。古来よりその地に住む人々は竜種の庇護を受けて発展してきた。その地の人々にとって竜は友であり、神であり、そして恐るべき災厄だった。
竜種は大別して七種存在する種族の内最強とされる種だ。
頑強で巨大な身体に膨大な魔力、人を越える知性を持ち自由自在に大空を駆け巡るその存在に人が勝てる理由はない。
【王都トニトルス】を首都として掲げる【オロ王国】の王はかつて竜神に希い、その偉大なる存在の庇護を得た。それ以来、王国は何人にも侵略されることなく長き平和が続いている。
竜神祭は竜神に対する感謝を示し信仰を確かめるための祭だった。
竜神祭は王国の威信を賭けた盛大な祭りだ。他国からも大勢の人間が訪れる。
人、金、情報。あらゆる物が集まる。特に竜種に関する素材は縁起物とされ高値で取引され、うまく立ち回れば一晩で一財産を作ることも可能だ。
この時期、王都を目指す者は多い。ノルマ・アローデも大勢いるそんな者たちの中の一人だった。
違うのは、ノルマが今回の行商に命を賭けていたというただ一点である。
ノルマは、この世界でもっと寂れた地。最果ての地に存在する滅び去った都市、【廃都リヤン】の生まれだ。
廃都には何もない。
遥か昔優れた文明を築いたとされる都は既に放置されてから長く、そこにあるのは半ば崩れかけた町と、文明から離れ周囲に生息する強大な魔物達から身を隠しながら生活を営む数少ないリヤン人だけだ。
運悪く世界で最も恵まれぬ地に生まれたリヤン人達には二種類の道がある。すなわち、廃都で並み居るレベルの高い魔物達に怯えながらひっそりと貧しい生活を続けるか、あるいは命を賭けて脱出を図るか。
ノルマは後者を選んだ。廃都に打ち捨てられた数少ない希少なアイテムを発掘し、都市の外に出て――運良く逃げ延びた。
廃都の周りには他の都市と比較しても比べ物にならないくらいに強力な魔物が多数存在している。恐らく、それこそがリヤンの文明が滅びた理由なのだろう。まだ少女であるノルマが跋扈する魔物達の隙をついて、その生息圏を脱出出来たのは単純に幸運だったからだ。
近くに存在する町で、かき集めたアイテムを売りさばき、最低限の身なりは整えた。
それ以来、行商人の真似事をしながら都市間を旅している。運良くこれまで大きなミスもなく、次に王都に辿り着くことができれば大金を得られるはずだった。
しかし、今までノルマに微笑んでいた幸運の女神も幸運も尽きつつある。
ミスは護衛を雇わなかったこと。それだけの金がなかった。王都にたどり着ければ当てもあるが、空手形で護衛を請け負う者はおらず、それを成し遂げるだけの信用もない。
帝都・王都間はそれほど危険な地ではないが、野生の魔物は多数生息している。大勢で移動すれば襲ってこない魔物もたった一人で歩くノルマを見つけるとこぞって襲いかかってくる。
事前に分かっていたことだが、それでも一人で移動することを選んでしまったのは、無意識の内に自身の幸運を過信していたからだろう。
平原を駆ける。深い緑の髪が張り付き、ぜえぜえと荒い呼気が後方に流れる。日に焼けた肌を汗が滑り落ちる。
背後からはまるで威嚇するような咆哮が聞こえていた。相手が何なのか。狼か獅子か。確認する余裕すらなかった。
王都、帝都間に広がる平原には多くの獣種が存在する。そのほとんどは肉食性の魔物だ。いつもは豊富に生息する小動物を食らっている。
人間は大物だ。特に、襲撃出来るくらいに無防備な人間は滅多にない。そう易易と諦めないだろう。
ノルマとてたった一人で長い間旅をしている。自衛手段くらいは持っていた。少数ならば魔物だって倒せるだろう。
だがあくまでそれは自衛の域を出ない。魔物も群れを全滅させる程ではないし、後ろから聞こえる獣の足音は一体のものではない。とても倒し切る自信はなかった。
もしも、なんとか撃退できたとしても王都まではまだ距離がある。負傷してしまえば次に現れた魔物に喰らわれるだけだ。
無茶をせずに何処かの商隊に入れてもらえばよかった。
今更そう思うが、もう遅い。
リヤン人は外見に特徴がある。深い緑の髪と目だ。極めて珍しいその外見的特徴は集団に属する上でデメリットとして働く。
信用を得るための時間がなかった。ノルマの目的は竜神祭だ。終わってしまえば、また一年待たねばならない。つまるところ、ノルマは命と金を天秤に賭けたのだ。そして、それは結果的に失敗だった。
リヤン人の身体は頑強だ。柔軟な筋肉を持ち、寒さにも暑さにも強い。だからなんとか逃げ切れているが、持久力で負けていた。そもそも、金銭的な理由でほとんど飲まず食わずであり、力が出ない。
走る速度はどんどん落ちていた。道は平坦なので転ぶこともなくまだ捕まっていないが、恐らくそれも魔物側がノルマが疲労し動けなくなるのを待っているからなのだろう。
今にも倒れてしまいそうだ。一度転んだら二度と起き上がれないだろう、駆けながらも、朦朧とした意識の中必死に光明を探すが、時間が悪いのか場所が悪いのか他に人間の姿は見当たらない。
もしも誰かいたとして、果たして魔物から逃げている自分を助けてくれる者がいるのか。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
体力はもう限界だ。まだ動けているのは奇跡に近い。
身体の感覚はもうほとんどない。それでも動けているのはノルマの身体がまだ生存を諦めていないからなのか。
身体が、思考が燃え上がりそうに熱い。心臓の音がガンガンと脳裏に響いている。
もうダメだ。最後に脳裏をよぎったのはこれまで訪れて着た都市や、各地の光景ではなく、荒涼とした廃都の光景だった。
何もない残骸の都市と、そこに縋り付くように住む自分達の姿。
魔物たちから逃げているその事実を一瞬忘れる。涙は出ない。既に身体に水分はカラカラだ。
間もなく身体の奥底で燃えていたエネルギーが切れる。きっとそうなれば後ろから押し倒され、獣に食われるのだろう。髪の毛一本、肉の一片すら残さず、ただ王都で売り払うはずだった『竜玉』だけがこの地に残されるのだろ。珍しいことではない。そういった残骸をこれまでノルマも何度も見たことがあった。ラッキーだと思ったことさえ――。
ノルマの中で残っているのは恐怖ではなく、無念だった。竜種のアイテムの中でも至高とされる竜玉。廃都で発見し、それ以来ずっと大事にとっておいたそれを売ることができればどれほどの富を得られたか。
声を出そうとするが喉からはひゅーひゅーと細い音しか出ない。何か躓いたのか、身体が大きくつんのめる。
意識が空白になる。時間が止まる。
その瞬間、ノルマは確かに奇妙な物を見た。
蜘蛛のような黒い怪物。それに引かれた分厚い灰色の板に座った男の姿が、真横をすーっと通り過ぎていった。
!??????? ま、待って! 行かないでぇっ!
止まっていた時間が動き、全身が強く地面に打ちつけられる。衝撃と鈍い痛みに声にならない声をあげる。
混乱する中、ノルマの耳が乾いた声を捉えた。
「あるじ! ひとだった! あれひとだったぞ! まいごからだっきゃくできるぞ!」
§ § §
王都までの道で行き倒れに出会った。砂漠でも出会ったことを考えると驚異的な確率である。
だが、不思議でもなんでもない。ゲームの主人公であるプレイヤーにとってマップ上で行き倒れに遭遇するなんて日常茶飯事だ。
一度通り過ぎたが、サイレントに指示を出しUターンさせる。尻の下に敷いていたカベオがずりずりと変な音を立てる。
行き倒れはちょうど後ろを走っていたグリーンウルフの群れに群がられるところだった。
小柄な人間だ。深々とかぶった帽子に深緑の髪。大きなリュックを背負い、倒れ伏しぴくりともしない。
「おいおい、ラッキーだぜ。きっとクエストだ」
「あるじって考えなしだよね。にかいもまいごになるなんてほとほとあきれるぞ」
サイレントが辛辣なことを言う。
考えなしだったわけではない。カベオを尻の下に敷いてサイレントに引かせれば騎乗スキルなしでも高速で移動できるのではないかという案も正しかった。多少の失敗は仕方ない。なんたってこの世界は――ゲームと少し仕様が違うのだから。
「サイレント、追っ払え!」
「はーい」
手綱代わりに掴んでいたサイレントの触手を離し、グリーンウルフを指差し指示を出す。
蜘蛛のような形をしていたサイレントが、引きずるために掴んでいたカベオの手を離し、一気にウルフの群れに飛びかかった。
十数体もいるウルフの群れが触手に弾かれゴミクズのように宙を舞う。王都周辺の魔物のレベルはそれほど高くない。
そちらから視線を外し、うつ伏せに倒れ伏す影に駆け寄る。帽子に分厚い外套。黒ずんだブーツに腰に下がった小さな短剣。助け起こすその前に、僕は手を止め目を瞬かせた。
行き倒れの頭の上に名前が出ていた。
ノルマ・アローデ。
体力を全部使い切っているのか、倒れ伏したノルマはぴくりともしない。HPバーは減っていないので死んではいない。
「…………」
僕はしばらく黙って見下ろしていたが、足の先を身体の下にいれ、乱暴にその身体をひっくり返した。
見覚えのある顔が表れる。深緑の艷やかな髪に日に焼けた肌。意識がほとんどないのか、半分開いた目にはどこまでも深い緑の目が垣間見える。
ランダムエンカウントのキャラのはずだが、こんな所で出会うとは予想外だ。
僕は目の前でひらひらの手の平を振り、にやりと笑みを浮かべた。
「おいおい、『ろくでなし』のノルマじゃないか。こんな所で随分と調子が悪そうだね」
『放浪』のノルマ。あるいは、プレイヤーが名付けた『ろくでなし』のノルマ・アローデ。
フィールド上でランダムで遭遇してその度に戦うことになる最低なNPCの名である。
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