第二十話:操竜士

 これが……操竜士!


 巫女は、数日前に疑念を抱いていた自分を恥じる思いだった。


 『竜神の巫女』は大きな力を持たない。多少の魔法くらいは使えるが、その力の本領は別世界に存在する竜神から託宣を受けることにある。


 操竜士を選ぶのは巫女の力ではなく竜神の御子であるイノセント・ドラゴンだ。その選定基準について巫女は何一つ知らない。

 故に、巫女に出来るのは信じることだけだった。


 青色の境界のゲートが強く発光し、中から青年が現れる。


 此度の操竜士に選ばれた召喚士。ブロガーを名乗るその男はとても強そうには見えなかった。

 王国の貴族が何度も巫女に操竜士の状態を確かめにきたのはそのことも一因となっているのだろう。操竜士とは王国の英雄。世界を食らう竜を滅ぼす者である。その青年には英雄が持つようなオーラがない。

 召喚士は直接戦闘するものではないとはいえ、常に眷属と共に戦場に立つ必要がある。己の身を守る必要がある。戦えるように見えない召喚士というのは珍しい。


 竜神の言葉を聞くことができない王国の貴族がその前途に憂いを抱くこともまたやむを得ないことだといえるだろう。

 何しろ、その竜神に仕え、直接その言葉を賜った当の巫女でさえ――イノセント・ドラゴンを届けてから一週間、何の音沙汰もなかった時には、ブロガーに不審を懐きつつあったのだ。


 彼が選ばれたのは何かの間違いではないのか。自分の信仰が足りずに選定に何か問題があったのではないか。

 結果的に、巫女の方からブロガーを急かしに行くことはなかったが、それは間違いなくそれは疑念だった。


 竜神の試練は地獄だと聞く。毎年、竜神祭の時期に試練の門は異界に繋がる。

 そこに挑む召喚士達を巫女は何人も見てきた。金のため、名誉のため、そして自らの力を示すために。

 その多くが戻ってこなかった。帰還することができた極少数も、ボロボロで半死半生の状態だった。中にはトラウマになって召喚士を引退した者もいるらしい。

 試練といえど、【竜神の試練場】の危険度は並のダンジョンを大きく越える。


 だが、ブロガーは違う。戻ってきた操竜士は平然としており、その服装にも乱れの一つもない。

 数時間もの間、試練に挑んだとは思えない立ち振舞。表情にも一挙一動にも、疲労は見えない。


 あまりにも異常だった。巫女はその様子に、頼りになるというよりは、怖気すら感じてしまう。


 ――しかも、その操竜士が試練に挑むのはこれが初めてではないのだ。


 操竜士の後ろからトボトボとその眷属が脱出してくる。

 サイレントと呼ばれていた最初から連れていた小さな影のような眷属。そしてさらにその後ろから件の竜が現れる。


 イノセント・ドラゴン。竜神より下されたアビスに対する希望。しかし、その姿は当初神殿に現れた時に見せていた卵のような形と比べて一線を画していた。


 大きく広がる金色の翼。光そのものを形にしたような純白の鱗に、しなやかに伸びる長い尾。大きさは人を乗せるには小さいが、操竜士が神殿を訪れた時に見た姿よりは遥かに大きなものに変わっている。

 その佇まいから感じる神々しさに、知性を感じさせる金色の瞳はこの国が竜への信仰を抱くに至った事実を納得させた。


 しかし、今その目尻は情けなく下がっている。


「あるじ、もういやだぞ」


「ますたぁ、ますたぁの考えもわかるけど、休憩も、大切だと、思うよ! 少し、少しでいいんだ」


 救国を成すべく遣わされた竜が懇願するような声をあげる。サイレントが足に手を伸ばしブロガーを揺すっている。

 最初に見た時は目を疑った。呆然としてしまったが、もう三度目なのでさすがに思考を放棄したりしない。


 顔をあげ、じっと言葉を待つ巫女に、操竜士はあっさりと言った。


「よし、調子が出てきた。周回速度も上がってる。もう一周だ。まだ四周じゃないか、どんどん行くよ」


 サイレントが、そしてイノセント・ドラゴンが悲鳴のような声をあげる。人間より遥かに頑強なはずの竜がまるで子供のように首を横に振って拒否している。


 最初にその言葉を聞いた時には信じられなかった。試練から生きて帰っただけでも十分偉業なのだ。即座にもう一度突入しようなどと、誰が考えようか。

 だが、操竜士はそれをやった。それも一度ではない、今回で四周目を終え、しかもそれで止めようとしない。何故か別の門には入ろうとしなかったが、そんなのは些細なことだ。


 時間を確かめる。最初に操竜士が試練に挑んでから既に二十時間近く経過していた。

 召喚士本人が戦いはしないとはいえ、疲労は溜まるはずだ。本来ならば眷属が召喚士よりも早く音を上げるなどありえない。恐らく、巫女が今見ているものを誰かに話したとしても、信じる者はいないだろう。


 操竜士の姿は最初に試練に挑む前と何ら変わらないように見えた。いや、むしろ少し元気になっているようにすら見える。


 ばたばた地面を転がり駄々をこねるサイレントとイノセント・ドラゴンを見ながら、小さくため息をついている操竜士に、思わず巫女が声をかける。

 眷属のためだけではなく、本人のためにも。疲労は判断力を鈍らせる。別のダンジョンだったとしてもこう何度も連続で挑戦するなど本来ならば考えられない。


「あ、あの……少し、眠られては……」


「いや、大丈夫だよ。スタミナもまだ余ってるから」


 何気なく操竜士が答える。

 既にイノセント・ドラゴンは出現当初と比べて遥かに力を増している。にも拘らず、操竜士に満足した様子はない。


 隔絶した才能に意志。巫女はこれまで召喚士の力は眷属の力だと思っていた。だが、この光景を見たいまではとてもそんなことは言えない。


 これが――伝説に残る操竜士。


 何がその青年をそこまで駆り立てているのか、巫女にはわからなかったが、何故竜神があまりにも弱そうに見える青年を選んだのか、今ならその理由もわかる。


 操竜士が地面でジタバタしながら抗議していたサイレントを掴み上げ、ゲートの中に放り投げる。それを見て逃げようとしたイノセント・ドラゴンの脇腹を流れるような動作で蹴り、ゲートの中に叩き込んだ。腕にひっついていたアルラウネが床に飛び降り、とことこと自発的にゲートの中に入っていく。


 辺りに静寂が戻る。操竜士はもう一度ため息をつくと、顔をあげた。


 目と目が合う。睨まれたわけでもないのに、まるで縛られたかのように身動きができなくなる。

 黒の目が真剣に巫女を射抜いていた。平凡な顔の上で、その目は深淵を映していた。しばらく何かを待つように沈黙していたが、やがて諦めたように操竜士が言った。


「睡眠なんてどうでもいい。それよりもいい加減、僕が欲しいもの、わかるね?」


「……」


 唇を結び、ぎゅっと腕を押さえる。意味不明の言葉もまた、これで三度目だった。

 一步後ろに下がる。それを追うようにし、操竜士が距離を詰めてくる。


 背が壁にぶつかる。ブロガーの声は穏やかだったが、何かとてつもなく危険な響きを秘めるように思えた。


 竜神の巫女は崇拝の対象である。【オロ王国】においては、貴族や王族ですら無礼は許されない。初めての経験に身を縮める巫女に、操竜士が目を細め、舌なめずりをして言った。



「早く持ってくるんだ――ダンジョン攻略の達成報酬と、イノセント・ドラゴン進化の達成報酬を。ダンジョンの方の報酬は四回攻略したんだから四回分まで、だ。次に戻ってくるまでに用意しておくんだ。いいね?」



§




 竜と眷属の戦闘音だけが響き渡っていた。

 広い天井――中空をを自由自在に飛行する飛竜ワイバーンと、『単独飛行』特性持ちのアグノスがぶつかり激しい音がダンジョンに反響する。僕は椅子にふんぞり返りながら、感嘆のため息をついた。


「あー、やはりイベントはいい。イベントは最高だ。初心に返る」


 アビコルのイベントは難易度に比べて非常に美味しい。特に、初心者にとってイベントは生命線とも言える。報酬で、本来手に入らないグレードの素材アイテムが手に入るからだ。


 クエストとは別に、竜神祭イベントには実績に応じて報酬を得ることができる達成報酬というシステムが存在する。

 報酬を得られる基準は三つ。


 一つ目が初級、中級、上級、アビス級、それぞれのダンジョン攻略回数に応じて手に入る達成報酬。

 二つ目がイベントユニット『イノセント・ドラゴン』の進化回数に応じて手に入る達成報酬。

 そして三つ目が――アビス・ドラゴンの討伐回数に応じて手に入る達成報酬。


 得られる報酬は金と素材アイテム、そして魔導石だ。


 金と魔導石はともかく、報酬となる素材アイテムはグレードがかなり高く、本来ならば高難易度のダンジョン攻略で手に入るものであり、高難易度ダンジョンを周回できる上級者ならまだしも、初心者ならば絶対に見逃すべきではない。

 竜種の眷属を育てたいならば見逃せないし、育てたい眷属がいなかったとしても召喚できた時のためにとっておくべきである。

 特に竜種は大器晩成なので、竜種素材はいくらあっても余るなどという心配はないのだ。


 ちなみに、課金のない今となっては、魔導石も魅力的だが、魔導石が達成報酬となるのは三つ目だけなので今回は無理である。絶対に倒せない。


「あるじのばかああああああああああああああ!」


「ますたぁのばかあああああああああああああ!」


 サイレントが飛竜の短い足に触手を巻きつけ、地面に叩き落とす。上空からアグノスがフォトン・ブレスを放つ。装甲の薄い飛竜ワイバーンは死んだ。

 しかし周回しているだけなのに、僕の眷属、とんでもない言い草である。純粋だったアグノスは一体どこにいってしまったのか……ただでさえ子供っぽいのに、言葉が幼児化してる。まだたった五回目なのに。


 ゲーム時代は何回周回したことか……それぞれの難易度でダンジョン攻略千回の達成報酬があるんだよなぁ。周回やる意味がなくならないようにという運営のありがたい配慮である。死ね。


 僕は手持ち無沙汰にフラーを擽りながら、エールを送った。フラーが膝の上で身を捩り、ばたばたしている。


「安心しなよ! 攻略速度が上がってるから後五、六回入ったらちょっと休むよ。スタミナ心配だし」


「!?」


 解体した飛竜の素材をぽりぽりしていたアグノスがビクリと震えて固まる。サイレントが不貞腐れて、どろどろに変化し、床の染みみたいになった。


 『光の護衛竜 イノセント・ドラゴン』


 第二進化を遂げたことでアグノスのレベルは上がりづらくなっていた。進化してからダンジョンを三周もして、ドロップした素材アイテムを全て食わせているのにまだレベルは35だ。

 次の進化までに必要なレベルは後25、僕達プレイヤーが『参加賞』と呼んでいる達成報酬まで後25だ。


 この調子だと次休憩までには上がるだろうか? まだイベント終了までには時間があるが、余裕を持って上げておきたい。ぎりぎりで報酬もらえないなんてことになったら目も当てられない。


「フラーを進化させておけばよかったなぁ。経験値、もったいない」


 手の平に頭をこすりつけてくるフラーを見下ろし、呟く。

 再びダンジョン内に悲鳴のような罵声が響き渡った。


「あるじのばかあああああああああああ!」


「ますたぁのばかああああああああああ!」

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