第十九話:イベントの遊び方
青のゲートを通り抜けると、そこは広々とした通路だった。
薄暗い通路。密閉されているが、手を大きく広げてもぶつからないくらいに幅が広く、天井も高いため息苦しさは感じない。
壁や床は石造りであり、窓などもない。薄っすらと苔の生えた壁――ごつごつした壁からは作られて相応の年月が経っていることが感じられる。
苔は薄っすら輝いており、奥までは見えないが最低限の視界は保たれていた。
これが――【竜神の試練場】。その初級。
気温は低く、空気が張り詰めている。吐いた息が白い。フラーが身体をよじ登り、ピッタリと腕に抱きつきしがみついてくる。重い。
「竜種の力を感じる。力が漲ってくるよ……マスター」
アグノスがぶるりと身体を震わせ、その金の目を前方に向ける。その身体にはいつの間にか黄色に輝く靄がまとわりついていた。
【竜神の試練場】は竜種のパラメータに補正がかかるダンジョンだ。その度合は難易度に比例し、初級では全パラメータが五十パーセント強化される。
味方も強化されるがこのダンジョンに現れる魔物は全て竜種であり、こちらに掛けられたハンデと言えるだろう。
前に立ったサイレントが僕と同じくらいの大きさまで身体を変化し、大きく手足を伸ばして柔軟をしている。それいらないだろ、君。
サイレントは冥種である。パラメータ補正はかからない。竜種に有利な特性もない。
ここから始まるのは戦略も戦術も相性も関係ないガチンコの殴り合いである。課金がない――ユニットを揃えられないのが全て悪い。
サイレントがふとこちらを向く。
「あるじさ、これからどうするつもりなのだ? 竜種がでなかったけど、アビス・ドラゴンは倒せるのか……?」
「もともと竜種が出たとしても倒せる見込みは薄かったよ」
「……えええ?」
竜種は大器晩成なのだ。おまけに卵から孵化させないといけないし、いくら竜神祭中と言っても上げられるレベルには限度がある。
限られた時間内に、仮にもイベントボスであるアビス・ドラゴンを倒せる程の力を得られる眷属など限られている。僕がアビス・ドラゴンを倒すには三重くらい奇跡が重ならなければならなかったのだ。
僕の目的は21族だった。
眷属のほとんどは初期のレア度は低めで進化を繰り返すことでレア度が上がっていくが、本当に極少数、初期から最高レア度――レア度21の眷属が存在する。
それが俗に言う21族。アビコル中屈指の能力を持つ眷属である。竜種は第一段階に卵があるのは変わらないので特殊な形になるが、孵化した直後から絶大な戦闘能力を誇るそれらの眷属さえ出ればアビス・ドラゴンなんて簡単に攻略できた。
弱点は出現率の低さである。僕はゲーム時代、数え切れないくらいガチャを引いたが、21族が出たのはたったの一回しかない。宝くじなんて目じゃない確率の低さである。アビコル運営はそういうところで悪ふざけするのだ。ここまで確率が低いとリセマラでも狙いようがない。もう半分くらい都市伝説だよ、死ね。
要するにはじめから無理な話だったのである。
僕の言葉が予想外だったのか、サイレントが目を丸くしている。
既に賽は投げられてしまったのだ。石は召喚二回分残っているが、使うわけにはいかない。絶対に使うわけにはいかない。何がなんでも使うわけにはいかない。絶対に、何がなんで使うわけにはいかないのだッ!!! アビコルは他のソシャゲーとは違う。死ぬ。死んでしまうのだ。
だが、のんびりしていたら気の迷いで召喚してしまうかもしれない。僕はサイレントを見下ろし、吐き捨てるように言った。
「さぁ、行くぞ。遊んでいる暇なんてない」
「あ、ああ……わかった、けど……いつになくやるきだな、主」
「僕はいつだって全力だ」
肩にしがみついていたフラーを引き離し両腕に抱える。準備はととのった。
さぁ、イベントを始めようじゃないか。
§
ナイフのような鉤爪が地面を削り、一瞬火花が散る。全身を覆う焦げ茶色の皮膚に、棘の生えた長い尾。敵意に満ちた血のように赤い目が影のような侵入者を居抜いてた。
威嚇なのか、ぎゅろぎゅろという不気味な鳴き声が響きわたる。
思い切り飛び上がったサイレントがその背に剣を振り下ろす。鈍い音が響き渡った。
「な、なんだこいつ!? 硬いぞ!」
『アイアン・リザード』。防御に秀でた下級の竜種は、サイレントの一撃を受けても僅かに唸るだけで苦痛を見せない。
思いっきり振り下ろした剣を弾かれたサイレントが焦ったように叫ぶ。横薙ぎに払われた前足をとっさに跳ねるように回避し、リザードの攻撃圏外に脱出する。
「ただでさえHPと防御が高い竜種にパラメータ補正が付いているんだからそりゃそうさ」
アイアン・リザードが蜥蜴そっくりの動きで接近する。槍のように伸びた舌をサイレントが天井に触手を突き刺し、飛び上がり回避する。そのまま天井に突き刺した触手を使い大きく身体を振って宙に身を投げ出した。
パラメータが上がっても、敏捷はサイレントの方が上だ。余程油断しない限り致命打を食らう確率は低い。
そのまま重力の力を借りて真下に刺突を放つが、それもまた分厚い鱗に弾かれた。アイアン・リザードのHPバーがほんの少し削られる。器用に背に着地したサイレントが叫ぶ。
「こんな、硬いやつ、みたいことないぞッ! これ、どうするのだ!?」
「援護するよ!」
「アグノス!!」
その時、天井近くを飛行し様子を窺っていたアグノスが大きく顎を開いた。
エネルギーが収束すうる。小さめの口に集まったエネルギーは瞬く間に光の球となり、合図もなく解き放たれた。サイレントがとっさにアイアン・リザードの背から離れる。
放たれた光の弾丸が奔流となり暗闇を晴らす。一瞬視界が真っ白になり、アイアン・リザードを包み込む。
一部の竜種が扱う攻撃スキル。『
主に竜種が覚える『
サイレントが叫ぶ。
「やったか!?」
やってない。
世界を満たした光が晴れる。そこにいたのは、表皮が少しだけ焦げ、機嫌が悪くなったアイアン・リザードの姿だった。HPはまだ九割も残っている。
アイアン・リザードは物理防御は高いが魔法防御はそこまで高くない。それに対して魔法攻撃扱いの『
アイアン・リザードの鋭い目が細められ、アグノスを見上げる。僕はため息をついた。
「分かってたけど、ざっこ」
サイレントの攻撃も、アグノスの攻撃も、威力が低すぎて話にならん。
アグノスはもともと期待していなかったのでまぁ置いておくとしても、相性が悪すぎる。
「ちょ、あるじ!? ひどいぞ!?」
「マ……マスター!?」
アイアン・リザードが壁に向かって突進する。頭が壁に衝突する寸前、壁に鉤爪を引っ掛け、器用に登り始めた。
自分に多少なりともダメージを与えたアグノスを集中して狙うつもりだろう。
アグノスのブレスは連続で使用出来ない。味方のピンチに気づいたサイレントがアイアン・リザードの後ろ足に触手を伸ばし、強制的に引きずり下ろす。
地面に落ちたアイアン・リザードの目が再びサイレントを捕らえる。大きく方向転換して突進をかけてくるリザードにサイレントが悲鳴をあげる。
「あ、あるじ、どうしたらいいのだ!? なんか妙案は――」
わかってたことだけど、だいぶ時間が掛かりそうだな。
僕はポケットから椅子を取り出し、そこに腰を下ろして言った。
「攻撃は全部避けて、倒れるまで叩くんだよ。先に手足を狙って敏捷にペナルティをかけるんだ。フラー、サイレントが傷を負ったら回復魔法をかけるんだ。よろしく」
持久戦だ持久戦。なんか暇つぶし持ってくればよかったなぁ。
§
最後の最後までアイアン・リザードは戦意を失わなかった。
アイアン・リザードのHPがなくなり、身も震えるような鳴き声を残して、その巨体が音を立てて崩れ落ちる。
ちまちまヒット・アンド・アウェイを繰り返した結果だ。倒すまでにかかった時間はおよそ十五分。話にならない。
「どんだけ硬いんだ。酷い敵だぞ……」
転がったアイアン・リザードの死体を前に、サイレントが珍しく疲れたように言う。
アイアン・リザードはずっとサイレントを付け回していた。いくら敏捷で上回っているといっても、油断すれば大きなダメージを受けていただろう。思い返せばこういう戦いはこの世界にきて初めてかも知れない。
座っていた椅子を片付ける。ひたすらにブレスを撃って援護をしてくれたアグノスが震える声でつぶやく。
「これが……竜神の試練、か」
こんなのまだ序の口だ。今いるこのダンジョンは――あくまで初級なのだ。ゲーム時代はサクサク狩れていたが、攻撃能力を持っているキャラがサイレントしかいないのが本当にキツイ。
あそこでおにぎりとかマジないわ。
「サイレント、解体」
「あるじ、イスに座ってただけなのにえらそうな……あれ? やわらかくなった?」
死んだらダンジョンの補正がなくなるからな。
血がどくどくと漏れ、生臭い酷い臭いが漂う。サイレントは腕を増やし、器用にその巨体を解体していく。
鱗も角も牙も目玉も心臓も、その全てがドロップアイテムだ。グロテスクに光るそれをアグノスに示す。
「アグノス、食べていいよ。さっさとレベルを上げるんだ」
「え…………ああ」
アグノスが戸惑ったように山盛りになった素材に向かう。
イノセント・ドラゴンの
同種の素材を食べることでアグノスのレベルが一気に上昇し、アイアン・リザードを倒したことで得た経験値もあり、レベル15まで上がった。
一方でサイレントのレベルは上がる様子はあがっていない。
アグノスの成長に気づいたのか、サイレントが置いてけぼりにされた感を出しながら言う。
「あんなに硬い魔物たおしたのに、れべるあがらないぞ……」
「あいつ雑魚だから」
「うぇ!?」
このダンジョンは完全に竜種優遇である。竜種はパラメータに補正がかかるし、魔物を倒した時に得られる経験値にもボーナスがかかっている。他の場所で戦った時よりも五割増しだ。
サイレントは竜種じゃないので入手経験値にボーナスが入らない。
珍しくサイレントが肩を落として弱気な様子でぽつりと言った。
「われ、もうかえりたいかも……」
「ずっと戦いたいって言ってただろ、ほら行くぞ。大丈夫、さっきのは防御に秀でたタイプだったから、次に出るのはもうちょっとマシなはずだ」
「……し、しんじるぞ」
アグノスが全ての素材を消費したのを確認して先に進む。
一つめの角を曲がった所で、サイレントが甲高い悲鳴をあげた。
アイアン・リザードが三体、まるで行進するかのように列を作って歩いている。
僕は再び椅子を取り出し、壁の近くに置いた。フラーを膝の上に乗せる。かまってもらえると思ったのか、フラーが手にじゃれついてくる。
「うそつき! あるじのうそつき!」
「戦法はさっきのと同じでよろしく。アグノスはブレスを撃つ時は全個体を巻き込むように注意して。ダメージ受けるなよ、死んでも絶対、石砕かないからな」
§
「はぁ、はぁ……もうやだぞ……数おおいし、硬いし、痛いし、とんでもないだんじょんだ」
「さすが神の試練だ……まさかこんなに沢山魔物が出て来るなんて……」
疲れ果てたようなサイレントの声。アグノスの声にも突入まで宿っていた元気がない。
現れる前竜や亜竜の魔物を退け、歩く。周りはずっと薄暗いので体内時計が狂いそうだったが、事前に買っておいた時計はダンジョンに入ってから五時間が経過したことを示していた。
サイレントもアグノスも疲労が濃い。その半面、僕とフラーは元気いっぱいだ。
現れる竜種の魔物はその尽くが高いHPと防御力を誇っており、倒すのに時間がかかった。最短五分、最長でも三十五分。アグノスがレベルが上がったので多少効率はよくなっていたが、焼け石に水でしかない。
初級ダンジョンなのでブレスを撃ってくる魔物がいないのが唯一の救いだろう。
中級からはブレス攻撃をする魔物がちらほら出てくる。サイレントは物理耐性は高いが魔法耐性は低めだ。ブレスを受ければ死なないまでも大きなダメージを受けるだろうし、攻撃範囲が広いのでアグノスが巻き込まれたりすると目も当てられない状態になってしまう。
サイレントの回避力はさすがの一言だった。敏捷の高さは、たとえダンジョン補正込みでもここに出てくる魔物なんてお話にならない。
魔物が数体の群れで出てきたりすると、サイレントやアグノスが攻撃を受けることもあったが、今のところフラーのしょぼい回復魔法でなんとかなっていた。概ね僕の想定どおりと言えるだろう。
「さっさとかえっておふろ入って寝たいぞ」
「何人間みたいなこといってるんだよ」
雑談しながら魔物を蹴散らし、更にしばらく歩いた所で行き止まりに辿り着いた。
通路全体が光っている。
「お……おお、あれ、まさか、でぐちじゃないか?」
光源は門だった。入ってきたゲートにそっくりな青色の光が溢れる門。
サイレントが一気に元気を取り戻し、駆け寄る。
足元に魔導石が落ちているのに気づき、かがみ込んで拾い上げた。
ダンジョンの初回攻略ボーナスだろう。どうやらサイレントの言う通り、ゴールのようだ。初級にボスはいない。こんなもんか。
日記帳を取り出し、結果を書き込む。戦闘回数二十一回。倒した魔物の数、五十一匹。かかった時間――六時間ちょっと。現在のアグノスのレベル、48。
第一形態は50で進化するはずなので、あと一歩である。こんなもんか……。時間がかかっているのは現実故のデメリットもあるのだろう。スマホぽちぽちより時間がかかるのはどうしようもない。
スタミナの計算もしておく。
おさらいだが、アビコルでのスタミナは戦闘一回につき、出している眷属の数だけ消耗する。
スタミナ消費は眷属二体出して戦闘が二十一回なので四十二。三百六十分経過したとしてスタミナ自然回復量が三十六。差し引きでマイナス六。(ちなみにアグノスは眷属ではないのでスタミナ消費はない)
自分のプレイヤーレベルが見えないので現在スタミナが幾つかは知らないが、初期レベルでも百は確保されているのでこのペースなら休まずに十六周繰り返せることになる。
アビコルではプレイヤーレベルは召喚した眷属の数とレア度に応じて上昇し、それに応じてスタミナも増えていく。サイレントのレア度が高いので僕のプレイヤーレベルはそこそこ上がっているはず。少なめに見積もっても二十周は繰り返せるだろう。
アグノスが進化したら効率が上がり、時間単位の戦闘回数も増えるので、スタミナ回復を待つために休憩を入れる必要があるかもしれない。石を砕けばスタミナも回復できるが、そこまでするつもりはない。
サイレントがゲートの前で手招きしている。
「ようやく、やすめるぞ。あるじ、はやく、はやく!」
休憩なんてないよ。何のために食料大量に購入したと思ってるんだ、周回するって言ってるだろ。
周回の意味わかってる? スタミナ切れるまで何度もダンジョンぐるぐるするってことだよ。
外出たらもう一回入り直しだ。
気合を入れ直すと、僕はサイレントと共にゲートを潜り抜けた。
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