第一話:いいえ
クエストをこなし宿に戻った時には既に日が暮れかけていた。
「主はまめだなぁ。今日やったやつ、
「クエストがあったら受ける。それが僕の流儀だ」
「絶対クエストじゃないし……我、力を蓄えるために召喚されたんだけど……」
この世界のことは知らないが、アビス・コーリングのことは良く知っている。
課金とログインボーナスがない以上、僕のすべきことはこつこつ魔導石を集めることだ。
サイレントが僕の頭の上でグチグチぼやく。どうやらサイレントは戦いたいらしい。
つい先日ヨアキムにぼこぼこにされたばかりなのに元気なことだ。
「だいたい、魔導石手に入ってないじゃないかあ」
「文句はそんな仕様にしたこの世界の運営チームに言えよ」
「うぅ……あるじと話しているとあたまのなかがこんがらがるぞ」
「何も言わないフラーを見習え、フラーを」
路肩の水たまりの上で跳ね回り、泥を葉っぱにつけたフラーがこちらを振り向いて笑う。久し振りの太陽と泥遊びで上機嫌らしい。
まぁ、フラーは大体上機嫌なんだけど、後で水洗いしなくてはいけないだろう。
呼ばれたと思ったのか、近寄ってきたフラーが僕のズボンの裾をぺたぺた触ってくる。僕はそれをスルーしてため息をついた。
今日も広々とした宿のロビーにはでっぷり太った商人や見るからに品の良い服飾をした男たちが詰めている。
僕が帝都に来てから取っている宿はかなりグレードが高い。
ギオルギやヨアキムからドロップを剥ぎ取った僕からすれば大した値段ではないが、自分の他に召喚士などの姿は見えない。
泥だらけのフラーを見て目を丸くする者もいたが金持ちで余裕があるためか、文句をつけてくる者はいなかった。
「しかしあんなにクエストを受けたのに一個も魔導石が手に入らないとは思わなかったな」
道に迷っているNPCの道案内を始めとして、いくつかクエストを見かけたので受けたが報酬は微々たるものだった。それどころか、口頭でのお礼だけのものすらあった。時間を考えると完全に丸損である。
「あるじ、あれはただ困っている人だぞ。道案内したり迷子の犬を探したりするだけで魔導石が手に入るわけがないだろ? おひとよしになったのかと思ったぞ」
「は? あれ、人じゃないから」
「…………」
NPCだから。
サイレントは何か勘違いしている。名前があるならまだしも、その辺にいくらでもいるNPCに情なんて抱くわけもない。
しかし、魔導石が手に入るか否か事前にわからないのが痛い。クエストかどうかちゃんと表示されないのも痛い。
僕はしばらくしかめっ面で考えていたが、すぐに考えを放棄することにした。
「……まー、いっか」
大した手間がかかっているわけでもない。考えてもどうにもならないことに時間を割くのは馬鹿のすることだ。
そんなこと考えている暇があったらさっき買ってきたばかりのカメラで何を撮るか考えたほうが余程いい。
ロビーのソファに腰を下ろし、箱を取り出す。今となっては懐かしいフィルム式のカメラである。
さすがにこの世界にデジタルカメラは存在しないようだが、普通のカメラは一般個人が買えるくらいに普及しているようで、その辺の適当な店に売っていた。
カメラがあれば文字だけの日記に絵を追加することができる。眷属の図鑑を作ることだって出来るだろう。
アビス・コーリングには図鑑と呼ばれるコレクション要素があった。手に入れた眷属が自動的に図鑑に登録され、好きな時に情報を確認することができたのだ。
イラストがいつでも確認できる他、図鑑には直接ゲーム内容とは関係ない設定なども綴られており、特に見ることでメリットがあるわけではなかったが純粋に面白かった。
現実世界になって図鑑画面は開けなくなってしまったが、自分で再現することはできるだろう。
カメラなんて最近触っていなかった。昔を思い出しながらファインダーを覗くと、きょとんとした様子でこちらを見上げるフラーを一枚撮る。
……解像度はイラストより現実の方が上だな。
そこで、サイレントがレンズの前に飛び出し、見上げてきた。
「われも撮って欲しいぞ?」
サイレントは解像度があがっても手抜きだった。フラーの方がまだ複雑だ。
このマスコット枠め。
「フィルムが勿体無いからダメ」
「……」
サイレントが膝を抱え、こちらに背を向けていじけたような姿勢をする。
僕はこっそり一回シャッターを切った。後で何枚か印刷して嫌がらせに使おう。
「あるじは優しさが足りないぞ」
「被写体がサイレントじゃなぁ」
手抜きグラすぎて、写真を見せても合成だと思われるだろう。もっとリアリティを出せと言われるに違いない。
逆においしいかもしれないけど、もっと他にあると思う。
「まーカベオよりはマシな程度かな」
「……今すごくしつれいなこと言われた気がする」
だが、事実である。
二、三枚、ナナシノに送る用の写真を適当に撮影し、カメラをしまおうとしたところで、ロビーに見知った顔が入ってきた。
今日もまた仕事だったのか、白い制服に剣を携えた人気キャラの姿。
フィリー・ニウェス。一枚取っておきたかったキャラだ。
「そうそう。サイレントとかじゃなくてああいうのが人気あるんだよ」
「……あるじさぁ、べつにわれはどうでもいいんだけど、もっと気を使わないともてないぞ?」
「……凄まじく出来のいいコスプレだ」
できの悪い合成写真とは違う。まー本人なんだけど。
銀髪銀目も不自然じゃないし、何よりも雰囲気が違う。SNSに上げたら瞬く間に話題になるだろう。
やはり視聴者プレゼントはこれで決まりだ。サイン付き一名様まで。残念賞はエレナ。
カメラを構えファインダーを覗く。焦点をフィーのアップに合わせ、シャッターを切ろうとした瞬間に目と目があった。別に悪いことをしているわけではないので構わずシャッターを切る。
三度程シャッターを切ったところで、周りについていた取り巻き達ABCDが目を剥いてフィーを庇うように立ったので、仕方なくカメラを下ろした。
フィーが近づいてくる。取り巻き達が暴れないのはヨアキムの件で負い目あるからだろう。だが、明らかに不服そうだ。
「……何、してるの?」
「後でサインもらっていいかな」
「……ブロガー殿。我々にも、我慢の限界がある」
背の高い取り巻きの頬がぴくりと引きつる。別にサインって言っても自分用じゃないから。
「うちのあるじが失礼してもうしわけない」
いつも通りテンション低そうなフィー。どこか機嫌の悪い取り巻き四人達を見上げ、サイレントがすかさず余計なフォローを入れた。
§
「剣士ギルドに泥棒……?」
宿の一階にある喫茶店。フィー達から齎された話に、僕は目を見開いた。
運ばれてきた紅茶のカップに口をつける。銘柄は知らないが香り豊かな紅茶だ。砂糖をざぶざぶいれれば美味しいだろう。
フラーがシュガーポットの蓋をあけ、角砂糖を三つ取り出しカップに入れると、ティースプーンでかき混ぜてくれる。
忙しそうなフラーをよそに、取り巻きAが憤慨したように続けた。
「……ああ。金庫が破られたらしい。変な噂が立っていたことといい、帝都のギルドは一体どうなっているんだ」
「へー、そりゃ大変だね」
金庫を破るなんて世の中酷い人間もいたもんだ。
ティースプーンを楽しそうにぐるぐるやっているフラーを見下ろしていると、取り巻きBかCかあるいはDだったが眉を顰める。
「……他人事だな」
「僕、関係ないし。まぁ、ヨアキムって恨み買いそうな性格してるからなぁ。なんか剣も盗まれたらしいじゃん?」
「……そりゃ……そうかもしれないが」
「Bは一体僕にどんな反応を求めてるんだよ」
「……B?」
取り巻きのおっさんの名前なんて心底どうでもいい。設定資料集に載っていただろうか?
「で、犯人は捕まったの?」
「……まだだ。ヨアキムはまだ療養中で、剣士ギルド全体もばたばたしていたからな……その隙をつかれたんじゃないかと」
「へー、そりゃ大変だね。何盗まれたの?」
「貴金属他、色々だ。…………詳しくは教えてもらえなかった。ヨアキムの奴め」
その時、いつの間に降りたのか床に着地したサイレントが僕の足首をちょんちょんとつっついてきた。
見下ろすと、フィーがまるでフォローするように言う。
「別にブロガーを責めているわけじゃない。ヨアキムが大怪我をしたのは彼の自業自得」
「いや、全然気にしてないけど。ちょっと悪いね」
裾を引っ張るサイレントに引きずられるようにして席を離れる。
フィー達は訝しげな表情をしていたが、何も言わなかった。
サイレントを手の平に乗せ、目の前に持ってくる。
「どうした、サイレント?」
「……あるじさ、何かんがえているのだ?」
「なにが?」
サイレントのぽっかり空いた目が驚いたように大きくなる。いつも三日月の口が波線に変わった。
初めて見る感情表現。器用なものだ。
しばらく待っていると落ち着いたのか、サイレントの顔が元に戻る。首を伸ばすと、僕の耳元に顔を近づけて囁くように言った。
「……きんこやぶったの、あるじだろ」
§
席に戻った僕に、フィーが表情を変えずに小さく首を傾げる。
「どうかした?」
「いや、なんか似たようなやり取りつい最近やったなーって」
金庫破り、金庫破りか。そうかなるほど、客観的に見ると金庫破りになるのか。盲点だった。
視野が狭かったようだ。確かに言われてみるとその通りである。
だがあえてひとつだけ言い訳させてもらうと――金庫を破ったのは僕じゃなくてサイレントだ。
そして、泥棒ではなく正当な報酬である。僕だってちゃんとヨアキムが剥ぎ取る物を持っていたら金庫を破ったりしなかった。
「で、その剣士ギルドの金庫が破られたからなんだって?」
取り巻きBの表情が苦々しいものに変わる。
腕を組むと、いらいらしたように歯ぎしりする。それを窘めるように取り巻きAがこれまた苦々しい声で続けた。
「…………代わりに……うちの制服が入っていたらしい。【ルーメン】の剣士ギルドの、な」
「…………おかしなこともあるものだね」
「つい先日、盗まれたものだ。確認したが俺達の私物が混じってた」
そう言えば入れたんだった。忘れてたぜ。
平静を保つ僕とは逆に取り巻き達の表情は酷いものだ。感情を噛み殺すような仏頂面。フィーの表情だけは変わらないが、彼女はそういうキャラなので内心どう思っているのかもわからない。
しかし、面倒なことになったものだ。状況はエレナに『赤風』のことを聞かれた時とそっくりである。
きっとストーリークエストの続きなのだろう。前回は素直に赤風を返したが、今回は『竜神祭』も迫っているし、かまっている時間はない。
僕はちょっとだけ迷ったが、ため息をつき、やるせない思いを殺して言った。
「いいえ」
「……?」
「いいえ、だよ。クエストは受けない」
ストーリーの続きは知りたいが、イベントもあるし何より前回のクエストの難易度を考えると次のクエストはかなり厳しいだろう。
もうちょっと戦力を増強してから受けないと。
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