第十話:サンドイッチ

 この世界はクソゲーだ。宿の自室で、日課になっている日記をつけながら考える。


 アビス・コーリングは課金ゲーで難易度も課金を前提とし、且つとんでもない落とし穴がいくつもあってガチャの確率が酷くておまけに事あるごとに眷族がロストするクソシステムだったが、少なくともバグはなかった。


 だが、この世界は違う。


 ベッドの上でアルラウネと遊んでいるサイレントを見る。注視すると、頭の上にレベルと緑色のHPバーが見えてくる。アルラウネの方も同様だ。

 ダメージを受けると緑色のバーはその分赤く染まっていくはずだ。実際にギオルギ戦で僕はそれを確認している。


 眷族の頭の上には名前とレベル、HPバーが表示される。これは、ゲームの中での仕様と同様である。

 HPが具体的にどれくらい減っているのか、細かい数値は書いていないが、また別のステータス画面を開けば確認できる。だが、この世界ではそれが――開けない。


 いや、ステータス画面だけではない。この世界は――別の画面を表示できないのだ。マップも表示できなければアイテム欄も出せない。合成も召喚も送還も、専用の画面があったはずなのにそれが表示できない。


 間違いない。バグである。実は、毎晩なんとか開けないかこっそり頑張っているのだが、その努力が報われる兆しはなかった。


 そして何より――この世界では、自分のランクとスタミナがわからない。アビコルのゲームでは自身のランク、プレイヤー名、スタミナバーは画面の上の方に表示されていたが、この世界にそんなものはない。

 もしもゲームのように視界の上の方に常時表示されていたらそれはそれで邪魔だったけど、これは割と問題だ。


 スタミナは重要な数値だ。

 多くのソシャゲーではスタミナはダンジョンに入ったりクエストを開始する際に消費し、スタミナがなくなったら回復するまで待たなければならないというシステムになっている事が多いが、アビコルのスタミナは違う。

 アビコルでスタミナが消費するのは――戦闘開始時だ。戦闘開始時、戦闘に参加する眷族の数だけスタミナが消費される。眷族を二体出していたら二消費するし、三体出していたら三消費する。だから、スタミナがなくてもダンジョンには入れるし、クエストも受けられる。


 序盤、眷族の数が少ない段階でスタミナが枯渇することは滅多にない。何しろ、初期の段階でもスタミナは100もあるのだ。だからとりあえず考える必要はないが、いずれ対策を考える必要があるだろう。スタミナがマイナスになると重いペナルティがあるのだ。


 総じて考えると、この世界はゲームだった頃と比べて随分と不便だ。この世界のNPC召喚士はこんなUIでよく召喚士をやってる。


 椅子にふんぞり返ったところで、ふとシャロの言葉を思い出す。


「そういえば……眷族を二体召喚してる召喚士コーラーなんて見たことないって言ってたな……」


 それも冷静に考えればおかしな話だ。僕の知るアビコルでは、前半はともかく後半は複数体の眷族を出さなければクリアできない難易度になっていた。クエストも――ダンジョンやフィールド攻略も。最低でも攻撃、補助、回復の三体の召喚は必須だ。

 この世界は余りにも僕の知る常識とは……大きく乖離している。


「……まぁ、NPCが雑魚なのは別に構わないんだけどね」


「ん? 我がいる限り、主は最強だぞ?」


 今までアルラウネと向かい合ってベッドをぱんぱん叩いていたサイレントが僕の言葉を聞きつけ、口を挟んでくる。


 サイレントは自信過剰だ。『静寂』は特定シチュエーションで大きな力を発揮するキャラであって、物理でも魔法でも強力なキャラではない。

 例えば、湿原に出るレアエンカウントの蟹――あの辺りと真正面から戦っても、倒せるかどうかはだいぶ怪しいだろう。レベル上げればいけるけど、物事には相性があるのだ。


「なんか言いたげな顔をしてるな、あるじ」


「いや、別に?」


 ベッドから飛び降りたアルラウネがてこてこと足元にやってくる。構ってほしいのか、足元にまとわりついてくるアルラウネの腕の下に手を入れ、抱き上げて目と目を合わせる。木彫りの人形のような見た目とは裏腹に、つぶらな瞳はとても生き物っぽい。


 アルラウネは雑魚だが、回復、補助、攻撃と一通りの魔法を覚える。二体しかいない現状では選択肢がないのだが、サイレントのサブのサブのサブくらいにはなるはずだ。

 できればさっさと新しい眷族を増やしたいところだけど……


 そこで、扉がノックされる音がした。


「ブロガーさん? いますか?」


「いるよ。鍵も開いてる」


 聞き覚えのある声が聞こえ、扉が開く。

 昨日と同様、完全装備のナナシノとシャロが二人連れ立って入ってきた。僕はくたくたで日記つけるのを翌日に回すほどだったのに、ナナシノもシャロも随分と元気そうだ。若さって凄い。

 シャロは大きなバスケットを持っており、ナナシノの腰には昨日は持っていなかった肉厚のナタのような物が下がっている。


「どこか行くの?」


「はい。シャロのクロロンをもう一段階進化させに行こうかと……」


 クロロン……シャロのアルラウネの名前か。由来がなんだか知らないが、アイリスの単騎兵にアイちゃんと名付けるよりはマシなようだ。ナナシノは他にアイリスシリーズが何体いるのか知っているのだろうか。


 後ろでは昨日よりもだいぶ表情が柔らかくなったシャロが小さく頷く。


「は、はい。青葉ちゃんが手伝ってくれるって」


「へー、よかったね」


 ナナシノは物好きだなぁ。もしかしたらクエストの一つなんだろうか?

 ちょっとその可能性を考えるが、それならば昨日手伝った僕にも魔導石が手に入らなければおかしい。

 ナナシノが付き合いがいいだけだろう。


 ナナシノが少しだけ言いづらそうに沈黙し、意を決したように聞いてくる。


「あの……もし良かったら、ブロガーさんも行きませんか? ブロガーさんのアルラウネも進化させたほうがいいでしょうし」


「行かないよ。次の進化は時間かかるからね」


 別に魔物を倒すのは構わない。どうせ戦うのはサイレントだし、僕にデメリットがないからだ。

 だが、進化というのは段階が上がるに比例して凄まじく面倒になっていく。アルラウネは条件が単純なので進化の難易度は低い方だが、二度目の進化は一日や二日でできるような内容ではない。


 僕は、「やっぱり」という表情をしているナナシノを見ながら、記憶を漁った。


「確か、次の条件は……木属性値を30000だったかなぁ……」


「……え?」


 僕の言葉に、シャロとナナシノの目が丸くなる。多分、彼女達はもう少し簡単な条件だと思っていたのだろう。

 だが、アビコルでの進化は甘くない。クソゲーである。


「30000……ですか?」


「たかが百倍だよ。その次はそんなもんじゃないから」


 大体、30000程度だったら木属性値が30000入るアイテムを一個食わせるだけだ。まぁこんな序盤のフィールドで手に入れるのは難しいが、上級者ならば特に問題のない条件である。


 昨日僕が集めたアイテムで1000かそこらだろうか。途中で切り上げたので時間を伸ばせばもう少し貯められるだろうが、少なくとも一日や二日で集まりはしない。そして僕は疲れるので余り森を歩きたくない。


 絶句するナナシノの表情を眺めながらため息をつく。


「ナナシノさぁ、けっこう大変だけど、それでも進化を手伝うの?」


「……はい」


 ナナシノはしばらく沈黙していたが、直ぐに迷いのない表情で頷いた。そのまま足元の単騎兵を見下ろして言う。


「アイちゃんのレベル上げも出来ますし、クエストを受ければお金だって入りますし……」


「ナナシノは物好きだなぁ……まぁ、好きにやりなよ」


 別にナナシノがどんなクエストをやろうが僕の知ったことではない。ゲームをどう遊ぶかなんて人それぞれだ。

 ナナシノのその言葉も別に間違えてはいない。ちょっと非効率なだけで……。


 僕の言葉に、ナナシノは唇を強く結んだが、すぐに申し訳なさそうに言ってきた。


「それで……あの……私、しばらくブロガーさんのクエスト、ついていけないんですが……」


「あー、それね。別に気にしなくていいよ」


 ナナシノは確かにそこそこ役に立ったが、ついてきて欲しいと言った覚えはない。

 なんだかんだ、いなかったらいなかったでなんとかなるだろう。まぁ、サイレントがうるさそうだけど今は後輩もできたわけで、ちょっとは自覚出てると思う。


 僕の答えに、ナナシノは少しだけ悲しそうに瞳を伏せた。


「まぁ、気をつけて。今日はなんかもう疲れたし、僕はゆっくり休むことにするよ」


「主はいつも休んでばかりだなぁ、そんなんだからいつまでたっても体力がつかないんだぞ」


 余計なことを言うサイレントを踏み踏みしていると、ナナシノの後ろからシャロが出てきた。

 両手でバスケットを握り、よたよたと僕の前に来る。


「あ、あの……ブロガーさん!」


「ん?」


 テーブルにバスケットをどんと置き、蓋を開く。中から微かにいい臭いがした。

 丁寧な手つきで銀色の箱を取り出すと、僕におずおずと差し出してくる。


「これ……サンドイッチ作ってきたので……昨日のお礼……お口に合うかわからないんですが……」


「んー…………ありがとう」


 食べ物系のアイテム……スタミナ回復アイテムだろうか。あるいは眷族のHPを回復するためのアイテムだろうか?

 もしかしたら昨日のシャロの手伝いはクエストの一つで、これはその報酬なのかもしれない。アビコルでは基本的に、スタミナの回復も眷族のHP回復も石を砕くので余り役に立たないアイテムではあるが、ありがたく受け取る。

 魔導石の方がよかったな……。


「主、よかったな。これで一日引きこもれるぞ」


「これってずっと持っていても腐らないかなぁ……」


 回復アイテムならばスタミナやHPが減っている時に食べるべきだ。まぁサイレントなら腹を壊したりしないか?

 ……でも戦闘中に食べてる余裕ないよなぁ。


 そんなことを考えていると、シャロが慌てたように言った。


「い、いや……その、腐るので、今日中に食べた方がいいと思います……」


 やっぱりそうなのか。こういうところも中途半端に現実じみている。まぁ、大して役に立つアイテムでもないし、回復値もわからないんじゃいざという時にも使えない、さっさと食べてしまって構わないだろう。


「サイレントと一緒にお昼にいただくことにするよ」


「は、はい。ありがとうございます!」


 何故かお礼を言ってくるシャロ。やはりナナシノの友達、か……。


 僕はちょっとだけ考え、幸薄そうな笑顔で頭を下げるシャロに一応警告しておいた。この子って序盤で死にそうなモブみたいな顔してるよなぁ。


「森の魔物ならアイリスの単騎兵なら大体勝てるだろうけど、たまに強い魔物が出る事もあるから気をつけて。誰か他にパーティを組んでいったらいいんじゃないかな」


「はい。森に慣れている召喚士と知り合いなので、今日はその人達と一緒に行ってみるつもりです」


 ナナシノが大きく頷く。


 【深緑の森】で稀にエンカウントする『深き森の賢者 エルダー・トレント』は広範囲を対象とした魔法を連発してくる魔物である。耐久は湿原の蟹程ではないが、何しろ攻撃範囲が広いので戦力が揃っていない状態だと厄介な相手だ。


 まぁ、滅多に出ないし、森をよく知る召喚士がいるなら問題ないだろう。

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