第六章 課金前提ソシャゲに召喚された青年の物語

Prologue:深淵

 暗闇の夢を見た。荒ぶる空と英雄の夢だ。


 どこまでも続く荒れ果てた漆黒の大地に天上に輝く稲光。空には灰色の雲が覆い隠し、雷鳴と轟々と言う風の音のみが世界に響き渡っている。


 空には竜がいた。信じられないくらいに巨大な闇色をした竜だ。地上からはその全容すら窺い知れない。翼の大きさは地平の果てまで届き、稲光によりその影を地上に落とす。

 その様は竜であり、悪魔のようでもあり、そして神のようでもあった。


 空を覆い隠すかのような竜の、輝く目だけが地上を見下ろしている。

 頻りに鳴り響く風の音はその羽ばたき。虫は愚か草木の欠片も見えない滅びさった大地はあまりにも巨大な竜の邪悪な気配によるもの。


 その様子はさながら世界の終焉を思わせた。


 世界が震える。地震にしか思えない振動が、不意に意味を成す音になる。


 ――何用か、小さきものよ。我は深淵。我は終焉を齎す破壊の神。


 声に恫喝している気配はない。まるで当たり前のことを当たり前に話しているかのような声。

 あまりにも違いすぎるその声色に強い怖気を感じる。

 聞いただけで震えが止まらなくなるような異形の声と世界を押しつぶさんとするプレッシャー。不意にそれを、聞き覚えのある声が切り裂いた。



 ――スキップ。



 竜と比べればあまりにも小さな青年だった。

 勇者にはとても見えない痩身の青年――その傍らに連れた金色の竜も、砦のような大きさの邪竜に比べると豆粒のようだ。

 だが、その声には恐れもなければ焦りもない。上空から見下ろしてくる金色の目を前にしても、そのプレッシャーを受けても、震え一つ見えない。


 その手に握った深紅な宝石のついた杖を邪竜に突きつける。その堂々たる様子に、深淵を名乗った竜が僅かに目を見開く。


 ――貴様、まさか操竜士かッ!? またこの我の邪魔をする気かッ!!


 青年が不敵な笑みを浮かべる。


 青年――ブロガーが言う。荒ぶる雷鳴と風の中、不思議とその声が通った。



「茶番だけど、ナナシノが心配しているんだ。付き合ってもらうよ」


 邪竜の顎か漆黒のブレスが放たれる。ブロガーと、その隣に控えたイノセント・ドラゴン――アグノスが為す術もなくその力の奔流に飲み込まれる。




 ――と、そこで、七篠青葉は目を覚ました。


 一瞬で覚醒する。視界に入る白い天井、続いて左右を向いて今の状況を理解する。

 見覚えのある王都の宿だ。しばらくぼうっと布団を見ていたが、すぐに昨日の事を思い出した。


 頭がガンガン痛むがそれを気にする事もなく、目をギュッと閉じ、広いベッドの上で枕をぎゅっと抱きしめ、ごろごろ転がった。



「……ブ、ブロガーさんは、そんなに……格好良く、ないもんッ…………ちょっとだけだもんッ! ……え……あ……あああぁぁぁ……ああああああああああああああああああああ……わ、私……い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」



 ただでさえ赤らんでいた顔が真っ赤になる。枕に頭を押し付け、勢いをましてごろごろする。


「ど、どうしたの、青葉ちゃん! 大丈夫!?」


 引き絞るようなか細い悲鳴に、既に目を覚まし浴室にいたシャロリアが駆け込んでくる。

 ベッドの側の椅子に腰を下ろし、主を見守っていたアイちゃんが、主の痴態に足をぶらぶらさせながら首を横に振った。




§ § §



「師匠、おはようございます! 今日もよろしくお願いします!」


 久しぶりに聞く元気のいい明るい挨拶に、僕は日記を書いていた手を止め、思わずそちらを見てしまった。


 いつものローブ姿のシャロが太陽のような満面の笑みを浮かべ、小さくお辞儀をする。頭の横に小さく結んだおさげがぴょこぴょこと揺れた。

 シャロリア・ウェルドは泣き虫だが、基本は明るい女の子である。ここ数日はアビス・ドラゴンの討伐やらでばたばたしていたはずだが、その表情には疲れは見えない。傍らの眷属――エルダー・アルラウネのクロロンの方がだいぶだるそうな表情をしている。

 竜神祭も終わり、王都には平穏が戻っていた。と言っても、一般市民にとってはアビス・ドラゴンの復活は知らされていなかったようだが、窓から見下ろす王都の光景には祭りの翌日のような寂しさがあった。


 健康的に日に焼けた首筋を眺めながら聞き返す。


「ん……あー、はいはい。ナナシノは? 大丈夫そうだった?」


「あるじさ、あいさつくらいしたほうがいいぞ?」


 机の上で暇そうに腹筋運動をしていたサイレントが口を挟む。シャロが少しだけ表情を曇らせて答えた。


「あ……はい。青葉ちゃん、さっき起こして……まだちょっとお酒が残ってるみたいです。」


「まーアレだけ暴れてたしね……」


 酔っているとはいえ、酷い有様だった。普段のナナシノだったら抱きついて首筋にキスするなんて頼んでもやってくれないだろう。

 シャロが瞳を伏せ、こちらの表情を窺うような表情をした。おずおずと言ってくる。


「あ、あの……青葉ちゃんのこと……許してあげて下さい。青葉ちゃん、本当に師匠のこと、心配してて……」


 許すもなにも、抱きついてくれてありがとうとお礼を言いたいくらいである。

 あまりの事にあの時は冷静さを失ってしまったが、ありだ。すごいありだ。是非次は『星天の聖衣』を着てやっていただきたい。


「その青葉ちゃんは?」


 シャロがちらりと後ろを向く。廊下への扉の向こうを。


「……一緒にそこまで来たんですが……扉の外でうじうじしてます」


「へー……もう気にしてないから引っ張ってきなよ」


「は、はい!」


 随分はっちゃけていたのでどうなるのかと思っていたが、どうやら記憶はちゃんと残っていたらしい。

 シャロがとたとたとナナシノを呼びに行く。サイレントが立ち上がり、今度はラジオ体操を始めた。


 君、筋肉ないんだからそれ意味ないだろ。


「そういえば、あるじさ、しゃろりん、くびにするんじゃなかったのか?」


「んー……まぁ邪魔な時もあるけど、様子を見ようかな。首にするのはいつでもできるし、ナナシノが酔った時の介護要員も必要だし」


「……あるじはえらそうだなぁ。しゃろりんに弟子としてなにかしてあげてるわけでもないのに……」


「まぁ召喚でメイド出るまでの辛抱だよ」


「!? でないとおもうぞ?」


 出るよ。アビコルを舐めるなよ。大体の萌えは網羅してるんだよ。まぁ召喚できるとは限らないんだけど。

 扉の向こうで言い合いする気配がする。僕は襟元を摘み、少し下に引っ張って首筋を出した。


 サイレントが僕の首筋を見て、何も言っていないのに大きく頷く。


「だいじょうぶ、あとのこってないぞ」


「軽く唇当てただけだったからね」


 首筋を人差し指の先で掻く。次やったら押し倒してやろう。

 扉が開き、身を縮めたナナシノと呆れたようなシャロが入ってきた。ナナシノは必死にシャロの後ろに隠れようとしているが、シャロの方が小さいので全然隠れられていない。


「おはよう、ナナシノ」


「お、おはよう……ございます……」


 ナナシノが上目遣いでこちらを見て、すぐに顔を真っ赤にする。あれだけ暴れて、その上記憶が残ってしまうなんてかわいそうな体質だ。

 そんなナナシノをシャロが宥めている。いつもの立ち位置とは逆なので新鮮だった。


「ほら、大丈夫だって。師匠も……気にしてないから」


「…………」


 その言葉に、ナナシノがようやくシャロの影から現れる。襟元を大きく開いた僕を見て、その頬が更に赤く染まる。昨日の事でも思い出しているのだろうか。


「だいぶ飲みすぎたみたいだけど大丈夫だった?」


「は、はい……ご、ごめんなさい。ありがとう、ございます。ブロガーさんが無事に戻ってきて、ほっとして……少しだけ、その……ごめんなさいっ!」


 ナナシノは耳まで真っ赤に染まっていた。唇が、頬が、肩が、細かく震えている。隙だらけである、抱きしめたくなる程度に可愛らしい。

 僕は頭を下げるナナシノを鷹揚に許した。


「いいよいいよ、ナナシノの調子が戻ったなら何よりだ。無礼講だったしね」


「ブロガーさん……!」


 ナナシノが顔をあげる。ほっとしたように頬が緩み、目元に少しだけ涙が溜まっている。

 僕はすかさず傍らのサイレントに確認した。


「ところでサイレントさー」


「ん? なんだ?」


 サイレントが僕を見上げる。一度首筋を掻き、指差した。

 ナナシノの、シャロの視線が集中する。


「このへんさぁ、どうかなってない? なんか昨日からちょっと違和感があってさ」


「ッ!?」


 ナナシノの表情が強張る。サイレントが含み笑いを漏らし、首を伸ばしてじろじろと僕の指の先を確認する。


「んふー? んー、かるくみたかんじだとなにもなってないみたいだぞ!?」


「おかしいなぁ。うっかり油断して、何かに刺されたのかと。なんか痒くてさぁ」


「なにかってなんだ?」


「あのー……し……師匠?」


 シャロが、顔を真っ赤にして身を縮めるナナシノと僕を見比べ、おずおずと声をあげる。


「そうだ、シャロも確認してくれよ。なんか跡とか残ってない?」


 シャロの視線が至近から僕の首筋をなぞる。その白い頬が仄かに染まる。


「の、残ってないです……大丈夫です」


「そっかー。なんかずっと違和感が残ってるからさ、何かに刺されたんだと思ったんだけど。質の悪い何か、にさぁ」


 ナナシノが必死に視線を下に向け、何かに耐えているかのように服の裾を握りしめ、ぷるぷる震えている。どうやらその眷属から見ても今日の主は度し難いようで、足元ではアイリスの騎士兵が腕を組み、ナナシノから目を背けていた。哀れ。


「いや、確かに刺されたぞ。衝撃的すぎて記憶に残っていないけど……サイレント、君さ、見てなかった?」


「んふー……いやー、われ、ローストされた鴨とのたたかいがなぁ。いやでも、まてよ……そういわれてみるとあるじ、なにかに――んふー、だめだ、おぼえてないぞ。ふらーは覚えてないか?」


 指名されたフラーが、机の上でぴょんぴょん飛び跳ね、その小さな指先でナナシノを指す。追い込まなくてよろしい。

 僕は空気の読めない愛らしいフラーから視線をそらし、腕を組んで首を傾げた。


「そっかー、フラーもサイレントも知らないかー。じゃーなんだろうなぁ、この首筋に残ってる感触。別に嫌なわけじゃないんだけど――でも、なんか凄く恥ずかしいものを見たような気がするんだが……」


「あの……し、ししょう? その辺に――」


 シャロが止めにかかってくる。そこで僕はようやく、まだ一人に確認していないのに気づいた。


 うつむきこちらに視線を合わせようともしない、珍しく静かなナナシノに尋ねる。風邪でも引いているのか、髪の隙間から見える頬と耳が真っ赤になっている。


「なぁ、ナナシノは見なかった? ちょっとでも情報があるといいんだけど。あー、見てないか。ナナシノに聞くのは間違いだよなー、なんたってナナシノはいつも行儀いいし、身持ちも硬いし。たとえ目の前で見ても恥ずかしくて目を背けちゃうよな」


「……」


「そう、なんかちょっと思い出してきた。いきなり押し倒されて刺されたんだよなー。肩を押さえ込まれてさー、こう馬乗りになって顔を近づけて――宴の席だったし、皆見てるっていうのにさー、恥ずかしいよなー、ナナシノには考えられないだろうけど」


「も、もう、やめて――」


「ん? なんか言った? あー、そう、話の続きね。年頃の女の子だっていうのにさー、シャロが助けてくれなかったら間違いなく最後までいってたね。普段からきっとチャンスを狙っていたんだろうなぁ」


「さいご!? い、いってません! ねらってませんんっ!」


「あれは人じゃないよ、淫魔だよ。サキュバスだ、ナナシノ知ってる? サキュバス。悪魔だよ。簡単にいうと、エロい悪魔。知らないかー、ナナシノには関係ないもんなぁ」


「あるじ、サキュバスは、夢の中でしかこうどうしないから、あるじをねらったのはサキュバスよりもたちがわるいぞ。なぁ、ななしぃもそうおもうだろ?」


「……うぅッ……もう、死にたい……」


 とうとうナナシノがかがみ込んでしまった。耳を塞いでぎゅっと目を閉じている。

 そんな恥ずかしいんだったらやらなきゃいいのに。


「あの……師匠、青葉ちゃんも、わざとじゃなかったので……きっと」


 シャロがフォローを入れてくる。僕は友達思いのシャロに大きく頷き、深々とため息をついた。


「そんなの知ってるよ。ナナシノは素面でそんなことやるほどイヤラシイ女の子じゃない、なんてねー!!」


「あるじ、こえがおおきいぞ。ななしぃに聞こえてる……」


 ナナシノの身体がガクガク震えている。耳塞いだところで無駄だ。


 聞かせてるんだよ。多少アルコールが入っていたとは言え、自分の行動くらい自分で責任取らないと。ましてや、この世界ではナナシノの年齢だともう成人済みなのだから。


 僕はそこまで言ってようやく満足した。一息つく。気にしていないのは本当だ。いや、気にはしているけど、不快だとかそういう話ではない。


 僕の様子が変わったのを察したのか、ナナシノがぎゅっと閉じていた瞼をそろそろと開け、僕をじっと見上げる。上目遣いも可愛らしい。

 笑いかけてやると、ようやくナナシノは立ち上がった。まだ少しだけふらついているし、顔も赤いが、努めていつもと同じような態度を取ろうとしているのが見て取れた。


「そういえば、ナナシノさ。一個だけ聞きたかったんだけど」


「え……? …………はい」


 ナナシノがこくりと息を呑む。その刺したくなるような健康的な首筋を見ながら、僕は尋ねた。


「ナナシノってさ、もしかして……欲求不満?」


「!? ――――ッ!! ――ッ―――――!!!! ――ッ!!!!!」


「あ、とどめさした」


 声にならない悲鳴をあげ、ナナシノがいやいやと頭を振りながら部屋から逃げ出す。置いてけぼりを食らったアイちゃんが慌てたようにそれを追いかける。更にそれをシャロが慌てて追いかけていく。


 僕はその反応に至極満足した。こっちは自分を曲げてナナシノのために戦ったのだ。これくらいメリットがないとやってられない。


「ななしぃはおもしろいなぁ」


「いやまったく。その純粋さを失わないでほしいね」

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