第六話:無償の愛と新たなる力

 空を仰げば無数の星がまるで宝石のように輝いている。

 この世界に来るまでは空をゆっくり眺めることなど滅多になかった。というか、そもそも家からあまり出なかったのだが、満天の星とそれを霞ませる存在感を見せる七つの月はあまり感傷的な方ではない僕でもセンチメンタルな気分になってしまうくらいに美しい。


 ぱちぱちと焚き火の音が響いていた。煌々と燃える明かりを囲み、夜だと酷く見えにくいサイレントとフラーーが踊っている。


 この世界を満喫しすぎだろこいつら。


 思わず冷めた目を向けてしまったが、気を取り直し、昼間から随分テンションが低そうなノルマに視線を向ける。


 ノルマは焚き火がぎりぎり当たらない所で膝を抱えていた。近づきたくないけど魔物に襲われたら困る。そういった考えがその姿勢から漏れ出ている。


 控えめに言ってノルマはぼろぼろだった。


 グリーンウルフに襲われ体力を使い切ったのだろう、立っているだけでふらふら、ついてくるのもやっとの様子で、僕は気付かれないように何度も進行速度を落とす羽目になった。

 もう既に勝負は終わったので別に放っておいてもいいのだが、ちゃんと守ってあげていることから僕の優しさがわかるだろう。

 ノルマがとんでもない人間でも見捨てたりしない。これこそ無償の愛だ。


「ノルマさ、君どうやって一人で王都までいくつもりだったの?」


「……」


 ノルマが膝を抱えたまま顔を上げる。疲労の濃い表情。


「食べ物も持たず水もほとんど持たずに外に出るなんて自殺行為にしか見えないね」


「あるじの言えたことじゃないぞ」


 食べ物はともかく、水が水筒一本分しかないというのは準備不足にも程があるだろう。しかもその水筒もノルマの気付けに使ってしまって空っぽだ。

 僕はプレイヤーなので飲食不要だが、NPCもそんなに頑丈だっただろうか。


 その答えを示すかのようにノルマの方からくぅと小さな音が聞こえた。


「ぷっ。ざまあないな。それもこれも準備不足なのが悪いんだ」


 ナナシノがいたらあれこれ口を挟んでくることだろう。


 ノルマはじとっとした目で僕を睨みつけ、腰から没収していなかった短剣を抜いた。

 武器として使い物になるのかかなり怪しい代物だ。ナナシノが持っていたサバイバルナイフといい勝負である。これだから蛮族は。


 そして、ノルマは小さな武器を握ったまま小さく押し殺すように言った。


「魔物を……狩って、食べるから」


 ワイルドな回答だが、狩られる側だから君。


「へー、頑張ってね。水どうするのかわからないけど」


「……ッ……」


 見積もりが相当浅はかだったようだ。そして、今はそれがわかっているから魔物を狩りに行こうとしていないのだろう。

 僕はノルマから興味を失い、サイレントに視線を戻して言った。


「じゃーサイレント、ご飯にしようか」


 ポケットからビニールのような葉っぱで包装された肉を取り出す。肉屋で買ってきた一抱えもある塊だ。


 サイレントが歓声をあげ、ノルマが呆然として目を擦る。

 その前で、続いてポケットからパンの紙袋を取り出した。調味料に油、皿にフライパン。次から次へと取り出していく。あっという間に焚き火の前に調理セットが揃う。


「いやー、僕は少食なんだけど、サイレントが沢山食べるからなぁ」


「えー、それだけはたらいているいるつもりだぞ……」


 うるさいサイレントのために食料は一通り買い込んだ。賞味期限などは特に気にしていないが、ゲーム内ではアイテムが腐ることはなかったんで多分大丈夫だろう。サイレントは毒の耐性も高いし。


 フラーが僕の前まで来て行儀よく座る。僕はポケットからジョウロと水の入った大きなかめを取り出した。

 ジョウロに水を汲み、フラーにかける。瓶は後三つ程ある。


 フラーが気持ちよさそうに目を細める。

 僕は水なんてなくても平気だが、眷属のためにちゃんと綺麗な水と食べ物を準備しているなんて、僕はなんと素晴らしい召喚士コーラーなのだ。

 ゲームだからといって思考停止せずにちゃんと食べ物を与える、自分の柔軟な判断力に花丸をつけてあげたい気分だ。


「……!?」


 ノルマが頻りに目をこすってるが夢ではない。これは、夢じゃ、ない。


 サイレントが肉を切り、フライパンに油を引いて焼き始める。

 肉の焼ける音と空腹を呷るいい香りが漂い始める。両手で顔を押さえていたノルマのお腹が再び小さく鳴った。


「あるじもたべるか?」


「お腹減ってないからいらない」


 白い丸パンを一つ持ってノルマの側に行く。顔を押さえてはいたが指と指の隙間からこちらを見ていたらしく、ノルマが顔をあげる。

 僕はその目の前で手に持ったパンをふらふらさせた。ノルマの目が大きく見開かれ、それを必死で追っている。


「僕はー、お腹へってないからなぁー」


 ノルマの頬がぴくりと動き、視線が右に左に動く。随分と忙しそうだ。

 ごくりとその喉元が動く。その様子はどこか艶めかしい。


「減ってないからなぁ、僕は。無計画に沢山買いすぎたなぁ、どこかに食べてくれる親切な人はいないものか……」


「……」


 あまりに食料を買い込みすぎて困りきっていると、そこで僕は初めて目の前に空腹そうなノルマがいるのに気がついた。


 身体が小さく震えていて、腹が頻りに鳴っている。目は完全に濁っていた。地面に投げ出された短剣を握ったままの左手の甲が、力のいれすぎで白んでいる。


 もちろん、僕はノルマを一方的に知っていたので声をかける。


「あれ? ノルマじゃん。どうしたの? そんなに物欲しそうな顔して。もしかしてお腹でも減ってる?」


「…………」


「それならいい方法がある」


 ノルマは答えない。ただ目をぐるぐるさせてパンを見ている。唇が乾いている。どうやら喉も乾いているのか。

 どうやら余裕がなさそうなので、僕はふざけるのをやめた。パンをポケットに戻し、手で周辺を示して笑顔で言う。


「その辺に一杯草生えてるし、それ食べればいいよ。水分も取れるんじゃないかなぁ。……おいおい、泣くなよ。貴重な水分が無駄になってるよ。おっと貴重な瞬間だ。視聴者プレゼントに一枚撮っておこう。ちょっと湿っぽいなぁ……ほら、笑って笑って――」


「われもうじっかにかえらせてもらおうかな……」


 ノルマが顔を背けてしまう。その細い肩が震えていた。

 サイレントが肉を齧りながら説得力に欠けた言葉を出す。

 

 だがノルマはとんでもない大悪人なのだ。ある程度の上級者にとっては歩く宝箱みたいな認識だったが、やってることは強盗だった。可哀想だが、僕も毅然とした態度で接しなくてはならないだろう。


 あー……凄く楽しい。



§



 一夜明け、道なりを進んで平原を抜けると、フィールドの入り口が見えてくる。

 ゆるりと傾斜のある道なり。地平線の向こうは濃い霧で覆われていた。


 【ミストハイランド】。帝都と王都を阻む山脈系のフィールドで、その名の通り常に霧が立ち込めているフィールドだ。


 アビコルでは、ストーリーには関係のない寄り道的なフィールドやダンジョンは難易度が高く、都市間を阻むフィールドなどメインシナリオを進めるのに突破する必要のある場所は難易度が低めになっている。


 【ミストハイランド】もその例に漏れず、フィールドの難易度は高くない。強いていうのならば現れる種族は霊種や獣種の傾向が高く、水属性の魔物が多いので対策を打っておくと良いだろう。


 濃い霧に覆われた道は不気味で、道の端に大きな看板が立てられている。髑髏のマークが記された看板。恐らくフィールドである証だろう。

 僕はとぼとぼ後ろをついてくるノルマの方を振り返った。


「ノルマ、君さ……どうやって一人で王都まで行くつもりだったの?」


「……」


「マップでランダムエンカウントするような魔物に手も足も出ないようじゃ、フィールドを抜けるのは無理だって思うな」


 理解しているのかしていないのか、ノルマは俯いたまま口を開かない。


 今まで歩いてきた道はフィールド内部ではない。ただのマップ移動だ。ゲームだった頃はタップ数回に簡略化されていた。

 確率で魔物とのエンカウントはあったが、レアモンスターが出る可能性はゼロで、本当にただ単純な移動である。


 だがここからは違う。フィールドの探索はゲーム中でも命がけだ。魔物の出現率も高くなるし、レアモンスターが現れる可能性だってある。マップをちゃんと見て考えながら移動しないと出口にたどり着かない可能性だってあるし、フィールドによっては特殊なギミックがあることもある。

 とてもグリーンウルフに追いかけられていたノルマが突破出来るとは思わない。


 魔物を蹴散らしながら先頭を歩いていたサイレントがぺしぺしと僕の足元を叩いた。


「あーあ、あるじがこころ壊しちゃった」


「壊してない」


 大体NPCの心を壊すとか意味不明。よしんばこいつらに心があったとしても、『ろくでなし』がそう簡単に折れるわけがない。

 そもそも、僕なんかやったっけ?


 ノルマの大きな深緑の目の下には大きな隈が張り付いていた。結局情けをかけてパンを半切れくれてやったのだが、疲労は一日では取れなかったのだろう。せっかくの美人が台無しである。


 そして、ひび割れた唇が小さく開き、掠れた声で言った。自発的に口を利くのは初めてだ。


「ここ、は‥…強い魔物が、出て来るから……」


「ほうほう」


「……右にずっと行くと、もっと安全な山道があって……」


「それってどっちが近いの?」


「……」


 僕の言葉にノルマが唇をヘの字にする。どうやらこちらの方が近いらしい。そも、危険な道が近道というのは王道だ。


 ゲームの頃は安全な道なんてなかった。多分安全な道とやらはNPC用だろう。

 アビコルファンである僕はゲームを踏襲してちゃんとフィールドを行くべきである。


 僕はポケットからパンを取り出し、ノルマの唇にくっつけた。ノルマの目が小さく開き、慌てたようにパンに齧りつく。


 おいおい、ろくでなしに餌をやるなんて僕はどれだけお人好しなんだよ。でも万が一に行き倒れられたら歩く宝箱がなくなってしまう。


「あるじはやさしいなぁ。もんなしのろくでなしにごはんをあげるなんて、おひとよしにもほどがあるぞ」


「!? われのまねするのやめてほしいぞ……そんなこと思ってないし!」


「代弁してあげたんだよ」


 水の気配を感じ取ったのか、フラーが興奮したようにぴょんぴょん跳ねている。


 湿度の高そうなフィールドを探索するのは大変そうだが、ナナシノも今頃古都で頑張っているはずだ。

 僕も先輩召喚士としてひとつ、気合をいれるとしよう。



§ § §




 最近の青葉の日課はギルドに向かうことだ。

 ギルドに向かい、帝都に向かったはずの青年の動向を確認する。


「……相変わらず、手紙を出すといってから戻ってこないようです」


 そして、今日もがっかりと肩を落とした。

 困ったように眉をハの字にしているエレナに、強い共感を抱く。だが、とりあえず無事は確認出来たので行方不明と聞いていた頃よりも青葉の心には余裕があった。


 行方不明だった時には夜も眠れなくなるくらいに心配した。妙な噂が流れていると知った時には悪夢を見ている気分で、足元もおぼつかなかった。それと比べたら今の状況はよほどマシだ。

 暗くなりそうな表情に無理やり笑みを浮かべて言う。


「きっと……忘れてるんだと思います。ブロガーさん忘れっぽいから」


「いくらなんでもそんな……」


 エレナが悪い冗談を聞いたかのように眉を顰める。が、青葉にはなんとなく予感があった。


 これまでの付き合いから。そして同郷の人間として。

 ブロガーという青年は色々な意味で適当だ。この世界を必死に生きている他の人達とは異なりゲームをプレイしているかのように動いている。


「何かあったらまた教えて下さい」


「それはもちろん。エレナも心配ですから、真っ先に青葉さんに連絡しましょう」


 エレナがにっこりと笑う。しかしその表情にもどこか疲れが見えた。

 今回の件は他の組織……剣士ギルドとも関係のある話。マスターであるエレナの負担は大きいのだろう。


 青葉の痛ましそうな目を見て、慌てたようにエレナがぽんと手を打って聞いてきた。


「……そういえば、飛行船の修理素材は集まりましたか?」


 その言葉に顔を上げる。エレナの目を見て、青葉ははっきりと答えた。


「……もう少しで、集まると思います」


 残す所は飛竜の皮膜だけ。飛竜は強敵だ。

 情報を聞いた限りでは苦戦は必至だが、青葉達は知恵のある人間である。方法はある。既に覚悟は決まっていた。



§



「青葉ちゃん。準備ができたぞ」


「これが――あ、ありがとうございます」


 パトリックが持ってきたそれを見て、青葉が目を見開く。隣にいたシャロリアが肩を震わせた。


 それは巨大な弓だった。びんと張ったワイヤーのような太い弦に、青葉の腕程の太さがある返しのついた矢。持ち運びにも設置にも時間が掛かりそうな巨大な金属製の弩弓。

 下部には車輪が設置され、動かせるようになっている。


 パトリックが額の汗を拭き、にやりと笑う。


「骨董品だが、竜狩り用の弩砲バリスタだ。こいつなら――飛竜の鱗も貫ける」


「ッ……はい」


 力強い言葉。時間がかかったが準備は揃った。

 身体が震えているのに気づく。恐怖ではない。武者震いだ。

 不思議と青葉は高揚した気分だった。アイちゃんがまるで言葉を待っているかのように青葉を見ている。


 そして、青葉は一度深々と息を吸って、力を込めて言った。


「狩りましょう……竜を……!」

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