第九話:のうてんき

 サイレントのレベルがとうとうマックスになった。

 この世界に来て数ヶ月。レベルは30。そのレベルの右に上限に達した証である星マークがつく。


 ゲーム時代を基準にするとあまりにも遅すぎるがそれはさておき、これでこれ以上サイレントを育成するには進化ステージアップさせなくてはならなくなった。


 だが、サイレント系統の素材は滅多に手に入らない。手に入れるには王都を離れる必要がある。移動時間もかなりかかるだろう。


 今日までの日記を書き終え、日記帳をぱたんと閉じる。

 机の上に座り足をぶらぶらさせているサイレントを眺めながら、ずっと考えていたことを切り出した。


「最強の召喚士コーラーってさー、誰なんだろうね」


「ん? われがさいきょうだぞ」


 聞いてない。


「え……えっと……ギルドマスター、とかじゃないですか? エレナさん……伝説の……召喚士ですし」


 突然振られた問いに、この世界で生まれ育ったシャロが焦ったように答える。

 さすがに僕の弟子でも、師匠を立てる気にはなれなかったらしい。そしてそれは僕の求めた回答ではない。


「……あれは最強じゃなくて害悪って言うんだよ」


「がい……あく?」


 最強ではあるがあまりにも嫌がらせ過ぎる。


 エレナの眷属の強さはたった一点に集約される。

 それは、特性により、十秒に一度、自動で付与してくる意味がわからないくらい強力な状態異常だ。


 『根源的恐怖コズミック・フィアー』。


 神とされる最上級レアの眷属の一部のみが付与できる大半の眷属が耐性を持たない状態異常であり、受ければ一定時間あらゆる行動が不可能になり、同時に一部ステータスが大きく低下するというエルダー・トレントのスタンが可愛らしく感じるくらいに悪辣な状態異常である。



 対策なしで挑もうとすると、課金ゾンビアタックが必須になるという恐ろしい眷属である。特に初回に誤ってメインメンバーで挑んでしまった僕のようなプレイヤーは地獄のような目にあった。


 絶対に調整誤ってんだろと言われていたが、結局それが解消されることはなかった。中盤で実装されたのに最後までエンドコンテンツのままだったのはエレナだけだ。死ねばいいのに。


 だが、僕が聞きたい最強はNPC以外の話だ。そんな頭パーな開発陣が作ったキャラではない。


 足元にじゃれついてくるフラーを抱き上げる。どうやらひつじさまはもう飽きたらしい。

 フラーから開放されたひつじさまは、穏やかな笑みを浮かべたナナシノの膝の上だ。


 フラーを膝の上に乗っけて、おどおどしているシャロに聞き返す。


「じゃーエレナ以外は?」


「え……えっと……あとは……すいません……」


「古都には他にいない?」


「は……はい。師匠を除いたら……師匠が倒した、あの、ギオルギ・アルガンくらいで……すいません」


 ノルマの情報はあまりにも役に立たなかったが、僕の他のプレイヤーが来ているのならばそこそこ有名になっているはずだ。


 なにせこの世界のNPCには雑魚が多い。アビコルプレイヤーならばリセマラもやっているだろうし、その知識だけで他をごぼう抜きに出来る。


 僕やナナシノのように最初に【始まりの遺跡】に現れたのならば、古都に向かうはずだ。だが、古都に滞在した三ヶ月近い間、他のプレイヤーの影は見えなかった。


「……ナナシノはどう思う?」


 椅子に腰を下ろしてひつじさまをむにむにしていたナナシノが、伏せていた顔を少し上げ、僕の顔を見てにっこり笑った。


「さぁ。私、素人なので……」


 簡潔に答え、そのまま視線をひつじさまに落とす。だが、その目はひつじさまを見ていない。


 怒ってるよ。


 ろくでなしの奸計に引っかかってから、ナナシノはずっとこんな感じだった。


 直後こそ呆然としていたが、すぐに感情が反転したように笑みを浮かべ、そこからはずっとにこにこしている。こんなににこにこしていて疲れないのかってほどのにこにこっぷりだ。


 僕は笑みが恐ろしいものだということを改めて知った。


 あのろくでなし、本当にろくなことしないよ。ナナシノがこんなに怒っているのは初めてである。


「……ナナシノ、あれはあのろくでなしが勝手にやったことなんだよ。そんなに怒るなよ」


「怒ってないです」


 とりつくしまなしである。

 あの善良なななしぃを怒らせるとはさすがノルマだ。僕が頑張って稼いだ好感度が一気に反転してしまった。


 クソっ。どうせなら評判上げてくれよ。恩を仇で返すとは本当に恐ろしい女である。


「タイミングがわるかったぞ。しゃろとのうわきをみられたばかりだったからな」


「浮気!? そ、そんなんじゃ……ないです」


 ぴりぴりした空気に、シャロがおどおどと反論する。


 ナナシノと比べてシャロはあまり怒っていないようだ。むしろこのままぶっ壊れろと思っているんじゃないだろうか。

 外は気弱に見えるが、そういうやつ程信用ならない。


「シャロの件もノルマの件も僕は別に悪くないよな。どう思う? サイレント」


「あるじはわるくないぞー」


「うんうん、サイレントはわかってるね」


「ななしぃはもっとわるくないけどなぁ」


「君、どっちの味方なのさ」


「ッ……」


 ナナシノがにこにこしたまま、ひつじさまをぎゅうぎゅう抱きしめてる。ひつじさまがむーむー苦しげに鳴きながら短い足を動かしもがいているが、何の意味もなしていない。


 マスターに負ける雑魚眷属がそこにはいた。それぬいぐるみじゃねーから。


「僕はずっとナナシノ一筋なのに……」


「……」


 クロロンがショックを受けたように震えているシャロの肩を叩き慰めている。


 ナナシノが抱きしめていたひつじさまを膝の上におくが、その表情は笑みのままだ。

 ひつじさまがちょこちょこと僕の足元に逃げてくる。どうやらナナシノよりフラーの方がまだマシらしい。


 どうやったら機嫌治るんだよ。ノルマめ、代わりに謝罪しろよ。檻から出てきたらな。


 迷うが、ゲームのように選択肢が出てこないのでどうにも出来ない。もしかしたら一本道のシナリオかな?


 名案を思いつく。ぽんと両手を叩きナナシノに言った。


「そうだ、ナナシノ。お金をあげよう。それで機嫌治してよ」


「え……? ……いらないです。ブロガーさん、私を一体なんだと思ってるんですか!?」


 ナナシノが一瞬ぽかんとして、むすっとした表情で僕を睨みつける。その表情はその表情で可愛らしいのだが、好感度の下落が止まらない。


 ノルマだったら間違いなく即落ちなのに……。


「あるじはさいていだなあ。みんなに見捨てられて、きっと最後までついてきてくれるのはふらーだけだぞ」


「マジか……」


 これだけか。


 膝の上に乗っていたフラーが僕を見上げ、にこにこ笑う。


 エルダー・アルラウネのグラフィックも悪くないが、女の子系眷属の中ではかなり下の方だ。眷属ならもっと上が狙える。悲しい気分になる。


 そもそも大きさが小さすぎるし、人間とは明らかに違う。


 てか、その言葉が真実だったら、地味にサイレントにも見捨てられてるんだけど。そんなのリセマラだ、リセマラ!


 フラーはよたよたと立ち上がると、僕の方に手を差し伸ばしてくる。


「………………見捨て、ないもん」


 ナナシノがぽつりと呟く。

 その言葉を理解するその前に、僕の腕を上ったフラーが照れたような笑みを浮かべながら、頬にキスをしてきた。なんか懐かれたら懐かれたで可愛いな。


 ナナシノの目が見開かれ、頬がぴくりと引きつる。


「!?」


「ふらーはあるじのことが本当にだいすきだなあ。いみわからないぞ」


「ずっと出してたから好感度上がってるんだな、きっと」


 ゲームの頃は能力があがるだけだったんだが。


 フラーが両手を重ねるように差し出してくる。小さな手の中にみるみるうちに茎が生え、真っ赤な薔薇の花が一輪咲いた。


 差し出されるそれを受け取り、鼻を近づける。みずみずしい花弁に、芳しい香り。本物の薔薇だ。


 フラーがどこか自慢げに葉っぱのドレスに包まれた胸を張る。


 何、そんなことできんの? 君。初めて知ったよ。何のスキルだよ。


 召喚士になってからの数年をアルラウネと共に過ごしたアルラウネマスターのシャロも驚いている。


「!? フラーちゃん、そんなことできるんですか!? くろろん! あれ……できる?」


 クロロンにぷいっと顔を背けられ、シャロが泣きそうな表情になる。相変わらずの関係のようだ。


「そう言えばフラーのことも進化させないとな……サイレントと違って楽だし」


 貰った薔薇を机に置き、フラーの髪を指先で梳いてやる。フラーが嬉しそうに背中から伸びる蔓を揺らす。


 ふとその時、ナナシノの浮かべている表情が変わっていることに気づいた。

 先程の笑みとは打って変わって、その目は潤み、眉が歪んでいる。今にも泣き出しそうな、儚げで憂鬱そうな表情だ。


 ????? え? 何? なんかやった、僕?


「ど、どうかした? ナナシノ」


 ナナシノが一瞬唇を歪める。が、すぐに震える声で言った。

 涙の滲んだ目で僕を睨みつける。


「……わ、私は、気にしてません。けど、そ、そういうの……良くないと、思います」


「え? そういうのって何?」


「え……?」


 ナナシノの視線が僕から一瞬だけ無邪気な笑顔を浮かべたフラーに移り、すぐに僕に戻った。


 クロロンに振られて傷心していたシャロがしかし、不思議そうな視線をナナシノに向ける。サイレントが口を三日月にする。


 僕がじっと見返してやると、その顔がみるみる赤く染まった。


 慌てたように手を左右に振り、唇を震わせる。その声は、先程までの物から大きく変わっていた。


「な、なんでも、ないです……ご、ごめんなさい、変なこと言っちゃって」


 恥ずかしそうにぎゅっと拳を握りしめ、身体を縮めるナナシノ。

 サイレントがぴょんとテーブルからナナシノの頭の上に移動し、その前髪をぺんぺん叩く。


 これは新しいおもちゃを見つけた時の挙動だ。


 サイレントがさも呆れ果てたような声で言う。


「ななしぃ、われはななしぃのぜんめんてきな味方だけど、さすがにふらーにしっとするのは、どうかとおもうぞ」


「ッ――――し、嫉妬なんて、してないもんッ、ですッ!」


 耳まで真っ赤にして言い張るナナシノ。


 そんな反応してたらいじって欲しいと言っているようなものだ。


「ノルマやシャロはともかく、フラーと遊んであげるのに嫉妬されると辛いものがあるなぁ。ほら、フラーも戸惑ってるよ」


 フラーはニコニコ笑っている。


 へんじがない。ただの のうてんき のようだ。


「し、してないッ! してないって、いってるでしょッ! もおッ!」


 顔を真っ赤にして否定しても誰も信じないよ。

 シャロが優しい微笑みを浮かべ、ナナシノの肩を叩いた。


「青葉ちゃん、おちつこ? 大丈夫、多分ちょっと疲れているだけだから」


「ッ――」


 親友に嫌な気の使われ方をされて、ナナシノが椅子の上で膝を抱え、悶える。

 最近ナナシノのメッキが剥げてきた感があるな。


 ともあれ、ノルマの件は有耶無耶になりそうだ。フラー様様である。


 ざまぁ、ノルマ。お前の嫌がらせなんてフラー以下なんだよッ! 今度フラーにはいい栄養剤を買ってあげよう。


「してないもんッ! 嫉妬なんて、してないもんッ! ブロガーさんなんて、どうでもいいしッ!」


「でも、ふらーがうらやましいんだろ?」


「そうか。ナナシノに見捨てられたらフラーにもらってもらうしかないのか……」


「う、羨ましくないもんッ!」


 肩に移ったサイレントに散々口撃を受けるナナシノ。


 サイレントは弱み見せるとさんざん突いてくるからなぁ。これは長いぞ。まぁ、ナナシノの自業自得である。


 しかし、嫉妬かぁ。……あれ? もしかしてもう押し倒せちゃう?


 真剣に悩んでいると、ふと部屋のチャイムが鳴った。

 シャロが顔をあげる。


「ああ、いや、いいよ。僕が出るから情緒不安定なナナシノの方、頼むよ」


「あ、はい」


「じょうちょふあんていなんかじゃ、ないもんッ!」


 情緒不安定だろ。まぁ、騒いで不満を解消してくれればいい。

 さっきまでみたいな、ずっと笑っているナナシノは勘弁だ。


 しかし、僕の部屋に来客なんて誰だろうか。


 僕には知り合いなんていない。一応、召喚士ギルドに登録はしているのでそこから連絡が来る可能性はあるが、今まで来たことはない。


 宿のフロントかな?


 鍵を開け、扉を開ける。ほぼ同時に、真っ白い何かが僕に飛びついて来た。


 背中に腕をまわし、抱きしめてくる。美しいトパーズのような瞳が僕の顔を見て一瞬で潤んだ。


 驚く前に僕は目を丸くした。


 硬く編まれた金の糸のような髪。頭の上に名前が見える。格好は以前確認した法衣とは違うが、見間違えるわけもない。


「そ、操竜士様ッ! お、お会い、したかった、ですッ!」


「え? 何? もう次のイベント始まるの? 復刻? 新イベ?」


 マジで? この世界の運営優秀かぁ?


「あ、あるじさぁ、いくらなんでもせっそうなさすぎじゃないか? いくらわれでも擁護できないぞ」


「……え?」


「ぶ……ブロガーさんの、ばかぁッ!」


 後ろを向く。


 恥じらいではなく顔を真赤にしたナナシノに、師匠に向けるものではない引きつったような表情を作ったシャロが僕に抱きつく竜神の巫女をじっと睨んでいた。


 僕が何をやったっていうんだよ。

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