第四章 放浪する召喚士の物語
Prologue:プロ召喚士は動揺しない
真っ暗な空間にぼんやりと見覚えのある青年の顔が浮かんでいた。
特徴のない黒髪にあまりパッとしない顔立ち。暴力的な雰囲気とは無縁だが、それがただの表面を取り繕ったものである事を青葉は知っていた。
よく見ると、人畜無害そうな双眸の奥にはぎらぎらと得体の知れない光が蠢いている。それは何をしでかすかわからない一種の狂気と呼べた。
その青年の本名を七篠青葉は知らない。
だが、古都で恐れられていたギオルギを倒し数多の召喚士が敗れたエルダー・トレント討伐の偉業を成し遂げ、この世界では一般的になっていない知識を持った同郷の青年の名は既に古都の召喚士ギルドでは知れ渡っている。
ブロガー。その名の由来を七篠青葉は知らない。
ふと、暗闇の中、ブロガーの眼が青葉を捉えた。数秒瞬きし、唐突に今思いついたかのような口調で言う。
「もっと魔導石をためないと行けないし、そろそろ次の町に行くことにするよ」
「え……? ど、どうして……突然」
「もうこの町にも飽きたんだ。雑用クエストもあまり残ってないし」
「わ、私も……行きますッ!」
あまりにもあっさりした口調に、青葉が反射的に叫んだ。手を伸ばすが、至近距離にいるはずのその青年には届かない。ブロガーは青葉の嘆願にぞっとするような冷たい視線を向けた。
「駄目」
「ッ……」
予想外の言葉に絶句する青葉に、ブロガーが諭すような口調で言う。だがその眼はもう完全に青葉を見ていなかった。
「ナナシノにも飽きたんだよ。邪魔っていうか……すぐ攫われるしレアモンスターにやられるし倒れるし何の役にも立たないし、僕一人で行動した方がずっと効率がいいわ」
「そんな……」
息が詰まる。目をそらしたいのにまるで釘付けになったかのように逸らせない。耳を塞ぎたいのに身体も動かない。
「その癖、ちょっと手を出そうとしただけで殴ってくるし、何なの?」
「それは……だって……いきなりで……び、びっくりしただけで……」
モゴモゴ言い訳をする青葉に、ブロガーがすっと手を伸ばした。その手が青葉の肩を掴む。びくりと身体を強張らせる青葉の頬にその指先が触れる。不思議と感触がしない。
世界がぼんやりとしていた。薄暗闇の中、ブロガーのその顔だけがよく見える。その黒の眼は青葉を見ているはずなのに何も映っていない。
「じゃあ今から触るけど、抵抗はしないんだな? 自分の言葉の責任くらい取りなよ」
「ッ……」
青葉が何か答える前に、頬に触れた指がゆっくりと形を確かめるかのように首筋に触れる。
身体を動かそうとするが神経が断絶しているかのように指一本動かせない。動かせるのは首から上だけだ。
指が剥き出しになった鎖骨に触れる。ほとんど触れるか触れないか、その指使いに青葉はほぼ反射的にぎゅっと目をつぶり――
――青葉は目を覚ました。
つい先日引っ越したばかりの二人部屋。隣の部屋からはシャロリアのうめき声が聞こえてくる。
酷い夢を見たせいか、汗でパジャマがじっとり湿っている。ベッドの横ではアイリスの騎士兵が心配そうに青葉を見下ろしていた。
「……ブ、ブロガーさんは、そんな事しないもん………………たぶん」
夢の中で触れられた首筋を確かめる。
ベッドの上で、青葉は顔を真っ赤にしてぎゅっと枕を抱きしめた。
§
ジョギングを終え、卵を『
「え? 青葉ちゃんにシャロ……何やってるんだ? ブロガーはもう行ったが?」
「……え?」
ゴンズの言葉に、青葉は呆けた表情を作る。何やってるもなにも、ブロガーと青葉は今日は別行動である。朝挨拶をしてから会っていない。
何か言う前に、青葉が羽織っていたコートがざわざわと震える。
「あるじ、どこかに行ったのか?」
「……剣士ギルドの連中と帝都に向かった。聞いていないのか?」
「え!?」
目を見開き、まじまじとゴンズを見る。
青葉はブロガーから今日は雑用クエストを受けると聞いていた。別の町に行くなんて話は全く出ていなかったし、そもそもその眷属であるサイレントは護衛名目で青葉についているのだ。
青葉の後ろでは同じく何も聞いていなかったのであろうシャロリアが唖然としている。
青葉の表情を見てゴンズが顔を顰めた。
「……まさかあいつ、青葉ちゃんや弟子に一言もなくついていったのか……」
あまりに唐突な話に、青葉は何がなんだかわからなかった。シャロリアもまだ理解出来ていないのだろう、忙しなくギルド内を見回している。
だが、一番不服を申し立てたいのは青葉でもシャロリアでもないだろう。コートが悲痛な声を上げる。
「ちょ、ちょっと待って……わたしはぁ!? あるじぃ、わたしは!?」
「サイレントさん……」
「ななしぃやしゃろりんはあかのたにんだが、わたしはけんぞくだぞ!? けんぞく! わたしをおいていくなんて、おかしいぞ!?」
サイレントがばたばたと身体を震わせて抗議する。あまりにも哀れみを誘うその声に、青葉は正気に返った。
ゴンズを見上げ、冷静に尋ねる。
「ゴンズさん、ブロガーさんってもう町から出ちゃったんですか?」
「い、いや、出立は一時間後と言っていたから、まだ後三十分くらいあるはずだ! 遠出するならいくらブロガーでも荷物を揃えたりあるだろうし、急げば間に合うはずだ」
続いて飛行船の場所を教えてもらう。ゴンズの説明に、古都出身のシャロリアが何度も頷く。
心臓がどきどきと強くなっている。いくらなんでも何も言わずに置いていくなんて酷い。あまりにも突然すぎる。
とりあえず宿に向かうために駆け出し、ギルドの外に出る。その時、シャロリアが悲鳴を上げて空を指差した。
空を浮かぶ剣の模様の描かれた飛行船を。目をこすり何度も見るが、飛行船はみるみるうちに浮上していく。
「ま、まだ三十分あるって言ったのに……」
「あ、悪いななしぃ。ちゃんと呼ばれたみたいだぞ」
「え!?」
疑問の声を上げる間もなく、羽織っていたサイレントが黒い光を放ち消失する。
残されたのは召喚士のローブすら着ていない青葉と今にも死にそうな顔をしているシャロリアだけだった。
§
「ししょー……なんでぇ……いっちゃったんですかぁ……」
ブロガーの部屋は空っぽだった。まるで元々夜逃げするつもりだったかのように。
聞いた直後は戸惑いのみを浮かべたシャロリアも一夜明けてようやく現実を理解したのか、机に伏せ、しくしく泣いている。お金はシャロリアが持っていたが、それ以外のブロガーの私物は一切がなくなっていた。もともとブロガーの私物は少なかったが、シャロリアとブロガーが泊まっていたその部屋には今はその痕跡は一切ない。
それが弟子になったばかりのシャロリアには余程ショックだったのだろう。青葉にとってもショックだったが、自分よりも衝撃を受けている少女を眺めているとなんとかしなくてはという気にもなってくる。
「お、落ち着いて。きっと何かの間違い……なはず」
と言っても、青葉自身何を間違えればこんな状況になるのか分らない。
わかっているのはブロガーが青葉達を置いて帝都フランマに向かってしまったという事。いつ戻ってくるのかわからないという事だ。
クロロンが机の足の影で、情けない物でも見るような冷たい眼でその主を見上げている。
「……わ、私達も帝都に向かえば……」
「定期便……この間来たばかりだし……」
シャロリアが涙の滲んだ声で言う。
陸の孤島である【古都プロフォンデゥム】から出る一般的な手段は飛行船を使うことだ。だが、飛行船は数ヶ月に一度しか発着していないらしく、次の飛行船に乗るにはしばらく待つ必要があった。陸路は険しくたった二人で踏破できるようなものではない。
青葉とて今すぐにでも追いかけたいのは山々だ。だが、親友が凹んでいる以上自分がしっかりしなくてはいけない。焦燥を封じ込め、必死に考える。
陸路は無理。空路もしばらくは使えないし、そもそも飛行船に乗るには大金を積む必要がある。
「そ、そうだ……卵、孵化すれば……飛んでいける……はず」
青葉はブロガーの言葉を覚えている。竜種か獣種の飛行ユニットがないと古都からは出れない、と、そう言ったのだ。
そしてこの間手に入れたばかりの純竜の物だという卵。孵化手段も既にブロガーから聞いている。何人乗れるかはわからないが、青葉もシャロリアもそれほど身体は大きくない。竜ならば二人くらい乗せられるだろう。
青葉の言葉に、シャロリアが顔を上げる。真っ赤に晴れた眼、頬には涙の流れた跡がついていた。
酷い表情のまま、シャロリアが言う。まるで乞い願うかのような声で。
「青葉ちゃん…………」
「……うん」
小さくうなずき、青葉は考える。
最低100km。100kmならばまだいい。一日10km走れば十日で孵るのだから。
問題は1000kmだった場合だ。一日10km走っても百日かかることになる。
卵は重い。おまけに次からは身体に固定してくれていたサイレントがいないのだから尚更大変だろう。だがそれでもやらないわけにはいかない。
青葉にはなかば確信に近い予想があった。このまま待っているだけでは絶対にその青年は帰ってこないだろう、という確信が。
まだ数ヶ月だが、何しろ青葉は夢に見るくらいにブロガーの事を知っているのだ。
§ § §
空には燃えるような太陽が輝いていた。
熱された空気。風景がゆらゆらと陽炎のように揺らめいている。からっとした風は言葉にし難い砂の臭いを多分に含んでいる。
変わり映えのしない砂の上を歩いていると、肩に乗っているサイレントが呻いた。
「ななしぃがいないと主は駄目だな」
「不満があるならはっきり言ってもらおうか」
「言わなきゃわからないのか?」
ふと目の前の砂丘がめくれ上がった。地面からまるで柱のように立ち上がったのは長さ数十メートル、太さ数メートルもある巨大なミミズだ。【カッサ砂漠】に現れる魔物で、名を『ジャイアント・サンドワーム』という。
鋭い牙の生えそろった頭がこちらを見下ろす。その魔物は視覚器官もないのに確実にこちらを察知していた。
身を捩るようにサンドワームが襲い掛かってくる。凄まじい勢いに砂埃が舞い上がり地面が震える。
サイレントは深々とため息をつき、その腕を数メートルぐにょんと伸ばした。平べったく伸びたそれはまるで鋭利なナイフのようにサンドワームに向く。
フラーは『
そして、サイレントがぴょんと肩から飛び降りた。同時にこちらに襲い掛かってきていたサンド・ワームに刃の腕を振り下ろす。影の刃はまるで鞭のようにしなり、地面を揺らしてこちらに向かってきていたサンド・アームの頭に何の抵抗もなくするっと入った。
悲鳴もなく、緑色の体液が噴水のように噴出し、乾いた砂漠に染み込む。HPゲージが一瞬でゼロになる。ジャイアント・サンドワームは見かけは強そうだがそんなに強くないのだ。
日常会話を交わしながら魔物を倒してのけたサイレントがぐるりとこちらを向いて言った。
「あるじさぁ、わたしがこういうのもなんなんだが……飛行船から飛び降りるなんて馬鹿じゃないか?」
「そういうクエストだったんだ、仕方ない」
「自分から飛び降りたように見えたけど?」
「シナリオをスキップしたんだ。突き落とされるか自分から落ちるかの違いだろ。時間が勿体ないからどうでもいいストーリーはスキップすることにしてるんだよ」
「……飛び降りる寸前、あの剣士たち、唖然としてたぞ。主ってコミュ障だよね、何言ってるのか難しくてわからないし。……オアシスに落ちなかったら死んでたぞ」
NPCの都合なんて知ったことではない。それに大体、アビコルでプレイヤーは死なないのだ。
だが、どうせサイレントに言っても通じないだろう。もしかしたらナナシノだったら理解してくれたかもしれないが。
肩を竦める僕に、サイレントが大声で喚いた。子供のような声が雲ひとつない空に吸い込まれるように消える。
「大体、どうするのさぁ! こんなどこまで続くのかもわからない砂漠のど真ん中にひとりぼっちになって――主は心臓が強すぎだぞッ!」
「クエストだよ」
【カッサ砂漠】を歩いて抜け、帝都まで向かう。
元々、古都を抜けるには飛行船に乗るための面倒なクエを受けるか、自分の力でなんとか頑張るかの二択しかなかったのだ。ストーリークエストで抜けられるのではないかと考えてしまった僕のミスだといえるだろう。
クエストで古都を出られると思わせておいて砂漠で落とされる。今思えばいかにもアビコル運営がやりそうな事じゃないか。あっはっは。
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