第八話:いわれのない中傷

「くそっ、あの腰抜けどもめ、誰一人かかってこないなんて……」


 部屋に戻り、ぶつくさ言いながら、椅子に腰を下ろす。

 完全に予想外だった。テンプレなチンピラNPC召喚士なんてただその前に姿を見せただけで襲い掛かってくると思っていたのに、まさかあそこまで挑発しても襲いかかってこないとは……。

 ポケットの中からぴょんと飛び降り、サイレントがぽつりと言う。


「我は主が悪いと思うぞ……」


「パーフェクトな作戦だった。まぁ、眷属のサイレントには人間の感情はわからないかもしれないけどね」


 もしうまくいっていたら今頃ドロップを数えながら祝杯をあげられたのだ。アビス・コーリングに人生を捧げていたこの僕がクエストを見誤るなんて、誰が悪いわけでもないが非常に腹立たしい。

 部屋の片隅で佇んでいるシャロを見る。首筋には幾つもの跡が残り、きっちりと着こなしていたローブは僕が何度も弄ったために軽く乱れていた。

 ローブの上のボタンは外れ胸元が大きくはだけており、まるで乱暴された後であるかのようだ。顔は熱に浮かされたかのように真っ赤に染まり、先程から声をかけても禄な返答が帰ってこない。


 何を照れているのか。僕がシャロに欠片も興味がないのは今までの対応からして一目瞭然だろうに。

 そもそも、僕は胸が大きい方が好きなのだ。だから、貧相な胸をしているシャロやエレナは僕の範囲外である。どうしてもというなら貰ってやってもよい。


 シャロの目を覚まさせるため、大きく手を叩く。シャロがビクリと身体を震わせた。


「シャロ、お茶」


「は……は、はいッ!」


 シャロが覚束ない足取りで簡易キッチンに向かう。いつもやっている動きのためか、動揺していてもその手つきに乱れはない。


 僕は、別に飲みたくもないお茶の準備をするシャロの後ろ姿を見送りながら考えた。


 さてどうしたものか。クエストが起きないとなると……もう僕にはどうしようもない。少しでも楽しようとしたのが悪かったのだろうか。

 情報だけシャロから聞いて後は事が起こるのを待機すべきだったのかもしれない。やはりゲームから外れた行動はご法度なのだろう。


 サイレントが膝の上によじ登り、僕を見上げた。


「まぁ、あれだけやれば、もうしゃろりんにかかってくる者はいないんじゃないか。噂になるだろうし」


「んー……ああ、そうだね」


 なるほど……クエストのことばかり考えていたが、確かにそういう見方も出来なくはないかもしれない。


 別に僕は弟子なんていらないし、魔導石がもらえるならシャロを引き渡してやってもいいんだが、今更そんなこと口に出す必要もないだろう。

 ナナシノに聞かれたら頭がいかれてると思われるかもしれないし、魔導石一つもらえるくらいじゃ割に合わない。十個だったら……うーん。


「そ……そういう、ことだったんですね……!」


 そんな事を考えていると、後ろから声が聞こえた。シャロがお茶を載せたお盆を持ったまま、立ちすくんでいる。

 顔を真っ赤にしたまま、僕の事をじっと見つめる。遠くから見てもその白い首筋に残った痣のような跡は目立っていた。


 僕は微塵の罪悪感もなく、手をひらひらさせて適当に答えた。


「あー、そういう事そういうこと。色々やって悪かったね。ほら、一応師匠だし、弟子の事を第一に考える必要があるからさ。公衆の面前でやるのもけっこう辛かったんだ。そう、僕も辛かったんだよ」


「あるじ、適当に答えすぎだぞ……」


「で、ですよね……青葉ちゃんを助けに行った師匠が、あんな事、やるなんて……で、でも、びっくりしちゃいました」


 サイレントのごもっともな言葉を聞き流し、まるで自分を納得させるかのように言い聞かせるシャロ。NPCの設定がそういうキャラなのか、驚くほど純粋なようだ。普通そんな騙され方しないって。


「でもまぁ、ほら、服脱がせたりはしてないから……」


 胸はちょこっと触ったがその程度である。ナナシノには、シャロに手を出さない約束をしたが、この程度ならば手を出した内には入らないだろう。

 僕の言葉に、シャロはゆっくり深呼吸をして、お盆をテーブルに置いた。 


 そしてやや早口で言う。その声には熱がこもっていた。


「い、いいぇ、そんな……わ、私の、ためにやってくれた事、ですから……き、私は、気にしてませんッ! むしろ……私のために、申し訳ないです」


「……シャロはもう少し相手を見て物を言ったほうがいいと思うぞ」


 余計なことを言い出すサイレントの頭を掴み、足元に叩きつける。勝手に良い方向に解釈してくれてるんだからいいじゃないか。


 サイレントを踏みにじりながら、まだ耳の先まで真っ赤にしているシャロを確認する。シャロがビクリと身体を震わせ、一歩後ろに下がりかけてぎりぎりで止めた。


 お盆からシャロの入れてくれたお茶のカップを取り上げ、持ち上げる。


「シャロ、そうじゃない」


「……え?」


 僕は小さく笑みを浮かべて教えてあげた。これは僕が師匠になってする一番重要なアドバイスだ。


「そういう時は……『ありがとう』って言うんだよ」


 人間、感謝の気持ちを忘れちゃ駄目だぜ。

 お茶をどぼどぼとサイレントに振りかける。水に滴るいいサイレントが情けない声をあげた。


「あるじぃ、もうつっこみがおいつかないよう……」



§




 突然、扉がばんと開く。青白い顔色、憤った様子でナナシノが飛び込んでくる。

 どうやら鍵をかけ忘れていたらしい。だが、ナナシノがノックもなしに部屋に入ってくるのは珍しい。

 そもそも、昨日と今日はエルダー・トレント討伐任務で召喚士が減ったとかで、ギルドの手伝いをやると言っていたはずだ。


 ナナシノは、大きな花瓶に入ったフラーに水をやっている僕を見ると、すたすたと近づいてきた。

 その佇まいから感じる無言の圧力に、思わずジョウロを持ち上げる。ナナシノはほんの三十センチ程の至近まで近づいてくると、僕を睨みつけてきた。

 その目の端に小さく涙が滲んでいた。アイちゃんがいつでも前に出れるような体勢でナナシノの横につく。


 ナナシノはじっと数秒僕を見て、吐き捨てるように言った。


「……ブロガーさんッ……嘘つきッ!」


「? 何の話? 今、ガーデニングに忙しいんだけど」


 フラーを花瓶にいけて水をやるのは僕の数少ない日課である。もしかしたら植物だし、水を上げればステータスが上がるんじゃないのかと期待しているのは誰にも言えない秘密だったりする。

 もちろんゲームではそんな仕様はない。


 何時もならこう言うとナナシノはフラーを羨ましげに見るはずなのだが、今日のナナシノは欠片もそちらに意識を向けず、押し殺すような声で続ける。怒っているような口調だが、その表情は今にも泣きそうにも見えた。


「ブロガーさん……シャロに……手、出しましたね? 出さないって、言ったのに!」

 

「出してないけど」


「……ギルドで、見ている人、いっぱいいて……シャロ、嫌がってるのに、無理やり――」


 そこまで聞いて、ようやくその言葉が昨日試したクエストの事を言っているのに気づく。どうやら一日しか経っていないのに、サイレントの言っていた『噂になる』が実現したらしい。しかも真実が捻じ曲げられる形で。

 やれやれ、逆恨みか。肩を竦めてじっとナナシノを見つめる。悲しげだったナナシノの表情が、全くの潔白である僕の態度を見て少しだけ動いた。


「皆、私に教えてくれて……ウバルドさんも、スヴェンさんも……心配してて……」


 ナナシノは友達が多いなぁ。

 僕は内心感心しながら、冷静に返す。ナナシノは直情的なところが少しだけあるが馬鹿ではないので話せばわかってもらえるだろう。


「誰だか知らないけど、多分誤解だと思うよ」


 そもそも僕は手を出していない。少し服の上から胸を揉んだり裾から手を突っ込んだりしたくらいである。しかもそれもクエストのためだ。

 もちろん、楽しくなかったかといえばそういうわけでもないが、あくまで仕事である。


 そんな下らない噂に踊らされるとは、ナナシノもまだまだだなぁ。


「誤……解?」


 僕は、小さな声で聞き返してくるナナシノに笑いかけ、シャロを呼んだ。

 機嫌の良さそうな元気のいい声と同時に、軽い足音が近づいてくる。隣の部屋の扉ががちゃりと開き、クエストに向かう準備万端のシャロが顔を出す。


「はい、師匠! 何か御用ですか――って、青葉ちゃん?」


「シャロ……?」


 機嫌の良さそうなシャロの様子に、ナナシノの目が丸くなった。

 鳶色の目に、サイドに小さく結ったおさげ。その明るい表情は無理やり手を出されて嫌がっている女の子の表情じゃない。シャロと一緒にクエストの準備をしていたサイレントが、こちらに顔を出す。


「ナナシィ、どうしたんだ? そんな顔して」


「い、いや――」


 ナナシノが言葉に詰まる。シャロの表情は僕の弟子になる前よりもずっと明るい。きっとシャロはナナシノと違って、元来、一人で突き進められる人間ではないのだろう。


 ナナシノの言葉を補完する。NPCに何の噂をされようが別に構わないが、ナナシノが馬鹿正直に信じてしまうならば話は別だ。


「なんかさー、僕が嫌がるシャロを無理やり手篭めにしたみたいな無責任な噂が立ってるみたいでさー。全く、酷い誤解だよね……ナナシノがわざわざ教えに来てくれたんだよ」


「手篭め――」


 シャロが僕の言葉に、頬を染める。そりゃそんな反応にもなるだろう。僕も被害者だが、シャロ側からしてもその噂は非常に不服であるに違いない。

 僕が視線で促すとシャロがおずおずと青葉に弁明する。どこのものとも知れぬ赤の他人からの噂話より張本人の言葉の方が説得力があるだろう。


「そ、そんな……青葉ちゃん、誤解だよ……師匠は、私を守るために、演技しただけで、何も…………されて、ないから」


 昨日のことを思い出したのか、どこか色っぽい仕草で肩を震わせてシャロが言う。そうだ! 多少身体を弄ったところで『手を出す』なんて、酷い言い草だ。


 サイレントがてこてこと僕の足元に来て、こちらを見上げる。僕は余計な事を言われる前に、小さな声で『送還デポート』した。


「そ、それなら……いいんです、けど……」


「酷いなぁ、ナナシノは。僕を信じるって言ってたのに、まさかそんな下らない噂話を信じるなんて」


「ご……ごめんなさい……」


 ナナシノが消沈した声で頭を下げる。

 土下座しろ、土下座。そもそも、手篭めにされるのはナナシノの役割だろ、いい加減にしろ!


 こちらに差し出されたナナシノのつむじを人差し指でぐりぐりしながら忠告する。


「まったく、僕が優しいからいいものの……ちゃんと気をつけた方がいいよ」


「うぅ……そう……ですよね……。ごめんなさい」


「まぁ、でもビンタされるよりはマシかな。あれは痛かったなぁ……」


「…………ッ……ごめん、なさい」


 アイリスの騎士兵がじっとそのフルフェイスの甲を被った頭をこちらに向けている。いじりすぎると攻撃をしかけてくるかもしれない。僕は最後に、黒髪の隙間から見えた首筋を人差し指で撫で、手を離した。

 ナナシノがぞくりと身を震わせて頭を上げる。張り詰めた表情でもナナシノは美人だった。


「悪いけど、僕らこれからクエストに行くから」


「え……どこに行くんですか?」


「【深緑の森】」


 シャロのストーリークエスト進行の一環である。

 僕は昨日、事前に敵を排除する形で動いた。それは失敗に終わってしまったが、冷静に考えるとこれは弟子になったシャロのストーリークエストである。となると、その内容が彼女の成長に関わるものになるであろう事は自明だろう。

 あまりにも分かりやすい悪役にミスリードしてしまったが、こちらが王道だ。となれば、やることは一つだ。


 沈黙してしまったナナシノにシャロリアが満面の笑みで言う。


「えっと……師匠が、クロロンを育てるの、手伝ってくれるって……」


「手伝うんじゃない。僕は見ているだけだよ」


「は、はい。わかってますッ!」


 シャロが真面目な表情を作り姿勢を正す。その服装は何時もとは違い、森を歩くようの衣装に変わっている。薄緑色の厚手のローブにこげ茶色のブーツ。怪我する事を防ぐため、露出は極端に少なく暑そうだが、その首元は開いていて鎖骨が見える。


 今回の戦闘はサイレントじゃなくてクロロンに任せるつもりである。クエスト詳細がわからないのでさじ加減が難しいところだ。

 もちろん、僕は僕でギルドで別のクエストを受けているので、たとえシャロのストーリークエストに進展がなくても無駄足にはならない。本来、ギルドから受けられるクエストは一個だけだが、ギルドカウンターで受けるのではないストーリークエストは別枠なので、同時に受けられるのだ。


 真面目な表情を作ってもその挙動から浮かれた様子を隠しきれないシャロに、ナナシノが怪訝な表情をする。


「ブロガーさん……シャロに優しくありません?」


 僕に一体どうしろっていうんだよ。


「成り行きとはいえシャロは弟子だし、クロロンも進化前に戻っちゃったし、最低限の事はやってあげるさ。シャロが強くなれば僕にとってもメリットがあるし」


 もういいだろ。早く石とドロップよこせよ。


 僕がそこまで手をかけるとは思っていなかったのか、ナナシノが呆然とした様子で固まっている。

 シャロが僕の言葉に、どこか熱っぽい目を向ける。憧れか感謝か知らないが、どうやら彼女は僕に恩義を感じているらしい。


「最低限なんてそんな……私、とってもお世話になってて……」


「いや、そんなのどうでもいいからさっさと行くよ。準備して」


「は、はいッ! 準備しますッ! 青葉ちゃん、私、大丈夫だから……またね」


 僕の言葉に、シャロが大きく返事をする。

 召喚士としての腕は論外だが、細々とした仕事をするにおいてシャロは大きな力量を発揮するようだ。荷物の準備とか宿の手配とか、今まで随分面倒だったのでそこが改善しただけでもありがたい。


 声をかけ、準備に入ろうとするシャロを慌てたようにナナシノが呼び止めた。


「待って、シャロ!」


「……? 何?」


 シャロが振り返る。ナナシノの視線がその首元に吸い寄せられていた。正確に言うのならば、首元についた痣に。

 一日経っても消える気配がない。


「そ、その……首の、跡は……」


「あ……」


 シャロが反射のように首元を手の平で隠す。

 ナナシノの真っ直ぐな視線。それを正面から受け、しかしシャロは微塵も揺るがず、少しだけ頬を染め、はっきり答えた。


「虫に刺された跡……だから。私は大丈夫だから、気にしないで」

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