第七話:予想外

 たどたどしいシャロの証言を元に、ギルドの酒場に向かう。

 対象のNPCは直ぐに見つかった。酒場の一角ででかい態度をしている大柄の中年の男だ。刈り上げられた焦げ茶の毛に頬についた傷痕は歴戦の猛者の風貌であり、迫力のある笑い声がまだ入り口に立つこちらまで届いてくる。

 ギオルギに付き従っていたNPCとあまり変わらない風貌ではあるが、アビコルのNPCのグラフィックは女キャラとメインキャラ以外は気合が入っていなかったので、そのせいだろう。

 どうやら男はシャロに自慢げに眷属を紹介していたそうで、既にその手の内もバレていた。敗北はまずありえない。


 シャロがそちらを見ないようにしながらそっと人差し指を伸ばす。僕はその肩を取り、シャロを押し出すようにしてそのテーブルに近づいた。

 シャロが全面に押し出され、泣きそうな表情で抗議してくる。


「あ……や、やめ、師匠?」


 ジョッキを片手に仲間と笑いあっていた男が、シャロの姿を捉えて下品なまでに大きく口を開け笑う。

 一緒のテーブルについていた三人の仲間は僕の姿を見て頬をひくひくさせているが、どうやら当の本人はシャロに夢中で僕の姿が目に入っていないらしい。


「おお、シャロじゃねえか。なんだ? ようやく俺の弟子になるって?」


「い、いや……」


「いやなに、安心しろ、たっぷり可愛がってやる。召喚士の先輩としても、人生の先輩としても、な。あんな得体の知れない男の下にいるよりもよっぽどいい目、見せて……や……」


 男の目がようやく僕の姿を捕らえる。胸ポケットからサイレントが頭を出し、ひらひらと手を振る。肩にしがみついていたフラーもその真似をして手を振った。最近フラーはサイレントの真似をするのがお気に入りのようだ。


 男は一瞬硬直したが、反射のように椅子から立ち上がり後退る。椅子が大きな音を立てて倒れる。

 足元でぐるりととぐろを巻いていた蛇――レア度10の獣種、『極彩色のタクティクス・スネーク』が主の動揺に、驚いたようにその身を解き、ちろりと舌を出した。


 大きく見開かれた目が僕の容貌を上から下まで何度も行き来する。動揺しているのか、その額に大きな冷や汗が垂れ落ちた。


「て、てめ……は、ブロガー――………………さん」


「ああ、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだよ。ただ、僕の弟子に……随分、執心している人がいると聞いてね」


 男の目がシャロを見る。シャロがその親の敵でも見るような目つきに、びくりと身体を震わせた。

 肩をつかむ手に力を込めると、シャロの震えが少しだけ止まる。


 まさかこのNPCは、自分の行為が僕にバレないとでも思っていたのだろうか。受付のゴンズさんだって知っていたようなのに。


「まぁ、君はつまり、僕の弟子を自分の弟子にしたいわけだ。無理やりにでも」


「い、いや、そんな――」


 ……反応が予想と少し違うようだ。男が僕を見る目つきはまるで悪魔でも見るようなものだった。あまりそういうことに詳しくない僕でもはっきりと判断出来る恐怖の表情。先程まで偉そうにふんぞり返っていた人間と同じ人間だとはとても思えない。


 てっきりギオルギ一味とやりあった時のように向かってくると思っていた。

 予想外だったが、そのまま続ける。


「なんでも、眷属に自信があるようじゃないか。最近登録した僕みたいな召喚士よりも自分の方がずっと腕も上だし、シャロに色々教えられるとか」


 色々とか、何を教えるのか知らないが、まぁそんな事どうでもいい。

 僕の問いに、男はその大きな体を縮めるように首を横に振った。


「ひ、い、いや、そんな……へ、へ、あの赤獣の王を倒した、ブロガーさんよりも、上だなんて、いくらなんでも俺がそんな事言うはずが……」


「……えええええ……」


 そんな馬鹿な。完全に変な方向に言ってしまった状況に、思わずうめき声をあげてしまう。

 クエストだろ? ならとっととかかってこいや。お前に召喚士のプライドはないのか!


 周りの男の仲間達もその意見に同意するかのようにぶんぶんと首を縦に振っている。三人もいるのに情けない。

 とりあえず彼らの様子は無視して続ける。


「……まぁ、冗談を聞くつもりはないよ。君が粉を掛けていたシャロを後から弟子にしてしまったのは僕だ。でも、これはシャロの意志でもある。ギルドのルールから言っても、君がシャロを強引に誘うのはあまり……よろしくない」


 シャロが必死にこくこくと頷いている。男はそれを確認する間もなく、半ば反射のような速度で日和って見せた。


「い、いやはや。まったくもって、ブロガーさんの言うとおり! そのとおりでさあ。俺が悪かった、シャロ。な? 謝る、ごめんにょ!」 


「……あ、あの……」


 舌を盛大に噛んだ強面の男に、シャロがどうしていいのかわからないのか、視線を逸らし僕を見上げる。まるでかまって欲しがっている子犬のような目だ。

 見上げるシャロの頭に手を置いて続ける。僕はクエストをやりにきたのだ。


「まぁ、君らも僕のような新参に獲物を掻っ攫われるのは不服だろう」


「そ、そんなことありません! なッ? なッ?」


 仲間に同意を求める男。それに頷く仲間の男達。それを無視して続ける。


「そこで、僕は思った。君たちが僕から弟子を奪おうとしているのは、僕が舐められているからだ。僕がシャロの師として相応しい力を示せば君たちも納得出来るんじゃないか、ってね」


「!?」


 男達が大げさに身体を震わせる。テーブルの上のジョッキががたがたと揺れていた。

 サイレントがポケットの中から囁いてくる。


「主、もうこいつら、戦意がかけらもないぞ」


 そんな馬鹿な。それじゃここまでシャロを引き連れてやってきた僕がまるでピエロみたいじゃないか。

 そして、僕は血の気のない表情の男達に提案した。


「眷属を出せ。もう二度と僕に楯突かないよう、捻り潰してあげるよ。そっちは全員でかかってきていいよ」


「ッ……」


 男が絶句する。その歯と歯がかたかたとなっている。こんな反応されるの、この世界に来て初めてだ。男がよろめき、タクティクス・スネークに躓き盛大にこける。

 床に尻を打ち付けながらも、這いつくばるようにして下がると、勢い良く頭をこちらに差し出した。


 いや、これは……土下座の格好だ。


「悪かった……い、いや、すいませんでしたぁッ!。ブロガーさんの、お弟子さんに、手を出してしまい……、どうかお許しくださいッ!」


「え……ちょ……」


 キャラ変わりすぎ。

 蛇の眷属が怯えたような目を男に向けている。クエストしにきて土下座されるとは思わなかった。

 男が荒い息をしながら叫ぶ。酒場全体に聞こえるような大声で。


「ど、どうか、ロストだけは、平に、お許し――ご、ご容赦くださいッ!」


「……シャロを弟子にしたいんじゃなかったの?」


「も、もう、話しかけたり、しません。手を出そうとしたりも。ここに誓うッ! ますッ!」


 まいったな、予想していた反応とだいぶ違う。

 過呼吸になりそうなほどに、ぜえぜえやりながら出される言葉はとても演技には見えない。僕は弱いものいじめをするためにきたのではない、クエストをこなしに来たのだ。

 シャロもその反応は予想外だったのか、大きく首を上げて僕を見上げている。


 まさか、これはストーリークエストじゃなかったのか?


「んー……僕も別に戦いたいわけじゃないんだけどね……」


 いくらなんでも無抵抗の人間を眷属で攻撃するのは違うだろう。しかしこのままじゃ、ドロップが手にはいらない。

 僕の言葉に、ふかぶかと頭を下げている男の肩がぴくりと動く。


「喧嘩売りにきておいて、全く説得力がないぞ、主」


「うーん……」


 ドロップが欲しい。人間から落ちるドロップは魔物から落ちるドロップとは一味違うのだ。

 大兄貴のようにアイリスの信心程のアイテムが手に入るのは期待できないだろうが……。


「師匠……」


 シャロが僕を見上げてくる。細く華奢でありながら健康的に焼けた首筋。ナナシノの着ているものよりも露出のない厚手のローブを着ているので、そこから下は肌が見えない。

 男がおずおずと頭を上げる。うーん、一方的に倒したら僕が悪者になってしまうぞ。別にNPCからの評価なんてどうでもいいが、問題は起こさないに越したことはない。


 仕方ない、少し挑発するか。


 僕はシャロの肩においていた手を動かしその首筋を撫でた。シャロが小さく悲鳴をあげる。


「ひゃッ――」


「あー、シャロの肌は綺麗だな。肌触りも手に吸いついてくるみたいだ」


「ひょ……ひゃ――ひ、し、師匠!?」


 シャロが身を捩る。それを、肩に置いた手に力を込めて止める。

 男が血走った目で僕を見ている。だが、手を動かすと視線はまるでそれに吸い寄せられるように動いていた。その喉がごくりと動く。バレバレである。


 シャロの首筋が赤く染まっていた。まるで抗議するように言う。

 

「し、師匠!? いきなり――なんですか!」


「弟子になったんだから指示は絶対だよ。弟子になったんだから」


「!? 」


 鼻をシャロの髪に近づけ、これみよがしと匂いを嗅いで見せる。石鹸の臭いなのか、その黒色の髪からは仄かに甘い臭いがした。

 NPCなのに匂いがするとは不思議な話である。


「シャロはいい匂いがするな。抱きしめたらとっても気持ちよさそうだ」


「あう……」


 シャロの肌ははっきり分かるほど赤く染まっていた。首元からその柔らかそうな頬、耳の先まで。ここまで直接的に接触されたのは初めてなのだろう。


 男がまるで親の敵でも見るような目で僕を睨みつけてくる。ほら、手を出してこいよ。ドロップを寄越せよ。


「これは師匠の特権だなー、師匠。シャロを好き放題にできるなんて、師匠になってよかったなー、師匠は最高だ」


 首筋に触れていた手を下げる。その輪郭を確かめるように華奢な身体を弄る。視線が集中するよう大仰な動作で、厚いローブの上から、その身体を掴む。シャロの身体は華奢で張りがあり、しかし信じられないくらいに柔らかい。余分な肉のついていないその身体は男たちが執着するに足る代物にも思えた。このロリコンどもめ。


 シャロが身を捩り僕の腕を掴んでくるがその手に力は入っていなかった。目尻に涙の粒が浮かび、その濡れた唇から熱の篭った呼気が漏れる。だが、何も言わない。


 身体をがちがちに硬直させるシャロに尋ねる。


「シャロってさー、誰かと付き合った事とかあるの?」


「ッ……な……ない、です……おし、仕事が、忙しくて……」


 シャロが首を精一杯上げ、どこか胡乱な目を僕に向ける。その言葉は静まり返った酒場の中、よく響いた。

 額に顎をくっつける。シャロがぶるりと肩を震わせる。腹を弄っていた手を、その裾から滑り込ませる。硬いベルトの感触を経て、手の平がその滑らかな腹に触れた。

 肌はしっとり湿っていた。もぞもぞとその感触を楽しみながら、シャロを狙っていた男を見下ろす。唇の端を持ち上げ、嘲笑するように言う。


「おい、聞いたか? つまり、この身体に触れるのは――僕が最初ってことだ。いやー、シャロに師匠になるよう請われた時は面倒だなーとか思ったけど、こんな特典があるなんて……ラッキーだったな。そして危なかった。返事をするのが遅れてたらこの身体が――君達のものになってたかもしれない。いやー、よかったよかった」


 シャロがぷるぷると細かく震えている。その様子はまるで腐り落ちようとする果実を思わせた。


 ここまでやれば襲ってくるだろう。眷属を賭してでも取り返そうとするだろう。


 僕の完璧なシュミレートはしかし、すぐに打ち破られた。

 男ががたがたと歯を鳴らして震えている。僕を見るその目つきはまるで化物でも見るかのようなもので、先程まであった情欲も怒りもそこには残っていない。これじゃ襲ってくることは見込めない。


 サイレントが呆れたように言う。


「主、いくらなんでも棒読みすぎるぞ」


 僕に演技を求めるな。ストーリーなんてどうでもいい。数度のタップで襲ってこいや。

 シャロの身体を弄りながら男たちを挑発する。その瞬間、僕の目には目の前の男たちがただのNPCにしか見えていなかった


「襲ってこいよ。かかってこい。自分の我を通すために、命を賭してかかってこい。そうじゃなきゃクエストにならない」


「ひっ……」


 身をかがめ、シャロの首元に顔を近づける。その首筋に唇を這わせ、血を吸うかのように強く口づけをする。

 クエストだ。僕がやりたいのはクエストなのだ。石を、ドロップを、僕にくれ。


「ッ……あ……うぅ……」


 シャロがどこか艶めかしいうめき声をあげる。そのままの状態で十秒程待ったが、襲ってくる様子はない。

 仕方なく顔を上げる。シャロの肌にははっきりと印が残されていた。


 これ以上の挑発は心優しい僕には無理だ。肌に這わせていた手を抜き、離す。

 シャロが短い呼吸を何度も何度も繰り返していた。熱で浮かされたような眼差しはシャロに欠片も興味がない僕でも惹かれてしまいかねないくらいに色っぽい。


 シャロの肩に手を乗せ、僕は今も変わらず何も言わずにこちらを見ている男達を確認して、ため息をついた。

 彼女を弟子にしようとしていた男は何もここにいる連中だけじゃあない。無駄に時間を使うのはやめたほうがいいだろう。


「シャロ、次だ。こいつらは歯向かってこないらしい。次の奴らの所に行こう」

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