第十八話:襲撃とお返し

 【王都トニトルス】の外周部。


 都市全体をぐるっと大きく囲む壁の上で、外の様子を見張っていた警備兵は大きく欠伸をしていた。


 王都近辺にそこまで強力な魔物は存在せず、戦時ではないので他国からの襲撃を警戒する必要もない。

 ここ十数年、有事があったことなどないのだ。


 外の見張りは面倒ではあったが、楽な仕事の一つだ。何人も巡回している警備兵の目はどこかぼんやりと眠たげだった。


 地上ならば侵入者を警戒する必要があるが、外壁は登れるような高さではない。警戒しなければならないのは空を飛ぶ魔物くらいだ。


 空には雲ひとつなく、七つの月が並んでいる。それをぼんやりと眺めていた兵の一人が、ふとぼんやりと眺めていた地平線の向こうに大きな影を発見した。


 一瞬見間違いかと思ったが、目を擦り身を乗り出すようにして凝視する。


 まだ距離はあるが、目視できるくらい巨大な影だ。

 他の兵たちも気づいたのか、にわかに周りが騒がしくなる。


「なんだ、あれは??」


「飛行船か?」


 今まで数え切れないくらいに見張りをしているが見たことがない。

 王都には定期的に飛行船がくるが、夜中に飛んでくる船はないし、飛行船は夜間の飛行時には灯りを灯す義務がある。


 魔物の可能性は……? だが、王都近辺にそこまで大きな魔物は存在しないはずだ。


 警備兵の一人が慌てて報告のために下がる。兵の一人が双眼鏡を持ってくる。

 かなりの速度で近づいているのか、影はみるみるうちに大きくなってきた。


 双眼鏡を覗いていた兵が、その物体を詳細に捉え、愕然とした声をあげた。


「……生き物だ――翼が見える――鳥じゃない。……竜、か?」


「!?」


 篝火が炊かれる。報告を聞いた都市の防衛隊が外壁の上に到着する。


 王都のシンボルは竜だ。だが周囲に竜が生息する山脈などは存在しないし、ここしばらく竜が接近したという情報もない。

 竜と一口に行っても種類により大きさも力も様々だ。だが、もしもその近づいてくる影が竜だとしたのならば、大きさからしてかなり上のランクだと予想される。


 上位竜は人にとって災厄そのものだ。幼いころからアビス・ドラゴンの話を聞かされ育った王国の人間にとっては竜は守護神であると同時に恐怖の象徴でもあった。


 【王都トニトルス】を囲む外壁は高く頑丈だが、遥か空からの襲撃者に対しては無力だ。

 竜の力はほぼその大きさに比例する。飛行船よりもずっと巨大な影に弓矢などが通じるとは思えない。


 それでも防御の準備がされる。弓兵が並び、砲の用意がされる。影の近づくスピードからして、逃げるという選択肢はない。

 皆が皆、息を飲み体勢を整える中で、双眼鏡を覗いていた兵の一人が言った。


「いや……よく見ろ! 『竜』じゃない!」


 翼はある。数キロ離れているにも拘らず目視出来るほどの巨大な身体を持っている。

 色は黒で、月が出ているとはいえ、闇の中酷くその形を捉えづらい。


 双眼鏡の中。目を細め、兵士が必死にその物体を把握する。


 近づくに連れ、その形が月灯りの下、詳らかになる。

 明らかに竜とは違う。竜は四足歩行だ、四肢の形が違う。竜は人間のような頭をしていない。


 双眼鏡から目を離す。その兵の表情に、仲間がぎょっとした。

 目を見開き青ざめた表情。屈強な身体はぶるぶると震え、まるで地獄の底でも覗いたかのようなその様子に、仲間の兵の一人がその肩を掴み揺さぶる。


 激しく揺すられ、ようやくその兵は震える声を上げた。


「竜じゃ、ない……あれは――『悪魔デーモン』だ」




§




 この世界の人間は脆弱だ。


 ウォールがこの世界に来たのは一年も前の事。そして、ここ一年でその事実を強く実感していた。


 ゲーム――アビス・コーリングをプレイした時には疑問に抱くことすらなかった。

 だが、実際にこうして現実に動いているのを見るとどうしても考えずにはいられない。


 ウォールは元アビス・コーリングのプレイヤーだ。その中でも最古参のプレイヤーにあたる。

 課金額も、数千万ダウンロードを突破したアビス・コーリングのプレイヤーの中でも上位になるだろう。

 積み重ねてきた時間と経験が違う。ゲームが現実と化し変わった点もあるが――鍛え育てた自らの眷属をもってすればその程度の差は容易くねじ伏せられた。



『もっとも破壊能力の高い召喚士』



 かつてゲーム時代にはエレナ・アイオライトの眷属、膨大なHPと耐久、極悪極まりない状態異常を振りまき害悪と呼ばれた、『深青ディープ・ブルー』すら圧殺したウォールの力を持ってすれば、この世界で勝てない存在などない。


 名有りのNPCといっても、所詮は負けることを運営から運命づけられた存在だ。プレイヤーの一つの壁として設定された存在だ。


 もしも、アビス・コーリングをやりこんでいた自分に匹敵しうる存在があるとするのならばそれは――自らと同じゲーム時代のプレイヤーに他ならない。


 眷属に命令し、地上に降下させる。

 ゲームプレイ時よりも遥かに命令の忠実に、そびえるような巨大な体躯と金属質の肉体、巨大な漆黒の翼を持つ『悪魔元帥デモンズロード彫像ガーゴイル』が地上に着地した。


 ただそれだけの動作で土埃が巻き上がり、風が吹いた。ガーゴイルがうやうやしく手を差し出し、ウォールを手の平に乗せる。

 悪魔を思わせる凶相に表情は動かんでいないが、その所作だけでその眷属がウォールに忠誠を誓っていることが窺い知れた。


 元々は『飛行』のために保持していたユニットだった。

 ガーゴイルは飛行能力を持つ半面、どの能力も中途半端だ。そもそも飛行ユニットは特性枠を一つ使ってしまうので戦闘には向かない。育成したのはただの戯れに過ぎない。


 だが、周りを取り囲む兵士たちにとって、その高位のガーゴイルは警戒に値する存在だったらしい。

 取り囲んだ数十人の兵士をぐるりと見回し、ウォールは小さく震えるため息をついた。


「随分な……出迎えだ」


「人……間……? 何者だ」


「刺激しないように……遠くに下りたのに……」


 フードを深くかぶり、ぼそりとつぶやく。ガーゴイルがまるでウォールを守るかのようにその手を地面につく。


 王都まではまだ数百メートルの距離があった。闇夜の中。聳える外壁の上には灯りが炊かれている。


 今回のウォールの目的は王都の破壊ではない。そんな命令は受けていない。


 相対する兵たちの表情は険しい。槍を構え、もしも何か不審な動きをすればすぐに攻撃を仕掛けてくる気配があった。

 ガーゴイルは戦闘向けの眷属ではないが、レベルが違う。戦って勝てない事はないが、件のプレイヤーと出会う前に国を刺激するのは避けたかった。


 目的を達成出来なければあの短気な魔導師が何を考えるかわからない。


 不便なものだ。近づくだけで警戒されるなんて、もしもゲームだったらクレームが来ている。


「ただの、召喚士コーラーだ。人に、会うために、来た。争う、意志はない」


 ウォールは顔を上げると、途切れ途切れの声で言った。






§





 最近ブロガーさんが優しい。


 青葉にとってブロガーとは優しいところもあるが基本的に冷たい人間だった。肉体的にはともかく、精神的には常に一定の距離があるように見えていた。


 少なくとも、青葉がちょっとだけ故郷が恋しくなっていることに気づくような人間ではなかった。気を使うような人間ではなかった。


 だから、突然気遣われその事を指摘された時には驚いたし、嬉しかった。


 七篠青葉は単純な人間だ。

 褒められれば嬉しい叱られれば悲しい。元の世界に残してきた家族や友人の事を思い出すと寂しくなるし、気になっている相手から気を遣われたらどうしようもなく嬉しくて、心臓がどきどきしてくる。


 それが予想外だったら尚更だ。


 手を握られ、ダンジョンを歩いた時の事を改めて思い出すと、赤面する思いだった。その時にはなんともなかったというのに。


 そして、自分の身体を明らかに狙っている相手にそういう反応をしてしまう事実が、青葉を更に悩ませるのだ。


 今まであまり男性に関わることがなかったからこそ、どうしていいのかわからなかった。


 生きていることを確かめる。そんな名目で抱きしめられた時、青葉は言葉でしか抵抗できなかった。

 ぞくぞくと得体の知れない快感が背筋を上り、身体が熱くなって……そして、次はもしかしたら――そんな些細な抵抗すら出来ないかもしれない。


 自分の押しの弱さに愕然とする。もっとちゃんとした人間だと思っていた。だがもしかしたら、そんなことないのかもしれない。


 少し想像するだけでいてもたってもいられなくなり、青葉はベッドで枕を抱きしめ、ごろごろ転がった。熱い息を漏らし、か細い声を上げる。




「ああああ、どうしよう。まだ早いです、ブロガーさん。嫌じゃ……ないんです。でも、そういうのは――もうちょっと、覚悟とか、時間が経ってから――」




「……何してるの、青葉ちゃん」


「!? …………な、なんでも、ないの」


 不意に側から聞こえてきた感情の篭もらない声に、青葉は慌てて起き上がった。

 いつの間に入ってきたのか。シャロリアがじとっとした目で青葉を見下ろしている。


 同室に宿泊しているのでいつ入ってきてもおかしくはないのだが、ベッドでごろごろおしていた青葉には全く気づかなかった。

 ベッドの上で膝を抱え主の醜態を見ていたアイちゃんが肩を竦めてみせる。


 赤面し身を縮める青葉に、シャロリアが小さくため息をついて、にっこりと笑いかけた。

 その笑顔に何故か圧力を感じ、ベッドの上で一歩後退る。


「そう言えば青葉ちゃん。覚えてる? 私が師匠の内弟子になりたいって言った時のこと」


「……え? ……うん」


 いきなり何を言い出すのか。きょとんとする青葉に、シャロリアがにこにこしたまま穏やかな声で続けた。


「青葉ちゃん、私が同じ部屋に泊まろうとした時、そんなのダメって言ったよね?」


「……だってそれは……いくら師弟でも、男女が同じ部屋に泊まるなんて――」


 考えられない。それが友達の話ならば止めて当然だ。


 そう言おうとした青葉の肩を、シャロリアが掴んだ。いつも通り可愛らしい容貌からにじみ出る強い感情に青葉が頬を引きつらせる。


「今度は私が、助けてあげるから」


 ……え?


 疑問の声をあげる前に、肩が強く強く揺さぶられる。シャロリアが悲痛な声をあげる。


「ダメだから! 青葉ちゃんが師匠と一緒に、泊まるのも、ダメだから! 私が、絶対に、止めるから! 青葉ちゃんが、もしもふらーっとついていきそうになったら、止めるから!」


「ッ!? だだ、大丈夫、だからッ! 行かないもんッ!」


 揺さぶられながらも否定する青葉に、シャロリアがぎゅっと抱きしめ、涙混じりの声で叫んだ。


「もう今呼ばれたふらふら行きそうだもんッ! 絶対、邪魔してやるッ! 止めてやるんだからぁ! 青葉ちゃんのバカぁ!」

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