第十七話:考察と力

「今日は、ありがとうございました」


 帝都に戻った時には既に日が暮れていた。


 宿に戻り、部屋の前でナナシノがはにかんだように笑う。ようやく落ち着いたのか、目はまだ少し充血していたが口調や表情は穏やかだ。表情には少し疲労が残っているが、それはやむを得ないだろう。


 ナナシノが足元のアイちゃんにちらりと視線を投げかけ、ペコリと頭を下げる。


「色々あったけど……気遣ってもらって……ちょっと嬉しかったです」


「ななしぃはちょろいなぁ」


「ちょ、ちょろくなんてないですーっ! もぉっ!」


 即座に入ったサイレントの言葉に、慌てたようにナナシノが返す。


 だが僕もサイレントの意見に同意である。

 シャロとはまた少し違った意味でちょろい。NPCと同格のチョロさの人間がいるとは、驚きである。


「少しでも元気が出たなら何よりだよ」


「ななしぃは主とちがってせんさいだからなぁ」


 僕は口がすぎるサイレントを頭の上から剥ぎ取り、手の中でくしゃくしゃに丸めてぽいとゴミ箱の方に放り投げた。

 サイレントが短い悲鳴をあげ、ゴミ箱の中にすぽんと入る。

 最近君、調子にのりすぎ。


 もう既に僕のサイレント使いに慣れたのか、ナナシノがそれを見てくすくす笑っている。

 今すぐにでも押し倒したい気分だが僕も思うところがあるので我慢しておくことにした。


 ところでサイレントの言っていたホームシックは本当だったのだろうか。


「少しは寂しくなくなった?」


 探りを入れるために投げかけた言葉に、ナナシノが少し目を見開いた。しばらくじっと目と目をあわせていたが、口端を少しだけ持ち上げ、どこか寂しげな笑みを浮かべる。


「…………はい。少しだけ」


 なるほど、サイレントの言っていた言葉は本当だったらしい。


 さて、どうしたものか。


 僕には残念ながらナナシノの気持ちがわからないので、慰める方法もわからない。

 良かれ悪かれ、僕はたった一人――孤独で生きても平気な人間だ。


 僕は既に帰還の方法に目処をつけている。


 僕はナナシノが大好きだが、だからこそ――もしナナシノが帰還を望んでいてその方法があるのならば教えてあげてもいい。僕は帰りたくないが、それとナナシノが帰りたいのとは別の話なのだ。




 ――問題は、僕が目処をつけた方法が恐らくナナシノには適用できない点だった。



 そして、それを解消するには僕とナナシノの差を割り出し、あるかどうかもわからないその理由を明確にする必要がある。


 途方もない話だ。僕はただのゲーマーであって研究者ではない。


 僕の表情から何を感じ取ったのか、ナナシノが慌てたように手を振った。


「い、いや、大丈夫。寂しくないです。シャロもアイちゃんも、それにブロガーさんだって、いますし……友だちも、いっぱい出来ましたし」


「……」


「でも、少しだけ、時間があったら……家族とかに、心配かけてるだろうな、って思っちゃって――」


 ナナシノの目には涙こそなかったが、その声は僅かに沈んでいた。

 さすがの僕にだってそれが空元気だということはわかる。


 格好いいことを言ってグーンと好感度を上げたいところだが、無責任な確約はできない。


 後ろでハラハラした様子で僕達を見守っていたシャロが小さく拳を握りしめ声をあげる。


「きっと……手段、ある、はずです。事情は……あまり知らないけど、だって、これたんだから――」


「……うん」


 無責任な言葉に、ナナシノが小さく頷く。

 今のナナシノに必要なのは理屈ではなくただの友人からの慰めなのかもしれない。


 なるほど、来られたのだから帰られる。単純だが一理あるかもしれない。あるだけで詳しいことはてんでわからないが。


 別世界から人を引っ張ってくる。

 科学技術などではとても考えられない事象だ(少なくとも僕の知識の中にはない)。


 魔法かそれとも神様の仕業か。何にせよ、僕の理解の外にある。


 この世界に神はいない。


 いや、正確に言うのならば、神様はいる。ただ――召喚ガチャから出てくるだけで。


 呼び出すのには天文学的な確率を呼び寄せる最強の幸運か、あるいは人生を買ってお釣りがくるくらいの課金額と、条件を揃えるためのとてつもない時間が必要だ。

 恐らく課金という手段が使えない今の状態では例え何十年使っても会えないだろう。


 既に神様を持っているエレナに頼むのも手だが、エレナの眷属は神は神でも邪神である。

 見た目が蛸な神様にそんな力があるとは思えない。凄まじく強いが、ただの眷属だ。エレナは本当にろくでもねえな。


「と、ともかくっ! 私、もう大丈夫なので! 今日は……ありがとうございました。迷惑かけちゃうと思うけど……これからも……よろしくお願いします」


 一度こほんと咳払いし、ナナシノが笑顔で言う。

 心中はどうあれ、そういうのならば蒸し返すこともないだろう。


「ああ。おやすみ」


「はい……おやすみなさい……」




§




 僕がこの世界に来て得た力は少しずつ強くなっている。


 それになんとなく感づいたのは数ヶ月前――食事が不要になった時のことだ。


 初日は空腹を感じていた。数日は食事を取っていたが、すぐに取らなくなった。


 ゲールとの戦いの後、僕は筋肉痛で倒れた。

 今はもう、そんなことはない。慣れもあるが多分それだけではないだろう。


 最初はレベルと名前が見えているだけだった。

 アイテムボックスも、マップも、使えるようになったのは途中からだ。


 気づいていなかったのではない。便利になるのはいいことだったのであまり気にしていなかったが、恐らく――僕の力は増えている。


 疲労のない身体。不死身の肉体。アイテムボックスにマップ。食事排泄不要。

 もちろん、全てがゲームの仕様の通りになっているわけではないが、ナナシノとは明確に違う点だ。


 ならば何故違うのか。そこにあるのは才能と呼ぶにはあまりにも大きすぎる差だ。

 レベルが見えたりHPバーが見えたりを才能の一言で片付けるのはあまりにも暴論だろう。(まぁ、全盛期、僕はゲームのやり過ぎで現実の人間の頭にバーやレベルが見えていたがそれは今回の話とは違う)


 椅子にこしかけ、そんなことを考えていると、ゴミ箱から頭だけだしたサイレントが口を挟んできた。


「あるじさぁ……ななしぃにのめりこみすぎじゃない? おんなにかまけすぎて身上つぶすぞ」


「いいことじゃん?」


 即座に返した僕に、サイレントはしばらく考え込み、呆れたように言った。


「……まぁ、よく考えたらいまよりはましかもしれないなぁ」


「本当に失礼だな、君は」


「えぇ……」


 ベッドの上ではひつじさまに埋もれるようにフラーが眠っている。

 どうやら今日の行軍で少し疲れたらしい。主の僕が疲れていないのに眷属のフラーが疲れているというのもおかしな話だが、その姿を見ているとここがアビコルの世界なんだということが改めて実感できる。


 ゴミ箱から這い出したサイレントが、ゴミ箱の縁の上からぴょんと飛び上がり僕の頭の上に着地する。

 そのまま定位置に座り込み、僕の前髪をつんつん叩いた。


「あるじ、あんしんしていいぞ」


「なにが?」


「ななしぃやしゃろりんがあるじをみすてても、われはみすてないからな」


「……そんな素振りあったっけ?」


 とんでもないことをいう眷属である。

 確かにシャロには何もしてあげてないので見捨てられてもやむを得ないが、ナナシノにはちゃんと対応している。


 確かにサイレントには僕が気づかなかったナナシノに異変に気づいたという功績があるが、適当なことを言ってもらっては困る。


 僕の問いに、サイレントがのんびりという。


「いや、ないけど……ななしぃやしゃろりんはあるじとはまた別のたいぷだからさ」


「ナナシノを好き放題穢すっていう目標を達成するまでは頑張るよ」


 ナナシノやシャロが僕とタイプの違う人間であるというのは理解している。だからこそ僕はこんなにも惹かれるのだろう。

 僕は顔でも性格でもなくその善性を好いているのだ。恐らくそれこそが、僕が永遠に得られないものであるが故に。


「……あるじみたいなだーくさいどにいるにんげんに合うのはノルノルや我くらいだな」


「こっちからお断りだよ。僕にだって選ぶ権利くらいある」


「くふっ……たぶん、ノルノルもおなじこと言うぞ」


 だがノルマは今頃、檻の中だ。出てくることは二度とないんじゃないかなあ。


 日記を開き、今日の事を記す。


 【トニトルス幻想王国】で出てきた魔物。種類。数。得られた素材。それによって上がったアイちゃんのレベルに――そこでアイちゃんのHPが全損したこと。ナナシノがホームシックにかかっていること。それに関する所感に、ところでアイちゃんって名前はどこまでが名前なのだろうか? そんなくだらない疑問まで、事細かく書き記す。


 この世界に来てから書き始めた日記帳も既に六冊目だ。元の世界にいた頃は全てパソコンで書いていたが、すっかり手書きにも慣れてしまった。


 しばらく黙っていたサイレントがふと思いついたように聞いてくる。


「あるじさぁ。ちょっとおもったんだけど、もしも、もといた所に戻るとしたら――われもつれていってくれるのか?」


「こられるかどうかは別として、ついてくるのは自由だよ。だけど、サイレントにとっては退屈な場所かもしれないな」


 僕にとってもあまり楽しい場所ではなかった。

 良かった点は通販で全部賄えるので外に出る必要がなかったことと、ネットが使えたことくらいだろうか。アビコルをプレイしていた頃はまた別だったのだが――快適ではあったが面白くはない。


「ずっと【黒冥界】にいるよりはたのしいとおもうなぁ。ずっと長いこといるからあきるぞ」


「僕はむしろそっちに行ってみたいけどね」


 冥種の召喚元である【黒冥界】。

 ゲーム時代は設定のみで、その世界そのものには行けなかった。もしもこの世界でそれが可能ならば、それほど好奇心を刺激するものはない。


 サイレントがリラックスしたような声で言う。


「あるじはいちおうまだ人間だからなぁ……【黒冥界】の空気には耐えられないきがする。われの下僕もしょうかいしたいけど、ままならないなぁ」


「まぁ、人生なんてそんなもんだよ」

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