第十二話:師匠

「あの……師匠。地図をちゃんと見た方が――」


「大丈夫だよ。マップがあるから」


 迷いのない足取りで、巫女から貰った黒いローブを纏った師匠が暗く打ち捨てられた旧地下牢を進んでいく。


 シャロリア達はギルドで受けた依頼をこなすため、王都近郊に打ち捨てられた設備――【トニトルス旧監獄】を探索していた。


 王都トニトルスの外に、かつて重犯罪者を収容するための刑務所として作られたそこは今では管理する者もなく、魔物の格好の住処となっていた。


 規模が大きく周りを塀で囲まれ、雨風を防げることもあって知恵を持つゴブリンやオークなどの魔物の住処となっており、あまり数が多くならないように定期的に間引きの依頼が出る。

 今回シャロリア達の受けた依頼もその類のものだ。


 受けたのはシャロリアと青葉とブロガーの三人だが、眷属も出しているのでかなりの大所帯だ。


 師匠のブロガーが出しているのはサイレント、フラー、ひつじさま。

 一番強いサイレントが先頭で警戒し、ぬいぐるみのようなひつじさまに跨ったフラーがその後ろを散歩するように続く。


 青葉はアイちゃんを後ろの警戒に使い、枠を増やして出せるようになったサボテンドラゴンのサボちゃんを頭の上に乗せている。


 そして、シャロリアの側では新たに手に入れた眷属――レプラコーン(男)のコインがニヤニヤしながらあちこちを嗅ぎ回っていた。


 出現する亜人系の魔物とあまり変わらない醜悪な姿だが、もうその姿にも慣れ始めている。


 何よりもその能力は強力だ。袋から財宝を取り出す能力など聞いたことがないが、実際に目で見てしまえば信じざるを得ない。

 そして、その眷属が、戦闘であまり役に立っていなかったクロロンよりも師匠の役に立っているのは明白だった。一人で依頼を受けるならばまだしも、戦闘要員が間に合っている現状では出さない理由はない。


 シャロリアはずっと一緒だったクロロンの方が好きなのだが、文句を言うなど考えられない。


 新たに訪れたダンジョンでも、ブロガーに敵はいなかった。

 現れるゴブリンやオークはもちろん、突然壁を崩して襲い掛かってきた大鬼オーガも、サイレントの触手の前に為すすべもなく崩れ去った。


 サイレントの伸縮自在の身体は脅威だ。速度も攻撃能力も申し分なく、レベルが上がった青葉のアイちゃんの出番もほとんどない。


 だが、その足取りは弟子のシャロリアをひやひやさせた。あまりにも警戒する様子がないのだ。


 亜人種の魔物は武器を使う。場合によっては影から矢が飛んで来ることもあるし、トラップが仕掛けられていることもある。前後左右をサイレントが警戒していてもそれを抜けて攻撃が飛んでくる可能性は十分ある。


 師匠の歩く速度はシャロリアの培った召喚士の常識とはかけ離れたものだ。

 まるで恐れる気配のないその姿は凄いを通り越して異常にすら見えた。もしもこれが初めてだったら、そしてブロガーの力を知っていなかったら、声を張り上げてでも制止していただろう。


「あの……師匠、暗いので灯りを……」


「いらないよ。『暗闇』で影響を受けるのは眷属だけだから。それにこのダンジョン、暗闇なんてないし」


「え……でも、暗い……」


 今度は、何があるのかわからない薄暗い地下への階段をどんどん下りていくブロガー。

 ほとんど足元さえ見えない暗さだが、一切スピードは緩むことはない。


 青葉が躊躇いなく暗闇に消えるブロガーを見て慌ててバッグから灯りの準備をする。それを見て、シャロリアは密かに、おかしいと思っているのが自分だけじゃなかったことにほっとして、それに習った。


 階段を降りる。地上も荒廃していたが、地下はほとんど廃墟だった。


 錆びて半分折れた格子や開け放たれた扉、かびた臭いと時折反響する奇妙な物音。

 灯りは持っているが、それが照らす範囲はあまりに狭い。


 幽霊が現れそうな風景にしかし、ブロガーの足は止まる気配がなかった。


 それに追いすがるようについていき、背中に声をかける。青葉も不気味な雰囲気に萎縮気味だ。


「あの……師匠。もう依頼された討伐数は達しましたが……」


 依頼されたのはオークとゴブリンの討伐だ。

 主に太陽の下に棲息する魔物であり、地下に降りるまでもなく何度も交戦し、必要な分の討伐証明は既に手に入っている。


 亜人系は売れる素材がほとんどない魔物だ。持っている武器も基本的にぼろぼろで、鋳潰すくらいしか使い道もなく、二束三文にしかならない。


 師匠に言うのも烏滸がましい基本知識だが、シャロリアから見てその師匠は度々常識を知らないところがあった。

 恐る恐る出した言葉に、師匠は振り返ることなく答える。


「まだマップ全部埋めてないし、ダンジョン制覇報酬もらってないから奥まで行くよ」


「せいはほうしゅう? まっぷ?」


 シャロリアも召喚士になってもう数年だ。

 基本的な知識くらいは持っているつもりだが、師匠の言う言葉には度々理解できない物が混じる。


 そして、そんなことがある度に、詳しく確認していいものか迷うのだ。


 弟子になったのは半ば勢いだった。

 なんとか受け入れてもらったのは幸運だったが、今でもたまにブロガーがシャロリアを弟子だと認識しているのか不安に思うとこがある。


 それなりに慣れたと思うが、それはシャロリアが慣れただけであって、師からの対応は一貫して変わっていない。そしてそれは、シャロリアが思っていた師弟関係とはかなり違う。


 シャロリアが考えていた師弟関係は今のようにドライなものではなかった。


 手取り足取りとまではいかなくとも、召喚士についての知識を教えてもらって、悩みがあったら相談をしてもらって、その代わりに身の回りのことを請け負って、一緒に依頼を受けたりして――少しずつ師匠のような召喚士を目指す。友人よりも少しだけ家族に近い関係だと思っていた。


 それが、師匠はシャロリアを弟子にしてからずっと、シャロリアのことを何故か側にいる変な奴みたいに思っている節がある。

 古都に置いて行かれた時は悪夢でも見ている気分だった。確かにシャロリアは何も出来ていないが、そこまで適当に扱われると少しだけ悲しい。


 有用な眷属を呼び出せたので、フィールド探索の度に呼ばれるようになったのは進歩と言えるだろうか。


 成長を見せれば、師匠からの見る目も変わるのではないかと思っているが、師匠の見せる行動はあまりにも常識から外れていて学べる気がしないし、追いつける気もしない。


 隣を歩いていた青葉が、小さいを声をあげ、心細げにあちこちを見回す。


「お化けとか……でそうですね……」


「手繋いであげようか?」


「……それはいいです。……シャロと、繋ぐので」


 青葉がシャロリアの手を取って握ってくる。


 巻き込まないでほしいな、とシャロリアは湧き上がりかけるもやもやした感情を抑えて思った。


 迷惑なのだ。ブロガーが言い寄っている姿を見るのも嫌だし、それを拒否する青葉の様子を見るのも、思うところがある。もちろん口に出して刺激したりはしないが。


 シャロリアの目から見ると、青葉はもうほとんど陥落している。寝室で何か思い出したかのように身悶ている姿を見るのも慣れてしまった。今も師匠のことをちらちらと見ている。

 ほんの少しだけ押すことで完全に落ちるだろう。だから自分からそれを押したりはしない。そのくらいの抵抗は許されるだろう。


 師匠は女癖が悪いし、もしかしたら師匠が諦めるかもしれないし……。


 恋と友情は天秤にかけられない。つまるところ、シャロリアはどうしようもなく乙女なのである。


 暗闇を警戒しながらついていっていると、その時突然、前を行く件の師匠が立ち止まった。


「そろそろスタミナがやばいから休憩を入れよう」


「え……?」


 周囲は真っ暗で、お世辞にも休憩に適した場所だとは思えない。光源も青葉とシャロリアの持つ灯りのみである。

 それでも歩けないくらいに疲労していたり、負傷しているのならばまだ理解できるが、青葉もシャロリアも、そしてブロガーの足取りからも特に疲労は見えない。もちろん負傷もしていない。


 疑問の声をあげるシャロリアに、ブロガーがあっさり言った。


「いや、スタミナポイントに余裕を持たせておきたいからさ。歩くとエンカウントし易いし、やっぱり三体出すと消耗が激しいよね」


「我、じつはあるじのいうこと、たまにわからないんだよね」


 私もわからないです。


 サイレントの声に密かに同意しながら、シャロリアはポーチからノートを取り出し、忘れないうちにその言葉をメモすることにした。

 師匠から言われたことを纏めたノートだ。有用かどうかはわからないが、召喚士に関係のありそうな言葉は全部纏めていて、たまに見返していた。


 ノートを開くシャロリアに、ブロガーがポケットからぼろぼろになった剣を取り出し、シャロの方に放ってくる。

 明らかにポケットに入らないサイズだ。最初に見せられた時は脳が理解を拒否したが、今はただ受け入れていた。きっとなんか凄い魔法なのだろう。師匠は凄い。さすが師匠です。師匠!


「レプラに食べさせるといいよ。亜人系列の素材で進化するはずだから」


「え……? あ……ありがとうございますッ!」


 聞いたことがない話だし、そもそも亜人系列って何だかわからないが、ボロボロの剣を自分の眷属に渡す。


 コインは受け取ったぼろぼろの剣をさも当然のように齧り始めた。シャロリアと青葉が目を丸くするその前で、みるみる内に一本の剣がなくなる。

 続いて差し出された剣を同じように食べ始める。とても美味しそうだ。


 お腹壊さないんだろうか。そんなこと考えている間に、いつの間にかその近くにボロボロの武器が山と積まれていた。


「死んだら大損だから少しでもHPは上げといた方がいいよ」


「あるじはいろいろなことしってるなぁ。どこでしったんだ?」


「まぁ、僕にも色々あるんだよ」


 進化の方法。召喚枠についての知識。卵を孵化させる方法。

 今まで聞いた分三つの知識は召喚士の常識を塗り替えるものだった。ただ秘匿されているだけかもしれないが、もしそれが広まれば召喚士の地位は大きく向上するだろう。


 情報量だけで一生遊んで暮らせるだけのお金が手に入るだろう、そういう類の情報だ。


 その時、ふとシャロリアの中に一つの疑問が浮かんだ。

 シャロリアはブロガーのことをほとんど知らない。古都に現れ、瞬く間に名を挙げた有望な召喚士。知っているのはそれだけだ。


 ブロガーは何を考えているのかわからない目でコインを見下ろしている。


 少し迷った。何か事情があるのは間違いない。弟子であるシャロリアが聞いていいことではないかもしれない。だが。勇気を出して、シャロリアは尋ねた。


「……そう言えば、師匠って……どこから来たんですか? 前、青葉ちゃんと同郷だって……言ってましたけど」


「え?」


 青葉が顔を上げ、ブロガーを見る。


 シャロリアの目には青葉とブロガーは違う人間に見える。

 青葉はあらゆる意味でシャロリア達と同じだ。ポケットから大量の剣を取り出したり暗闇を灯りなしで進んだりしないし、召喚士の知識もシャロリアの持っている物と違わない。


 考えてみれば不思議な話だ。古都は陸の孤島だ。訪れる手段は限られている。そして、ブロガーはギルドにやってきた時点でほぼ無一文だったのだ。

 ブロガーとナナシノがギルドに登録に来た時にシャロリアはその場にいなかったが、噂になっていたので知っていた。


 だが、同時にブロガーにはどこ出身でもおかしくないどこか外れた雰囲気がある。


 青葉が戸惑ったようにブロガーを見ている。

 ブロガーはシャロリアの問いに、気を悪くした風もなく平然と言った。


「足でも翼でも届かない遠いところだよ。…………多分、二度と帰れないんじゃないかな」

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