第二十話:状態異常と経験
アビス・コーリングにおける状態異常は『蓄積』によって発生するシステムになっている。
マスクデータではあるが、魔物や眷族はそれぞれ、各状態異常について耐えられる値が決まっており、その値を超えたその時に『確率』で状態異常が発生する。
同じ毒の状態異常を与えるスキルでも、スキルによって蓄積する値が異なる。当然、蓄積する値が高ければ高い程強いスキルであり、レア度の高い眷族が持っていた。
おっさんNPCが付与を試みた、『魔封じ』は、あらゆる魔術攻撃を一定時間使用不可にする、強力な状態異常だ。
特に魔術型の魔物に対して決まれば一気に戦局をひっくり返す代物だが、強力な魔術を行使する魔物であればあるほど高い耐性を持っていて、進化前の眷族が使うようなスキルでは簡単に起こせるような状態異常ではない。アビス・コーリングはとことん弱い眷族に厳しい世界なのだ。
レアモンスターであるエルダー・トレントはその状態異常に極めて高い耐性を持っており、それを超えるだけでも何百回もスキルを当てねばならないだろう。ほぼ効かないと言い換えてもいい。
「まぁ、効きづらい魔物もいるし。残念だったね」
かかる必要のない雑魚に限ってかかり易い状態異常でもあるので、勘違いしてしまうのも無理はない。
暗い表情で肩を落とすおっさんの肩を叩く。
アビコルの歴史はインフレの歴史である。エルダー・トレントは最初期から存在しているレアモンスターであり、強さ自体はレアモンスターの中では控えめな方だが、事前情報なしに簡単に勝てる相手ではない。
おっさんNPCが途方もない悔恨と無力感の入り混じった言葉を漏らす。
「クソッ……あの時、欲を出してパトリックの誘いを断らなければ……」
雑魚は雑魚らしく数集めて囲めや。
攻略情報を知っているプレイヤーだって何体も眷族を召喚して囲むってのに、自分らの戦力を減らすとか馬鹿じゃないだろうか。大体、魔術封じたとして君たち勝てたの?
「まー生きていれば次があるさ。ポジティブで行こう、ポジティブで」
「……ッ……あ、ああ」
他人事感全開で出した言葉に、NPCが戸惑ったように頷いた。
この世界の人間は眷族のロストを重く見すぎだ。楽しもうじゃないか、ゲームなんだから。
後ろにぞろぞろついてくるNPC達を気にしながら、ナナシノが漏らす。
「ブロガーさんも、人を慰めることなんてあるんですね……」
「え……? ギオルギも一応慰めたけど?」
罪を憎んで人を憎まずの精神である。僕が憎むのはアビコル運営であって、NPCに遺恨はない。エレナは死ね。
「『残念だったねー』って、もしかしてあれ、慰めだったのか。煽ってるんだと思ってたぞ……」
「……」
サイレントが狼の姿で道端をくんくんやりながら言う。
ごめん、冷静に考えたら九割九分煽ってたわ。アビコルって煽りが文化みたいなところあったからなぁ。
負けたら煽られるし勝ったら煽るのがコミュニケーション……礼儀、みたいな。悪気はないんだよ、本当に。
ずらずら伴って道を引き返していく。
今回はシャロと先行組、僕とナナシノで十三人の大所帯だったが、形状自在で敏捷が高いサイレントがいたので魔物は問題なかった。早足で戻ったこともあり、あっという間にパトリック達の戦闘跡地に辿り着く。
そこで一端立ち止まった。エルダー・トレントの逃げていった方に注意するが、森の中で聞こえるのは風の音くらいでしんとしている。
「パトリック達の方も一応見ていったほうがいいな……心配だし」
アイテム欲しいし。
先行組の状況から予想するに、パトリック達が誘い出されたとして、ここからそれほど離れてはいないはずだ。
僕の言葉に、ナナシノが一瞬ぽかんとして、すぐに慌てたように頷いた。
「……心……配……。そ、そうですね。心配です」
僕が心配するのがそんなにおかしいか? ああ?
「だが主、これだけの人数いると……あの範囲攻撃は脅威だぞ?」
「そ、そうだ。俺達は十メートル近く離れていたのに食らったんだぞ?」
サイレントの言葉に、青ざめた表情でNPCが追従する。
そういえば、リアルでは召喚士もダメージを食らうのか……? それともNPCだけか? ゲーム内ではクエストによってはNPCが傷ついている描写が出てきたが、プレイヤーが死傷するようなイベントはなかった。
ゲームの法則が強いならばプレイヤーは範囲攻撃に巻き込まれたりはしないはずだ。現実の法則が強いのならば僕達もダメージを受けてもおかしくはないが……。
ナナシノを見る。泥の撥ねたブーツに少しだけ色褪せた可愛らしい召喚士のローブ。僕の視線に気づき、ナナシノがギュッと拳を握る。
エルダー・トレントに負けて帰ってきた時、ナナシノに傷はなかった。それは偶然攻撃が当たらなかっただけなのかあるいは、プレイヤーだから受けなかったのか。
黙り込む僕に不安を感じたのか、慌てたようにおっさんが言う。
「い、いや、別に、あんたが助けに行きたいならば、止めるつもりはないんだ。俺達も助けられたわけで……だが、なぁ?」
顔を見合わせ、ざわつくNPC召喚士達。
別に僕は彼らの意見を聞いていないし、かといってシャロやナナシノの意見も聞いているわけでもない。
サイレントの意見も聞いてないし、フラーは論外だが――少し考えていただけだ。
僕の行動は僕が決める。ストーリークエストにはボスがいないと、ね。
「もちろん、僕は助けに行く。君らはまぁ、帰るなりついてくるなり、好きにすればいいんじゃないかな」
僕の言葉に、NPC達が不安げな表情をする。
そもそも、魔法を撃たせるつもりはない。エルダー・トレントの攻撃魔法をまともに食らったらレベル4のサイレントでは無視できないダメージを受けるだろう。ある程度の耐性はあるとはいえ、万が一スタンを食らったら
「そもそも、魔術型の魔物なんてサイレントの敵じゃない。そうだろ?」
「……主は、博識だな」
サイレントがぴくりと耳を動かし、尻尾を振って言った。
さぁ、かつて大量の悲劇を生み出したその力を見せてあげようじゃないか。
§ § §
強い。そして、狡猾だ。
パトリック・ディエロが
古都を拠点として、周辺にあるダンジョンやフィールドを探索してきたパトリックには様々な難敵との激戦をくぐり抜けてきた経験があった。
中には眷族がロストしかけた事だってあるし、先日のように命からがら逃げ出したことだって何度もある。だが、目の前で暴れる魔物は今までの経験から照らし合わせても一、二位を争う強敵だった。
広範囲を薙ぎ払う根による攻撃に、速度の早い真空刃による攻撃魔法。そして、自身を中心として広範囲にダメージを与える範囲魔法。幾度となくまともに攻撃を受けているにも関わらず鈍る気配のないその動き――耐久も驚異的だ。
もしも先日、一度敗退したことで警戒していなければとっくに負けていたかもしれない。
一度、エルダー・トレントが逃走しかけた時には勝利間近だと思ったが、それから短くない時間がたった今も、戦況は拮抗している。
「くそっ、こいつはいつになったら倒れるんだ!?」
焦ったように召喚士の一人が叫ぶ。エルダー・トレントの注意を引きつける役割を持った男だ。
眷族の体力とて無限ではない。牽制のため、エルダー・トレントの周囲を休まず飛び回るその蛙のような眷族は、当初と比べて明らかに動きが鈍っていた。
「近づくな。距離を保て。本体が攻撃を受ければ戦線が瓦解するぞ!」
「……チッ。わかってらあ!」
こちらに距離を詰めようとするエルダー・トレントの幹を巨大な火の玉が追撃し、押しとどめる。その隙に後ろに下がる。包囲網は広すぎても狭すぎてもよくない。
召喚士本体が攻撃を受ければ眷族の注意が散るし、本体が死ねばその眷族も強制的に元の世界に戻されてしまう。かといって距離を開きすぎれば戦況が見えない。
パトリックの立てた作戦は消耗戦だ。安全性を考え、付かず離れずの距離を取る。それぞれの眷族には役割を振り、傷を受けたら後詰めと交代する。大人数を集めたからこそ出来る作戦だ。もしも交渉決裂で先に行ってしまった先行組が混じっていたらもっと余裕があったが、無い物ねだりをするわけにはいかない。
先日受けた風による範囲魔法。記憶の奥に残ったその範囲から大幅に余裕を持って、パトリックは召喚士とエルダー・トレントの間に十メートルの距離をあける作戦を立てていた。
概ね、その作戦は成功している。中にはなかなか動かない戦況に痺れを切らし、やや円の内側に入ってしまっている者もいるが、それでも攻撃魔法は届いていない。
「リーダー、もう相当攻撃しているのに、こいつ、動きが鈍らない」
つらそうな表情で仲間が言う。召喚士の戦闘で戦うのは眷族だ。召喚士自体は指示を出すくらいで矢面に立つわけではないが、半身が命を掛けて戦っているのを見ているのは精神的に大きな負担になる。
エルダー・トレントーの身体に刻まれた僅かな傷を見て仲間を鼓舞する。
「諦めるな、傷は再生していない! こうして地道に攻撃を繰り返していけば絶対に勝てるはずだ!」
逃走も視野には入れていたが、今だ眷族は誰一人大怪我は負っていない。今は辛抱の時だ。
再びエルダー・トレントが大きく旋回する。範囲魔法の前兆だ。
回避の指示を出しながら、パトリックは強い意志を込めて敵を睨みつけた。
§
まずい。明らかにこちらの攻撃を意識した陣形を見て、森の主は考える。
短期決戦を想定していた。少なくとも、侵入してきた虫けら風情容易くケチらせると思っていた。現に、先程襲った小さな群れは容易く壊滅させることができた。
だが、この群れは違う。数が多いのもそうだが、驕りが見えない。
何よりも――魔術の攻撃範囲に入ってこない。
攻撃を仕掛けてくる眷族達は魔法の範囲内だが、その主はエルダー・トレントの切り札の攻撃範囲に入るかどうかギリギリの位置を絶えずキープしている。逃走を装い油断を誘ったが、その陣形には大きな歪みがない。
これでは一撃で全滅させる事ができない。そして、一撃で全滅させねばまた逃げられることになるだろう。
エルダー・トレントは決して自分が鈍足だとは思っていないが、森の獣と比べて一歩劣ることを理解していた。弱者の群れを襲い、たった一匹の木精しか潰せなかったことは、エルダー・トレントにとって酷く業腹だった。
だが、このままではまずい。それほど遠くない距離の大きな力がある。今目の前に存在する虫けらとは格が違う力の塊だ。
焦燥がその根を振り払い攻撃を仕掛けるが、守りを固めた眷族が前に出てそれを受け止める。防御を突き抜ける程の物理攻撃力はエルダー・トレントにはない。
大きな力が動く。大勢の小さな気配を先導するようにこちらに向かってくる。エルダー・トレントはそれを確認し、巨大な唸りをあげた。
音がエアー・ストリームによって倒れた木。その更に外に疎らに生えた樹木の葉の隙間を通り抜け、森全体に響き渡る。
片を付けねばならない。だが、多勢に無勢。
エルダー・トレントの声に、召喚士達が顔を強張らせる。森が大きくざわめいた。
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