第二十一話:正々堂々

「な、なんですか……これ?」


 ナナシノが戦慄くように身を震わせ、空を見上げる。

 ぞろぞろとついてきたNPC召喚士達もまるで烏合の衆のようにあちこちきょろきょろ見回している。


 森全体が不自然なまでにざわめいていた。風だけでこうはなるまい。コレは間違いない。

 立ち止まり、耳を澄ませて一度頷く。


SEサウンド・エフェクトかな」


「さうんど? えふぇくと?」


「BGMがないのが寂しいぜ」


 重課金者から搾り取った金で製作されたアビコルのBGMは無駄に質と種類に富み、評判であった。

 僕もサントラは百枚買った。もちろん目的はおまけだったのだが、今は何故か無性にそれが聞きたい。


 特定シチュエーションでのみ流れるSEもあり、プロはそれで状況を確認したりもできた。今回のこれもその類だ。

 異様な状況に、ナナシノが頬を強張らせ、そわそわと僕との距離を一歩縮める。シャロが不安げにぎゅっと光のオーブを抱きしめる。


 僕はその光景にのほほんとしながら応える。


「この音は……仲間でも呼んだかな?」


「仲……間……?」


 まぁレアモンスターに限ったことではないが、魔物の中には仲間を呼ぶ者がいる。何を呼ぶかはその魔物の種類にもよるが、レアモンスターならばその下位互換の種である事が多い。

 エルダー・トレントならばトレント系の魔物だろう。この森にもわんさかいるし。


 レアモンスター一匹に苦労してると大量に仲間を呼ばれるって感じである。初心者がよく引っかかる奴だ。運営の性格の悪さがにじみ出ている。


 初耳だったのか、おっさんNPCやその他NPCが目を見開きざわついている。シャロNPCの顔色も悪い。君ら仲間いっぱい引き連れて戦ってたんだから、相手も仲間くらい連れててもおかしくないだろう。エレナの眷族も仲間を呼んでくるくらいだから、しょうがない死ね。


「そ、それってまずいんじゃないですか!?」


「仲間を呼ばない事もあるんだけど……あはは、パトリックも運悪いね」


 ナナシノの言葉に笑って答える。

 どうやらあのNPCはナナシノと同じくらい運が悪いようだ。きっと日頃の行いが悪いせいなのだろう。

 

「……な、なんで、何笑ってるんですか?」


 むっとしたようにナナシノがやや声を低くする。他人の不幸は蜜の味と言うではないか。

 NPC達もあっけにとられたように僕を見ている。文句が来る前に、僕は迎合することにした。


「いや、ナナシノさぁ。つまりそれって、パトリック達がまだ壊滅してないってことだよ。エルダー・トレントも死体の前で仲間は呼ばないだろ?」


「……あ……」


 適当に出した僕のアドリブに、ナナシノがその形のよい目を大きく開いた。まぁ善戦しているかどうかは置いておいて、生きている可能性は高くなった。

 包囲した陣の外から襲い掛かってくる魔物たちにパトリック達が対抗出来るかは怪しいが、まぁ死にはしないんじゃないかな。この森のトレントって基本雑魚だし。


 結論が出たところで再び歩き出す僕を、ナナシノが止めてきた。心配そうな、今にも泣きそうな不安げな表情にドキリとする。


「ちょ、ちょっと待って下さい。ブロガーさん……エルダー・トレントだけでなく、その仲間もいるって――か、勝てるんですか?」


「負けるって言ったら助けに行かなくていいの?」


「そ……それは……その……」


 ナナシノからすればパトリックは顔見知りだ。割とパーティを組んでいるようだし、友人なのかもしれない。彼女の性格からして、僕とパトリック達を天秤にかけるのは難しいだろう。

 だが、まだ掛ける必要はない。それはまたの機会に取っておけ。


「大丈夫大丈夫。勝てる勝てる。トレントなんて雑魚だし、サイレントはそういうのに強いし」


 弱くて大量にいる者に強いのがサイレントなのだ。弱い者に強く強い者には手も足も出ないのがサイレントなのだ。

 別に褒めているわけではなかったのだが、サイレントが感嘆したように声をあげる。


「おおお? なんだなんだ? あるじがわたしをもちあげるなんて、まさかあすはやりでもふるか?」


 血の雨を降らせてやろうか?


 蹴っ飛ばそうかどうか真剣に迷ったその時、ふと爆発のような音が響き渡った。

 くぐもった音に森が震え、地面が微かに揺れる。唐突なそれに膝が砕けかけるが、なんとかぎりぎりで立て直す。


「な、なんだ……? この音は――」


 眷族を失い無力になったNPC達が挙動不審に森を見回している。NPCは言うことが全部同じだな。

 もっと建設的なことを言えや、NPCかよ。……ああ、NPCか。


 しかし、もしかしたらこれは、時間制限つきのクエストかもしれない。急いだほうがいい。


「近いね。サイレント、戦闘態勢。奴は斬撃が効き易い」


「承知した」


 サイレントの身体が膨れ上がり、獣の形から僕と同程度の大きさの剣士の形に形状を変化させる。ゲールと戦った時と同じ変化だ。

 攻撃には属性がある。サイレントの特性――『形状自在』に含まれる特性の内の一つ。『武器属性変更可』は、攻撃に付随する武器属性を任意で変更させる能力だ。鋭く研がれた漆黒の剣の先が宙でぴたりと止まる。


「……ブロガーさん、斬撃なら、私のアイちゃんも……」


「ナナシノは危ないから後ろに下がってなよ」


「え……」


 提案してくるナナシノを手で止める。


 まぁ別にいてくれても構わないが、ロストしたらまずいし、アビコルの戦闘は味方への攻撃も普通に当たる。勝手に動かれてサイレントの攻撃が当たってロストしたりしたら一生恨まれてしまう。何で僕が逆恨みされるリスクを犯さねばならないのだ。


 絶句するナナシノからサイレントに顔を向ける。


「サイレント、奇襲をかけよう」


「毎回毎回奇襲をかけているが、主には正々堂々の文字はないのか?」


「正々堂々奇襲をかけよう」


 勝てばいいのだ。ドロップ目当ての魔物に対して果たすべき義理など存在しない。



§ § §



 集まる。森の主の声に答え、その支配下で生きることを許された無数のトレント達が。

 エルダー・トレントは王だ。畏怖と尊敬を集める深き森の王。その一声に、無数の下位のトレント達が行動を開始した。


 樹木の生い茂る森にトレント達は無数に存在する。人間や他種に倒された者など一握りにすぎない。エルダー・トレントの一言に、今まで本物の樹に擬態していたトレント達が一斉に立ち上がり、わらわらと包囲陣の外から召喚士達に襲いかかる。


「な、なんだ!?」


 円の外から襲来した樹の魔物たちに、召喚士が短い悲鳴を上げる。


 円が歪む。下位のトレントはこの森に生息する魔物の中でも特に弱い種だが、眷族以外の攻撃手段を持たない脆い召喚士では危うい相手だ。

 エルダー・トレントにははっきりその眷族と本体の間に存在する力量差が見えていた。


 現れた大量のトレント種に、召喚士が慌てて円の内側に逃げる。眷族の一部がエルダー・トレントから離れ、主を守るために駆ける。


「半分はトレントの相手をしろッ! 前衛組はエルダーを押さえるんだ!」


 リーダーらしき金髪の男が叫んだ。

 その声に従い、速やかに眷族達が二つに別れる。


 エルダー・トレントの地力は眷族達よりも遥かに勝る。戦線が膠着していたのは敵が大量にいて、おまけに連携して対応されていたからだ。

 数の少なくなった眷族達に根を放つ。前衛がそれに必死に食らいついてくる。後衛による牽制が無くなった分、攻撃速度があがる。鞭のように不規則に動く尖った根を、盾を持っていた眷族が受け止め、食い下がるように踏ん張る。


 トレントは弱い。召喚士には無理でも、鍛えた人間ならば倒せるくらいに弱い。それなりの数、呼んだとは言え、それほど長くない時間で殲滅されるだろう。同じ結論を持っているのか、召喚士のリーダーの表情にもまだ少し余裕があった。


 だが、それでいい。エルダー・トレントが仲間を呼んだのは、仲間に召喚士達を倒させるためではない。


 陣形が崩れ、円が縮まっていた。まだ『風の流撃エアー・ストリーム』が届く範囲ではないが、もう一つの攻撃は十分に届く。


 根を引っ込め、大きく真上に上げる。頭頂から伸びた枝がミシミシ音を立てて伸びる。新たな挙動に召喚士達の表情があっけにとられる。が、外からの攻撃に対応している今、それに反応するには余裕がなさすぎた。


 そして、根を地面に叩きつけると同時にエルダー・トレントは術を行使した。

 根を伝い、力が地面に伝わる。力はエルダー・トレントを中心に広範囲に浸透すると、一気に真上を襲った。


 地面からのエネルギーに、眷族が、召喚士の身体が、大きく跳ねるように打ち上げられる。呼び出した仲間も当然巻き添えになるが、下位のトレント種など、エルダー・トレントにとって小さな枝葉の一部にも満たない存在でしかない。

 脆弱な人間共が悲鳴をあげる間もなく昏倒し、強靭な眷族も脳を揺らす衝撃にその意識が一瞬かき消える。

 距離を取れば取るほど威力が落ちる術だが一瞬でも隙ができれば十分だ。エルダー・トレントは大きくその身を揺らし、至近で隙だらけの姿を晒している眷族達に向けて、全力でエアー・ストリームを放った。


 倒れていた眷族がぼろ布のように吹き飛び、地面に叩きつけられる。防御態勢すら取れない状態で受けた攻撃に、その半分が光輝く宝玉に変化する。


 これで終わりだ。興奮したように、エルダー・トレントのざわめくような勝どきの声が森にあがる。

 まだ辛うじて生きている、しかし今だ意識を取り戻していない眷族に対して腕を向ける。優先度は見誤らない。眷族さえ殺してしまえば、その主は無力だ。


 囁くような小さな音で呪文を唱える。

 対象に風の刃を放ち切断する風属性の攻撃魔法、『真空の刃エアー・ブレイド』。範囲や射程はそこそこ。威力も決して高くはないが、流撃とは異なり、連続で行使できる使い勝手のいい術だ。歯向かってきた者を数え切れないくらいに屠ってきた力だ。


 勝利を確信したその時、ふとビリリと痺れるような違和感がその思考をよぎった。


 とっさにその根を動かし、一歩前に進む。背後を大きな力が通り過ぎのはそれとほぼ同時だった。

 エルダー・トレントに痛覚と呼ばれるものはない。だが、表皮に感じる鈍い衝撃に、慌てて後ろを振り向く。


 そこには、一体の人間がいた。剣の尖端をこちらに向けた、今しがた昏倒させた召喚士と同じくらいの人間だ。

 だが、その身体の色は違った。まるで影法師のような漆黒。強い不吉を感じさせるその姿に、今までトドメを刺そうと考えていた者たちの事を全て忘れる。


 影法師がこちらをじっと無機質な目で見つめ、言う。


「あるじ、はずした。奇襲がはずれてしまったぞ」


「トレント相手に奇襲を外すなんてサイレントは弱いなぁ」


 眷族だ。本能的に察したそれを証明するかのように、その後ろの藪から召喚士が出てきた。

 先程倒した召喚士達よりも弱い、冴えない男だ。灰色のローブに、上腕にしがみついた小さな樹の精。男の手にはその格好から不釣合いに豪華な短杖が握られているが、力そのものは考えるまでもない。

 だが、先程現れた召喚士達とは異なり、極至近に立っている。大地を揺らし対象の意識を刈り取る、地の流撃ショック・クエイクはもちろん、エアー・スクリームも確実に届く程の至近に。


 召喚士がエルダー・トレントを見つめる。漆黒の双眸は目の前の影法師よりもずっと深い。

 人間が恐怖も畏怖も感じさせない軽い声で言う。


「レアアイテムだ。全員倒れてる、ラッキーだぜこれは。これなら横殴りにならない。文句も出ない。ソシャゲーは対人関係が面倒臭いんだ。僕は……ゲームがしたいんだよ」


「奇襲は外したが、倒せばいいんだ。要は、確実に殺せばいい。そうだな、主?」


 その言葉に、エルダー・トレントは目の前の人間と眷族を敵と認定した。馬鹿にされていると判断した。

 腕を向ける。目の前の眷族からは先程戦った眷族共などとは比べ物にならない力を感じるが、自分を舐めた相手を目の前に、交戦すらせず撤退するなど森の主として許される行動ではない。


 眷族を倒せないならば、その主を狙えばいい。いや、攻撃範囲に入っているのだ。眷族もろとも吹き飛ばしてしまえばいい。


 エルダー・トレントが吠える。それとほぼ同時に、影法師が踏み込んできた。



§ § §



 アビス・コーリングは眷族の性能のインフレが激しい。まぁインフレは大抵のソシャゲにつきものなんだけど、特にアビス・コーリングは無駄にこまめなアップデートでユーザー達を翻弄してきた。

 昨日ゴミだった眷族が今日は必須級になるなんて、日常茶飯事だ。弱化はほとんどなかったので、インフレは際限なく高まっていった。


 その中でも『一単語の系譜ザ・ワード』実装時に起こったそれは、サービス終了して数年がたった今でも記憶に残っている元プレイヤーは多いと思う。共に懐かしむ相手がいないのが少しだけ寂しい。


 振り下ろしたサイレントの刃が『深き森の賢者 エルダー・トレント』の根を切り落とす。伸びてくる枝のような腕を斬撃が振り払い、一歩も僕の方に近づかせない。

 そのHPが見て分かるくらいにじわじわ削られていた。斬撃属性はエルダー・トレントの弱点だ。サイレントが高笑いを上げながらエルダー・トレントとの距離を詰め、その幹に縦横無尽に刃を叩きつける。

 エルダー・トレントは何もできずにその根を、枝を振るうことしかできない。


 サイレントは素人が見てもわかるくらいにエルダー・トレントを圧倒していた。まるで邪魔な枝葉を伐採するかのよに、伸びた刃がエルダー・トレントを削っていく。僕は肩にしがみついた甘えん坊のフラーを抱っこして、嘆くような、腕を振り上げ興奮した様子で動くエルダー・トレントを観察する。


「サイレント、ドロップは『賢樹の赤玉』でよろしく」


 僕の言葉に、サイレントが刃を繰り出しながら叫ぶ。


「ッ! 赤ッ!? 他にッ! 何色があるのだ?」


「青と緑と黒と白と黄色。ランダムドロップだ!」


「無理だぞッ!?」


 どれか一つは確実にドロップするはずだが、何色が落ちるかは完全にランダムである。物欲センサーがある分、十体二十体倒したのに欲しいのだけ落ちないなんてのもザラだ。所持アイテムによってドロップ率が変動するとかいう噂もあった、死ね。


 右方から袈裟懸けに振り下ろされた刃が、エルダー・トレントの右腕を切断する。既にエルダー・トレントのHPはサイレントとの戦闘を開始して三割削れていた。

 パトリック達が頑張っていた分初めから少し減っていたので、エルダー・トレントのHPはもう半分くらいしかない。


「フラーの進化に使うんだ。まぁ直ぐに必要になるわけじゃないけど。ほら、フラーも応援しろッ!」


 フラーがその名の由来の通り、僕に抱えられたままふらふらと両手を振って、水に揺らめく昆布みたいな応援のダンスを踊る。


 エルダー・トレントは大きく後ろに下がると、地面を揺らしながら身体を大きく回転させ始めた。


 エアー・ストリーム――魔法を行使する前兆だ。

 エルダー・トレントが口から息を吹き出す。まるで――叫んでいるかのように。しかし、その口からは何一つ音が出ていない。


 サイレントが、無意味に枝を振り回し回転するエルダー・トレントに接近し、その頭の太い枝を一本切り落とす。枝が地面にころがり、突き刺さった。立派な枝だ、きっとドロップだろう。

 エルダー・トレントの動きが硬直する。発生したその一瞬の隙に、サイレントの刃が更に幹を削った。


 エルダー・トレントが枝葉を暴れるように振り乱す。その虚のような目が僕を睨んでくる。


 思ったよりもだいぶ楽だ。また見込みがはずれてしまった。これではNPC達は本当に無駄死に……無駄ロストだな。

 間にサイレントを挟むよう立ち位置を調整しながらため息をつく。


「まぁ、魔術を使えない魔術特化型なんてこんなもんか」



§



一単語の系譜ザ・ワード』。そのシリーズの眷族は、実装当初から画期的な能力を誇っていた。


 恐らくアビス・コーリング運営は『一単語の系譜ザ・ワード』をアビス・コーリングの看板にするつもりだったのだろう。


 高いステータス。部下に該当する眷族の力を底上げするという特性。グラフィックに気合が入っていた(一部を除く……)のももちろんだが、何よりも強力だったのは――それぞれが持つ自身の名と同じ名前の固有スキルだ。

一単語の系譜ザ・ワード』は皆、例外なく強力なスキルを持っているが、中でも、グラフィックが微妙でステータスもそれほど高くないサイレントに与えられたスキルはそれまでのゲームバランスをひっくり返す程強力なものだった。


静寂の園サイレント・ガーデン


 それがただ一つ、サイレントに与えられたスキルの名だ。

 本来、レア度の高い眷族は複数のスキルを持つものだが、サイレントはたった一つしかスキルを持っていない。だが、そのたった一つ与えられたスキルはデメリットを補って余りある強大な力だった。


 周囲に静寂を撒き散らしあらゆる魔術の詠唱を不可能とすると説明されていたそのスキルは、当時存在していた魔術特化型の魔物の全てを完全に無力化した。


 それまでも『魔封じ』の状態異常は存在していたし、その状態異常を与えるスキルもいくつもあった。

 だが、このスキルがそれらと異なるのは、スキルの有効範囲が魔物本体ではないという点だ。

 それまで魔術型の魔物や眷族は皆、『魔封じ』に対して大なり小なり耐性を持ち、強力な魔法攻撃を繰り出す魔物に限ってほとんど効かなかった。が、サイレントのスキルは個体を対象としたものではなく、フィールド・エフェクトを上書きする類のものであり、耐性など無関係であった。


 それがどれほど恐ろしいスキルだったのか、当時のプレイヤーの受けた衝撃は推してしかるべきであろう。

 それまで存在していた魔法で厄介な状態異常や馬鹿げたダメージを与えてくる魔物は全て狩られるだけの獲物となったのである。サイレントショックと呼ばれたそのアップデートとアビコルプレイヤーの狂乱は今も尚、ネットの海の中で語り継がれている。

 運営もさすがに懲りたのか結局サイレントに類似するスキルが現れる事は二度となかった。こうしてサイレントは唯一無二のスキルを持つ事になったのだ。


 それ以降のアップデートで物理スキルを放ってくる魔術型の魔物や、魔法封じられるとステータスが超上昇する魔物など、やらしいインフレやらショックやらが散々起こったのでさすがに今でも無敵とはいかないが、サイレント実装前から存在するエルダー・トレントに限って言えば敵ではない。


 いやー、この頃に実装されたモンスターは素直でいいわ。仲間呼ぶ程度しかしてこないんだもん。


 スタンを与える『地の流撃ショック・クエイク』は防御を貫通し、ダメージと高いスタンの蓄積値を与える厄介で優秀な魔法だが、だからこそ、それを失ってしまえばこいつはちょっと硬いトレントに過ぎない。


「お前が弱いのではない。我が強いのだあああああああああああッ!」


 サイレントが調子に乗って刃を突き立てる。いや、相性がいいだけだから。


 ようやく致命的な相性の悪さを悟ったらしいエルダー・トレントが根っこを持ち上げる。太いそれを擦るように動かし、地面を抉った。泥の塊がサイレントの方に飛んでくる。それに、サイレントが一瞬だけ後ろに下がった。


「サイレント、逃げられるぞッ!」


「ぬ!?」


 エルダー・トレントが根を足のように操る。その巨体、姿形からは想像がつかない機敏な動作だ。

 今までどこに隠れていたのか、三体の下位トレントがまるで特攻するようにサイレントに飛びかかってくる。仲間を犠牲にして逃げるつもりか!? なんて最低な魔物だ。

 アビス・コーリングでは逃走を許してしまうと追いかける事は出来ない。サイレントが慌てたように三度太刀を翻し、三体のトレントを屠る。しかし、その時にはエルダー・トレントは既に逃走のための体勢を整えていた。


 ――まずい。


「なーんちゃって」


 エルダー・トレントがその根を使い、一歩進もうとした瞬間、派手に転倒する。泥の中から、小さな蔓が伸びて、その根に巻き付いていた。

 僕は無意味にフラーを召喚コールしたまま戦闘を挑んだわけではない。進化1アルラウネは攻撃力に乏しいが、ちょっとした補助魔法と回復魔法を使えるのだ。

 一瞬対象の動きを止める『ルート・バインド』は滅多に成功しないし、足のある魔物にしか使えないが、逃走を試みる魔物に対してのみ成功確率が跳ね上がる魔法だ。


 泥の中で、エルダー・トレントがもがく。だが、もう仲間はいない。


「おい、サイレント。フラーに助けて貰ってるんじゃない!」


「わ、わかってるぞ……!」


 サイレントが大きく飛び上がり、その刃を転んだエルダー・トレントの幹に叩きつける。クリティカルが入ったのか、HPゲージが大きく減る。

 エルダー・トレントは転んだまま根っこでサイレントを蹴りつけるが、初期の魔術特化型の魔物の物理攻撃なんてたかが知れている。サイレントは腹に受けた蹴りにも揺るがず、ぐりぐりと力を入れて剣を突き入れる。


 エルダー・トレントがその幹に目のように開いた虚を歪め、ばたばた手足をばたつかせる。しかし、サイレントのHPはほとんど減っていない。

 だが、僕は覚えている。『深き森の賢者 エルダー・トレント』が猛威を振るっていたあの頃の光景を。

 ただ相性がこの上なくいいだけで、この魔物が本来――ゲールにも劣らない強敵である事を。


 サイレントに押さえつけられ、抵抗しながらも、エルダー・トレントの目は僕を見ていた。ただのデータのはずなのに、そこには得体の知れない感情が込められているように見える。恨みか絶望か怒りか、何某かの強い負の感情が。


 だが、無駄だ。僕がサイレントを引いた時点で、こちらの勝ちは揺るがない。こちらも負けじとその目をじっと見下ろす。

 エルダー・トレントの動きがダメージによるペナルティで少しずつ鈍っていく。が、その目だけは変わらない。


「……ブロガーさん……? 大丈夫ですか……?」


 そして、静かな戦闘に遠くで待たせていたナナシノがおずおずと様子を見にやってきたちょうどその瞬間、あっさりとサイレントはエルダー・トレントのHPを削り取ったのだった。

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