Epilogue:アビス・コーリング
「ブロガーさん……今回は、本当に助かった。ありがとう」
「あー、そういうの別にいいんで」
うんざりしながらパトリックからの礼を跳ね除ける。
全員を助け起こし、街まで戻って一日が過ぎた。街に戻って僕を待っていたのは、うんざりするような報告作業と、NPC召喚士達による賞賛だった。
エルダー・トレント討伐任務の結果は尋常じゃない被害を出した。僕達含めず三十人近くの大人数が受け、死傷者こそいなかったものの、眷族が生き残ったのはほんの四人だ。所属メンバーが少ない
パトリック達のパーティもメンバーの半分は眷族がロストしてしまったらしい。頭を下げるその後ろには完全に呆然とした仲間が見える。
これから彼らはどうするのだろうか。興味はない。
エルダー・トレントを討伐した事でエレナから賞賛の言葉を受けたが、それもどうでもいい。
既にエルダー・トレントの討伐は僕にとって過去の事だ。そっけない僕に、パトリックが少しだけ目尻を上げる。
勘違いしないで欲しい。僕はこいつらと違って未来しか見ていないのだ。眷族もロストしていないし、消沈する理由がないのである。
「まー、エルダー・トレントの素材の残りと報酬はいらないから、好きにしたら。被害を埋める補填にはなるだろ」
レアモンスターであるエルダー・トレントからは良質の素材が取れる。宝玉はもちろんだが、他にも木の属性値を埋めるのに使うには少々もったいない素材アイテムが手に入る。
宝玉とめぼしいアイテムは僕が取ったが、残りはいらない。クエスト報酬のルフとギルドポイントもいらない。
ドロップを運ぶのにNPC召喚士達をこき使ったので、それくらいくれてやってもいいだろう。
「ッ……あ……ああ……感謝する」
パトリックの中でその行為がどのように捉えられたのかは知らないが、パトリックはうつむき、小さく答えた。
§
「全く、中途半端に現実的なのも考えものだな」
ごたごたを終え、自室に戻り、僕はぐったりとベッドの上で大の字になった。フラーがちょこちょことベッドに登ると、僕の真似をして隣で大の字になる。
エルダー・トレントが死に際に浮かべた目はとてもじゃないが、ドロップ集めだからと一笑に伏せるようなものではなかった。眷族ロストを人生の終わりのように考えているNPC召喚士達といい、この世界はなかなかどうして複雑にできている。
同情はない。が、この意識の差異がいつか致命的なミスに繋がるのではないかだけが心配だ。
僕は、この世界を完全にゲームだと思っている。そうでなければ、HPバーや名前、レベルが見える事が納得できない。
「どうした、主? 真面目な表情をして」
サイレントが身体の上に登り、僕の顔を覗き込んでくる。僕が最初の石で手に入れたそこそこの力を持つ眷族。
僕はそれに対して、目を細めて薄い笑みを浮かべた。
「いや……この世界、凄く楽しいなって、さ」
僕はゲーマーだ。僕にとってデータ取得や攻略の試行錯誤は悦楽でしかない。この世界はさしずめアビス・コーリング2とでもいったところか。
アビス・コーリングを開発・運営していた会社は既に存在しない。アビス・コーリング一本で持っていたので、サービス終了した直後に解体してしまったのだ。
サービス終了したゲームの続編。素晴らしいじゃないか、願ってもないことだ。
どうせ、現実であれゲームであれ、人というものは何かしらを犠牲にしながら生きているのだ。
たとえその道で無数のNPCの悲劇や魔物の憎悪に出会ったとしても、多分僕が手を止める事はないだろう。
「主は狂ってるな」
「自分が理解できない物を狂ってるの一言で済ませるのは実に愚かしい。けど、サイレントのそういう所、嫌いじゃないよ」
多様性を認める僕のナイスな発言に、サイレントがやれやれと肩を竦める仕草をする。
もうちょっと静かだったらもっと嫌いじゃなかったのに。
「我は苦労するな」
「サイレントみたいな弱い眷族を引いちゃった僕も苦労するよ」
「……な、なんでそういうこというのだ?」
「『
「なんでええええええぇぇぇぇ!?」
サイレントがいなくなってようやく
……何でサイレントよりもアルラウネの方が静かなんだよ。
「でも、フラーはいつか解放するから。枠もったいないし」
召喚しておける数にも制限がある。今はせっかく枠を拡張したので、もったいないからフラーを出してあるが、補助役の上位互換が手に入ったらフラーはお役御免だ。
「!?」
僕の言葉に、フラーが驚いたように目を見開き、ぶんぶん首を横に振る。
そんなに嫌なら解放しなくてもいいけど、どうせ送還しっぱなしになるよ? だって君、弱いじゃん? 確かに進化してやや可愛くなったけど、弱いじゃん?
プレイヤーの中には可愛いという理由で弱い眷族を連れ回る者も少なくなかったけど、強くて可愛い眷族もいるわけで、そっち引けたらそっち使うわさ。
フラーを注視すると、名前の左にはレベルマックスの印がついている。
サイレントがエルダー・トレントを倒したのでその分の経験値が入ってきたのだ。プラスでエルダー・トレントから取れた素材を幾つか食べさせてみたら容易くレベルがマックスになってしまった。サイレントがまだレベル6なのに、いい気なものである。
「もう少しで
「……」
こくこくフラーが頷く。もう一回進化したら何を覚えるんだったかな……ステータスアップと特性が増えるだけだったっけ?
フラーを抱き上げ、持ち上げる。結構な重量感だ。サイレントと異なり、アルラウネは進化しても大きさを変えたりする特性は得られない。
「でもこれ以上大きくなられても困るよなぁ……連れ歩きづらいし」
「!?」
まぁ、連れ歩くけどね。好感度上がるし。というか、そもそも迷うだけ無駄だ。僕はこれから眷族をどんどん増やすつもりでいるし、形状を自由に変えられる眷族なんてほとんどいない。自然と大所帯で歩くことになる。
この辺の召喚士は雑魚ばっかりで大きい眷族を連れている者が余りいないが、元来眷族というのはそれなりの大きさがあるものである。
びっくりしたり笑ったり首を横に振ったり忙しいフラーをあやしていると、扉がノックされた。
手を放すと、フラーがサイレントの代わりに扉をあけるため、とたとたと走っていく。
部屋の中に入ってきたのはナナシノとシャロだった。戦闘のフィードバックのために僕が呼んだのだ。アビコル未経験者のナナシノにとって、少しでも情報を持つことは大きな武器になる。おいおい、まさか僕、親切かよ。
さすがのナナシノもここ数日の騒動で消耗したのか、ややその顔色には疲労が見えた。反面、シャロの方はどこか吹っ切れたように陰がない。
椅子を勧めると、初心者プレイヤーナナシノちゃんに懇切丁寧にエルダー・トレントの戦いの詳細を説明した。
話が進むにつれ、ナナシノの目がどんどんと見開かれていく。最後まで効き終えると、呆然としたように呟いた。
「耐性を無視した魔法無効……? そんなの……無敵じゃないですか」
ナナシノは知らないだろうが、アビコルは如何に相手の弱点をつくかの勝負だ。
ゲール戦でそこそこ苦戦したサイレントが、ゲールよりも強いと説明していたエルダー・トレントにあっさり勝てたのは不思議な話ではないし、アビコルでは似たような事例はいくらでもある。
ゲールとエルダー・トレントならば後者が勝つが、サイレントとエルダー・トレントならばサイレントに負ける要素はないのだ。
だから、アビコルではあらゆる状況に対応できる沢山の種類の眷族を揃えた者が強い。後レアであればあるほど強い。レアをいっぱい集めた廃課金ユーザーが強い。とにかくレアだよ、レア。
シャロも、耐性の効かない魔法無効の存在は初耳なのか、息を呑むようにぐっと身を乗り出している。シャロは呼んだ覚えないのだが……まぁいいか。
ナナシノの疑問に肩をすくめてみせる。
「いや、そうでもないんだよね」
もしもサイレントが無敵だったらリセマラしようとするわけないじゃないか。
「!? どういう……ことですか?」
「……インフレしたんだよ」
「いんふれ……?」
サイレントの天下は長く続かなかった。ステータスがあまり高くなかったのも原因だし、魔術型の魔物が物理攻撃を持つようになったのも原因だが、一番の要因は違う。
「サイレントが防げるのはさ……厳密に言えば、『魔法』じゃなくて、『魔法の詠唱』なんだよ」
『魔封じ』の状態異常が防げるのは魔法そのものだが、サイレントの力は違う。そこには大きな差異がある。
ナナシノは唇を結び唸っていたが、この世界で長く生きているシャロは思い当たる節があったようだ。
目を大きく見開き、自信なさ気に答えた。
「無詠唱……ですか?」
「当たり」
サイレント実装当初まで、魔術に区分されるスキルには独自の詠唱をしなければ発動できないという制約があった。
『無詠唱』。サイレントの力があまりにも強すぎたために新たに実装された特性だ。何度も言うが、アビコル運営は下方修正はほとんどやらないのだ。
効果は、威力の減少を代償に詠唱をせずに魔法を発動出来る事。それ以降の強力な魔術特化型の魔物や眷族のほとんどが備えるようになったその特性によって、サイレントの力は相対的に下がったのだ。
第二次サイレントショックと呼ばれる現象である。めちゃくちゃ課金してサイレントを引いた連中から凄いバッシングを受けていた。
シャロが正解したことに喜びも見せず、戸惑ったように俯く。
「で、でも、無詠唱で魔法を使えるのなんて……魔導師の人たちの中でも、上級者だけだって――」
「へー、そうなんだ。まぁ、弱点もあるけど、今回は問題なかったって思ってもらえればいいよ」
際限なく青天井に上がっていく能力。度重なるアップデート。
兵どもが夢の跡。如何なる能力でもインフレの前にいずれは時代遅れとなる。
そういう意味で、たとえ完全無効にはできなくても、相手に無詠唱を強制させるサイレントのスキルは最後まで有用だった稀有なスキルだと言えるだろう。後はグラフィックにもう少し気合入れてくれればよかったのに……。
ちなみに、サイレントのスキルも一度だけ上方修正がかかっている。
それが第三次サイレントショックなのだが、当初、サイレントのスキルは味方にも有効で、使った瞬間敵味方関係なく詠唱できなくなるスキルだった。それが上方修正で対象が敵のみに修正されたのだ。
使い勝手が格段に上昇したのだから、ある意味、お互いさまだと言えるのではないだろうか。無詠唱の実装に文句言ってた奴ら、ほとんど全員黙り込んでたし。
フラーが足元でうろうろしていたので抱き上げる。シャロの目がつらそうにそれを見ている。
「そう言えば、興味ないけど一応聞くけど……クロロンは戻ったの?」
「あうッ……」
シャロがあざとい感じの声をあげた。
戻ってたら連れているか……まぁ、元々戻らないと思っていたけど。
シャロは唇を噛み締め、腰につけた袋に手を入れ、魔導石を取り出した。
小さな手の平に乗っているのは、四個の魔導石だ。今更だけど、NPCも魔導石持ってるんだな。
「四個しか……ないので……」
「『
ログインボーナスもないのに、どうやって足りない魔導石手に入れるんだろう。クエストだって、眷族がいなければ受けられないはずだ。というか、眷族のいない
結局、シャロのクエストでは魔導石が手に入らなかった。エルダー・トレントのドロップも欲しかった赤玉ではなく緑玉だったし、散々である。
が、恨み言を言うつもりはない。ギオルギの時とは違い、魔導石を消費しなかったのだからとんとんだろう。
「ん? これはクエストかな? 僕の魔導石を一個分けて欲しいのかな?」
そんなクエストあったっけ? ある意味納品クエスト? だとしたらとんでもないクエストだ。
魔導石は譲渡できないシステムだったはずだが、相手がNPCならば有り得るようにも思える。
僕の言葉にシャロがあっけに取られたような表情をして、年不相応の寂しげな笑みを浮かべた。
「ありがとう……ございます。でも、眷族召喚の魔導石って……自分で手に入れたものしか、使えないので……」
「あー、そうなん」
もしも万が一使えるようならその辺の召喚士から魔導石のドロップを狙おうと思ってたのに、やはりそう都合よくはいかないか。
地道に手に入れるしかないようだ。でも、それならシャロってもう詰んでるよな。
ふーん、へーとか思いながらフラーを構う僕に、シャロが力強く拳を握る。
そして、宣言した。
「だから……私、家の手伝いをしながら、また魔導石と出会う日を、待とうと思います」
「……へ?」
魔導石と出会う。
「今日は……お礼がいいたくて。オーブがあるから、いつかまたクロロンと出会える日が来るって、信じられるから。あ……ありがとうございますッ!」
最後の方は涙まじりだったが、シャロが頭を深々と下げる。
目の前に垂れたおさげに、フラーがじゃれついている。
魔導石と出会う。面白い表現をする娘だ。だが、それは僕の常識とはかけ離れている。
僕が知る限り、魔導石が手に入るタイミングは決まっている。クエスト達成時とダンジョンやフィールドの攻略時。ログインボーナスやバグ補填で配られる石、そして忘れてはいけない、課金を除けばそれくらいだ。実際にこの世界にきて僕はクエストやダンジョン、フィールドの攻略で魔導石を手に入れてきた。
だが、シャロの口ぶりだと違う。魔導石と出会う日を待つ――まるでランダムで手に入るような口ぶりである。
ナナシノもその言葉には異議を唱えず、瞳を伏せている。もしも間違ったことを言ったのならば、ナナシノが何らかのアクションを見せるだろう。
「現実とゲームの差異、か……」
「ブロガーさん……?」
先程も考えていたが予想よりも大きい。大きい、かもしれない。
興奮したようにおさげに飛びつこうとするフラーを掴まえ、ナナシノに聞いてみる。
「ナナシノさ。この世界ってゲームだと思う? 現実だと思う?」
「え……現実だと、思いますけど」
僕と同じ、現実からの来訪者であるナナシノはさして迷うこともなく答えた。順応性が高すぎるぜ。
シャロがゆっくりと顔を上げる。ゲームのグラフィックとは異なる感情表現豊かな表情。
多少地味だが3Dなどとは比べ物にならないくらい現実地味ており、そのAIも、うじうじしていいところがまるでないが、逆にそれが人間らしい。
サイレントがいたなら、「主は頭おかしいな」とか、罵ってきただろうか。
だが、サイレントはお仕置き中だったので、僕はフラーを足元に下ろして、テーブルの上に置きっぱなしだった銀色の箱に手を伸ばした。
シャロが持ってきたサンドイッチが入っていた箱だ。中身は全てサイレントが食らったので空っぽだ。僕は食べていないのでわからないのだが、どうやら美味しかったらしい。
この世界はアビス・コーリングを踏襲した世界だ。
グラフィックは多少綺麗になったが、法則はゲームに則る。ゲームでできたことはこの世界でも可能で、プラスで現実でできることはこの世界でもできる。ゲームと現実、その境目をある程度すり合わせた世界だと言える。
だが、だからこそ、僕はこの世界が楽しむと同時に、恐怖を感じていた。この世界を訪れてずっと目を背けていた事があった。
もしかしたらそろそろ、しっかりと現実に目を向ける時が来たのかもしれない。
僕はそれの表面を撫で、ひっくり返し、無意味に蓋を外し中身が空なのを確かめ、もう一度しっかりと蓋を閉める。くるくる手の中で回転させながら、少しだけ考えた。
シャロが不思議そうな表情をしている。ナナシノも瞬きをして、僕の手元に注目している。
まぁ、考えるだけ無駄か。百聞は一見に如かずとも言う。
そもそも僕は常に検証を行動をもってこなしてきた。
ゲーマーとしての性だろう、長年の生活で染み付いたそれが僕に馬鹿げた行動を取らせようとしている。
僕は弁当箱をシャロに押し付けるように渡し、上から目線で言った。
「よし、シャロ。いい事を思いついた。以前一回断っといてなんだけど、君を僕の弟子にしてあげるよ」
突然の僕の提案に混乱するシャロの腕の中。
先程確認した時には空っぽだった弁当箱の中から、何か軽い物がからから転がる音がした。
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