第七話:懐柔と痕跡

 ノルマ・アローデはろくでなしである。

 だが、その性根はまっすぐだ。歪な方向にまっすぐ伸びている。


 僕にとってそれは、理解不能なナナシノなどよりも余程やりやすい相手だった。


「絶対に……許さない……」


 僕の手から奪い取るように受け取ったパンをもぐもぐやりながら、ノルマが僕を睨む。


 だが、先程まであった殺意は既に薄れかけていた。刑務所とは言え、食事くらい出ていたはずだがどれだけ飢えていたのか。


 尋問時などにも使われるらしい、ガラス越しではなく対面して話せる面談室。

 ノルマの後ろにはいつでも飛びかかれるよう屈強な看守兵が二人、険しい視線をノルマに向けている。


 操竜師である僕の連れ。その時点でノルマの罪はないに等しくなったはずだが、そこまで警戒されているとは中に入っている間にどれほど暴れたのか。


 その視線が隣に座っているナナシノとシャロに向く。まるで値踏みしているかのような視線だ。

 売り飛ばせばいくらになるのかとか、考えているのだろうか。これだからろくでなしは。


 二人が不躾な視線に身を固くするが、もし何かあっても足元にあるアイちゃんクロロンがなんとかしてくれるだろう。日頃どれだけ敬意を持たれているが、主としての度量が今、試されていた。


 殺意が薄れかけているとはいえ、対応を誤れば頸動脈を噛み切られるだろう。


「絶対に……許さない。殺す」


 未だ剣呑な光をその目にちらつかせているノルマに言う。


「用事が済んだんだ。檻から出してあげるよ。追加のパンもあげよう」


「……そんなことでッ……許すわけがッ……」


「お金もあげよう」


「…………許す、わけが……」


 僕はポケットの中から大きなルビーの赤い宝石のついたペンダントを取り出した。剣士ギルドの秘蔵品。いわくつきの代物だ。

 その妖しい輝きに後ろの看守兵達がびくりと震え、ナナシノとシャロが目を丸くする。


 ノルマの目もまた、大きく見開かれる。立ち上がりかけ、後ろの看守に肩を押さえられて座らせられる。


「宝石とか好き?」


「……す、好き、だけど…………」


「パンは?」


「…………好き」


「お金は? 毎日パンが食べられるよ」


「………………好き」


 もう完全に揺れていた。がめつい。それがノルマのアイデンティティである。

 彼女は生粋のろくでなしなのだ。


 そのぼさぼさの頭の上にパンを置く。ノルマはそれを取ることなく、じっと警戒の視線を僕に向けている。


 パンを落とさないようにバランスを取りながら僕を見上げるノルマは滑稽だ。

 だがニヤニヤしているのは僕だけだった。


「じゃあそれらを与えてくれる僕の事は?」


「…………………………」


「誰も与えてくれなかったパンやお金や宝石をノルマに与えてくれる優しい僕の事は?」


「……………………好、き」


 ノルマの表情が一瞬泣きそうに崩れかけるが、すぐに元の表情に戻る。凄い仏頂面だ。

 こいつプライドねえな。


 僕は上から目線で指摘した。


「敬語」


「ッ!? ……す、好き……です」


 怒りか葛藤か、ノルマが俯き、ぶるぶる震えながら小さな声で言った。


 そうそう。それでいいんだ。

 大体、行き倒れそうだったノルマを助けて食事までくれてやった僕に対して殺してやるっていくらなんでも恩知らず過ぎる。


 ナナシノがそんなノルマの様子に引きつった表情をしていた。

 優等生の彼女にはノルマの心情はわかるまい。



§



 拘束服から着替え、身支度を整えたノルマを見て、ナナシノが目を見開いた。


 ぼさぼさだった髪は整えられ、目の下に張り付いていた隈も消えている。ただそれだけで、檻に閉じ込められた野生動物だった雰囲気が一変していた。


 アビコルは眷属を含め、キャラの数が多い。そのため、参加しているイラストレーターの数もかなりの数に登る。


 色違いやマイナーチェンジが多分に含まれていたとしても、眷属だけで二百万体もいるのだ。道理であった。


 その中でも、名有りNPCであるノルマ・アローデはその業界では誰もが知る有名イラストレーターがデザインしたキャラだ。フィーと同じイラストレーターである。


 短く切りそろえられた艶のある深緑の髪。切れ長の目に、整った目鼻立ち。フィーと異なり、どこか野性味を感じさせる愛想のない表情には、動く宝箱という背景もあって、多くのファンがいた。


 その魅力は、絵ではなくこうして立体になっても何ら遜色ない。さすが人気のイラストレーターである。

 やはりモブのシャロとは輝きが違うのだ。ろくでなしだが。


 照りつける太陽に、ノルマが目を細める。僕はその背中をバンバン叩いた。


「どうだ? 久しぶりのシャバの空気は?」


「ッ……だ、れの、せいでッ! くぅッ……」


 ノルマが小さく呻き、血走った目を伏せる。

 まだ後ろでは看守兵が睨んでいる。ここで暴れだす程、無謀ではないらしい。


 というか、いくら体力が戻っていたとしても武器のないノルマでサイレントを破るのは無理だ。


「まずはその見すぼらしい身なりを整えてやろう。いやぁ、優しいな僕は」


「あるじ偉そうだなあ」


 ノルマの衣装は旅人がよく着ているような機能性重視の頑丈な布地の物だが、長く着ているせいか色あせてヨレヨレだ。


 イラストだったらまだましだが、解像度が上がっているせいで見るに堪えない。

 本来黒かったのであろう黒のジャケットも濃いグレーみたいになっている。せっかくデザインしてくれたイラストレーターへの冒涜だよ、これは。



§



「礼は言わない」


「いや、礼くらい言えよ」


 ナナシノ達のプロデュースの下、見違えるくらいに綺麗になったノルマが唯一変わらない不機嫌な顔で言う。

 新品の服に慣れていないのか、居心地が悪そうに身じろぎをしている様子はまるで慣れない家につれてこられた猫のようだ。

 新品の黒のジャケットに、ピッタリと足に張り付いたようなブラウンの短いパンツ。ブーツから頑丈そうなベルト、そこに下がった短剣から外套まで全てが一新していた。

 イベントで懐が潤っているので問題ないが、額面だけで言うのならばノルマの持っていた小竜玉などでは賄えないくらいの金額になるだろう。

 この間まで行き倒れ掛けていたとは思えない変貌っぷりだ。


 まだ愛想がないようだが、身支度を整えている間にナナシノとシャロとは打ち解けたらしく、先程まであった張り詰めたような空気はない。


 適当にはいった酒場には昼間にも拘らず何人もの人がいた。が、その多くがノルマの方をチラチラ見ている。

 それら視線に一切気を向けず、ノルマはパンをもぐもぐしながら、目を細めて僕を見る。


 とりあえずパン食うのやめろ、どんだけ好きなんだよ。

 しばらく待っているとようやく落ち着いたのか、口元についたパン屑を手の甲で拭い取って、ノルマが息を整える。


「で、どうして今更私を出したの?」


「いや、もともと出すつもりだったし。良いバカンスだっただろ?」


「ッ……いけしゃあしゃあと」


 嘘はついていない。今まで牢屋から出さなかったのはちょっと忘れていただけだが、ずっと閉じ込めて置くつもりはなかった。


 いくらろくでなしでも、彼女はアビス・コーリングの世界を構築する一つの要素なのだ。

 和を尊ぶ僕には先輩プレイヤーとして、今後来るかもしれない新しいプレイヤーのために彼女を自由にしておく義務があった。


 まだ油断ならないものを見るような目でこちらを見ているノルマ。早速本題に入る。


「もう一度確認しておきたい事があるんだけど――」


 ろくでなしのノルマは、僕がこの世界に来て見てきた中でも、もっともゲーム時代のアビコルから乖離しているキャラだ。


 ゲーム時代のノルマはフィールド上を歩いているとランダムで襲撃してきて強盗を仕掛けてくるキャラクターだ。

 その本領は彼女だけが持つ特殊兵器、『リヤンの遺物』にあり、倒せば倒す程に、次に出会った時の武装が増え、強化されていく仕様になっていた。


 だが同時に、ゲーム時代、ノルマが遺物なしで外を出歩くことはない。

 彼女は【廃都リヤン】で遺物を手に入れたことをきっかけに外の世界に出る。そういうバックボーンを持ったキャラなのだ。


 この世界はゲーム時代と少しばかり差異があるが、僕が見る限りでは多くの設定がゲーム時代に準拠していた。


 エレナは古都ギルドのマスターをやっていたし、ヨアキムは攻撃を仕掛けた相手にスタンを蓄積する特性を持っていた。フィーは相変わらず平等だったし、ノルマも性格だけならば僕が知っている通りろくでなしである。


 仕様から外れているのならば、その理由があるはずだ。

 それも、ナナシノがしでかしたようなNPCの煽動や眷属装備を装備するといった言ってしまえば他愛のないものとは違う。明らかに意図的な理由である。


 【廃都リヤン】はその名の通り、滅び去った街――唯一何もない街だ。


 周囲のフィールドやダンジョンには、王都や帝都など話にならない高レベルの魔物がひしめき、今のサイレントだけで向かうにはちょっと無理をする必要がある、そんな地だ。


 クエストやイベントが発生することこそあるが、その回数や頻度も他の街と比べてずっと低い。まさに滅び去った街。


 そのあたりの魔物でヒーヒー言っているようなNPCが到達できるような街ではないし、何より訪れる理由がない。


 僕でさえ、行くとしても他の都市を網羅した後になると思っていたのだ。


「君がリヤンから出てくるその前に、何か変なこととかなかった?」


「なに? リヤンに興味があるの? あそこ、本当になーんもないところよ」


 遺物を持っていないノルマ。ならば、手に入らなかった理由があるはずである。


 たとえば――既に持ち去られていた、とか。


 あるいは、壊されていた可能性とかもあるかもしれないが、そこにリヤンの遺物があることを知っているのはこの世界では僕のようなプレイヤーを除いていないだろう。


 僕はこの現状に他プレイヤーの影を確かに感じ取っていた。


 しかも、ナナシノのような意図せずゲームシステムを狂わせるようなド素人ではない。


 わざわざ辺境に位置する廃都まで赴き、遺物を探して持ち去るなど前情報なしでは不可能だ。

 高レベルの魔物が出現するリヤンに行ける程の実力を持ち、設定資料集を記憶する程、アビス・コーリングというゲームに傾倒していたプレイヤーである。


 ノルマが眉を顰め、何か思い出すかのように天井に視線を向ける。


「うーん、お腹空いていたことくらいしか……」


 こいつ脳みそ空っぽだな。


「襲われた事とかは?」


「ありすぎて覚えてないわ」


 ノルマが肩を竦める。

 こいつ本当に脳みそ空っぽだな。パンでも詰まってるんじゃないだろうか。


 僕の読みが正しければ、それをしでかしたプレイヤーはノルマに恨みを持っている。


 何故ならば、リヤンの遺物というのは――ノルマにしか使えない武装だからだ。


 厳密に言えばノルマ以外にも使えるはずだが、『リヤンの遺物』はリヤン人の血にのみ反応するとされており、プレイヤーが持っていても何の意味もない。


 危険を犯して取りに行くほどのメリットはない。街間の移動に時間がかかるこの世界なら尚更だ。


 プレイヤーにメリットがないのだから、動機は恨みの可能性がかなり高い。


「な、何、その目!? 覚えてないんだから、しょうがないでしょ!?」


「でもノルマに恨み持ってるプレイヤーなんていくらでもいるからなあ」


「!?」


 恨みほどの感情じゃなくても、来てほしくない時を狙っているかのように現れるノルマのことをうざったく感じた者は少なくないだろう。


 初めは雑魚でも、回数重ねるにつれて強くなっていくのだから尚更だ。倒した時にグラフィックの服が破けなければきっともっと嫌われていた。


 別にノルマが哀れな目にあっていようが、僕に直接の影響があるわけではないが、あまりいい気はしない。

 綺麗なノルマも悪くはないが、武装を手に入れその印の入れ墨が入っているノルマも悪くはないのだ。


 何しろ、いいイラストレーター使って金をかけてる。うざったくなるのを覚悟するだけの価値がある。


 そして何よりも、そんなことされるとゲームが汚されたような気がするのである。


「あ……でも……そう言えば――」


 心外そうな表情で、ティーカップの中身をすすっていたノルマがふと何か思い出したようにカップを置く。


「私が出る前……珍しく、街に何人か変な格好をした奴らが……来てた……かも」


「変な奴ら……?」


「そ。変な奴らって言ったら。変な奴らよ。いつも街にいない奴ら」


「それはどのくらい前?」


 ノルマがしばらく唸っていたが、すぐに悪びれもせずに答えた。


「…………忘れた。だって……生きることだけで精一杯だったし」


 こいつほんっとうに使えねえな。

 シャロよりへっぽこじゃないか? もしかしたら。

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