第六話:堕落

 扉が開く。こそっと頭をいれて覗き込んできたナナシノが目を見開き、短い声をあげて硬直した。


「な……!?」


「あー、うわきげんばみられたな」


 サイレントが余計な事を言う。


 膝の上にまたがり、顔を真っ赤にしながら首元に顔を近づけていたシャロがそれを見て慌てて身を離そうとして、誤って僕に抱きついた。


 肉付きがいまいちでも、しっかり柔らかい重みが掛かってくる。僕はされるがままに手を上げて、ナナシノに笑顔をむけた。


「なな……シャ……シャロに、何やってるんですかッ!!!!!」」


「ち、違うの、青葉ちゃん。これは――」


 まるで不倫現場でも見られたかのように焦るシャロ。僕は何も悪くないので平然と返した。


「いやさぁ、ナナシノが僕の首にキスしたから僕もするのが平等だって言ったじゃん? 同じこと言われちゃってさぁ」


「……へ?」


 確かに、理由あってのこととはいえ、僕はシャロの首にキスマークをつけたことがある。

 そっちもやったんだからこっちもやらせろと言われてしまえば、現在進行系でナナシノと交渉している僕はそれを受けざるを得ない。


 さすがにシャロが男キャラだったらぶん殴ってでも反故にしていたが、まぁ女キャラだしいっかなってのが正直なところだ。


「ははは、発言を逆手に取られてしまえば世話はないよな。自分だけ嫌だなんて言えないし」


「……あるじは本当におおものだなぁ。あたまおかしいって言われない?」


「サイレント、そういうのはおかしいって言う奴がおかしいんだぜ」


 ナナシノが涙目で震えている。


「な、ど……え……? なんで……手、出さないって――」


 僕は真剣な表情で言った。


「僕は出してない。出してきたのはシャロの方だ」


 大体、NPCなんだからノーカンだろ、ノーカン。


 これでアウトだったらノルマを裸に剥いた件はどうなるんだよ。んん? 僕は犯罪者か?


「だ、大丈夫ッ! わ、私、ふ……ふられた、からッ!」

 

「ふらッ!? も、もぉッ!? なんなのッ!?」


 シャロが慌てて釈明する。ナナシノが混乱したような悲鳴をあげた。




§




「あるじ、そんなんだから、召喚のゲートがどす黒いんだぞ」


「……それどこかに影響あるの?」


「おかしなゲートだと、ふらーみたいな脳天気なやつしか、はいってこない」


 マジかよ。僕の召喚運のなさってもしや……いや、考えるまい。

 もしもそうだったとしてもどうしようもない。


 ナナシノが冷たい。つんとした態度で、こちらに視線を合わせようともしない。


 せっかくの食事の席なのに、ほとんど料理に手もつけない。どうやら少し機嫌が悪いようだ。シャロがどうしていいのかわからず、おろおろしている。


「なぁ、ナナシノ。機嫌直しなよ。ほら、笑って笑って」


「……ぜんっぜん、笑えません」


 じろじろと睨みつけるようにナナシノが僕を見る。最初に召喚されたての頃だってこんな態度じゃなかった。


 隣のシャロには目も向けず、僕の方だけ見て憤慨したように言う。


「あ……あんな、膝の上に乗せて…………いやらしい。こいびと……でも、ないのに」


「いや、僕を押し倒してきたナナシノに言われたくないけど……」


「おしたおッ!?」


「それにいやらしくはないだろ。僕が口づけする側だったら、こう、後ろからガバッと抱きしめて下を見ればいけたけど、逆だと難しかったんだよ。背伸びしても駄目だったから」


「あるじさ、ほんとうにななしぃの機嫌なおそうとしてるのか?」


 サイレントはたまに冥種のくせに人間のようなことを言う。


 ナナシノの眼の端っこに涙が溜まっていた。唇がふるふると震えている。女心は本当に難しいなぁ。


 そこで僕は妥協点を見出した。椅子を引き、ナナシノに向けて膝をポンポン叩いてみせる。


「そうだ、ナナシノ。ナナシノも膝の上に乗れよ。ほら、それで平等だろ?」


「し、ししょう!?」


 ナナシノが信じられないものでも見るような目で僕を見た。


「ななしぃさ、あるじあたまおかしいから、ゆるすか永遠におわかれするか、決めたほうがいいぞ」


 ティーカップの縁に腰をかけていたサイレントがやれやれと肩を竦めてみせる。



§




「いいですか、ブロガーさんッ! 次やったら、絶交ですからねッ!」


「いいか、ななしぃ。ななしぃのそういうところが、あるじを増長させるんだぞ」


「サイレントさぁ、君どこに立ち位置あるの?」


 ふらふらしやがって。僕の味方じゃねーのかよ。


 サイレントを肩に載せ、ナナシノとシャロをつれて王都の町中を歩く。目指す先は門だ。

 外に出るためではない。忘れ物があったからだ。


 日光を浴びていると、多少の言い争いなどどうでもよくなっていくかのようだ。

 不機嫌だったナナシノも少しは緩和したようだった。


「いやぁ、是非ナナシノにもあわせてやりたいと思ってたんだよね。いや、フィーも名有りのキャラなんだけどさ、ノルマは警戒が必要だから」


「それって、手紙に書いてあった――」


「ああ、手紙読んでくれたんだっけ」


「……はい。お土産ありがとうございます。あ……フィルムはまだ……現像してませんが」


 ナナシノがどこか歯切れの悪い口調で礼を言う。


 ろくでなしのノルマはプレイヤーにとって警戒すべき存在だ。アイテムを盗んでくる魔物はいても、戦闘での敗北がアイテムロストにつながるキャラは奴を置いて他にない。


 ナナシノにも同様の法則が適用されるかはわからないが、出会った感じノルマはしっかりろくでなしだったので、顔合わせくらいはさせておくべきだろう。


 シャロが少しびくびくしながら聞いてくる。


「その……師匠。会って大丈夫なんですか? 手紙? の内容見る限りだと、随分怖い方、みたいですが」


「おまけにあるじ、ずいぶんほったらかしたからなあ。絶対おこってるぞ」


 竜神祭が終わってから既に二週間が過ぎている。ノルマとあったのはその随分前だから、いつ振りだろうか。覚えてすらいない。


「まぁ心配いらないよ、檻の中だし。放っておくわけにもいかないだろ」


 それに、もう一度確認したいこともあるのだ。




§




 まだ元操竜師の権力は残っていたらしい。久方ぶりに訪れた僕を、懐かしい男の入都管理官が何とも言えない微妙な表情で案内してくれた。

 ひそひそと他のNPC達が僕を見て噂をしている。


 これまたガラスで仕切られた面会室で待つこと十分、ノルマが連れられてきた。


 色気のない、灰色無地の囚人服。

 両腕を後ろから二人の看守兵に拘束され、まるで飢えた獣のような目をしたノルマはまるで殺人鬼か何かのようだ。

 その視線の鋭さに、こわごわと様子を窺っていたシャロとナナシノが小さく息を呑む。


 ノルマは僕を確認するや否や、後ろの看守兵を振り払い、まるで捕食するかのような勢いで突進してきた。


「殺すッ!! 殺してやるッ!」


「……ずいぶんあれてるなぁ」


 その剣幕にアイちゃんがナナシノを守るかのように前に立つ。

 怖がっていないのはサイレントと僕だけだ。


 サイレントの言うとおり、ガラスを通して殺意が伝わってくる。

 もしかしたら土下座までさせたのに、外に出さなかったのが悪かったのかもしれない。


 ノルマがガラスをバンバン叩く。すぼまった瞳孔が僕を映していた。ちゃんと食べ物は貰えているのか、素手なのに凄い力だ。


 二人の看守兵が慌ててその腕を掴もうとするが、ノルマはそれを軽々と振り払い、ガラスに爪を突き立てる。

 強化ガラスの表面に線が奔る。僕はその正面に歩み進め、完全に野生に帰ってる情緒不安定なノルマを見下ろした。


 散らされた深緑の髪。眠れていないのか、隈の張り付いた目も相まってまるで鬼のようだ。

 ばんばんとガラスを拳で叩く。驚いたことに、ガラスがピシリと音を立て、表面にヒビが入る。


「殺すッ! 絶対に、殺してやるッ! よくも、みすてたなッ!?」


「ぶ、ブロガーさん!? 危ない、ですよ!?」


「大丈夫大丈夫。下がってなよ」


 僕は穏やかな笑みを浮かべ、ポケットから白パンを取り出した。

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