第四話:我慢

 爆死。それは、無数のプレイヤーが味わったこの世の地獄。負の連鎖。誰も同情してくれない悲劇。

 誰が最初に言い出したのかわからない。だが、その言葉はそれを味わった哀れな落伍者達の心情を正確に表していた。


 新キャラの実装で、キャラクターピックアップで、ランダム召喚の闇に挑み、魔法のカードの魔法が切れる程に召喚し、そして――死ぬ。本当に爆発したかのように盛大に死ぬ。

 そして僕達プレイヤーはその様を横から観賞し、敬意を表しそして――煽るのである。


 ――爆死しろ。


 出ない。出ないのだ。アビス・コーリングは闇だ。奈落だ。ピックアップなどといっても、召喚され得る眷属の総数が多すぎるのである。ピックアップ対象にしても確率にしたら0.0001%に満たない。


 だってアビコルの眷属数、全部で二百万種類以上いるんだぜ……嘘みたいだろ?


 二万じゃない。二百万だ。もちろん、それら全てがガチャから排出されるわけじゃない。ガチャから排出される可能性があるのは基本的に進化していない眷属だけだ。だが、それにしたってその数は尋常ではない。


 一体の眷属につき十回進化するとしても元となる眷属の数は十分の一で二十万種類。実際は分岐進化とか色違いとかイベントのみ排出とかコラボキャラとか色々含まれているので、普段の召喚で出るものはもう少し少ないはずだが、五分の一にしたとしても四万種類である。アビス・コーリングの闇。その最たるものだ。


 普通にピックアップ百倍でもなかなか出ないのであった。頭イカれてやがる。しかもそれでも同じ眷属が何体も出るという事実に恐れを抱かざるをえない。


 ――爆死しろ!


 ナナシノがいるので声を出さずに思念を送りつける僕に、シャロが柔らかな笑みを浮かべる。


 僕はその純粋な笑みに戦々恐々としていた。案外、こういうド素人がいい眷属を引いたりするのだ。千回引いても出なかったキャラを単発で出したりする。

 僕がカードの魔法を何枚も枯渇させてようやく調整した乱数を、こういう連中が横から単発召喚でかっさらっていくのである。

 ああ、言いがかりだ。言いがかりだとも!


 ――爆死しろ!!


 アカウントごとにレア的中率に絶対偏りがあると睨んでいた。きっと、じゃぶじゃぶ課金するアカウント程、レアが出にくくなってるのだ。


 アビコルではその総課金額に応じて、プレイヤーに称号が与えられる糞システムが存在していた。

 最上位が九桁でブラック。次プラチナ、ゴールド、シルバー、アイアン、カッパーと落ちていき、強力な称号を持っていれば持っているほど召喚でレアが出る可能性が上がるという正真正銘の鬼畜システムである。(ちなみにそれがアカウント転売対策になっていたらしい)


 僕は光栄なことに一番上のブラック称号を持っていたが、それでもレアは出なかった。カッパーの人の方が出やすいくらいであった。

 確率だといわれてしまえばどうしようもないが、どこが上がってんじゃこのボケがぁッ! ガチャやってる様子を動画であげた時にコメントで同情されるレベルである。地獄に落ちろ。


 ――爆死しろおおおおおおおおおおおお!!!



「ど、どうしたんですか? 師匠……? 怖い顔して」


「……ごめん、ちょっとトラウマが、さ……大丈夫だよ」


 前回、クロロンを再召喚した際は我慢できていたのだが、四回連続で死んでいるのでカルマが溜まっていたらしい。

 深く深呼吸をして精神を落ち着ける。大丈夫。わかっている。横から獲物をかっさらわれるのは既に慣れているのだ。


 八つ当たりは無様だ。大丈夫、レアが出ない可能性の方がずっと高い。

 ……もう一体アルラウネ出ればいいのに。


 シャロが今気づいたように、冷たい目つきのクロロンに視線を落とす。


「あ、でも……召喚枠が――クロロン……送還しないと、ダメですね」


「んー…………試しにそのままやってみたら?」


「え……?」


 シャロが目をぱちぱちさせて小動物を思わせるつぶらな瞳で僕を見上げた。


 僕はつい先日まで、自分を『普通』だと思っていた。NPCにも自分と同じ法則が当てはまるものだと。

 だが、今は、そうとは言い切れないことがわかっている。


 そもそも、今更だが、石で枠が拡張できるのならばその事実が表に広まっていなければおかしいのではないだろうか? ゲーム時代、クエストで戦った召喚士の中にも複数眷属を出している連中がいたはずだ。

 シャロや古都ギルド受け付けのゴンズさんは複数眷属を常時召喚した僕を見て『才能がある』と言った。シャロ達はそういうあやふやなものに左右されている可能性は十分にある。


 NPCのことなんてどうでもいいけど、情報は多ければ多い程いい。


「ナナシノみたいに体調悪くなったら送還すればいいよ」


「えっと……じゃあ……」


「ちょっと……待った!」


 そのまま石を握りしめ、召喚しようとしたシャロに、慌てたようにナナシノが声をあげた。


 シャロの肩をだいて少し離れ、耳元でこそこそと話しかけ始める。内緒話でもするかのように。

 ナナシノの視線がちらちらと僕を窺っていた。


「どうしたんだろう?」


「あるじのまえで召喚すると、いい眷属がでたときにロストさせられるとかいってるんじゃないか?」


「さすがにそんなことはしないよ」


 僕はレアを引きたいのである。他人がレアを出すことと僕の求めるものは競合しないし、他人が召喚する姿を見るだけでもわくわくするものだ。僕は爆死しろとは思ったが、召喚するなとは思っていない。


 シャロの肩、剥き出しになった首筋が不意にびくりと震え、その目が大きく見開かれ僕を見る。その頬がみるみるうちに赤く染まっていった。ナナシノが焦ったようにひつじさまを弄りながらこそこそ囁き続けている。


 変なこと吹き込んでるんじゃないだろうな。


「僕、シャロに酷いことした覚えはないんだけど」


「しょくしゅはえたくまにしただけだもんなー」


 シャロはびっくりするくらいに忠実だ。ちょっとクロロンを助けるのを手伝ってやったくらいなのに非常に懐いている。


 やがて話が終わったのか、シャロが小さく頷き、僕の前に戻ってきた。まだ顔が少し赤い。


「何の話だったの?」


「えっと……召喚超過? の、ペナルティが、その……思っていたよりも、重い、らしくて……」


 もじもじと指先を弄りながらシャロが上目遣いで僕を見る。


 召喚超過ペナルティ、か……確かにナナシノも倒れていたし、命に別状はなかったとはいえ、友人に注意するのは当然かもしれない。

 だが、僕にはNPCであるシャロのスタミナは見えない。どうしようもない。

 

 うーん、検証を強制してもいいが、そこまでこだわっているわけでもないし、まあいいか。


「じゃあクロロンを送還してからやったほうがいいね。」


「は、はい……そうします。『送還デポート』」


 小さく頷き、シャロがクロロンを引っ込める。何故か隣に立ったナナシノがほっとしたような表情をしていた。


 そうしてようやくシャロが改めて魔導石を握りしめ、その手を天に掲げた。

 本来眷属召喚する上でそんな行動は必要ないのだが、雰囲気作りのためだろうか。


 そこで僕は不意を打って、真剣な表情でそれを見ているナナシノに尋ねた。


「ちなみにペナルティって痛みとかあったりするの?」


「いえ、痛みはないんですが、凄くエッチな気分になって………………あッ――!」


「えッ!?」


 シャロがナナシノを凝視する。ナナシノが目を見開き、恐る恐るこちらを見る。

 まるで詐欺師に騙されたみたいな表情だ。別に騙してないから。


 エッチな気分……?


 以前、ナナシノが倒れた時の光景を思い出す。


 床に倒れ伏したナナシノの姿。真っ赤に火照った肌。脱水症状を疑う程に、服が肌に張りつくほどに流れた汗に、朦朧とした目つき。

 ぐったりとした姿、熱い吐息に、匂い、抱き起こし接触した肌から感じられる心臓の鼓動までもが鮮明に思い出せる。


 そっかー…………まぁ、全年齢って直接的行為の描写だけだからな、アウトなの。


 ナナシノに笑いかける。ナナシノも引きつった笑みを返してくる。


「そう言えば凄く色っぽかったなぁ、あの時のナナシノ。体調悪そうだったから手を出さなかったけどさ……」


「あ……ああ……あああ……ひ、酷い……な、なんでそういうことするんですかッ!? わ、私、隠そうと、してるの、わかってるのに!?」


 ナナシノが顔が一気に上気した。眼に涙を溜め、蹲ってしまう。強く抱きしめられ押しつぶされたひつじさまがむーむーと情けない悲鳴を上げた。

 うつむいているので表情は見えないが、黒髪の隙間から見える耳の上部が真っ赤になっていることだけはわかる。


 その肩を叩くと、大仰な動作で身を震わせる。


「おいおい、人のせいにするなよ、エロシノ。僕は当然の質問しただけだろ? 何なの? 君、僕が心配してさぁ、抱き起こしてシャロに水を持ってこさせてさぁ、その間ずっとエッチな気分だったわけ? 何? あれ、発情してたから真っ赤だったの?」


「うぅ……」


「わたし、ブロガーさんのやくにたちたいんですとか言ってたけどさ、あれもそんな気分で言ってたわけ? 感動が台無しだよ。何の役に立つつもりだよ。全然オッケーだよ。むしろウェルカムだよ」


「ち、ちがう。ちがう、んです! ぶろが、さん、きいて――」


 ナナシノが羞恥に震えながらかすれ声をあげる。が、もう完全にだめになっていた。

 首へのキスは酔いのせいだとばかり思っていたが、案外本当にナナシノって……性欲強い?


 あえて心配そうな声色で言う。


「ナナシノさぁ、本当に欲求不満なんじゃない? 大丈夫? 我慢できなくなる前に僕が――」


 トドメを刺しにかかる僕に、ナナシノが勢いよく顔をあげた。涙目のままきっとこちらを睨みつけ、こちらを咎めるかのように叫ぶ。

 しかし頬から首筋まで完全に真っ赤のままだ。怒りきれていない。


「ま、まだ、がまん、できますーーッ! ぶろがーさん、さいっていッ! でぽーとしたいッ!」

 

「………………まだ?」


 ナナシノの瞳孔が今度こそ大きく広がる。その唇が声にならない悲鳴をあげる。


「――ッ! ――――――ッ!! ――――――ッ!!!!」


 耳元を押さえ、ごろごろとその場で盛大に転がり始める。器用にぶんぶん首を横に振りながら転がるナナシノの側でアイちゃんが呆然と佇んでいた。

 最近アイちゃんの視線が主に対するものじゃないんだけど、好感度とか本当に大丈夫なのだろうか?


「あ、あの……召喚していいですか?」


「あー、いいよいいよ。やっちゃって」


 ナナシノに全部持っていかれ、一人置いていかれたシャロが今にも泣きそうな表情で小さく手を上げた。




§



 緑の光と共に出現した眷属を見て、シャロが頬を引きつらせた。


「え…………な、なんですか? これ」


 それは、真紅の帽子をしていた。見た目はしわくちゃな老人だ。鷲鼻にぎょろりとした大きな眼。避けているかのような大きな口。表情には深いしわが刻まれ、ボロボロの服を着ている。足元だけ立派な黒いブーツを履いていて、少し違和感があった。

 手にはサビだらけのスコップが握られ、背には継ぎ接ぎだらけの白い袋が背負われている。


 首に下がっている鎖に掛けられた金貨だけが輝いていた


 子鬼にも似たその姿に、シャロが腰を抜かす。それを見て、その眷属は醜悪な笑みを浮かべた。


「ヒッ……!?」 


 シャロが小さな悲鳴をあげる。親友の悲鳴に、転げ回っていたナナシノが素晴らしい反射神経で起き上がった。醜い眷属を見て、険しい目つきをつくる。


 腰を抜かしたままずりずり後じさりする主を見て、その眷属がニヤリと口が裂けるような笑みを浮かべる。


 僕の心は先程までの荒ぶりが夢だったかのように凪の水面のような穏やかさを讃えていた。目を細め、シャロを祝福する。


「あー、よかったね。男レプラじゃん。まぁ、女の方が可愛いビジュアルだから人気高いけど、特性は変わらないから。よかったねー、おめでとう」


「え? ……え? 男、レプラ……? つ、強いんですか?」


「レプラコーンの男だ。強くはないけど連れてるだけで素材のドロップ率が五十パーセントあがる」


 十体出しておけば五百パーセント上がる。百体出しておけば更に上る。持っていれば持っているだけ嬉しい眷属であった。

 本来なら歯ぎしりしたくなるほど羨ましい眷属だが……いい。許す。海よりも広い心で許す。そんな気分だ。


 レプラコーンが裂けんばかりの笑みを浮かべたままシャロを見る。

 サイレントが若干引いた声でコメントした。


「あ、あるじが、えろしぃにじょうかされてるぞ……」


「……なんか、嬉しくない……です……」


 シャロが僕の様子を見て、頬を膨らませた。

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