第十三話:剣王とお茶会

「やれやれ、皇帝も困ったものですね。フィリー様の腕は確かに芸術的ですが、こう何度も呼びつけられると、仕事にならない……」


「しっ、文句を言うんじゃない。誰かに聞かれたらどうする」


 狭い馬車の中で言い合う二人の仲間を、フィリー・ニウェスは感情の篭もらない目で見ていた。


 【帝都フランマ】を有する【ルベル帝国】。元々剣術が重視されるお国柄だったが、今代の皇帝、ジークベルト・ルベルの剣士贔屓は有名だ。今や帝国は剣士ギルド最大のお得意様である。剣士ギルド全体の意向としても、帝国とは友好を結ぶ方針であり、名指しで呼ばれてしまえば理由なく拒否することはできない。


 【聖都ルーメン】は【帝都フランマ】から馬車と船を使って半月程かかる。名目は剣術の指導ということだったが、剣の腕で言うのならば帝都にだって剣王はいる。フィリーは何故自分が呼ばれているのか知らなかった。


 確かに【帝都フランマ】の剣王――ヨアキムの剣術は実戦剣術であり、フィリーの修得したものと異なり洗練された美しさはない。

 だがそれでも、ただ相手を打ち倒すことにのみ特化したその剣技は十分強力だったし、質実剛健を掲げる帝国の主義にも合っていた。ある意味、フィリーが白騎士として学んだ剣術よりも余程相応しいと言える。


 フィリーがほとんど会話に参加しないのはいつものことだ。馬車の外、流れる光景をただ見ている間に会話が進んでいく。


「ヨアキムも機嫌が悪そうでしたなぁ」


「大方、皇帝に呼ばれたのが自分じゃないのが気に食わないんだろう」


「それだけではないでしょう。噂ではつまらない盗人に選定剣を盗まれたとか。取り戻したらしいですが」


「ああ。一時とは言え、ギルドの至宝を盗まれたとは……かつては炎の如き剣の冴えと恐れられていた『赤火』も落ちたもんだ」


「いつもより町が騒がしいのもそのせいか」


 フィリーが旅の共として選んだ四人の剣士は皆、【聖都ルーメン】でも上位の腕を持つ一流の剣士である。時代が違っていたら剣王を任せられていたかも知れない逸材だ。その口調には至宝を盗まれるなどという無様をさらけ出した帝都の剣王に対する呆れと、自分達ならばそんなことにはならないという自負が見えた。

 恐らくそれは剣王ヨアキム・アンタレスが傭兵出身だという事もあるのだろう。フィリーは剣の腕さえあれば出身なんてどうでもいいと思っているが、剣士の中には騎士が上等で傭兵は下等だなどと考える者も少なくない。


 そうこうしているうちに、馬車が宿に辿り着く。帝国側で用意された宿は主に裕福な商人を対象とした宿らしく、余りそういったことに頓着しないフィリーでも目を見張るくらいに豪華なものだった。

 本来ならば宮殿に部屋を用意すると言ったが、丁重に断った結果である。聖都ルーメンも大都市だが、帝国の権勢を示しているかのようだ。


 御者のエスコートを受けて馬車から下りる。すかさずフィリーを守るかのように周りを部下が固める。

 剣王に襲いかかるものはそうはいないだろうが、ここは本来フィリーがいるべき聖都ではない。実力はどうあれ、見た目が華奢で身なりのいいフィリーが絡まれることは決して少なくない。


「そういえばフィリー様。ヨアキムから食事の誘いがありましたが?」


「断っておけ。指導でフィリー様も疲れている」


 そんな事はないけど……と思ったが、言葉には出さない。剣王仲間との旧交を温める必要も感じない。そもそも会話は苦手だ。腹芸だって得意ではない。白の剣王にできるのは剣を振ることだけだ。


「承知しました。ではそのように」


 少女が口を挟まないのを確認し、部下の一人がその意向を伝えるために駆けていく。


 いい時代に生まれたと思う。剣を振るのが上手ければただそれだけで生きていける。部下たちは尊敬してくれるし煩わしいことを全てやってもくれる。

 純粋に剣の腕だけを求められ育てられた聖都の白騎士。何も出来ないが、剣術の腕を高めていけばきっと幸せな一生を生きられるのだろう。


 部下が一振りの白い剣を差し出してくる。

 スマートで鋭利なフォルム。レイピアに近い純白の片手剣。『光剣レウコーン』。子供時代、才能を見込まれてからずっと使っているフィリーの愛剣だ。

 鞘ごと渡されたそれを腰に下げる。本来ならば盾も背負っているが、さすがに町中で盾は持ち歩けない。


 部屋に戻ると、実質護衛兼付き人のような部下たちからスケジュールの確認をされる。

 フィリーは聖都の剣王、長く聖都ホームを開けるわけにはいかない。予定は詰まっていた。


 皇帝への剣術指南に帝国の擁する騎士団の視察。食事はともかくとして、帝都剣士ギルドの様子も見なくてはいけない。剣士ギルドの至宝を盗まれかけたという情報の真偽の確認も必要だ。各町の剣士ギルドは半ば独立した組織になっているが、帝都剣士ギルドの失態は剣士ギルド全体の失態とも言える。


 余裕がないわけではないが、ほとんど余暇というものはないし、フィリーもそれを求めたことはない。期待を背負っているのは判っている。それに答えるべきなのも。


「最後に……部屋から出る際はお一人では出ないようご注意を。どのような無頼漢が現れるやもしれません、最低でも誰か一人にお声がけください、お供します」


 帝都の治安は聖都程ではないがかなりいい。町を巡回している帝国所有の警備軍や、剣士ギルドの面々が目を光らせている前で何かしようとするものなどいないだろう。

 そんな大げさな、と思いながらも小さく頷く。フィリーより頭二つ分背が高い大柄の部下は、その様子に恭しく頭を下げた。




§




「やはりヨアキムを糾弾するべきでしょう。選定剣の盗難。帝都でギルドの象徴を奪われるなんて以ての外、いかなる事情があろうと許されることではない。剣王の器ではない」


「しかし既に物は手元に戻っている。今更詰問したところで意味などないのでは? 下手人も既に投獄されている。現物が戻っている時点でこれ以上責任を追求するのは難しい」


「少なくとも、他支部を集めて会合を開くべきでしょう。あれは失態を隠したがっているでしょうが、筋が違う」


 高級宿だけあって、【黄金の鶏亭】は食事も洗練されていた。ビュッフェというらしい自分の好きなものだけ取って食べると言う形式も、聖都では見られないものだ。

 食事の席。身を乗り出すかのように討論を交わす仲間たちをよそに食事を進める。


 選定剣はかつて剣士ギルドの創設者とされる剣聖が有していた七振りの宝剣だ。今では最も大きな剣士ギルドの支部、六つの大都市の支部がそれぞれ保管している剣士ギルドの象徴でもある。

 【聖都ルーメン】にも存在するが、それぞれの支部はある意味その剣を守るためにあると言っても過言ではない。それの盗難は剣士ギルドの力と権威の失墜を意味する。最低でもギルドマスターの解任は確実だろう。まさか剣士ギルド全体を敵に回そうとする馬鹿がいるとは思わなかった、などは言い訳にもならない。

 今回はそれでも件の剣が戻っているのでヨアキムの処遇は話し合いの結果にもよるが、剣が盗まれたままだったら間違いなく首が飛んでいた。


「しかし、帝都に代わって赤風を守れる支部なんていない」


「奴の手は広い。このまま訴えても何にもならなかろう」


「ヨアキム死すべし。元々気に食わなかったんだ。私には分かる、奴のフィリー様を見る目はケダモノの目だぞ」


「フィリー様が負けるなどと思っているわけではないが、手を出してくる前にちゃんとちょん切っておくべきだ」


 話が変な方向にこんがらがっているのを見て、フィリーは小さくため息をついた。


 剣士ギルドは基本的に脳筋だ。考えるよりも手を動かした方が早い、強い方が偉い、そういう連中である。聖都支部は規範を重んじており、何かと自由な気風の帝都支部とは特に相性が悪い。


 視線を逸らす。別に放り出すわけではないが、部下たちが話していることなどフィリーにとってはどうでもいいことだ。

 もしも剣が盗難されたままで、取り戻すのを手伝ってほしいと言われたら手伝っていただろう。だが、既に剣は戻っていると言う。後はギルド内の問題であり、フィリーは権力なんて興味はない。特にどうしたいなど意向も持っていない。


 早く終わらないかな。表情を変えずに欠伸をしていると、ふとフィリーの視界に妙な物が入ってきた。


「……」


 しばらくわけも分からず漫然と見ていたが、徐々に状況がわかるにつれ、目を見開く。その色の薄い唇が小さく開き、久方ぶりにプライベートで声を出す。


「クマと……人が……お茶会してる……」


 論争の中でもその小さな上ずった声を聞き取った部下が、驚いたような表情でフィリーを見下ろす。


「……? フィリー様、何を言ってるんですか?」


「……」


 目を擦ってもう一度見直すが消えない。フィリーの見ている方向を確認した部下たちが一様にぽかんとした表情を作る。


 二匹のクマと人がお茶会をしていた。


 一匹はぬいぐるみのようにしか見えない小さな茶色のクマだ。机の上に座り、指のない手でまるで催促でもするかのように皿を叩いていた。

 二匹目は本物にしか見えない巨大な黒い熊だ。目も耳も腕も背中も何もかもが真っ黒で、よく見ないと影絵のようにしか見えない熊が、器用に両手でティーポットを持ち上げ、自身と比べると余りにも小さすぎるカップにお茶を注いでいた。


 最後の一人は人間だった。黒髪の温和そうな青年だ。高級感のある真っ黒なローブを着ているが、熊にお茶を入れてもらい、クマに催促されているところを除けば何の変哲もない青年である。いや、その二つの特徴からすれば大抵のことは何の変哲もなくなるだろう。


 いつの間にか食堂中の視線がそちらに集まっている。集まる視線の中でも動揺一つ見せない様子はどこか超然としていた。只者ではない。


 青年を後ろから凝視していた女性が小さな悲鳴をあげる。隣で目を限界まで見開き様子を窺っていた部下が小さなうめき声をあげる。

 ぬいぐるみのようなクマの目から細長い何かが出ていた。緑色のそれはさも当たり前のように角砂糖を掴み、青年のお茶の中に落とす。


 フィリーが凝視する前で、青年が熊に入れてもらったお茶を優雅に口に運ぶ。その目が一瞬フィリーに合ったような気がした。


「何だアレは……?」


 部下が放ったその言葉は場の全員の心の中を代弁していた。

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