第三話:ラクダドロップとオアシス

 砂漠のど真ん中。僕とサイレントの声だけが空に消える。

 サイレントがばんばんと地団駄を踏んで主張する。


「だから、無理だって!」


「いやいや、行けるんだよ」


「主、あれは蜃気楼だぞ!? 実体はないんだぞ!? どうやって登るつもりだ!」


 サイレントの手が遥か遠くに見える幻のように揺らめく黒の塔に向けられる。

 砂しかない地に突き出た陽炎のように揺らめく塔は冗談のようにしか見えない。


 僕は初めからサイレントの意見を聞くつもりなどないので、声を荒らげずに説明する。


「いや、蜃気楼ダンジョンだから。【カッサ砂漠】でランダムに出現するんだよ」


「……塔が動くわけないだろ」


 ごもっともである。だがゲーム世界でそんなこと言うのは野暮ってものだ。そもそも蜃気楼は光の屈折現象だから実体が必要なはずである。実体がないのに蜃気楼ができているあたり物理を超越していると言えるだろう。


「流砂はともかく、塔は戻ってこれるだろ。君は知らないかもしれないけど、【カッサ砂漠】を無作為に彷徨って両方のダンジョンにぶつかるなんて幸運なんだよ」


「暑さで頭がイカれてるんじゃないのか? 頭大丈夫、あるじ?」


 ひどい言いようだ。僕は蹴っ飛ばすかどうか悩み、エネルギーが無駄なのでやめておいた。代わりに蹴っ飛ばしカウンターを一プラスしておく。町についたら蹴っ飛ばそう。


「サイレントはどうして頑なに行きたがらないのさ? 僕の眷属だろ、言うこと聞けや」


 主風を吹かせる僕に、サイレントは呆れ果てたように肩を竦めてみせる。大きくゴムまりのように膨れ上がりながら甲高い声で言った。


「主、寄り道しすぎ。我は、主がかぴかぴのミイラになる前にオアシスを見つけたいだけだ。こんな暑い中、もう三日も水の一滴も飲んでないんだぞ? どうして元気なのさ!」


「流砂は寄らなかったじゃん」


「我が必死に止めなきゃ飛び込んでただろ!」


 ダンジョンを見つけたら攻略するのがゲーマーの性だ。ましてや、未知のダンジョンならばともかく、内部に出現する魔物についてはあらかた知っているのだから、寄らない理由がないのである。

 僕はしばらくサイレントを見下ろし首を傾げた。


「まぁでも確かに飲むのはともかく、水浴びくらいはしたいな」


「……それに、さっさと帝都に行かないと、剣士ギルドの連中にどんな噂吹き込まれるかわかったものじゃないぞ」


「ああ、それは大丈夫。僕達が進まなきゃクエストも進まないはずだから」


「……」


 サイレントが黙り込む。僕は小さくため息をつき、首を横に振った。


 ま、ダンジョンの一つや二ついいか。どうせダンジョンなんて腐るほどある、【カッサ砂漠】のダンジョンで手に入るアイテムがめちゃくちゃレアという事もない。基本序盤ダンジョンのドロップアイテムは全て別のダンジョンで手に入るものだ。


 僕が理解のある主でよかったな。


「わかった。サイレントの言う通り、塔は諦めようか」


「……素直だな」


 意外そうに言うサイレント。僕はもう一度ため息をつき、さっきまで塔のあった場所を指差した。先程まで確かにあった塔はいつの間にか綺麗さっぱり消え去り、そこには変わり映えのしない砂丘だけが残っている。


「【砂上の幻塔】、消えちゃったしね……」


「……砂漠は本当に不思議がいっぱいだなぁ、主? 消えてしまうような塔に登れるなんて」


 わざとらしい不思議そうな言葉に、僕は黙ってカウンターをもう一プラスした。



§ 



【カッサ砂漠】は元々ゲーム中でもかなり広いフィールドだったが、現実になると更に一筋縄ではいかないらしい。

 太陽の昇り降りの方向で方角だけはわかっていたが、わかるのはそれだけだ。地上を焼き尽くさんとばかりに照らす太陽に気温差、もしもこれがゲームじゃなかったら僕はとっくの昔に体調を崩すか干からびて死んでいただろう。

 時折発生する砂嵐に大量の魔物。ダメージを受けない僕からしても砂はお腹一杯だった。初めは美しいと思った景色も既に飽きている。元々僕は実際に旅行するよりも家でネットを使って画像を見たら満足な性分なのだ。


 うんざりしながら歩いていると、ふと地平線の彼方で白い煙が上がっているのが見えた。コートサイレントも同時に見つけたらしく、乾いた声をあげる。


「あ、主。煙が上がっているぞ」


「『ファイア・フライ』の群れでもいるのかな」


 炎を纏った赤ん坊程の大きさの蝿はここ数日で何度も戦った相手だ。群れで現れる魔物で通常攻撃が火属性だが、攻撃手段は体当たりのみであり、サイレントにとっては大した敵ではない。


「いや、燃えるものがないと煙は上がらないだろう」


 その通りだ。これまで煙が上がっているのなんて見たことがない。

 走るのもかったるいので心なし早歩きで煙の下に向かう。数メートル先に進んだ当たりで、視力のいいサイレントが叫んだ。


「あ、人だ。主、人だぞ!! ラクダもいる!」


「それ、ドロップするかな?」


「襲われてるぞ、主! サソリと蝿だ! うわぁ、大変だなぁ」


 完全野次馬根性で叫ぶサイレント。心配している様子はない。これだから冥種は。


 しばらく進むとようやく僕の目にも様子が見えてきた。数十人の隊商キャラバンが魔物に集られている。真っ赤な装甲のサソリと大量のファイア・フライに隊列は完全に乱れていた。どうやら煙は積荷に火がついたため上がっていたらしい。

 隊商は人数こそ多いが戦える者は少ないらしく、まだ遠いのに怒号と悲鳴が聞こえてくる。人間なのに眷属も使わず化物と相対するとは恐ろしい。


 一際立派な装甲をしたサソリがラクダの周囲を守るターバンを巻いた護衛をその剣ごと斬り殺す。ハサミの代わりに両腕が剣のようになっているサソリだ。名前はレッド・スコーピオンジェネラル。レッド・スコーピオンアーミーの上位種である。

 レアモンスターではないが、脆弱な人間を鎧の上から切り殺すには十分な力を持っているようだ。


 ちょっと離れたあたりで止まる。襲われている側はこちらを気にしている場合ではないらしく、まだ僕達に気づいていない。


「どうする主?」


「全員死ぬのを待って積荷を頂くか助けて恩を売るか迷うな」


「……正直、引くぞ」


「冗談だよ。こんなクソ広い砂漠で偶然人と出会うなんてありえない、きっとストーリークエストの一環だろ。いってらっしゃーい」


「……りょーかい」


 サイレントがコート形態を解いて地面に溶け落ちると、そのまま形状を変える。四肢を持つ狼のような獣の姿になると、一声遠吠えのような声を上げ、疾走を開始した。

 黒い点のようなサイレントはあっという間に戦場にたどり着き、大きく跳び上がる。

 突然現れた黒い獣に人間が、魔物たちがようやく気づく。その時には既に全てが終わっていた。数メートル飛び上がったサイレントの身体が形状を変え、触手が槍のように射出される。警戒もしていない上空から降ってきた槍に、蝿が、サソリが為す術もなく串刺しになっていった。どうやら先制でクリティカルを取れたらしい。


 唯一、装甲を貫けなかったスコーピオン・ジェネラルが数歩下がり、着地したサイレントに剣を向けて警戒体勢を取る。だが、ジェネラルと言っても所詮は序盤の魔物であり、サイレントに敵うわけがない。

 背に守った人間たちが唐突な助成に呆然としている。いきなりわけの分からない生き物が現れたのだから仕方ないが、油断するとはアビコルの世界が分かっていない。


 若干呆れながら僕は格好つけて指を鳴らして唱えた。


召喚コール


 突然地面が揺れる。背後から重い音が響きわたる。呼び出されたカベオが地面に叩きつけられた音だ。

 後ろを向く。鉄色の壁に進化したカベオが短い手足を駆使して立ち上がる所だった。

 縦一メートル、横、五十センチ。のっぺりした身体の表面には下敷きにされ完全に潰された『ファイア・フライ』が緑の体液をぶちまけ、張り付いている。


「油断するから襲われるんだぜ、なぁ、カベオ」


 アビコルでは何が起こるかわからない。だが、そのほとんどはSEやBGMを消していなければ前兆があるものなのである。

 まぁ、NPCに説明したところでどうにもならないだろうし、クエストに文句を言うつもりはないが、それを怠っている時点で殺して欲しいと言っているようなものだ。



§



「今回は本当に助かった。まさか蝿とサソリに同時に襲われるとは……命拾いした」


 ターバンを巻いた大柄の男。そのキャラバンのリーダーだという、カールが疲れた顔で言う。

 成り行きで隊商を助けてやった僕は、キャラバンに同行してオアシスに辿り着いた。

 湖程の大きさもある巨大なオアシスは周囲に草木が生い茂り、そのせいか周囲の気温も砂漠と比べて随分低く過ごしやすい。僕は砂漠をさまよった数日で一度もたどり着かなかったが、カール達はオアシスを中継地点にして荷物を運んでいるらしく、【カッサ砂漠】には似たようなオアシスが幾つかあるらしかった。


 テントを張りながら生き残りの中の一人が愚痴っているのが耳に入る。


「くそッ、大損だ……護衛も七人死んだ。マラット、ラウル、コンラード、エレン……皆いいやつだったのに」


 ファイア・フライに焦がされた死体にスコーピオンにより負傷した者。荷物の一部も燃やされ、ラクダも何頭か失ったらしい。護衛含めて二十人近くいた隊商も半分が死傷したようだ。魔物の死骸も何体もあったが、多勢に無勢だったのだろう。

 僕には被害の詳しい大きさなどわからないし興味もないが、僕が通りかからなかったら全滅だった事を考えると運がいいと言えるのではないだろうか。

 カールがまるで悪夢を頭から振り払うかのように首を振り、僕を見る。


「しかし兄さん、助けてもらって何だが、召喚士コーラーなのに砂漠を一人で歩くとは、随分と自信があるんだな」


召喚士コーラーなのに?」


 僕からすれば蝿とサソリにやられる程度の実力で【カッサ砂漠】で商売している連中の方が命知らずに思える。

 カールが僕の表情を見て弁明するように言う。


「ああ、いや、気を悪くせんでくれ。この砂漠では眷属は長く生きられないと聞いたことがあってな……ただの噂かも知れないが、召喚士で砂漠を歩いて渡ろうって奴は滅多にいない。俺も長年キャラバンを率いているが、砂漠の中で召喚士を見かけたのは初めてだよ。まぁそもそも砂漠を歩いていて人に出会うってのが稀だがな」


「……」


 もしやこの世界の召喚士はフィールドエフェクトの存在も理解していないのだろうか。予想外の言葉である。そして眷属よりも脆弱な人間が『炎天』でダメージを負っていない所を見ると、フィールドエフェクトは物理的なものではないようだ。


「主、ほら、取ってきたぞ」


 食料を求め木登りをしていたサイレントが、取ってきた木の実を投げてくる。野球ボール程の大きさの真っ赤な木の実だ。林檎とも違う。

 僕はキャッチしたそれをお手玉のように手のひらで弄び、数秒考えた後、じっとラクダの影から僕を覗いていた日に焼けた小学生くらいのモブNPCの方に放り投げた。

 もぐもぐ口いっぱいに木の実を頬張っていたサイレントが目を丸くする。モブNPCの少年が慌てたように木の実を受け取り、僕を焦げ茶色の目でじっと見る。頷いてみせると、必死の表情でその木の実に皮ごと齧りついた。どうやら毒はないようだな。


 カールが驚いたような表情で言う。


「す、すまない、兄さんも腹が減っているだろうに……」 


「いや、構わないよ。サイレント、もう一個持ってこい」


「むー……」


 サイレントがむっとしたようにまた木の方に向かう。歩く影のようなサイレントのグラフィックが珍しいのだろう、視線が集まっていたが気にせずにするすると木に登っていった。その様子をカールが眩しそうに見ている。


「ブラックデザートの樹だ。実は食用だが木の皮と葉に強い麻痺毒がある。背も高いし、実だけ落とすのは至難だ」


「へー」


 道理でサイレント以外に登っている人間がいないと思った。しかし樹皮にも葉にも毒があるのに実は食用とはこれいかに……。


 サイレントがまるで野球ボールのように木の実を投げてくる。僕は受け取ったそれをそのまま横流しするように、他のこちらを覗いていた連中に放り投げた。

 カールを疑っているわけではないが、念のため何人かに毒味させておこう。


 カールはチラリとそちらを見たが、すぐに表情を少しだけ緩めて続けた。


「……いつもならば魔物の群れに襲われた時のために魔導師がいるんだが、丁度体調を崩していてな…」


 剣士は単体攻撃に秀で魔導師は範囲攻撃に秀でる。ゲームと同じだ。

 ラクダの上でぐったりしていた者がいたので、恐らくそいつが魔導師なのだろう。肝心なときに役に立ってなくて笑う。


 しかし、砂漠は広い。どのくらい広いかというと、どれだけ歩けば抜けられるのかわからないくらいに広い。キャラバンは砂漠の横断に慣れているのだろうが、これからも魔物は出てくる。護衛を大量に亡くした時点で生きて抜けるのは厳しいだろう。


 カールは顔を顰め腰に下げた護身用らしい曲刀を見下ろし、苦渋の表情で言った。


「ブロガー、出会ったばかりで申し訳ない。折り入って相談なんだが」


「いいよー」


 カールが目を見開く。シナリオはスキップだ。スマートに行こうじゃないか。

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