第十一話:日記帳とできること

 窓の外を見下ろし、ため息をつく。その動作ももう何度目か覚えていない。

 宿泊している二階の部屋。窓からはカラフルな傘がぽつぽつと行き交っているのが見えた。

 こう何もないと時間感覚が薄くなってくるが、毎日書いている日記によると既に町についてから三日が経過しているようだ。


「雨がやまないな……まさかエレナでも来ているのか?」


 なかば本気で愚痴る僕に、サイレントが反論してくる。


「やんでるぞ、主。主が起きてる時には降ってるだけだ。午前中とかはやんでることもある。よくもまあ飽きることなく何もせずに引きこもれるものだな。宿の人も呆れ顔だ。いつもいるからベッドメイキングもできない」


 フラーがテーブルの上に座り、退屈そうに足をブラブラしている。水浴び大好きなフラーもさすがにこう何もないと気が滅入るらしい。

 だが僕だって何もしなかったわけではない。何もしないをしていたのだ。魔導石欲しいなーとか考えながら。


「それを何もしていないと言うのだ」


 サイレントが心の中を読んで、鋭いツッコミをいれてくる。僕は欠伸をしながら大きく背筋を伸ばした。

 品のいい家具。高級ホテルのようでテンションがあがった内装もこう毎日見ているとどうでもよくなってくるのが不思議だ。


「日記帳が切れちゃったよ。仕方ない、買いに行こう」


「ギルドに行ったりは?」


 もう一度外を見る。分厚い雲にバケツをひっくり返したような大雨。防水性の外套などではとても防げそうにない。数分もいればつま先から頭の先までぐっしょり濡れてしまうことだろう。


「こんな雨の中仕事をする気にはならないよ。いくら僕が勤勉でもね」


「……主は自己評価が高いな……ところで、傘とか持っているのか?」


 持っている訳がない。僕は鼻で笑い、サイレントの腕を掴んで持ち上げた。サイレントがぷらんとぶら下がったままぱっちりとした目でこちらを見上げている。


「決まってるだろ、君が傘になるんだよ」


「……」


 身支度を整え、サイレントとフラーを連れてぴかぴかに磨かれた廊下を歩く。時折すれ違う者から投げかけられる好機の視線にもなれたものだ。

 フラーは見た目だけならば可愛らしいし、サイレントだって手抜きではあるが大多数の怪物のようにおぞましい見た目はしていない。視線のほとんどは僕に好意的だった。


 広々としたロビーに下りる。フィーには初日の食堂で会って以来遭遇していない。

 部屋から余り出ていないせいもあるだろうけど、もしかしたら既に宿から出てしまったのかもしれない。期限つきのクエストも多いから可能性は低くないだろう。


「聖都関連はゲームオーバーになるかもしれなかったからなぁ」


 ちょっとだけ未練があるが、もしも彼女のクエストが聖都のクエストだったら今のパーティでは逆立ちしても勝てない。ゲームだったら考えなしにクエストを受けても大体課金で押し切れてたんだけど、前提が崩れてしまった今、やりにくくて仕方がない。


 ぐちぐち意味のない後悔をしながらロビーに出ると、そこで見知った顔が目に入ってきた。無視するか迷ったが一応知り合いなので声を掛けておくことにする。


「カールじゃん。元気?」


「ん、お?」


 まるで友達に対してかけるような軽い言葉に、大柄の男が振り返った。

 砂漠を横断している時とは違ってターバンも巻いていなければ服装も小奇麗になっている。無精髭もしっかり剃られており、カールの姿は山賊の頭からこの宿に似つかわしい逞しい商人に変わっていた。


 カールは僕の姿に目を見開き、辺りに油断なく視線を飛ばして何かを確認すると、ほっとしたように息を吐いた。


「あ……ああ、ブロガー、無事だったか」


 無事だったか……? 無事も何も、僕は一日ごろごろしていただけだ。何も起こる余地がない。とりあえず適当に合わせておくか。


「……ああ、なんとかな。やばかったぜ」


「何もなくてよかった。ちょうど探していたんだ……サイレントはどうした?」


 カールの問いに、右手に持っていた傘が勝手に声をあげる。


「われはここだぞ」


「ど……どうやら、相変わらずみたいだな」


 カールは戸惑ったような声をあげ、人差し指で頬を掻いた。



§



「剣士ギルドがお前を探しているようだ。黒い影のような眷属とアルラウネを連れ歩いた召喚士、召喚士ギルドの前に見張りが立てられているらしい。随分とピリピリしている」


 宿のロビーの休憩スペース。腰を下ろすや否や、カールが早口で言った。

 ロビーには客や宿の従業員が何人かいるが、誰もこちらに注意を払っている様子はない。


 剣士ギルドが見張り、か。理由は想像もつかないが、召喚士ギルドの入り口にフラグが立っているということだろう。ギルドに向かえば捕まるようだ、サイレントとアルラウネを連れた召喚士が僕以外にいるとも思えない。

 ソファに深く腰をおろし、黙って偉そうに腕を組む僕に、なかば興奮したような口調でカールが続ける。


「召喚士ギルドもお前を探しているらしい。商人仲間が何人か聞き込みを受けた。ブロガー、お前、大人気だな。今まで何してた?」


 何故召喚士ギルドが……まさかストーリークエストか。この大雨の中ご苦労なことだ。人差し指を立て、意味深な笑みを浮かべ返す。


「秘密」


「そ、そうか……いや、別にそれで構わない」


「まだしばらくは町にいるの?」


「……行商するにも護衛を雇い直さにゃならんからな。大損だよ。残った護衛じゃとても危険地帯は横断できないし、新たな護衛を雇おうにも、信頼のおける、砂漠を歩きたい護衛なんて見つからねぇ。砂漠を渡った商売もおしまいかもな」


 そもそも砂漠を渡ろうなんて根性があればもっとマシなところで商売できるようにも思える。


「そりゃいい。あそこは人が通るようなところじゃないよ。僕も一回で十分だ」


「……そうだな。その通りだ」


 頻りに頷くカール。しかし、砂漠を命からがら抜け出してやっと帝都までたどり着いたと言うのに、カールは随分と精力的に動いているらしい。雨も降っているのにさすが商人とでも言おうか。


 僕は召喚士で本当によかった。


 のほほんとしながらカールの鋭い眼差しを見ていたが、ふと一つ、思いついて尋ねた。どうやら彼らは帝都の事に詳しいらしい。


「そう言えば、【聖都ルーメン】の剣王を見かけたんだけど、何か知らない?」


 カールが僕の言葉に目を見開き、声を荒げた。


「なんだと!? 本当か!?」


 よく通る声に周囲から視線が集まり、慌てて声を潜めてみせる。ぎょろぎょろと挙動不審げに辺りを窺う様子はまるで犯罪者だ

 ぶつぶつとカールが言う。


「ルーメン。そうか、今回はルーメンの剣王が呼ばれたのか……」


「今回は?」


「そうか……ブロガーは帝都に詳しくないんだったな――」


 カールは大きく頷き、一通り概要を説明してくれた。


 帝都は元々剣士ギルドの権力の強い町だが、今代の皇帝は特に剣術に傾倒しており、定期的に他の町から優れた剣士を呼び寄せて手ほどきを受けるらしい。

 呼び寄せられる剣士はその時々によって異なり周期も気まぐれで変わるが、優秀な剣士というと剣士ギルドの幹部が当てはまる。特に六つの都市に存在する六人の剣王はその筆頭であり、何度も呼ばれている。


 聞いてみればそう難しい話ではない。うんうん頷く。

 時の皇帝が剣術に傾倒しているというのはゲーム時代から存在していた設定だ。


「ってことは、純粋に運が良かったのか……」


「ん? なんか言ったか?」


「いや、なんでもない」


 剣王は六人いるのに丁度きたのがフィーだなんて、運がいい。まぁたったの六分の一なんだけど、ここで見ることが出来たのは日頃の行いが良かったからだろう。

 一人納得していると、カールは何か思うところでもあるのか、思案げな表情をする。


「帝都の剣士ギルドの連中がピリピリしているのもそれが理由か……」


「あー、剣士ギルドも各支部で結構仲悪いからね」


 剣士ギルドと一口に言っても、決してそれらは一つのまとまった組織というわけではない。


 剣士ギルドと召喚士ギルドは確執があるが、剣士ギルドの内部、各支部同士にだって確執があったりする。

 僕が知らないだけかもしれないが、下手にスキルや魔法なんてものが存在するせいかこの世界では流派というものが存在しないのである。そりゃ剣から雷出たり炎出たりしていたら剣術なんてどうでも良くなるだろうが、結束が薄くなるのもしょうがないと言えよう。


 しかし、そうか……偶然だったか。クエストが起こらないなら記念に声掛けとけばよかったなぁ。


 そんなくだらないことを考えていると、カールが顔を上げ、警告してきた。


「何にせよ、今は警戒が強い。気持ちは分かるが迂闊な行動はするなよ。召喚士ギルドとの接触も控えたほうがいい。ここは剣士ギルドの連中のテリトリーだからな」


 何がどうしたのか知らないが、随分と深刻そうだ。僕は空気を読む男だったので、それに合わせて深刻そうな表情を浮かべる。


「ああ、とりあえず雨が上がるまでは大人しくしているつもりだ。黒い影のような眷属とアルラウネを連れている者を探しているんだったら、しまったほうがいいんだろうね」


「ああ、そうだな。後は……名前も、迂闊に名乗ったりはしないほうがいいだろう」


 縛りが多いな……破ったら新しくクエストが起こるのだろうか。まぁ、どうでもいいか。所詮ゲーム、負けたらまたリセマラしてやり直すだけだ。


 ロビーに置いてある柱時計に視線を投げかけ、カールが慌てたように立ち上がる。


「悪いな、ブロガー。そろそろ用事がある。俺もできることはやるが……気をつけろよ」


「できること?」


「ああ、できること、だ」


 何をやるつもりなのか知らないが、したり顔のカールにそれを尋ねる気にはならなかった。

 僕も雨がやむまではできることをやることにしよう。


「そういえば一個だけ聞きたいことがあるんだけど」


「ん? なんだ?」


 カールが振り返る。既に見飽きた面を見上げ、僕はさっそくできることをやった。


「カールさ、日記帳とか取り扱ってない? 頑丈な装丁でなるべくページ数がある奴がいいんだけど」

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