第2話 侍女マリア
コンコン、とドアがノックされ、私の返事を待たずにドアが開いた。
「お嬢様! 起きていたのですか! マリアは心配で、心配で……」
ソファーに座っていた私に駆け寄り、ガバッと抱きしめた私の乳母、マリア。マリア独特のラベンダー色の髪の毛が、目の前に来て、胸がキュンと鳴る。
ああ、誰も信じないと誓ったばかりだけれど……マリアは前世、数少ない私を裏切らなかった一人だ。
前世、マリアは急によそよそしくなった両親に、私のために意見して、首になり、去っていった。
子供を死産し、離縁され、辛い思いを吹っ切るために引き受けた乳母の仕事。生まれた時から私に乳をくれて、そのまま私付きの侍女として私の側にいてくれた、私にとっての理想の母。暗い記憶に塗りつぶされて、すっかり忘れていた。
何故生まれ戻ったのかはわからないけれど、マリアのような人に恩を返していく人生にできたら悪くない。
とはいえ現状五歳の私に出来ることは……マリアを被害に遭わせないこと。
「お嬢様……お腹は空きましたか? 今日は大事をとってお部屋で食べましょうね」
マリアが私の身体から頭を起こし、涙目で切なげに微笑んだ。
私は知っている。今日は、ではない。今日からずっと部屋で食べろ、私の顔など見たくもないと父が言ったことを。
マリアにこれ以上気を遣わせるのは酷だ。
「マリア……もういいの。私、お父様に見限られたってわかってるから」
「お、お嬢様! ち、違いますっ!」
マリアの焦げ茶色の瞳が揺れる。
「マリアは優しいね。でも決してお父様に逆らってはダメ。マリアが咎められちゃう」
「お嬢様……一体……急に……大人びられて……」
マリアが呆然と私を見つめる。あまりに思考が子どもらしくなかったか? しかしもう、私は無理に他人の考えに合わせないと決めたのだ。
「私……〈火魔法〉が使えない以上、この家の子どもでいることを……諦めた」
「お嬢様は……聡明だと思っておりましたが……ここまでとは……」
マリアが痛ましそうに私を見る。
「マリア、あのね、私はしばらく部屋で大人しくしてる。部屋を出なければ、顔を見せなければ、お父様もお母様も使用人に当たり散らすことはしないと思うの。アーシェルをこの部屋に近づけちゃダメだからね」
まあ、母と弟アーシェル付きの使用人がそんなヘマはしないだろうけれど。
アーシェル……昨日も膝に乗せて絵本を読んであげたけれど……道が分かれてしまった。次に会うときは、父の影響で私を見下すようになっているのかしら。前世のように。
私を睨みつける、少年になったアーシェルを思い出して、首をブンブンと振る。
「私が……どうやって生きていくか決めるまで、静かにここで生活できるように協力してちょうだい?」
「……よくわかりました。ではお食事をお持ちしますね」
「そうだ! これからは野菜を多めにしてくれるよう、厨房にお願いしてくれる?」
〈草魔法〉を使いこなすうえで、野菜の摂取は必須だ。
「……なるほど。了解しました」
◇◇◇
この家にいる以上、私を苦しめた人間どもとずっと顔を合わせなければならない。そしてこれからも出会っていくのだ。婚約者であったドミニク殿下や、その取り巻きや、学校の生徒たち。
どうやったら物理的に脱出できるか?五歳児には不可能。協力者が不可欠だ。
マリアはダメだ。彼女に甘えるわけにはいかない。下手すると彼女の家族まで被害が広がる。
この家でまあまあの発言力を持ち、五歳の私に同情し、救出してくれる人。前世、全く関わり合わなかった人……。
「マリアお願い。蔵書室に行って、直近の家系図を持ってきてくれる?」
「……お嬢様、字が読めるのですか?」
どうだろう?
「わかんない?」
「了解いたしました」
魔法だけでなく、前世の知識も普通に使えた。マリアの運んできた、癖のある略字の多い家系図も難なく読めた。家系図には人物の人となりや職業、没年齢など、空いたスペースに次々と書き足されている。
もちろん、魔法適性も。
……いたわ。案外続柄は近い方だった。前世でも今世でも接触したことはないけれど、躊躇ってる時間などない。この家の陰湿さに絡めとられる前に脱出しなければ。
「マリア、お手紙を書くからペンと便箋を持ってきて? そして明日の朝、早馬を準備してほしいの。マリアの用事ってことにしてもいい? えっと、代金はそこの銀のペーパーナイフを売ってはりゃって……あ……」
噛んだ。しょうがないよね! 五歳なんだもん! 大人の思考に舌がついてこないのだ。
まさか父も、まだまだ舌ったらずな五歳児の私が手紙を書き、早馬を走らせ届けさせるなど思いもしないだろう。
「ですが、そのペーパーナイフは……」
私の誕生を祝って父が作らせたものの一つだ。刃の根に〈火魔法〉を表す文様が刻まれている。
『姉上には不要でしょう?〈草魔法〉なんだから』
前世、弟は笑いながらそう言って、私の承諾もなく、根こそぎ奪っていった。
「そのナイフは……近い将来私の手元から離れる予定だったもん。だったらここで役にたってもらう」
私は言葉を選びながら慎重に、正直に手紙を書いた。100%頼る以上、妙な小細工をしては不審を招く。事実と、今後の予想、できるならば連れ去ってほしい、と。
何度も読み返して、失礼のない文章か確認して封をした。そしてマリアに託した。
◇◇◇
あっという間に夜は更けて、子どもはとっくに寝ている時間になった。
手紙に没頭していたが、今日一日、一度も食事に呼ばれることもなく、これまで当たり前だったおやすみのキスのために、母がやってくることもなかった。
わかっていた。二度目だもの。わかっていた。
だけど、ボロボロと涙が溢れ出る。前世の大人の思考も混ざっているけれど、所詮今現在は五歳児なのだ。仕方ないでしょう?
「う……ううっ……」
私は枕に顔を押し付けて、泣き声を漏らさぬようにする。使用人に憐まれるなんてまっぴらだ!
たとえ、二度も親に捨てられたとしても。
◇◇◇
手紙の宛先へはどう急いでも往復10日はかかる。私は怪しまれぬ範囲で、この家を出る準備をはじめる。
「マジックルーム!」
忽然と私の目の前に異空間への扉が開く。中の広さは物置一部屋程度だ。私はその中に売ればそこそこのお金になりそうなものをポンポンと放り込んでいく。ドレス、髪飾り、ネックレス、リボン、茶器、花瓶……。
「お嬢様、加減なさいませ。すっからかんになると、掃除などに入る他の使用人が訝しみます」
マリアの声に大人しく従う。
私が使える魔法は〈草魔法〉だけではない。〈草魔法〉で家族や婚約者に見放された私は、他の魔法が使えれば、また皆元のように優しくしてくれるのではないかと思い、必死に身につけたのだ。このマジックルーム……〈空間魔法〉もその一つ。
しかし、適性魔法が〈空間魔法〉の人に比べれば、大人と子ども、半分のレベルにも到達することはできず、私の努力を披露する場などなかった。
しかし、今、役にたっている。
一般的に、脚光を浴びる華やかな適性……つまり四大魔法を持つ人は、自分の適性に特化し、他の魔法など目もくれない。
私は今世ではそういう人たちとはもう張り合わない。前世手に入れた、たくさんの初級程度の魔法を駆使し、出し惜しみせず、地味に生きていくのだ。
ちなみに〈草魔法〉の次に得意なものは、〈水魔法〉だ。草に水は欠かせないもの。〈水魔法〉は〈火魔法〉の対。〈火魔法〉はどんなに頑張ってもとうとう、焚き火をおこすくらいしかレベルを上げられなかった。皮肉なものだ。
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