第141話 罠

 庭師見習いの彼は、うちの使用人だから、結界をすり抜けられる。

 そして、今私たちが立っている庭は、外壁の結界だけにしか守られていない、脆弱な場所。


「うそ……」

『なんだと!?』


 見習いで、母家に入れない立場ゆえに、おそらくベルンはきちんとした契約とそれに伴うルールを彼に課していない。


 通常であれば、それで問題なかった。これまで私の敵に、私よりも強いものはいなかったから。


「クロエ様は、ここにおりますー! 病気のはずなのに、歩いてここに来てますー!」


 その少年が空に向かって悲鳴のように叫んだ。

 その言葉に空気が震え、一瞬で、外部と我が家屋の境界である、一番外の結界が破られた。

 そして一昨日、エリザベス殿下のお供としてやってきた、レベルMAXの魔法師二人がローブを翻しながら、うちの護衛を力づくで倒しながらこちらに向かってくる。

 一人は戦闘時にフードが外れ、髭面の痩せた中年の男が現れた。竜巻を起こしてうちの護衛を宙に飛ばしているから、こいつが〈風魔法〉らしい。

 男はニヤニヤと下品な笑みを浮かべている。もう一人の少し大柄の方は相変わらずフードで顔は見えない。


「うわーーああああん!!」

 少年はうずくまって泣き出した。その様子を見るに、彼も……断ることができない脅しを受けたのだろう。心に傷が残らなければいいのだが。


 男二人、私と10メートルほど間を空けて立ち止まった。

「クロエ辺境伯令嬢、王妃殿下のお茶会を断りながらも、ずいぶんとお元気な様子ですね。これは由々しき問題。少しお付き合い願えますか?」


「……寝間着姿でお手洗いに行くところまで見張られているなんて、私の乙女心はズタズタですけど」


 そう言って睨み合いながら、術を展開するきっかけを探る。MAXレベルの魔法師であれ、一人なら簡単に排除できた。自分で言うのもなんだが、私は彼らよりも実戦経験が豊富なはずだ。辺境で魔獣と対峙してきたのだから。

 しかし、敵が二人では……楽観できない。


「私どもは、病気だと聞いていた貴方様が心配で駆けつけたまで」


「この屋敷に私を心配する使用人がいないとでも? ともかく、このローゼンバルク辺境伯屋敷への不法侵入、許すことはできません」


「これはずいぶんとお元気になったようだ。これならばお茶会に来ることができますね」

「私は辺境伯の娘です。私を外に出したいのならば、手順を惜しまず辺境伯の許可を取ってください!」


「私どもの主はエリザベス王女殿下であり王家。その命に従うまで。それにお茶会へのお誘いはここ数日しておりますので、突然でもないでしょう?」

「その度にお断りをしています」

「ええ。でももうお元気だ。さあ、ご案内いたします」


「あなた、こんな無茶なことを……王家と辺境伯が衝突しても構わないと?」

「我々は特に困りませんねえ……ただ、そうはならないと、殿下がおっしゃってました」

「殿下?」

「ええ、エリザベス殿下は、辺境伯は今後王家に楯突くことなど不可能だと。命令され、従順に辺境を守るようになる。正しい形に戻るのだと、ね」


 よくわからないけれど、ずいぶんと舐められたものだ。信頼関係を壊されて、従順に仕えるわけがない。

「……辺境の兵士は、最強よ?」

「ふふふ、そうでしょうが、もはやそのようなこと、関係なくなると聞いています」


 話が通じない。彼らの言うことが理解できない私がバカなの? 一瞬動揺しかけたが、一呼吸置く。ここはホームだ。私がバカなのなら、バカじゃない者を頼ればいい。


 私は自分の魔力を屋敷の中にMAXで放つ。異常を知らせるために。


「ベルンッ!」


 すると、ヒゲ男はチラリと屋敷に視線を移し、

「あの、〈記憶魔法〉MAXの執事が来ると面倒ですね。はさみうちで行きますか。せいっ!」


 一瞬で私は私を覆う見えない箱に閉じ込められた! もう一人の魔法師は〈空間魔法〉のMAXだった!

 そして、ヒゲ男がその箱の中で風切を起こす。風切とはいえ、レベルMAXの〈風魔法〉師が唱えれば、研いだばかりのナイフと一緒だ。体中がビシビシと切り付けられ、鮮血が飛ぶ!


「くそっ!成長!」

 私は手持ちの草を私の体に巻きつけてガードしようとするが、この空間は何かが……おそらく炭素が足りていなくて、思った以上に育たない!


 そしてそんな強度の弱い草を風切が引き裂き、また私の皮膚を食い破る!

 この箱を壊さなければ意味がない。


 私は手持ちの種を地面に植えた。まだ、地中は空間魔法の領域に入っていない!


「成長!」


 一秒で、〈空間魔法〉師にたどり着き、ザクッと音を立てて地上に芽吹き、太い茎がその男に襲いかかる。


「わっ!」

 男は悲鳴をあげてよろめいた。その時にフードが後ろに落ちた。思いの外、若い男だ、と思った次の瞬間、その顔はつい数日前に出会った人間のものだとわかった。


「ブラウン……ジャック様……」

「…………」


 目の合ったジャックは不愉快そうに顔を歪め、よくわからない方法で私の草を追い払おうとしていた。そのあまり成果のなさそうな方法に、業を煮やしたヒゲ男は、再び風で私の茎をスパスパと切る。


「そういや、あんたたちはリールドの顔見知りなんだっけ?」


 私は不愉快なヒゲ男を無視して、ジャックに話しかける。


「ジャック様、なんで? あなたは〈木魔法〉でしょう?」


「はんっ! 適性魔法の偽造くらい簡単だろうが。モルガン侯爵すらできたんだぞ? 適性魔法を管理する王家が書類をいじることくらい、なんてこたねえなあ」


 答えるのはヒゲ男。そうかもしれない、そうかもしれないけれど。

 拙い〈木魔法〉……あれは本来の適性ではなかったから?


「あの時から……私を見張っていたの?」

「あったりまえじゃねえか。あんたを見張って、あんたの力量を測って、あのダンジョンがこっちの思い通り崩れるか、ジャックはチェックしてくれてたのさ。思いの外よくできたダンジョンだったから、ところどころ脆い箇所を作ったんだよな。まあ、学校の〈空間魔法〉師よりもレベルの高いジャックなら、造作もない」


 あまりの発言に目を見張る。

「……ほんとなの? ジャック様がダイアナともう一人の学生の大怪我に加担してたの? 同じ学生で! あなたに何一つ関わっていないのに?」


「はー!若いとあれこれ考えちまってろくなことねえなあ。ジャック、さっさとしろっ!」


 ヒゲ男の罵声に、ジャックは暗い目のまま顔を上げた。

「……そうだよ。クロエ様。命令だから。ごめんなさい」


 ジャック様が右手を私に突き出し。上に向けていた手のひらをぎゅっと握り込んだ。

 すると、私を囲った空間から酸素が一気に抜かれていく。


「あ……う……」

 私は堪らず膝をつき、ジャックを苦しめていた草も、同時に地面に落ちた。酸欠で朦朧とする中ジャックを見上げれば、かれは冷たい瞳で何の感動もなく、私が死ぬのを待っていた。


 やはり私はバカだ。今回もまた、一見ひ弱で善良に見える人間に騙されて死ぬのだ。

 私は絶対に死んではならないのに……


 そう思ってはあはあと口を大きく開けて空気を取り入れていると、


『クロエ!』


 エメルが巨大化して姿を現した。私を助けるために!


 なるだけ目立たぬように生きていこうなんて思っていたけれど、そんなこと、もはや言ってられない状況だ。叡智の塊であるエメルに全てまかせよう。


 しかし、思いもよらないドラゴンの登場に、怯むと思っていた敵は、何故か瞳を輝かせた!


「やはり!エリザベス殿下が言った通りだ! 捕まえろっ!」


 ジャックが、己のマジックルームから何かを取り出し、正面に向けて投げつけた。てっきり私に来ると思って、渾身の力を振り絞って草盾を展開したが、その鈍く光るものは真っ直ぐにエメルに向かった。


 そして、巨大化したエメルがそれを振り払おうと、手で払った瞬間、禍々しい黒い帯ががエメルの腕に巻きつき、ガチャリと金属の音がした。


「グギャアアアアアア!」


 エメルが足を踏み鳴らし、体を捻り暴れる。エメルの腕には赤く変色した鉄のような、禍々しい腕輪が嵌められていた。

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