第113話 魔獣

 エメルの案内で、さらに荒れた森の中を一刻ほど走ると、先のほうに土煙が見えてきた。

「あれなの? ようやく着いた?」

『うん。今回の魔獣、ちょっと気持ち悪いぞ? 心の準備しとけ』

「わかった」


 唐突にこんもりと茂っていた木々が円形になくなって、視界が開けた。地面がボコボコと隆起して荒れている。その周りを兄はじめ、見知った手練れの仲間たちが必要な間隔を取って取り囲んでいる。でも魔獣の姿は見えない。


「……今回の魔獣、ワームって聞いていたけど、地面に潜るの?」


『うん。大体がイタチほどの大きさで、地下を這い回るから、上手いこと仕留められないんだ』

「クロエ?」


 涼やかな瞳に射抜かれる。兄が私に気づいた。討伐中であり、うわついた気持ちになどならない再会で、どこかホッとする。


「お兄様、戻りました。えっと、地面ごと凍らせたら?」

「何度か試したが、地下深くにちょこまかと潜るだけだ。これ以上温度を下げると元々この地にいる命と土を殺す。うん、クロエ、草であぶりだせ」


「はい……よし! みんな、10秒後だよ! いきます……草縛!!」

 しゃがみ込み、両手から一気に魔力を排出した。


 テンカウントよりも少し早いタイミングで、この地の植物の根が地中深くに巣食うワームにグルグルと巻きついて地表に一斉に飛び出した!


「いまだ!」

 トリーの高い声を合図に、仲間たちが自分の持ち場内に現れたワームに攻撃を仕掛ける。あるものは魔法で、あるものは武術で。

 気持ちの悪い、甲高い鳴き声をあげて、ワームたちは動かなくなっていく。大きなものは牛並で、三人がかりで仕留めていた。


 今度はネズミサイズの小さな奴らを取りこぼさないように、地中に網草を張り、浚って、地上に引っ張り出す。数百という小さな魔獣が空中に放り上げられた!


『トトリの地引き網漁みたいだな』

「実際そのイメージ」


 小型の魔獣はミラーはじめ、放射系の攻撃魔法を使えるものが、一斉に粉々に殲滅させていった。


 もう私の草の結界に引っかかるものはいなくなった。自分の作業を終え、地面から手を離して立ち上がり、手をぱんぱんと叩いて土を払った。


 その様子を見ていた兄が小さく頷いて、

「エメル、まだ残党はいるか?」


『……いや、いない』

 地中については〈土魔法〉MAXのエメルの言に間違いがない。


「クロエ、さすがだ。よくやった。クロエ、エメル、ワームには必要な素材はあるか?」


「私はいらない」

『俺も』


 兄が声を張って命令を下す。

「皆、討伐完了だ!死骸を一箇所に集めろ。ミラー、一気に焼いて魔核だけ取ってくれ」


 魔核は魔獣の心臓で、魔獣によって大きさや色が異なる石だ。魔核は魔力を蓄えることができる器として、魔力が少ない人や、休息の取れない戦時の魔力の補給用として売買される。大きいほど高く売れ、小さいものは、卓上のランプなどに使われる。


「かしこまりました」

 ミラーが周囲に指示を出す。


「お兄様、私は風上で、昼食の支度をしておくね」

「助かる。トリー、クロエを手伝え」

「アイアイサー! クロエちゃんおかえり〜」


 トリーは変わらず私よりも小さく、かわいいままだった。本人には言わないが。

「トリーただいま。お疲れ様。お腹減ったでしょ?」

「うん。何持ってきてくれたの?」

「焼き立てのパンに色々挟まれてたよ。あと、王都のデザートもあるからね」

「やったー!」


 皆それぞれ、自身にクリーン魔法をかけ、身綺麗になってから敷物に広げたパンに手を伸ばす。


「クロエ様、おかえり〜! いただきま〜す」

「ただいま、シンシア。槍、新調したんだ。カッコいい!」


「クロエ様、いいとこ持っていきすぎっすよ!」

「そう? ごめんねニーチェ」


「クロエ様、ポーションある?」

「やだ、足首腫れてるじゃない!? 捻ったの? これ痛み止めのポーションね。エメル、ちょっと冷気吐いて冷やしてあげて。あと……はい湿布」


 顔馴染みの手練れたちと和気藹々と喋りつつ、食事が行き渡ったのを見届ける。さすがベルン。皆、久しぶりの作りたての料理を口にしてニコニコだ。


 思い思いに座って落ち着いたところで、兄が声を発する。

「皆、ご苦労様。魔核は皆で山分けしていい。ミラーから受け取ってくれ。討伐参加組は一週間休みだ。疲れを取って家族孝行すること。では俺は一足先に帰る」


「「「「「はっ!」」」」」


 兄がマントを翻し、自分の馬に向かった。私が視線をトリーに送ると、トリーがしっかりした表情で頷いた。彼も幼くとも側近、後は任せよう。


 兄に走って追いつくと、チラリと視線をよこされた。

「クロエ、まだ皆と喋ってていいぞ? 久しぶりだろ?」

「お兄様がお仕事に戻るのにそんなこと……一週間あまりここに詰めてたんでしょ? 屋敷に戻ったらちょっと寝て? 私ができることはしておくから」


「ふぅ……ふふっ、そうだな」

 兄が、これまでの取り繕った元気な表情を止めて、額に手をやり疲労を滲ませる。そんな様子を見て思わず眉間に皺をよせると、


『それならサクッと帰ろう。捕縛!』

「「え!?」」

 兄と私はあっという間にエメルの網に包まれて宙に浮いた!


「エメルっ!」

 兄が慌てた様子でエメルを見上げる。

『大丈夫! 魔親二人いるんだ。魔力切れの心配ないぞ?』

「そこじゃない!」


「馬は俺らが連れて帰りまーす」

「ジュードさまー! クロエちゃーん! ばいばーい!」

 眼下のニーチェとトリーがそう叫び、みんなワイワイはしゃいで手を振っている。


『ほら、ジュード、到着まで寝てろ!』

「そ、そうね。もうお兄様寝ちゃって!」


「はあ……じゃあそうするか。クロエ、肩貸して」

 兄は私の右肩にもたれかかると、秒で寝てしまった。


 兄の銀に光る長いまつ毛の下には、どす黒い不健康な隈。

『ジュード、疲れてるなあ』

 空の彼方を見ていたエメルが、真下に視線を落とす。


「ほんとね。とっておきのポーション飲ませなきゃ……」

 兄の顔についた泥や煤を、タオルでそっと拭いとる。


『ふふっ、あれ以来の再会に、クロエはかなり意識してたけど、全く問題なかったな』

「まあ、あの気味の悪い魔獣を前に色っぽい雰囲気になんてなるはずないね……」

 エメルと小さな声で笑い合う。


『ジュードがこんな疲れた姿を見せるのは、おそらくクロエの前だけだぞ?』

「……それと、エメルね」

『クロエ……』

 気恥ずかしくて、意に反した返事をする私を、エメルが咎めるように上から睨みつける。


 こんなにくたびれ果ててまでも止まらずに、みんなの笑顔を守り続ける兄を、心底支えたいと思う。その気持ちは出会った頃から変わらない。

 でも、できればそばで……一番そばで……。


「お兄様……」

 そっと兄の砂と埃にまみれてもつれた銀髪に、指を通す。ひんやりとしたいつもの感触に口元が綻ぶ。

「大好き……」


 初めてダンジョンに潜ったときから、何度も何度も告げてきた。口にすることに躊躇いはない。特に今は寝ているのだから。


 好きにはいろんな種類があって、私の大好きがどれに当てはまるのか? わからないし考えるのが怖くさえある。

 けれど兄へのそれは間違いなく、前世のドミニク殿下への想いよりも数倍大きくて重いものだと自覚した。


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