第114話 ザックの諜報活動
領地に戻り数日経った。
自分が兄へどんな態度をとってしまうか予想できずハラハラしていたが、蓋を開ければ兄はとにかく忙しく、じっくり向き合う時間などこれまでのところない。
顔を合わせても挨拶程度でバタバタと出かけてしまい、帰ってきても疲労の色の濃い表情で書類と格闘している。
「急にこんなに忙しなく……どうしたの?」
「お館様が健在のうちに、ジュード様に仕事を移行することが、ローゼンバルクに隙を作らないことに直結いたします」
ベルンが私に果実水を注ぎながら、返事をする。
「表に立って、キッチリ仕事をこなす嫡男がいて、さらに後ろにはおっかないおじい様が控えているから、ゆめゆめローゼンバルクを侮るなよってこと?」
「そうです。代替わりにはゴタゴタがつきもの。ジュード様は速やかにつつがなくそれを済ませ、ローゼンバルクの統治を盤石なものにしたいのですよ。お館様とクロエ様のために」
ベルンはそう言って、器用に右の口の端だけを上げた。
おじい様と……私のために。
「ジュード様はクロエ様がこの地で心安らかに、朗らかに、元気に生きるために、手を尽くされています」
「ベルン……」
とりあえず、今の私ができることは、これまでとあまり変わらない。
「お、お兄様! 待って! ポーション! 飲んでって!」
「えー? 何味だ?」
『ジュード、効能より味優先か?』
エメルが呆れるようにそう言って、兄の頰に鼻を擦り付ける。
「疲労回復、りんご味です!」
「よし!……ありがとうクロエ! じゃ、二人とも行ってくる!」
兄は私に空瓶を渡した後、私とエメルをギュッとハグし、ミラーを引き連れ早足で玄関を出て行った。
『ジュード〜いってら〜』
「いってらっしゃい……」
あまりに普段通りなので、誰も私に見向きもしない。
顔に熱が集まっていることに気がつくのはエメルだけ。
『冷やしてやろうか?』
「……けっこうです」
◇◇◇
夕食後、エメルと薬草の仕分けをしていると、
「クロエ様、ザックから紙鳥が戻りました」
休暇ののち、職場復帰したダイアナから声がかかる。
「オーケー。二度手間させては悪いから、ホークを呼ぼう」
『お! 第一段か? 案外早かったね!』
兄は近隣の会合に出ている。この段階で祖父を呼ぶほどではない。ゆえに私の部屋で参加者はダイアナとホーク。有用な情報と判断したら、ホークが幹部皆と情報を共有するだろう。
マリアは夜は仕事に入らないので、ダイアナと私でお茶を淹れ、各自の前に並べた。エメルにはミルクだ。
「ザック……文章がなっていないので、私が要約してお話ししてもよろしいですか? そのうち、報告書の出し方を、きっちり仕込みますので」
「そ、その辺はダイアナに任せるわ」
『ザック……まあ好きでローゼンバルクにかかわりたがってるんだからな。頑張れ』
エメルがクスッと笑った。
ホークもソファに座り、小さく頷いた。ダイアナはコホンと咳払いして話し始めた。
「ザックはサザーランド教授の数学の講義に無事中途で入りました。受講している人間は8人で、全員が下級貴族か平民。その点ではザックが浮くことがなかったようです。メンバーに関してはこちらにまとめてあります」
ダイアナに渡された紙をホークとエメルと顔を寄せ合って読む。どれも知らない名前ばかりだ。
前世教授の元に集ったメンバーがいるかどうかはわからない。本名を知らないのだ。
「次回、身体的特徴も教えてくれるように頼んでくれる?」
「了解しました」
ダイアナが自分のノートにメモを取る。
「帳簿付け等に役に立つと思われたのか、商家の学生や文官を狙っている学生がほとんどだと。しかしザックの主観では、現実の書類仕事に役に立つような授業ではないそうです。いかにも武官を目指すザックが入室すると、若干ざわめいた、と」
「怪しまれ、何か尋ねられたのか?」
ホークが右眉をピクリと上げた。
「最初の授業で自己紹介を兼ねてなぜこの講義を? と教授に尋ねられたそうです。ザックは打ち合わせ通りに『軍で数学は案外必要だと聞きかじり、他の受験者にないアピールポイントになるかと思った』と答えたそうです。すると、教授はすぐに納得したと」
『まあ、ツッコミどころがないもんな』
「はいエメル様、その通りかと。学生たちはそれぞれ馴れ合うわけでもなく、授業のために集まり、終われば次の予定に向けて皆席を立つ。あっさりした関係のようです」
馴れ合わないからと言って、あっさりした関係と決めつけるのは早計だ。現に前世の私たちは日常では何一つ関わらず、教授の実験室に集まっていた。冗談を言い合うことなどなかったが、全員に心のうちでは、強いシンパシーを感じていた。
「授業内容は既存の教本を板書とともに解説です。同じ本を取り寄せましたが、まあ数学の入門書ですね。そして次の授業の時チェックテスト……と大変親切ですが、面白みがなく……抜き打ちすればいいのに」
ダイアナに教本を手渡され、パラパラと読む。前世王子妃教育でならったものと大体同じで、特別なことは何もない。
「まあ、密偵の本職でもないザックよ。十分な働きだわ。何かお礼をしてこれからもこの調子で情報を仕入れてもらおう」
「あ、さらに不確かな情報があります」
「不確かな情報など必要か?」
ホークが怪訝そうにダイアナを見上げる。
「ザックは自信があるようですので」
『ダイアナ、もったいぶるな』
「教授は、左眼が見えていない、と」
「え?」
『ふーん』
前回ちらりと姿を見たときは、眼帯も何もしていなかったし、眼を負傷? しているとはわからなかった。
「……騎士の卵であるザックから見て、死角が多いのか?」
ホークが顎に手をやりながら尋ねる。
「そのようです。ザックのフィドラー領は、軍人である子爵の方針で戦争で傷ついた兵士をかなり受け入れていて、同じような人と過ごしているからわかる、と」
ホークを真似て右手を顎にやり、思考に沈む。
前世の教授は間違いなく両眼とも見えていた。
前世と同じ人生にならないように、自分の行動はガラリと変えてきた。その結果、周囲も、関わる人々の境遇も変わった。
でも、教授には、私は現状何もしていない。しかし、すでに前世と大きく違う。
何が……起こっているのだろう?
「そりゃまた……魔法戦にしても目視による距離感で精度が違う。まあ、距離感なんぞ関係ないレベルならば問題ないか」
「あと、もう一つ、お知らせが」
「え?」
『まだあるのか?』
思わずエメルと一緒に前のめりになった。
「ケイト様と、そのお友達も、教授の授業を受けるようになったそうです」
「うわあ……」
『めんどくさい……』
「めんどくせえ……それこそ不要なネタだ」
「ですねー! ザック諜報作戦、私が言い出しっぺですが、ほとほと後悔してます。クロエ様すいません!」
私は苦笑いしながら、頭を下げたダイアナの背中をヨシヨシとさする。
「ザックはどんな様子?」
「何度も商会に養子に入る可能性はない、だからこれ以上付き合えないと言ってるのに、どうして? と困惑し、苦手な数学に四苦八苦し、我々との密約がバレないように気を張り詰めて、ヘトヘトです」
「……報酬に色をつけてあげてちょうだい」
「かしこまりました」
三人プラス一ドラゴンは、やれやれと飲み物を口にした。
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