第24話 スズラン

 今年の夏は酷暑だったけれど、秋に入っても暑さは続き、領地の人々の熱中症が相次ぎ、水分塩分補給効果強めのポーションを沼の水草から毎日毎日作って、神殿や診療所に配った。私は私のもとにやってきたひんやりエメルのおかげできりぬけたけれど。


 秋も深まった今、ようやく涼しくなった。あっという間に冬が来てしまう。

 短い、貴重な自由時間だ。


『クロエ! 今日は木の甘い蜜が飲みたいっ!』

「いいよ! 糖蜜カエデの林に行こう!」

「お嬢ちゃま、帽子をかぶるのです!」

「はーい、行ってきまーす」

「待てクロエ! 俺も行く!」

「ジュードはわしと視察だ」

「……」


 今日のお供はニーチェなので、エメルも姿を出している。

 ニーチェの後ろに乗せてもらい、馬を走らせ、街からちょっと離れた林に行く。エメルは馬と同じ速さで隣を飛んでくる。私の手のひらくらいのツバサなのに、このスピードが出るなんて、なんとも不思議だ。


 目的地に着くと、エメルは早速、樹液が流れている木を見つけ、ガシっと幹にしがみつき、チューっと吸っている。


 その傍らで、私は土壁の強化に努める。私が一人前になり、ここローゼンバルクを旅立つ時には、政情不安の隣国、ネドラとの国境だけでも、土壁を作っておきたい。


 そんなことを考えながら目の前の土を再構築していると、ふふっとニーチェの笑い声がした。ニーチェは最近、結婚式の日取りが決まってご機嫌だ。なんと式では私にフラワーガールをしてほしいと頼まれた。そんな大役任されて……ちょっぴり嬉しい。

 疎ましく思ってる子どもに、そんなこと頼まないよね?

 私はニーチェの奥さんに世界で一番美しいブーケを作ると心に決めている。


「ニーチェ、どうしたの?」

「いや、顔に泥、付いてますよ。クロエ様、どんどんおてんばになって、ローゼンバルクの子どもになってるなあと思いまして」


 ……最高の褒め言葉だ。

 私は照れ笑いしつつ、タオルで顔をゴシゴシと拭いた。青空に白い雲。紅葉始めた森の木々。平和だ。


 そう思った矢先、体をゾクリという悪寒が突き抜けた。


「きゃっ!」

『クロエ?』

「クロエ様!」


 訳がわからず戸惑っていると、私の右手が意図せずに高くあがり、そこから魔力が噴出し、豪雨のように頭から浴びせられ、頭の中に、これまで持っていなかった〈草魔法〉の知識がどんどんと書き加えられていく。解けにくい花冠の作り方から、高度な解毒剤の抽出法まで!

 そして最後に、私の手首から、スゥッと、赤いすずらんの模様が静脈の上の一輪を残して、消えた。


「あ……あ……」


 左手で右手を握り込み、何度も見慣れた、絡まり合う紋様のない手首を見る。

 ない。私のマーガレット一重しかない……。


 エメルが私の肩にとまり、同じように覗き込む。子ドラゴンのくせに眉間にシワを寄せ、


『師が……身罷ったか……』


「トム……じい……トムじい!! いやああああ!!」

「クロエ様っ!」


 私は心身共に衝撃を受けて、そのまま意識を失った。




 ◇◇◇




 私は二日間高熱で寝込んだ。


 本契約した師弟はどちらかが死んだとき、すべての知識と残りの魔力を相手に委ねる。トムじいの長年蓄積された圧倒的知識量と……精神的ショックに、私の小さな頭と体は耐えられなかったらしい。


 暗がりのなか、目が覚めると、私の顔は涙で濡れていた。


『起きたの? クロエ?』


 エメルが心配そうに覗き込む。

「エメル……心配かけて、ごめんなさい」


『……単純に〈草魔法〉を教えてくれる人じゃなかったんだね?』

 エメルがペロリと私の涙を舐めながらそう言った。


「〈草魔法〉の師としても、十分に素晴らしかった。でも、トムじいは……私を地獄から救い出して……私を今世、最初に……温めてくれた人だった……」


 ますます涙が溢れる。

「まだ、ちっちゃいから、何にも恩を返せていない! どうして? 一週間前に、タンポポ手紙、もらったばっかりだったのにっ!」


 私が顔を両手で覆い、声を殺して泣いていると、そっとベッドから抱き上げられ、大きな胸に顔を押し付けられた。祖父だ。気配を消していたのか? 気づかなかった。ゴツゴツとした硬い手で、背中をさすられる。


「クロエ……すまん……」

「え?」

「お前の恩人を守れなかった」

 祖父が押し殺した声で、唸るように言う。


「そんな、おじい様が謝ることなど……おじい様はここにいて、領主としていつも忙しくて、トムじいは王都……え?」


 トムじいを守れなかった? つまり、トムじいは守ることができた? 守り切れたら死なずに済んだ? つまり、トムじいは病気や、寿命でなくなったのではないということ?


「おじい……様?」

 祖父は一度天井を仰いで、改めて私と向き合った。

「手の加えられた情報を後から聞くよりも、正しい情報で身を切られるほうが、クロエはマシだろう?」


 私はすぐに頷いた。嘘は大嫌いだ。でも体は正直に震え出す。だって、いい情報のはずがないもの。


「庭師頭トムはお前に〈草魔法〉を教えることで、反抗的な態度を取らせ、家の益を失わせた、という理由で、モルガン侯爵に殺された」


「……ああっ……うう……」

 吐き気に襲われる。手で口を塞ぐ。


「ううっ……」

「クロエ」

 祖父が離れようとする私を強く抱き込み、背中をさすり続ける。吐きたくとも、お腹に吐くものなどないから吐きようがない。


 トムじい、私のせいで、私と関わったせいで、死んだ。


「私が……殺した……」

 体中がブルブルと痙攣する。祖父がますます私をキツく抱きしめて、私の頭に頰をのせる。


「殺したのはクソモルガンでクロエではない。だが、あの庭師がクロエの大事な人間と知りつつ、定期的に見守ることしかしなかった。実はこの三年、モルガンはたびたびわしにケンカを売ってきた。その度に返り討ちにしてきたのだが、とうとう恨みが積もりに積もって、筋違いな報復をしたのだろう」


 ああ、トムじいは〈草魔法〉MAX。本来ならば、あの父よりも何倍も強いのだ。それなのに、貴族に、雇い主に逆らうことは許されず、自分が反撃すれば、一族も巻き込まれることがわかってて……。

 みすみす殺された。


「庭師に八つ当たりするほどあやつらが落ちぶれていると思わなかった。マリアもあのような目にあったというのに。わしは学習せぬな……」


 私は首を横に振る。祖父のせいではない。私がつくづく厄介な存在なのだ。

 トムじい、ケニーさん、ルル……ごめんなさい……。そうよ!


「お、おじい様! ケニーさんやルルは?」

「今のところ、二人と母親は無事だ。〈草魔法〉ではないからな」

「そう……ですか……」


 手首を眺める。私とトムじいの確かな絆の証がなくなって、ただの単純なマーガレットの紋様と、ポツンと手首の血管の上に残ったすずらん一輪。


「……良い〈草魔法〉の師を探して来ようか?」

 祖父が気遣わしげに聞く。でもそういうことじゃない。


「いいえ……いいえ! 私の師はトムじいだけです」

 私は静かに首を振る。トムじい。トムじい。


「モルガンに今度こそ報復してやろうか?」


「いいえ、おじい様やめて! 私のせいでおじい様がやっかいごとに巻き込まれるなんて耐えられない! ああ、もう遅い! あの日、おじい様にお手紙を出した時点で巻き込んじゃった! なんて愚かなの? 自分のことばかり考えて! でもずっと、大事で大好きな人なんていなかったから、そんな可能性わかんなかった! おじい様ごめんなさい! 私なんていないほうが……」


「クロエ!!」


 おじい様に滅多にない大声で怒鳴られて、体がビクッと縮んだ。

「クロエ。わしは八歳児を守れんような男に見えるのか?」

 そういう意味ではなかった。

「い……いいえ」


「クロエ、お前は子どもだ。わしに大人しく守られておればいい。そしてお前はわしの孫。わしを好きなだけ矢面に立たせ、踏み台にしていい存在だ」

「おじい様……」

「自分の命を粗末にするな。間違っても師の後を追おうなど考えるな」

 下唇を噛む私に、エメルがかぶせるように言う。


『クロエ、まだオレは成長途中だから、〈魔親〉が死んだらオレも死ぬからね』

「え……」


 ……そっか……なら、生きないと……ダメか……。


「ダリアとポアロとミサを見送った。この上クロエまで死んだら、このわしもさすがに死ぬだろうよ」

 ダリアは亡き祖母。ポアロは祖父の息子で兄の義父。ミサはポアロ伯父様の奥様。兄が今も慕う義母。

「おじい……様……」

 確かに、祖父にこれ以上自分よりも若いものの死に目に合わせてはいけない。


 でも、


「どうすれば、償えるの……?」


 呆然と音もなく涙を流し続ける私を、祖父は再び抱きしめた。




 ◇◇◇




 再び目を醒ますと、夜は明けていた。

 エメルがパタパタと飛んでマリアを呼びに行き、マリアに抱きしめられたあと、体を拭かれ、着替えさせられた。私の作りおきしていた……トムじいのレシピの薬草茶を手渡され、また泣いた。


「お、お嬢ちゃま!」

「……大丈夫。苦いだけ」

 もっと飲みやすく改良しようと……思ってたんだっけ。

 私はギュッとエメルを抱きしめた。エメルは大人しくしていてくれた。


 微熱のため、ベッドを出ないように言い渡されると、兄が私の一番好きな猫の冒険の本を読み聞かせてくれた。いつもは心躍る仲間との出会いの場面も、心ここにあらずでいると、廊下をパタパタバタと走る音がして、トトトンとノックされ、こちらの返事の前にドアが開いた。


 いつも隙などないベルンが髪をふりみだし、漆黒の執事服にいっぱいホコリをつけて入ってきた。

 ホコリ?……違う!綿毛だ!


「先ほど……大量のタンポポの綿毛が飛んできまして……ほとんどがカムフラージュで……ようやく、これが……本物かと……」


 ベルンが私に一本のタンポポの綿帽子を差し出した。

 緊張しながら、〈草魔法〉を注ぐ。


 フワリと紙に変化した。

 いつもよりもずっと慌てた様子の……トムじいの文字。


 ーーーーーーーーーーーーーー


 姫さま


 どうか、気に病まれませんように。

 姫さまと出会えたこと、〈草魔法〉を語り合えたこと。

 全ての知識と技を受け継いでもらえること、

 わしの手首に健気なマーガレットが咲いたこと。

 わしは人生の最後にとてつもない幸運を引き当てました。

 ありがとう。

 我が最愛の弟子クロエに、幸あらんことを


 ーーーーーーーーーーーーーー



「う、うわあああああああぁ……」


 兄の胸で泣きじゃくった。

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