第25話 不安

 祖父は私たちの名を出さずに、ルルの家にお見舞いを届けた。

 正体はバレバレだったようで、使者はケニーさんからトムじいの遺品をどっさり持たされ帰ってきた。

「こんな……ルルが使えばいいのに……」

「見たところ、全部〈草魔法〉関連の道具だ。適性無しが持っていても意味がない」


 私は気持ちは塞いだままだったけれど、ケニーさんのご好意を無駄にせぬように、エメルとともに日々その書物を解読し、実践して、自分のものにする。弟子の義務だ。

 あっという間に〈草魔法〉のレベルは122に上がった。


 一度、ルルにタンポポ手紙を出したけれど、返事は来なかった。適性はなくともトムじいに教わっているに間違いないのに。


 レベルが上がろうと、師が褒めてくれず、友が興味を示してくれなければ、虚しいだけ。

 それもこれも……。


「エメル」

『なに?』

「前世の怨みでは復讐なんかしないって言ったけど、今世の師の仇討ちはしちゃうかもしれないわ」

 あの人たちを、許すことなど到底できない。


『……師の遺言を噛みしめてごらんよ。そしてクロエが仇討ちしたときに被害を被る人々のことも考えて』


 私が仇討ちに向かえば、当然祖父も加勢する。辺境伯と侯爵が正面からぶつかるとなれば、それはもう内戦だ。


 そしてトムじいは父の使用人。父が自分の使用人を何しようが、他家が口を挟める問題ではない。それがどれだけ非道なことであっても。背景を知らぬものから見れば、越権行為だ。


 それに一部の貴族にとって平民の使用人など、奴隷と同じ認識なのだ。主人が気に食わなければ、すぐに首にする。代わりはいくらでもいるという認識。


 まあそういった何もかもを、祖父ならば力でねじ伏せられるのだろうけど、そんなことしてほしくない。私のせいで、祖父の、ローゼンバルクの名を汚すなど……。




 全てを断ち切り、一人にならなきゃ仇討ちなんて不可能……か。

「弱っちいね。私」

 祖父から、兄から、ここの仲間の温もりから、離れる勇気が湧いてこない。


『弱っちいクロエも好きだぞ? ガイアの記憶の通りだな。人間と生きる最初の100年が、一番面白いって』


「エメルのイジワル」

 上目遣いでエメルを睨む。


『クロエがどこに向かおうが、生きてる間は付き合うよ』

 エメルが私を慰めるように、鼻を私の頰にこすりつける。そんなエメルの頭をゆっくりと撫でる。ひんやりして落ち着く。


「でもいつか……誰の力も借りずに、あいつをボコボコにしようと思う」

 私の後ろ向きな目標が一つ、増えた。


『物理か? じゃあクロエ、今日から筋トレだな、よし、手始めに百回!』

 エメルは私の服を咥えてグイグイと引っ張り、私に腕立て伏せを促した。


 そんなエメルは私の使う草魔法をドラゴン流にアレンジして覚えていく。


 パタパタと上空に飛んで、

『うーんと…………ほばく!』


 ほばく? ……捕縛!?

 言葉の意味に気づいた瞬間、上から草の網が降ってきて、私は捕まえれられ網の中。そんな網の先をエメルは前脚の爪に引っ掛け、ますます上空に飛び上がる。網の中の私も浮き上がる!


「うぎゃーーーー!」

 恐怖に支配され、私の悩み事は、当座、どこかへ吹っ飛んだ。


『オレがちっこいあいだは、こうしてクロエと旅をしよ〜!』




 ◇◇◇




「へー、それいいね」

 私が目を回しながら、エメルとともに屋敷の庭に着地すると、兄が網の仕様をマジマジと見ながらそう言った。


「ど、どこがいいの! ううっ……酔った……」


 私は網からボロボロの体で這い出した。


「だって俺はもうすぐ王都で入学だろ? エメルがいれば、安全に素早く行き来できる。エメル、いいか?」


『ジュードは〈魔親〉だからもちろんいいけどさー』

「けど?」

『オレ、そばにいたら自然と魔力を吸収しちゃうよ? いいの?』

「……今日から魔力の底上げ頑張るよ」


 え、ちょっと待って?

「おにいちゃま、入学って?」

「ああ、もうすぐな。春から王都のリールド高等学校に通わなければいけないんだ」


 リールド高等学校……前世の私の第二の虐待舞台……

「絶対に行かねばならないの?」

「絶対だな。俺も嫌だけれど、領主になるためには必須だ」


 そんなこと知ってるくせに、何を私は聞いてるの?


 リールド高等学校に通うのは貴族のほぼ義務だ。14歳から18歳の四年間で、学習し、人脈を作り、卒業することで、一人前の成人貴族とみなされる。

 もし行かないとなると、親が叱責を受ける。前世、そのためあの父も私を入学させたのだ。入学した先にある地獄を味合わせるためだったのかもしれないけれど。


 そっと兄を窺う。兄は美しく強い。二属性になり、日々の努力も相まってますます身に纏うオーラが強者のものになった。兄をいじめる勇気のある学生はいないだろう。

 弱点といえば、王都の社交に顔を出さないことと、養子であることだろうか? まあこの兄ならば、全く意に解すことは無いと思う。


「どうしたクロエ?」

 私は苦笑いして、

「王都は……キライなのです」


 兄は私の頭をくしゃくしゃっと撫でた。

「俺も嫌いだ。お上品なフリをして過ごすなんて全く苦痛でしかない。週末は授業が終わった瞬間、ここに戻ってくる」


『なるほど。じゃあ、オレの移動方法に慣れなくちゃあ』

「が、頑張るぜ……」


 兄はじわじわとエメルに魔力を吸われている。

 そんな兄を見て、ふっと、もう一つの心配事が浮かぶ。


 リールド高等学校に貴族が行く意味は、学ぶこと、人脈を作ること、それ以外にもう一つある。

 それは生涯の伴侶を探すこと。


 前世の私は、王子という婚約者がいたために、必要がなかった。しかし、入学した時点で決まった相手がいない人は、そこで少しでも優良な物件を探すのだ。

 お金があり、そこそこの地位があり、見目が良く、……そしてちょっとだけでも恋心をくすぐる人。


 この辺境の地に来ることを厭わなければ、兄はかなりの優良物件だ。

 思わず兄の隣に美しい花嫁が並ぶのを想像して、胸がギュッと痛む。

 おかしい、ニーチェの結婚話はただただ嬉しくて、ワクワクしたのに。


 この痛み……自分の今の幸せが壊れることを恐れ、兄の幸せを祈ることができないってこと?なんて自分本位なの……。


 でも、もしそうなったら、ここにいることはできない。醜い私を兄や祖父に見られたくない。

 やはりしのごの言ってないで一人立ちしなければ。早く、体を作って、薬師として信用される風貌になって。


「ぷはっ……」

 兄が両手を地面につけ、ゼイゼイと大きく息をついている。ごっそり魔力をエメルに持っていかれたようだ。

「お兄様、そのくらいにしたら」


 兄が大きな深呼吸をしながらも、心配そうに私を下から覗き込む。

「クロエ、なんて顔してるんだ?……俺が王都に行くのが嫌なのか?」

「そりゃ……寂しいです」

 兄との離別を考えたら、うまく笑えなくなった。


「だから、毎週戻ってくる。それに、クロエが通うときのために地ならししといてやるからな」


「……私が通う……そうですね」


 私は行かない。あの空間に入っただけで、死にたくなるに違いないから。

 その時が来たら旅に出る。そうだ! 顔も変えて、別人になれば、復讐は私ひとりの仕業になるわ。


 だからそれまでは……甘えていてもいいですか?


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