〜番外編〜

第161話【コミックス一巻発売記念!】シエル・グリーンヒル(前)

 のちに『裁きの日』と呼ばれるあの日、私シエル・グリーンヒルは駆け出し外交官として、海を挟んだ友好国を訪れていた。


 特に緊張感もない定例の会議、二十も年上の外交官の大先輩の後ろに控え、細々とサポートをしていると、突然世界が白くなり、ほぼ同時に温度のない声が、振動のように体に響いた。


『解呪』


 皆、一瞬呆然としたあと、我先にとバルコニーに飛び出した。


「おい! 見ろ!」


 声を上げた男の指差す方向を見れば、海の向こうの大陸に、空中から何かが円型に広がりながら地面に落ちていく。


『天誅』


 再び、先程の厳かな声が響き渡ったかと思えば、見たことのない、圧倒的な何かが翼を広げて天から下降し、その口からブレスを吐いた。


 数秒後、爆発音と、噴煙が上がり、遠く離れているはずの我々にも爆風が届いた。足を踏ん張りしのぐ。どこからともなく呟かれる。


「……古の……ドラゴンじゃないか……?」


「あれが?」


 神々しい光を放つ白い巨体だった。その場の人間全てが一心にその姿を見つめていると、地面からもう一回り大きなグリーンドラゴンがジワリジワリと浮上して……やがて天頂に飛び去った。


「グリーンヒル……あれは……あれはリールドの方角ではないだろうか?」

 先輩が、震える声で、私に問う。それは私もたった今思いついたことで、恐怖に慄く。通常であればこの距離から我が国土が見えるわけがない。しかし、嫌な予感がする。


 そこへ、海から真っ直ぐに白い鳥が飛んできた。他国とはいえこの王宮周辺には強固な結界が張り巡らされているはずなのに、それをものともせずこの宮殿の主殿に一直線に……あれは紙鳥?


 紙鳥を自在に使いこなす、クロエの女従者を思い出す。そして先程のグリーンドラゴン……。ローゼンバルクに、クロエに何かあったのか?


 しばらくすると、再びグリーンドラゴンが天空に現れて、恐ろしい唸り声をあげながら、神の鉄槌を幾度となく下した。

 非情な光景だった。私はただそれを、見つめていることしかできなかった。




 会議は休憩に入り、結局そのまま中止になった。


 紙鳥の内容を聞かされて、我々は崩れ落ちた。我がリールド王家は、ローゼンバルクのドラゴンを呪具を用いて使役しようとして、天罰を受けたのだ。


「神に刃を向ける王の国と交渉などできん。さっさと国に戻られよ。今後はドラゴンの巣であるローゼンバルクと国交を結ぶ」


 我々は追い出されるように、友好国だった国を後にした。




 ◇◇◇




 リールドへ戻ると王宮はガレキと化し、王都は神殿が主導権を握っていた。

 アベル殿下はじめ生き残った王族は、神兵に軟禁されているらしい。


 情勢が落ち着くまで、グリーンヒル侯爵家で大人しくしていた。私のことよりも優先すべき事項は山ほどあるだろう。


 やがて、生き残った高位貴族とこれまでの王政の高級官僚が大神殿で一同に介し、今後のこの国の運営についてじっくりと話し合われた。もちろん侯爵である父も呼ばれた。


 10日ぶりに帰宅した父に、書斎に呼ばれた。

 父は疲労の色は濃いものの、淡々としていた。


「リールド王家には同情の余地はなく、辺境伯と神殿の筋書きになんの異論もない。逆に言えばドラゴンをバックに持つ彼らの抑えなしでは国は再興できん。グリーンヒル侯爵家も最高会議議員となった。険しい道だが、先は明るいと信じておのおの力を出すしかあるまいよ」


「最高会議に名を連ねたということは、我が家にはお咎めはないということでしょうか?」


「罪人は全て、ドラゴン……神が粛清し終えた。現在生きているものは全員、ひとまず罪は問わないそうだ。ただ、これまでと違い二柱のドラゴンがこの世界に既に存在している。今後もまた過ちを犯せば、即座に裁かれるだろう」


「グリーンヒル侯爵家をドラゴン様が無罪とみなし……ホッといたしました」


「はっ! 当たり前だ。我がグリーンヒルは後ろ暗いことを一切したことがない。100%第一王子派だったのだ」


 父が鼻で笑った。思いのほか心身共に元気な様子に安心した。


「それでは……落ち着いたところで父上、私を勘当してくださいませ」


 もちろん私にも何も後ろ暗いところなどない。

 それでも……私はエリザベス殿下の婚約者だったのだ。

 神を呪った張本人である大罪人の!


 婚約の顔合わせ以来数度しか会っていないとはいえ、婚約者の非道を止める立場にあったのだ。


「……次期辺境伯によれば、お前に罪があるとは考えていない、とグリーンドラゴン様は仰ったそうだ。ドラゴン様はお前とクロエ嬢の交流を、あのアベル殿下の光魔法の実験のころより見守っておられたと」


 グリーンドラゴン様が私のことを気にかけてくれた……あまりの光栄に涙が迫り上がる。しかし、だからこそ……。


「私はこのままのうのうと生きてはいけません。私はエリザベス殿下が何を考えているかも察せず、アベル殿下を守れず、私を先輩と慕ってくれたクロエが捕らえられていたことも知らずに救えず、私はっ、私は……」


 すると、父にギロリと睨まれた。


「シエル、思い上がるな。お前がどうこうできた問題ではなかったのだ」


「だとしても、未来のためにグリーンヒル侯爵家は完全に潔白でなければなりません。お願いです、父上……侯爵家は妹、マリアンナに……お願いします……」

「シエル……」


「私は、ただの外交官として、国のために汗をかいて……生きていきます」




 ◇◇◇




 妹が成人し、好きな相手と婚約したのを見届けて、私は貴族籍から抜け、平民になった。


 一年の半分以上国外に出て、地に落ちた我が国の信頼回復に努めた。


 エリザベス殿下の婚約者になった時に、多くの友人は離れていったので、遊ぶこともなく、淡々と一人、皆が嫌がる長期の任務についた。


 遠い旅先で故郷として思い出すのは、今は姿もとどめていない過去の国の姿。アカデミー時代の私と、凛々しき殿下と……クロエ。


 殿下は今はどこで贖罪の日々を過ごしているのだろうか? あれからやがて十年たとうというのに、まだ殿下の所在は極秘扱いで、一平民になった私に知る由もない。一言声をかけてくれれば駆けつけるというのに。


 そしてクロエ……話しかければ露骨に嫌そうな顔をして、でも根がお人好しなので、結局私の話相手になってくれた。家格がほぼ同じで気安く接することができた特別な後輩。強いのに脆く、でも努力し続ける尊敬できる人。


 今ではきっと、立派な辺境伯夫人になっていることだろう。


 あの、煌めいた学生時代の記憶があれば、ぼちぼち生きていける。






※ 本日、草魔法師クロエ、コミックス一巻が発売されました!

是非是非、ちっちゃいクロエが健気にクルクル動きまわる様子を、

狩野アユミ先生のマンガでお楽しみください。


番外編、明日の後編に続きます。



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