第160話 草魔法師クロエの二度目の人生 (終)
「結局、慈悲深き大神殿だけがいいとこ取りで、相変わらずローゼンバルクは怖がられて貧乏くじなのですね」
ミラーが美しい顔を顰めてそう言うと、祖父が苦笑した。
「構わん。目立っていいことなど何もない。とりあえずエメル様の威を借りて、国の乱れを抑え、国としての体を成すようになったら、とっとと引っ込み隠居だ」
「お館様の、良きように」
祖父の横でにこやかに笑うホーク。私の父代わりの大好きなホークの憂いも……少しは晴れたのならいい。
祖父は新しい国の枠組み作りはジュードとベルンに任せ、領地を長く空けられないと、ホークとともにさっさとローゼンバルクに戻っていった。エメルが離れている領地はまた魔獣が増えており、留守番のゴーシュが一人で陣頭指揮を取り抑え込んでいる状況だ。
「ローランドが可愛い盛りですしね〜お館様」
「うむ。最近はわしのことをじいと呼び、わしの後追いをして足にピットリしがみつくようになってな! 抱き上げれば声を上げて喜び……、み、皆、これは決してベルンに告げ口するでないぞ! 火に油を注ぐことに……」
王都のローゼンバルク邸では、目の前で私とエメルを誘拐されたり、愛する家族に会えなかったりで、ベルンがこれまでになく荒れているらしい。
マリアもローランドを背負いドーマ様の神殿を訪れて、養育院の子どもたちと一緒になって、今もって毎日私の無事を祈っていると聞く。
元気になったらきちんと労わないと。
大事な大事な私の家族である、ローゼンバルクの民全てに。
◇◇◇
リド様とアーシェルの魔力が回復すると、ルーチェ様の体調も徐々に整った(と言ってもほぼ寝ている。私はまだ面と向かってお礼を言えていない)。
エメルも安心し、少しの間なら大神殿を離れることができるようになった。
大神殿で居候中の私もようやく、ローゼンバルクに帰れる。
というか、とっくに領地に戻った祖父が早く帰ってこいとヤキモキしているのだ。ホークによると、結局私が王都にいる間は心配で眠ることができない……らしい。
しかし、全力で馬で駆けても四日、今回のように体力が落ちている状態では一週間かかるローゼンバルクへの行程。改めて……遠い。
『無理無理、オレは一週間もルーチェと離れられないよ! ルーチェはまだ幼いんだぞ!』
「じゃあ何日なら我慢できるの?」
『往復三日ならなんとか』
「無理だろ?」
ジュードが傍の机で書類仕事をしながら言い捨てる。
「あ、捕縛で連れて帰ってくれるってこと?」
「エメルの網に俺とクロエ二人か? 狭い!」
「え、おに……ジュードも一緒に戻るの?」
ジュードはこちらの残務処理を託されているから、もうしばらくは王都に残ると思っていた。
「……俺がなんで、今までここに残っていると思ってる!」
スパンッ! と丸めた書類で頭を叩かれた。
「紙鳥やタンポポ手紙があり、こっちにベルンなりミラーなり誰か側近がいれば、仕事なんてどこでもできるんだよ」
エメルが私の肩に飛び乗った。
『クロエ……もうジュードがクロエから目を離すことはないって』
「そのとおり。昔からいっつもいっつも、俺がいない時に事件は起こる!」
心外だ!
「わ、私のせいじゃないし! それにもう、何もかも片付いたからきっと大丈夫」
「クロエはもうエメルの〈魔親〉であることが公にされてるの! ちょっかい出してくるバカがいるかもしれないだろ!」
面識のない人間が、エメルと繋いでもらおうと擦り寄ってくるということ? それはかなり面倒で苦痛だ。
『それにしても捕縛が狭いって、ベルンとマリアは平気だったのに、ジュードも我儘言うなあ……あ! いいこと思いついた!』
エメルがパチンと手をたたき、顔を突き合わせ言い合いをする私たちの間に割って入った。
「「エメル?」」
『俺の背に二人乗って帰ればいい。体がデカイ分捕縛より速いし、魔力も〈魔親〉二人とも一緒なら、どうにでもなる。さらに、大きく恐ろしげなオレと、〈魔親〉であるクロエとジュードの仲を国中にみせつけてやろう! 簡単に声などかける気が起こらないように』
「いいの? そんなおおっぴらなことして」
「……いいんじゃないか? エメルの言うようにたまには姿を現して、気楽に平和を享受してる奴らに緊張感を与えるのも。そもそも数百年前は、ドラゴンは空を仰げばたまに見られる光景だったんだ」
納得したらしく、ジュードが書類を片付けはじめた。
『オレが良いって言ってるんだから、いいの!』
そういえば……そうか。
◇◇◇
神域の空き地で、ジュードが私を片手で抱いたまま丘の大きさのエメルに跳び乗り、自分の前に座らせる。エメルが適当に草の手綱を首に引っ掛けたので、兄が私の後ろからおぶさるようにそれを握り込んだ。
『結界』
エメルが周囲に薄い風の膜を張った。これで風圧や冷気から私たち人間は守られる。
「あねうえ〜! お元気で〜!」
「クロエ〜! またね〜いつでもおいで〜!」
「アーシェル〜! リド様〜! お手紙くださいね〜ちょくちょく来るだろうエメルをよろしく〜! ルーチェ様〜お健やかに〜!」
見送りのアーシェルと、ルーチェ様を抱いたリド様に手を振った。
すると、ルーチェ様がゆっくり瞳を開けて、両目でパチンとウインクし、また休まれた。
エメルはルーチェ様に優しく吠えて、大神殿の人々に頷き、大きな翼を一度はためくと垂直に飛翔した。バサリと大きく翼を広げて風に乗り、西に向けて一直線に飛ぶ。
一斉に上がった王都の人々のどよめきは、あっという間にはるか後ろだ。
そして……この天空で、ジュードとエメルと三人きり。青空を背景に白い雲の海を愛する人と渡る。結界で威力の弱まった、爽やかな風が私の短い髪を靡かせる。
「いい天気……気持ちいい……」
「うん。夢が叶ったな」
ジュードの言葉に、昔……ルルと辛い再会をしたときに、ジュードと一緒にエメルに乗って世界中を旅して回りたい、と話したのを思い出した。懐かしい。
……こんな美しく完璧な日ならば、他の夢も願ってもバチは当たらないかもしれない。
私はそっとマントから腕を出し、ジュードの手綱を握る手に上から重ねる。
「ん? どうした」
「実はね……わ、私には、まだまだ夢があるの」
「ふーん、教えて?」
「……時代がどう流れても、私はローゼンバルクの薬師として生きていきたい。おじい様を支えながら……ジュードの隣で。ずっとずっと……」
頭上から、くすっと笑い声が聞こえた。
「奇遇だな。俺もクロエの隣でローゼンバルクを守っていきたい。そしておじい様に恩返ししたい」
私を否定しない優しい声色に励まされ、首を捻って、ジュードを見上げる。
6歳の頃からローゼンバルクをいつか巣立って、遠くから兄や祖父を支えていこうと、過ぎた夢は見ないように戒めてきた。でも、
「欲張って……いい?」
心臓をバクバクと鳴らしながら、ジュードの返事を祈るように待つ。
すると、ジュードは目尻を下げて、私の頰に手綱を握りこんだ手を添えた。
「ずいぶん控えめな欲だ。めったにないクロエの夢、俺が叶えるよ」
そして先ほど出した私の手を掴み、指先にキスを落とす。彼の思わぬ行為に、顔に血が集まってくるのがわかる。
「クロエ、俺は何も持たない男なうえに、これからも必要とあらば手を汚すことを厭わない。そんな俺でも……結婚してくれる?」
一瞬で涙が込み上げて、ポロポロと空中に落ちていく。最近泣きすぎなのに……止まらない。
清廉を好むドラゴン、エメルの〈魔親〉であるジュードが、罪を犯すことなどありえない。でも、辛い判断に迫られた時は……私が一緒にその荷を背負おう。
兄で、男性であるジュードの心と、いつも共にありたい。そして……ひとりじめしたい。
「……はい。あ、愛してる」
涙声になるのは許してほしい。きちんと、笑えているだろうか?
「クロエ……俺も愛する女はクロエだけだ。クロエがいればいい」
上から顔を寄せられ二回目のキスをされる。ついばむように何度も。私の気持ちも伝わるように、私も必死に縋りつく。
やっぱり体中の血が沸騰して、ジュードのこと以外何も考えられなくなったころ……、
『ねーえ。オレの背中でイチャつくの、そろそろやめてくれな〜い?』
「きゃあああああああ!!」
我に返り、前方を見れば、エメルがこちらにふりかえり、アイスブルーの瞳を薄くして呆れていた。
わ、私ってば、子ども《エメル》の前でなんてことを! 浮かれるにもほどがある! あわあわと言葉を探す。
ジュードが派手に舌打ちした。
「なんだよ。エメルだってさんざん俺にけしかけてきただろう?」
『そうだけど!! 〈魔親〉がイチャつくのを見るのが、こんなに居た堪れないなんて思わなかったの!』
「ご、ごめんエメリュッ! って、いやあああ!」
痛恨! ここで……この場面で噛むとは! 視線をそろそろと上げると、ジュードがかつてのままに体を震わせ笑いを堪えていた。存分に笑っていいよ……。
「あーもう! こんなにかわいくて愛しいのはクロエだけだ。それにしてもエメル、案外お子様だな? ちゃんと聞いてたか? 俺のプロポーズ」
ジュードが幼いころのように私の頭を優しく撫でつつ、エメルの首を叩く。
『聞いてた聞いてたおめでとう! …………よいしょっ、はい、ダイアナにもらってた紙鳥今飛ばして、リチャードに「こいつら結婚するってよ!」って伝えた〜! これでローゼンバルクはオレたちが到着次第、早速宴会だ! よーし飛ばすぜ〜!!』
「「うわああああああああ!!」」
エメルは急に翼を前に押しだすようにはためかせ、尋常じゃないスピードで飛びだした!!
私とジュードは恐怖に震え、エメルの背中に張り付くようにしがみついた。
『いい気分だから宙返りしよーっと!』
「エメルッ!! やめろっ!!」
「は、発芽っ、成長っ!」
私は振り落とされぬよう、いつものようにポケットから蔓を出して、無我夢中でしっかり私とジュードをエメルにくくりつけた。
「「ぎゃああああああああ!!」」
『あー幸せー!! 〈魔親〉と飛べるなんてサイコー!!』
私たち三人は、ぴったり一つになった。
◇◇◇
◇◇◇
◇◇◇
◇◇◇
「見て見て! 僕の白バラ、ちゃんと青くなったよ!」
「……すごい!! ピーター、なんてお利口さんなんでしょう!」
「ああっ! もう……師匠ってば頭撫ですぎ。髪がぐちゃぐちゃになっちゃったじゃん!」
ごめんごめんと謝りながら、ピーターの額に張り付いた前髪を上げ、優しくハンカチで汗を拭う細い手には、二本のマーガレット一重の紋と、マーガレットがピーターの桔梗と絡みあった、真新しい紋がぐるりと一周していた。
「あっ、やだもうこんな時間! 日が暮れちゃうから帰りましょう。カーラが心配してるわ。それにしてももう色がえをマスターしちゃったか……そろそろ簡単なお薬を作るのを手伝ってもらおうかな?」
「本当!? やったー! クロエ様、ありがとう! 僕ね、いっぱいお薬作ってローゼンバルクのみんなを助けるんだ! 僕、〈草魔法〉大好き! 〈草魔法〉でよかったあ!」
「…………私も……私も〈草魔法〉師でよかった」
師弟はお揃いの手を仲良く繋いで、帰路についた。
草魔法師クロエの二度目の人生 (終)
※無事完結しました。
これまでの温かい応援、感謝いたします。
今後とも宜しくお願いしますm(_ _)m
小田 ヒロ
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