第62話 兄の仕事

 寝巻き姿のままベッドに座って、膝で祖父に手紙を書いていると、階下が騒々しくなった。兄の帰宅のようだ。

 階段を駆け上がる音に続いて、トトトンという、せっかちなノック。私の返事を待たずに扉が開く。


「お兄様、おかえりなさい」


 兄は、長い水色の髪をオールバックにして襟足で一つに結び、襟の詰まった黒のスーツ姿だった。本気の正装。王宮に出向いたのだから当然か。


「ただいま、クロエ」


 椅子を私のベッドに引き寄せ、ふう、と一息吐き、座り、私に手を伸ばし、額に手をあてる。兄の手はエメルと同じ。ひんやりして気持ちがいい。


「熱は落ち着いたな」

「はい。あの、お兄様……」

「待て、二度手間にならぬよう、揃ってから話す。なんだ、エメルはそこにいたのか。ベルンもマリアも来たな。座って」


 小さいサイズになって私の横で寝ていたエメルはパタパタと私の肩に乗る。ベルンも兄の後ろに椅子を持ち込み座った。マリアは音を立てずに全員分お茶を淹れてくれる。


「まず、学校のほうだが、辺境伯の娘を退学させることなどできない、の一点張りだった。自主退学でいい、報復などしないと言っても、床にひれ伏して、思いとどまってくれと言う」


「え?……どうしてそこまで……私は学校に何一つ貢献してないのに」

「クロエ様が退学なさると、学校に学生の管理能力がないことが明確になってしまうからでしょうか?」

「それと、クロエに追随するものが大量に出るからだろうな」

「私に追随? バカな?」


「最近のリールドはただの貴族子女の時間潰しの場に成り下がっている。新しい学びなどほとんどない。ただの伝統の押しつけだ。リールド卒という学歴など不要と思っているものは少なからずいるだろう。俺もそうだった。あの貴重な四年間を返してほしい」


 学校の学習内容は、私にとっては二度目なので、深く考えず聞いていたが、兄や他の学生にとって退屈なものだったのだろうか?


「クロエは薬師の技術でリールド卒という肩書がなくとも生きていける。ゆえに退学してもかまわないし、なんなら退学したい! クロエと同じ思いの学生がいると思わないか? そして、そういう人間ほど優秀で、自力で未来を切り開く気概のある若者だ。そいつら全部辞めてみろ。残りはカスだけだ」


『カスかあ〜。そりゃ学校のメンツは丸潰れだなあ』


「ということで、折衷案として、クロエは学校に残る。しかし、基本自宅学習。テストや、学校でしかできない研究の時のみ登校。そのときは護衛をつける。ということになった。クロエ、これでは不安が残るか?」


 私は散々学校に行きたくないと喚いてきたけれど、学校そのものに不満があったわけではない。学校と正面からケンカすることには罪悪感を感じる。


「いえ……でも、他の皆様に不満が残るでしょうね」


「クロエは今回の出来事に倒れるほどに傷ついた、か弱き令嬢で、バックには俺がついている。表立って不平を言うものなどおらんだろう?」


「第二王子殿下は所構わずでは?」

 ベルンがモノクルを光らせながら言葉を挟む。


「王子ね。次に王家との話し合いだけど、辺境伯である俺の希望で、陛下はじめ全員にお出ましいただいたよ。クロエの薬の供給停止はこれまでの価格の十倍で買い取ると言うので撤回してやった」


「十倍ですか……いつまで?」

 十倍なんかにしたら、買う人いなくなるのでは?


「今後数ヶ月は、クロエの体調が著しく悪化し魔力が激減してしまったので作れない、そのあとから……ひとまずクロエが卒業するまで」


「しばらくお嬢様の薬なし……自分たちの健康はお嬢様の健康の上になりたっていると、思い知るのですね」

 マリアが聞いたことのない冷めた声色で言ってのける。


「卒業するまでに再び似たような騒ぎが起きれば、次は十倍どころでは済まないと、なるほど」

 ベルンが手帳にサラサラっと書きつけながら頷く。


『クロエのいない時代に戻るだけだ。もし困るというのなら、散々足蹴にしてきた〈草魔法〉使いを丁寧に育て、クロエに頼らずにすむようにすることだ』


「そして、くだんの第二王子殿下には、決闘を申し込んだよ。国に王家に尽くし続け、前回命を救いもした臣下に対し、ねぎらうこともなくこの仕打ち、コケにされたローゼンバルクと妹のために戦うと。大義名分は十分だろう?」


『「「「決闘!」」」』


「なるほど、その手でいきましたか」

 ベルンがウンウンと頷く。


「妹の助けなど不要なほどの〈土魔法〉使いならば、当然受けてくださいますよね、とトドメをさすと、あっさり受けてくれたよ」


「お兄様との決闘を受けるなんて……バカなの?」


 このカードで兄の心配など全く浮かばない。実力の差ははっきりしてるし、兄はドミニク如きの挑発に乗らない。


「陛下はお認めになったのですか?」

「名誉を賭けた決闘、双方が合意し、立ち合い人も王家に任せると言っているのだ。止める理由がない。王妃はなぜか王子の勝利を確信していたようで哀れだったよ。陛下は……私にガス抜きさせようとでも思ったのかな。アベル殿下は、一連のあいだ全く表情がなかったね」


「え? もしや、すでに決闘終わってるの?」

「当たり前だ。俺は暇人じゃない」

 兄は……仕事が早いのだ。それにしても、全く正装姿が乱れてないのだが。


『ふーん、落とし所はどこにした』


「王宮の兵の鍛錬場で、開始一秒で氷獄に閉じ込めた。二分たったところで、陛下が止めてくれと言ったので終わり。アベル殿下がいるのだから死なんだろう。陛下が私の勝利と、第二王子に代わって二度とローゼンバルクを貶める行為を行わないと宣言して終了だ」


「お兄様……私のために無茶しないで。私の代わりに王家に逆らってお兄様が捕まりでもしたら、私……」

「俺はただの平民上がり。王に忠誠なんか一欠片もない。ローゼンバルクの民とおじい様に恩があるから担がれているだけだ。もし不敬罪にでもなればローゼンバルクは俺で滅亡し、他の領主にあの土地を守らせればいい。できるものなら。領民もわかってくれるだろうよ。ジュードはバカだから仕方ないと。そのときは、クロエもエメルもついてきてくれるだろう?」


「っ! もちろんです!」


 お兄様まで、出奔することを考えるなんて……案外似たもの兄妹らしい。


「お嬢様が行くなら私も行きます」

「マリアが行くなら、私も」

『そうやってどんどん増えて、結局領民全員で、出奔するパターンだな。王も悩ましかろうよ。あの土地を守れるのはローゼンバルクの一族しかいないことを、なぜきちんと伝えていないのか』


「手をかけずとも、自主的に勉強してくれてると思ってるのでしょう。平和になり、どんどんと易きに易きに流れているのですよ」

 ベルンが呆れたように言ったあと、妻の淹れた紅茶を飲む。


「とりあえず、第二王子は離宮にて静養。そして学校に復学しても、クロエとは絶対に接点を作らないと誓約していただいた。もし破ったら、次の決闘では本気を出すと言っている」


 もう……ドミニク殿下、恐怖で外に出れないのではないだろうか?


「そうそう、ドミニク殿下は、尊敬してやまない兄殿下が、同い年のクロエばかり褒めるのが面白くなかったらしい」


 まさかの嫉妬?


「男の嫉妬ほど見苦しいものはないですわ……」

 マリアが眉間にシワを寄せる。


「アベル殿下、こんなところで名前を出されて……おかわいそう」

『とことん貧乏くじを引いてるなあ』


「ふん、アベル殿下の教育不行き届きでもある。兄弟ならば生き抜くために厳しくしつけねば!」

『クロエに激甘のお前がよく言うよ』


「どうだクロエ? 納得いかなければもう一度交渉してくるが?」


「いいえ、十分。お兄様ありがとう」

 この約束が守られるのであれば、私は年に数回しか学校に行かないですむ。それくらいならきっと耐えられる。


「……退学させるつもりだったが、なかなか交渉とは難しいものだな。私の力不足だ。おじい様ならば、もっと上手くやれたかもしれない」


「ジュード様、十分に有利な条件を引き出せたと思いますよ? お館様は年季の入った力押し。マネは無理です」

 ベルンの言葉に私もうんうんとうなずく。


「……よし。明日出立する。クロエ、マリア、準備しろ」


「かしこまりました」

「え、出立?」

「病弱で学校で倒れてしまった令嬢は、辺鄙な田舎で当然療養だ。ベルンはしばらくここで留守番。今後こちらで起こる煩わしいやりとりを仕切ってもらう」


「かしこまりました」


「ちょ、ちょっと! ダメよ! 夫婦が離れては!」

「クロエ様、私もいささか怒っているのです。不機嫌な姿を妻に見られずにすむのでちょうどいい」

「ベルンはさっさと後片付けたら、合流できますわ。私も二、三、二人きりでお嬢様に申し上げたいことがございますし……」


『……マリア、怒ってんな。目がすわってる。クロエ、逆らうな』

「うん……」


 誰もが、私を中心に動いてくれる。

「俺と一緒に帰ろう」

 兄が、右手で私の頰を包み、微笑んだ。胸が詰まる。涙がこみ上げる。


「ありがとう……おにいちゃま、ってうそぅ!」

 痛恨……ここで噛んだ!!


「プッ……あーはっは! ほんっとにクロエはクロエだなあ」

 涙も引っ込みおそらく顔を真っ赤にしている私を、兄はベッドから抱き上げギュッと抱きしめて、ゆらゆら揺らしてくれた。


 部屋中の空気が緩み、クスクスと温かい笑いに包まれた。




 ◇◇◇




 私はマリアとともに、初めて馬車で、宿での休憩を挟みながらローゼンバルクに戻った。

 領境には祖父が待っていて、

「クロエ……」

 祖父は少しやつれていて、私を見つめる眼差しから、兄に全てを聞いているのだと悟った。肩のエメルも驚かないところを見ると、承知しているのだろう。


「帰るぞ」

 そのまま、馬車から抱いて下され祖父の馬の前に乗せられて、私ごとすっぽり祖父の黒いマントに包まれた。


「……おじい様」

「なんだ」

 迷惑をかけてごめんなさい、と言いそうになった舌を慌てて止める。祖父の首元に顔を埋め、

「大好き。あの日からずっと。おじい様の温もりがあれば、それだけで幸せ」


「クロエ……なぜわしはこんな愛しき孫を……すまなかった」


 祖父が、私の頭にキスを落とした。

 そして初めて出会ったときと同じように、高速で私の家に連れて帰ってくれた。



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