第69話 癒し

 ザックを連れた、ローゼンバルクへの帰路の旅。何事も起こらなかった。

 なぜならば、ザック様は半日の乗馬でダウンして、ずっと他の三人が交代で蔓でくくりつけてきたからだ。


「どうしてベルンはザック様を誘ったのかしら?」

 ダイアナの背中眠るザックを、後ろから見守りながら、並んで走るゴーシュに聞く。


「……鉄かな? 確かあそこは良質のものが採れる。それと、フィドラー領はうちに友好的な領主が全くいない南部の中心にある。あっち方面にも安心して馬を休ませられる場所が欲しかったのかもな」


 ……私ももっと、勉強しなくては。


 ローゼンバルク領に入ったときも、ザックは気を失っていて……

「……こんなやつ、一体何に使えるんだ?」

 エメルとともに、領境まで迎えに来てくれた兄が、脱力した。

 意識のないザックはゴーシュによって荷馬車に乗せられ運ばれていった。私とダイアナは大きく息を吐いた。正直……寄りかかられて背中が重かった。


「お兄様、マリアは? エメル、順調な旅だったの?」

『空の上をめっちゃ怖がったから、途中からオレの薬で眠らせた』


 怖がるのは……極めて当然の反応だろう。私も兄も最初は恐怖と吐き気で生きた心地しなかった。初めて飛んだのに、平気だったベルンが超人だ。


「で、そのまま神殿に行き、ドーマ様に診ていただいて、この数日ドーマ様の治療を受けている」

「神殿に泊まっているの?」

「そうだ。病名がはっきりするのにもう少しかかるらしいが、ドーマ様の〈光魔法〉を当てていれば、調子はいいそうだ。心配いらないとドーマ様は言ってるが、ベルンは慌てふためいている」


 神官は適性に関係なくレベル10程度の〈光魔法〉を訓練して使える。軽い病を手をかざして癒し、神秘性を演出するのだ。

 まあ、アベル殿下の〈光魔法〉MAXには王都の大神官も敵いっこないが。ゆえに、神殿にとってアベル殿下は脅威だ。神殿のお家芸をかっさらったのだから。


「そう……ドーマ様のもとにいるならひとまず安心……」

「数日でどうこうなるものではないから、クロエにはエメルに魔力をどっさりくれた後にくるように、と言うことだ」


 そうだった。

「お兄様、ひょっとして、魔力エメルに渡しすぎてヘロヘロ?」

「ヘロヘロだ」

『オレはペコペコだ』

「私はクタクタだよ〜」

 ダイアナがいつもの調子で軽口を叩いた。


「ダイアナ、ご苦労だった。『紙鳥』文面も分かりやすく素晴らしかったぞ! その男が息を吹き返すまで、ダイアナも休暇だ」

「次期様……ありがとうございます」

 ダイアナは兄の言葉に感激した様子で、少し言葉を震わせながら、頭を下げた。




 ◇◇◇



 ザック様は貴族なので、とりあえずホークに世話を任せた。

 祖父と兄を久しぶりに起こしに行ったあと、三人で朝食を取る。そして、身支度するとすぐにエメルとともに神殿に行った。


 私は全く信心深くないけれど、一応無事ここに戻ってこられたことを祈っていると、ドーマ様が現れた。


「クロエ、エメル様、おかえりなさい」


「『ただいまっ!』」

 しわくちゃなドーマ様の両手が私の頰を包み、そっとキスしてくれる。

「今回は元気そうで……安心じゃ」


「マリアは何の病気なの? 私の薬で治せる?」

「ふむ……まあ、本人にもまだ話しておらん。全員揃ってからにしよう」


 神官の居住区に入り、空き部屋の一室で、マリアはベッドに横たわっていた。横のイスにはベルン。


「クロエ様!」

「ただいまマリア! 空の旅はどうだった? ベルンも来てたんだ。早いね」

「おかえりなさい。空の旅は刺激的すぎて……二度としたくないです」

 マリアが思い出してプルプルと震える。

『なんだと〜!』

 エメルが怒ってみせる。ベルンが私に席を譲るので、私はそれを止めて一旦部屋を出て、他の部屋から私とドーマ様の分のイスを運び入れた。全員座ったほうがいい。

 ベルンが申し訳なさそうな顔をするが、わかってる。マリアのそばを片時も離れたくないはずだ。


 皆でマリアのベッドの周りに座ったら、ドーマ様がふうと一呼吸して、

「マリア、お前さんは病気じゃないよ」


 病気じゃない?

「では、疲労が溜まって体調が狂ってる?」

『クロエ、ベルンがマリアに疲労を溜めさせるわけないだろ?』

 そりゃそうだ。じゃあ、なんでこんなにマリアは一気にやつれたの?


「はっきり言うね。マリア、あんたは妊娠してる。おめでただ。私の見立てでは、もう四ヶ月になろうかってとこだね。ねえ、エメル様?」


 驚愕して、エメルを見る!

『そうだな。弱々しいがマリアの腹から命が脈打っている』


 マリアもベルンも目を見開いたまま、呆然としている。

「なんだい? ベルン、心当たりないのかね?」

「ある! あります! しかし……」

「だって……私は子が持てないと……」


「まあ、前回マリアを診た医者は相当ヤブだったんだろう。杜撰な処置をして、マリアの腹を傷つけ、子を授かる機能を潰した」

 そのときのマリアの苦しみを思い、皆の表情が曇る。


「しかし、子が出来た。おそらくここでの生活が性に合い、癒えたのだろうよ。推測だが、マリアはクロエの薬湯やポーションを毎日浴びるほど飲んでいるはずだ」

「あ……」

 マリアが目を見開いたまま、私とドーマ様を交互に見る。


 浴びるほどは大袈裟だけど、滋養強壮の薬湯は毎朝皆で飲んでいる。試作品や、瓶に収まらなかったポーションもマリアは捨てるのはもったいないと、飲んでくれる。『クロエ様が生み出すものは何でも価値がある、特別です! もったいない!』と言って。

 ……効いたと、いうこと?


「それとまあ、神官らしいことを言えば、ベルンの……愛かな?」


「あ……あ……」

 マリアが両手で自分の口を覆う。瞳に涙が溜まる。

 ベルンがそっとマリアの肩を抱いた。


「だが、マリアの腹が依然傷ついているのも事実。しばらくは私の『癒し』とクロエの薬を飲んで、安静にしておくんじゃ。良いな。では祈祷を」


 ドーマ様が温かい祝詞を独特の音程で唱いながら、マリアのお腹を右手で押さえた。

「ど、ドーマ様、ありがとう、ございます……ベルン……わああああ………」

「……マリア」


 抱き合いともに涙を流す夫婦を残して、私たちは部屋を出た。



 ◇◇◇




 神官長室で、私はお茶を淹れて、ドーマ様とエメルの前に出す。私が座るとエメルは私の頭に飛び乗った。


「クロエ、何をやっとるんですか? 薬師ならば気がつかねば」

 ドーマ様が呆れたように言い放つ。


「マリアが赤ちゃん産めないっていう固定観念が邪魔した……今考えれば、妊娠の兆候だらけだわ。エメルは気がついてたのね? なんで教えてくれないのよ?」


『無茶言うな! 心音がハッキリわかったのはこの数日だ。でもその可能性があるからこそ、オレ自ら連れて帰ったんだ。一週間も馬車で揺れるのは無理と思って。褒めてほしい!』


 ドーマ様がうんうんと頷く。

「クロエのいない王都になど、マリアは絶対残りたくないだろうし、妊婦は心穏やかに過ごせる場所にいることが肝心。是が非でもローゼンバルクに戻るならば、エメル様に運ばれるのが、確かに最善じゃった」


「そっか。ありがとうエメル!」

『おう! じゃあ魔力くれ!』


 頭のてっぺんから、ちゅーと魔力が抜けていく……。


「ドーマ様、私は何をしてあげられるかなあ?」

「とりあえず、これまで同様薬湯をマリアに淹れておあげ。そうだ、その薬湯のデータをもう一度妊娠の観点から取ってはいかがかな? あとは……クロエがマリアに心配かけないことが一番だね」

『確かに!』

「大人しく……してます」


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