第70話 親離れ

 マリアは自分の体調不良に自覚があったものの、何の病気かわからず怯えていた。妊娠など想像もしていなかったとのこと。月のものもしばらくなかったが、ここ数年ずっと不順だったため、気にもとめなかった、と。


 全てがハッキリし、愛するベルンが泣いて喜ぶのを見たことで、一気に心労が減り、それに伴いも徐々に軽くなっていった。

 マリアはドーマ様が許可を出すと、ローゼンバルク邸に戻り、無理のない範囲で侍女の仕事を続けている。マリアの好きにすればいい。ベルンが無理をさせるはずがないし。


 私はトムじいの知識から、妊婦に良さそうで口当たりがさっぱりしてて当然安全な滋養薬を作り、せっせと飲ませる。


 日に日に表情が柔らかくなり、まだ膨らんでもいないお腹にそっと手を当てるマリア。


『クロエは、マリアが赤ちゃんを産んでもいいのか?』

 思わず眉間にシワを寄せる。

「エメル……どういう意味? 私はベルンの次にマリアのおめでたを喜んでいるわ」

『赤ちゃんが生まれれば、マリアはこれまでのようにクロエの横にはいなくなるぞ?』


 そうか……

 胸がキュッと音を立てて引き絞られた。


「……妹のためだもの。姉ちゃんは親離れするわ」


 もう14歳だもの。14年間もマリアは私を温めてくれた。私は思わず右手で心臓を押さえた。


『……弟かもしれんぞ?』

「そりゃそうね」


 愛し合う二人に生まれる幸せな子ども。やきもちを焼くには歳が離れすぎている。そういう汚い気持ちが湧いてこないことにホッとした。

 ぼんやりとした寂しさには、気がつかなかったことにした。




 ◇◇◇




 ようやく、起き上がれるようになった、ザック様。母屋の応接室に来てもらい、今後の話をする。


「クロエ様、ザックとおよびください」


「じゃあ、私もクロエでいいですよ」

「いえ、それは殺されるんで遠慮します」


 敷地内の離れで静養していたはずだけど……ちょっと……いや、かなり大人しくなったかな? 世話を任せていたホークをチラリと見ると、ニッコリ笑った。


「それにしても……なぜ男物を身につけているんだ……ですか?」

「あーすいません、お客様の前なのにこのような格好で。これから収穫の終わった畑の手入れに行くところなのです。間違いなく汚れますので」


 私は思わず苦笑する。きっと愛するケイト様は、常に美しく、パンツなんて無縁なのだろう。

 雑草を取って、肥料を撒き、ちょっとした洗浄を消毒がわりに行えば、来年はますますたくさんの収穫が見込めるだろう。〈土魔法〉を頑張れば、どこかでガイア様が褒めてくださっている気がする。


「終わった畑の……手入れ……」


 ザックの適性は〈水魔法〉だった。

「そう……じゃあ、海で働いてもらおう。ホーク、黄昆布とダッポ貝、在庫どのくらい残ってる?」


 ダッポ貝は最近巷で流行っている、お腹の風邪の薬になる。子どもたちが罹ると重症化するし、いくらあっても問題ない。


「お待ちください……ベルンの帳簿によると……昆布が二ヶ月分、貝が……三か月ってとこですか。まあ冬前に獲り溜めしといたほうがいいでしょう」


「ちょっと早いけど行っとくか。ニーチェのスケジュールを調整してくれる?」


「お、おい、待って? 海? この街に海なんてないよな?……ですよね?」

「……もちろん。マピノ海に出ます」

「何しに?」

「素材を取りに」

「クロエ……様、自ら?」

「欲しい時に欲しいだけ商人が手に入れてくれるような素材の薬は、私じゃなくても作れるんです。商人に注文し、ここでジッと待っていたら救える命も救えないでしょう?」

「海……俺、行ったことないけど、何するの」

「潜って、探して獲る。単純作業です。湾内なので外敵はいませんし心配ありません。攻撃魔法の出番はないでしょう」

「……俺……潜ったことない」


「はあ!?」

 ホークが気の抜けた声を出す。

『水なのに? アホか?』

 ザックのいる場面では常に透明なエメルも悪態をつく。


 〈水魔法〉は潜水できなければ、壁を越えられない。私も避妊薬で潜ったのをきっかけに〈水魔法〉のレベルがグンと上がった。

 潜れないのか……でも他で彼がうちでできる仕事、全く思いつかない……。


「ではニーチェに時間を取ってもらって、近くの池で、水深10mは潜れるように準備しておいてください。できれば一週間以内で」


「できる……だろうか?」

 ザックの瞳が不安げだ。


「ああん?できなきゃ、タダ飯ぐらいだったと、王都に送り返すぞ。ああ、トトリまでは馬だ。乗馬もなんとかしろ」

「……なんとか?」

「……お前はここ数日、ただベッドで寝てたのか? 何をすれば役に立てるか? ちっとは自分の脳みそで考えろ!」


 同じ爵位持ちのホークに文句は言えないのか? この数日で躾られたのか? ザックは顔を青くして、反論しなかった。




 ◇◇◇




 キッチリ一週間後、出発することになった。メンバーは私、エメル、ザック、ニーチェ。


 ザックは私たちのスピードになんとかついてきている。

 ザックの馬は一回り小さい。


「乗り慣れているサイズのほうが、扱えるようです。今回は普通の日程なので、デカいローゼンバルク馬でなくても保つでしょう。馬がへばれば、トトリで替えます」


 まあ、今回は領内の移動だからどうにでもなる。


「それにしても、どうして荷物持ってるの? 私のマジックルームに入れるわよ?」

「すぐ……取り出せないと……意味がないんだ」

 ザックが必死に馬をコントロールしながら、切れ切れの言葉を発する。


「ポーションを山ほど持ってきてるんです。足を引っ張らないように。コソコソ飲んでます」

 ニーチェがこっそり教えてくれた。

 もう前回ギブアップした距離は越えた。ザックなりに胸を張って王都に帰るために必死なのだろう。


 今日もいつもの水辺で野営である。馬の世話をして、火を起こし、結界を張る。

 交代で水浴びして汗を流し、マジックルームからパンや肉を取り出して炙る。

 落ち着いた頃には、星が出ていた。空が澄んでいる。秋だ。虫の鳴き声が響き渡る。


「野営なんて、初めてだ」

 ポツリとザックが言った。

「そうですか? 晴れてるし、いい季節でよかったですね。うちのイノシシ肉とお芋、いかがですか?」

「……うまいよ」

「たくさん召し上がれ。ところでニーチェ、厩舎のおじい様の馬、足を引きずってなかった?」

「ああ、先日の討伐で痛めて、もう戦場は厳しいかも……」

「そっか……じゃあこれからはのんびり隠居だね。もう一緒に走れないのなら、おじい様、お寂しいだろうな」


 黙っているザックに無理に話しかけることもなく、食事を終え、三人で疲労回復ポーションを飲み、草を一瞬でふかふかで清潔な敷物にして、転がって寝た。


「無防備すぎないか?」

 私の横で寝転がるザックがソワソワと言う。


「結界は張ってるわよ?」

 エメルも私の真横にいる。


「……うちのクロエ様を襲えば、恐ろしい報復を受けることを想像できないものは、この領にはいませんよ」

 ニーチェが流し目で、ザックを見やった。


『だってさ!』

 エメルが耳元でニシシと笑う。

 まあ、祖父と兄が私に過保護なのは事実だ。


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