第71話 ザック・フィドラー子爵令息

 そして四日後、トトリの海に着いた。ザックはなんとかついてきた。


 いつもの岩陰で水着に着替えようとすると、ニーチェが突然振り向いた!

「……水着……クロエ様? 今回のザック様との漁、ジュード様はよくお許しになりましたね?」


「え? お兄様、今近隣の領主の会合に出かけてるから、特に言ってないよ?」


「クロエ様の水着姿をにっくき若造に見せるとかやべえんじゃ……クロエ様! 岩陰はザック様が使いますので、今日は全方向草盾展開してその中で着替えてください! そして、着替え終わったら、海にダッシュで飛び込みましょう。はい、よーいドン!」


「え? もうスタート? は、はーい?」


 私は草盾を四方に立てて、バタバタと着替え、海にダイブした。えーと合格?


「じゃあザック様、俺と着替えましょう。えーっと誰とは申しませんが……色々見張っといてくださーい。俺一人じゃ責任持てませーん!」

「は、はあ?」

『わかった〜』


 水深三メートルほどの沖まで泳いだ。ザックには念のために草の命綱をつけて大岩と結んだ。

「では、一人当たり黄昆布の葉を十枚、ダッポ貝を五個、取ってきてください。モノが嵩張ってジャマになったら、顔を出して私を呼んで? すぐもらいに行きます」


 ニーチェが先に潜って採っていた、見本の貝と昆布をザックに見せる。


「ザック。コツがわかるまで私かニーチェについてきてください。ごくたまに海流が渦になっておりますので決して気を抜きませんように」

「わ、わかった」

「じゃあ、スタート!」


 私は勢いよく海底に潜っていった。前回とポイントをずらし、若い芽を残して、育ちきった大きな葉だけナイフで切っていく。黄昆布が終わると、目を凝らして貝を探す。砂から少しだけ見えている、拳大の黒光る貝殻を探して採取する。

 ふと海底から見上げると、ザックがニーチェの真似をして、昆布の根元をナイフで切り、慌てて海面に上がっていった。

 私もその後を追う。


 ザバリと海面に飛び出すと、ザックが荒く息を吐いていた。

「大丈夫?」

「……はあ、はあ……なんで……平気なんだよ……」

「私、〈水魔法〉マスターですので」

「……なんで?……〈草魔法〉だろ?……」

「生き抜くためです。私の人生、イージーモードではなかったもので。あ、黄昆布受け取りますよ?」

「……とりあえず……二枚……」

「初めてだから無理しないでくださいよ?」

「無理しないと……強くなれないんだろ……」

「まあ……そうですね」

「もう一回……行ってくる……」


 ザックは息を吸い込んで、海中に消えた。

「頑張るね」

『自分でも瀬戸際だとわかってるんだろ』

 エメルはパタパタと羽ばたきながら、冷めた目でザックの潜った先を見つめる。



 日が暮れるまで海に潜ったザックは、きちんとノルマを達成した。

 ニーチェはそれに付き合っていたので、私が夕食用の漁をして、捌いて持参の網で焼いておいた。


「……うまい」

「労働のあとの食事は最高ですね」

 ニーチェは自分のペースで潜れなかっただろうに全く疲れていない。お守りは小さい頃の私で慣れているのだろう。

「こんな新鮮な魚介類、王都では絶対食べられないよ! じゃんじゃんどうぞ」


 お腹が膨れたのか、ザックはふと顔を上げて私に問う。

「今日収穫した素材で作った薬で一体いくら儲けるんだ?」


「んー、私たちの人件費を考えなければ……現金収入四百万ゴールドってとこかしら。でもまだ全然足りないわ」


「何に足りないと?」


「冬が来る前に、ジリギス風邪の薬を作らないといけないし、孤児院の屋根を全部新しくしたいのです。雨漏りがね……チビちゃんたちに不自由な思いをさせて、情けないわ……」


「…………」 



 ◇◇◇




 クロエが手洗いに席を立つ。


 その隙に、ニーチェはずっと見守ってきた健気な主人のために、貴族相手に釘を刺す。


「ザック様が高価と感じた薬代は、この辺境で暮らす人々の生活改善に使われています。クロエ様は私欲ゼロなのです。うちの領主一族は金も時間も力も全て俺たち領民に捧げている。クロエ様は人手が足りないときは魔獣狩りにも出られます」


「魔獣……まだいるのか?」

「王都の皆様は二十年前の例の大発生が終わったら、魔獣が一匹残らずいなくなったと思っているようですね。幸いここ最近は我らローゼンバルクのドラゴン様のご威光で数は減りましたが、たまにハグレが大暴れしていますよ。今後もクロエ様を罵るつもりならば、代わりに俺を罵って、気を晴らしてください」


「ニーチェさん、そんな、そんな……二度と、知った風なこと、言うつもりはありません……」





 ◇◇◇




 その後、ザックに孤児院の畑で秋の収穫を手伝わせたり(なぜか子どもたちは皆、偶然ザックの足を踏んでいた)、ジリギス風邪に備えて、熊を狩りに行ったり(なぜかミラーが手負いの熊をザックの方向に誘導して、ザックは半狂乱になりながらトドメをさした。レベル上げのためのミラーの雑なお節介だろう)、ローゼンバルクの秋をともに過ごした。


 ザックは屋敷近くの森で、ローゼンバルクスネークをどうにかこうにか一人で仕留められるようになったところで、約束の一か月となった。

 商談のゴーシュが王都に連れ帰ることになった。


 帰る間際、神殿で測ったところ、〈水魔法〉のレベルが15も跳ね上がったらしい。


「また、修行に来ても、いいかな……?」

「修行って……まあ、繁忙期は除いてください」

「いつか繁忙期に来てくれと言われるよう……頑張るよ」


 最後の最後に祖父との面会も果たして、ザックは頭を深々と下げて、王都に戻った。


『やっぱ、〈水魔法〉は潜ってナンボだな』

「まあそうよね。せっかくの〈水魔法〉なら潜らないともったいない。水中は美しいもの」

『空中も美しいぞ?』

「『捕縛』中は周りを見渡す余裕がないから、全くわかんないわ」


 エメルの瞳がギラリと光った!


『捕縛!』

「きゃーあ!」


 私が海中よりも空中の方が美しいと認めるまで、エメルは地上に下ろしてくれなかった。


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