第72話 ミラー
ザックも王都に無事戻り、ローゼンバルクは冬支度に入った。
兄の書斎で、ベルンも交え、本格的に雪が降り積もる前に、国境線の摩耗した草壁を作り変えようという話をしていたらノックがあり、デニスが入室し、ベルンに何やら資料を見せて指示を仰いでいる。
「あら? デニスが文官タイプなの?」
デニスは選ばれた従者の中で一番年長の22歳で体も大きい。てっきり武闘派タイプだと思っていた。
「いや、デニスはこの通りベルンの後継だ。まあベルンの働きは超人だから、半分はダイアナが背負うことになる」
私と兄の話が耳に入ったのか、デニスは苦笑した。
「私も体を張ってジュード様をお守りしたかったのですが、私の何倍も強いので、ジュード様が面倒だと思っている分野で頭角を表せば、側近になれるかもしれないと思いました」
滲み出るお兄様への尊敬。そうか、デニスはトリーと一緒で、兄の側にいるためならなんでもするタイプらしい。
「ならば、ミラーがゴーシュやホークの後継なの?」
「まあそうなる。ミラーは俺と同い年で、子どもの頃はよく遊んでいた。体は細いがバネがあり、体術はなかなかだ。それに魔法もマスターだしな。現時点での強さは十分だ」
私が王都に行っている間に、兄はダイアナ以外の従者の皆様と信頼関係を築いているようだ。よかった。
「そうですね……今回の見回りにはクロエ様にミラーをつけましょう。いかがですか? ジュード様」
ベルンがそう提案し、兄をじっと見つめる。兄は腕を組み、しばらく考えたのちに、
「そうだな。クロエにも
私が疑問でいっぱいの顔で兄を見つめると、
「行けばわかる。ミラー自身は全く問題のない男だ。案じる必要はない」
ミラーが問題ないのであれば、一体何に問題があるのか?
◇◇◇
翌日、日帰りの行程で、古い草壁を立てている国境に向かうことにした。
メンバーは私とエメルとミラーと、もう一人は誰だろう。
「クロエ様!今日はよろしく! エメル様、食べないでねっ!」
ミラーの金髪が朝日に反射しキラキラと輝く。それ以上にキラキラとした眩しい笑顔だ。明るく軽やかなキャラはうちの領では貴重だ。
『誰が食うかっ!』
「こちらこそよろしく。兄がミラーの特技?をもったいぶって教えてくれなくって……期待してる!」
「えーー、ちょっと困ったな……」
尻すぼみになるミラーにおや?と思っていると、後ろから肩をポンと叩かれた。それと同時に声がかかる。
「クロエ」
祖父だった。
「おじい様、お見送りに来てくれたの?今日は夕食までには帰るのに」
「違う。今日はわしが付き合う」
「「『えーー!!』」」
なんと、付き添いは祖父だった。
「おじい様……お忙しいでしょうに……」
「たまには息抜きだ。良いな、ミラー?」
「……はい!」
なぜか、ミラーは私よりも先に、祖父の同行に納得してしまった。
「さあ、クロエ、連れていけ!」
「おじい様、馬は?」
「新しい馬に乗るとリズがやきもちを焼く。だから今日はクロエと相乗りだ」
「私のアンバーは男の子だから、リズもやきもち焼かない……ってこと? そんなことってある?」
『なくもない。馬は繊細だ』
私は久しぶりに祖父と相乗りした。
祖父は私に手綱を任せてくれたので、少し大人になった気がした。
◇◇◇
馬を走らせること一時間、一番近い国境にやってきた。ここは近いだけあって幼い私が一番先に手をつけた場所だ。技術が拙く、風化して、あちこち枯れている。
「思ったとおりだわ」
『まあ、十分務めは果たしただろう』
私とエメルが同時に右手を伸ばし、『成長』させ、一気に枯らそうとすると、
「待て、ミラーの仕事だ」
祖父がストップをかけた。私はエメルと顔を見合わせたのち、祖父の後ろに戻った。
ミラーが草壁の前に立つ。先ほどまでの軽さは形を潜め、緊張しているのがこちらにも伝わる。
『なるほど……そういうことか』
エメルの呟きを問おうとしたそのとき、
「『火燕!』」
ミラーの手元から、十数羽の火の鳥が飛び立ち、目の前の草に触れ、一瞬で燃やし尽くした!
初めてみる、〈火魔法〉の高レベル魔法!!
「すごい……」
圧巻だった。これほど凄まじい〈火魔法〉は初めてみた。なぜならば、〈火魔法〉にこだわるわりに、父も母も、前世の弟も大技を見せてくれたことがなかったのだ。今となって、彼らはマスターですらなかったから、見せたくとも出来なかったとわかったわけだが。
その紅蓮の炎と威力は、父が〈火魔法〉にこだわることが納得できるほどの美しさだ。
視線を戻し、私はミラーを凝視する。……おそらくレベルは80前後。この若さでここまで……随分と研鑽したことだろう。
「今の術でどれくらい魔力を使ったの?」
「……全体量の五分の一といったところでしょうか?少し体がだるいです」
ミラーが何故か、恐る恐る答える。
私はマジックルームからポーションを取り出して、ポイっとミラーに投げる。
そして、しゃがみ込み、燃えカスとなった、私の草の状況を見る。
「エメル……こんなにあっさり燃やされちゃったわ……ちょっとショック……」
『種の段階から不燃性を高めるしかないな』
「また難しい課題が増えた……」
「あ、あの!クロエ様っ!私を従者として、おそばに置いてもらえるでしょうかっ!?」
自分の世界に入り込んでいたら、突然後ろのミラーから声がかかった。我に返って振りむくと、口を真一文字に結び、紫色の美しい瞳をなぜか不安げにゆらしながら私を見つめるミラー。
「え? ごめん、よく状況が……私、とにかくミラーカッコいいって思ってるよ。兄とアベル殿下に続いて、久しぶりに若い人の魔法で震えたわ。こんなに強いミラーが従者で、なんてラッキーなんだろうって、思ってる、けど?」
何が求められているのかわからぬまま、そう答えると、祖父が横に立ち私の肩を抱いた。
「クロエ、ミラーはお前が〈火魔法〉を恨んでいるのではないかと、心配しているのだ」
……私が〈火魔法〉でなかったゆえに、親に捨てられたから……〈火魔法〉など見たくもない!と思っていると考えたの?
私は静かに首を振る。
「ミラー……私は清らかな人間じゃないの。いっぱいいろんなことを恨んでる。でもそれは〈火魔法〉を恨んでるんじゃない。私の両親や、〈火魔法〉でない私を嘲った人に対してだわ」
「クロエ様……」
「ミラーのマスターオーバーの〈火魔法〉、衝撃的だった。最初に思ったのは「マズイ!」ね。ミラーほどの実力者がくれば、うちの国境など容易く破られることが証明されちゃったもの、ねえ、エメル?」
『うん、最悪だな』
「私はエメルと、〈土魔法〉のレベル上げを中断して、ミラーにも燃やせない『草壁』作りに専念するわ。ミラー、協力してくれる?」
「も、もちろん!」
「ありがとう! ぜったい、ミラーにも……せめて一時間は燃やせない草を作ってみせるから、覚悟して!」
『首を洗って待ってろー!』
「は……はは……よかった……」
ミラーは力が抜けたのか、膝に手を当てて、大きく息を吐いた。
私はとりあえず、現時点で最高に頑丈な『草壁』をエメルと協力して作り、上から〈水魔法〉でたっぷんたっぷんに保水した。
その一部分を再びミラーに火をつけてもらう。先ほどよりも時間はかかったけれど、やっぱり燃やされた。
「悔しー!」
『ちくしょー!』
私とエメルの、絶対負けられない戦いが始まった!
「ミラー!今のでレベルはどれくらい?」
「〈火魔法〉レベル67です」
「レベル67に燃やされちゃうって……レベル90程度の〈草魔法〉創作しなきゃダメじゃない!」
「まあ……私の知る範囲では、私よりもレベルの高い〈火魔法〉師はいないから、現状の『草壁』でも問題ないよ」
「そんなのわかんないわ。ミラーだって、こんなに綺麗なお兄さんなのに、実力隠してたじゃない!」
「もう……クロエ様ってば……」
唐突にミラーはずいっと前に出て、私をエメルごと、抱きしめた。
「ミ、ミラー?」
「クロエ様……一生お守りします……御恩は決して……決して忘れない……」
ぎゅうぎゅうと体をきつく締め付けられながら、知らなかったとはいえ〈火魔法〉であることで気を使わせて申し訳なかったな……と思い、ミラーの背に手を回した。
ミラーの腕の中は温かく、素晴らしい従者を見つけてくれた祖父に感謝の視線をおくった。
祖父がミラーの肩をポンと叩き、私の頭をよしよしと撫でる。
「……ということだ。ミラー。今後とも励め」
「はっ!」
帰路、前を走るミラーを眺めたのちに、背中の祖父に振り返る。
「おじい様は、私は〈火魔法〉に怯えるかもしれないと思って、ついてきてくれたのね」
「ジュードも心配していたが、わしがねじ伏せた」
『何大人気ないことやってんだ……』
エメルが呆れたように言った。
「生きる以上、傷つくことは避けられん。しかし、クロエが今後傷つくときは、できるだけそばにいたいと……思っている。いつも一人で立ち向かわせてきたからな……」
祖父は私の腰に回した左手に、ギュッと力を入れた。
私はジワリと浮かぶ涙を根性で堪えて、手綱を持つ右手を、祖父のそれに重ねた。
「ありがとう。おじい様」
前方で、ミラーが何か障害物を発見したのか?急に右に逸れた。私も迷わずそれに続く。
「なぜミラーはお兄様ではなく、私に誓いを立てるようなことをしたのかな? お兄様のお友達だったのでしょう?」
「……数年前、ミラーのたったひとりの家族である母親は、肺病で死にかけた。それを知ったジュードがクロエの薬を手配し生き延びた。クロエはミラーの恩人なのだ。ミラーはいつかクロエのために働こうと、必死に精進してきた。その過程でクロエの過去を知り、己の適性が〈火魔法〉であることに絶望しながらも」
「肺病?……ああ……マガジ草か」
アベル殿下に頂いた貴重な株が少し増えたところで、一度だけ俗称『不老不死の薬』を作ったことがある。まだ試薬段階だからいいと断ったのに、きちんと報酬は払うと、几帳面な兄から多額のお金を握らされたことがあった。結局そのお金で孤児院に牛を買ったっけ。
そうか……お役にたてたのか。
私の薬で、誰かの命が助かる。それを聞くだけで、私も幸せのお裾分けをもらった気分になる。
「おじい様、私、〈草魔法〉で本当によかったわ」
「うむ」
私が背中を祖父に委ねて甘えると、祖父が手綱をギュッと握り込み、私の馬を支配した。
私は幼いころのように祖父の木の香りに包まれて、我が家に帰った。
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