第50話 秘伝?の書

『……そういえば、そんな約束したな』

 私を心配し、結局そばに飛んできたエメルが耳元で囁く。私も忘れていた。だってあれこれ忙しくて……


「殿下も、対価ならばなんでも払うとおっしゃったこと、覚えてらっしゃいますか?」

「ああ」

「今も変わらないと?」

「その心づもりはある。クロエが月が欲しいとか、非常識なことを言わないと信じているよ」

 殿下は苦笑いした。


「では……私を王家に嫁がせないこと、あらゆる面で私を利用しないことを要求します」


「クロエ、君は貴族だ。国難にあっても自分の力を発揮しないのはどうかと思うよ」

 殿下が瞬時に為政者の顔になる。


「国難に際しては、私の意思で、祖父と兄に相談しながら私に出来ることでお手伝いいたします。とはいえ、貴族であれ女性を殿下のいう国難に立ち向かわせたことなどありますか? 私だけをコマとして特別扱いされるのは納得できかねます」


「女性であれ活躍すれば、それに見合った褒賞を準備する。私の御代になったなら!」


「私の望みは領地での平穏な生活のみです。でも、女性の新しい生き方を開拓してくださるのはいいことだと思います」

 活躍したい!と願っている女性には朗報だ。


「私は……クロエと結婚したいと思ってる。四大魔法じゃない苦しみを知っている君となら、いい夫婦になれると思う。だから私はまだ婚約者を据えていない」


「お断りいたします」

「ジュード、君には聞いていない」


「殿下、私の返事は一緒です。私よりも弱い男と結婚しません」


「はあ……それなんだよね。結局。私が強く出れないのは。クロエより強くなるためにはローゼンバルクの秘蔵の書を見せて貰わなければいけない。見せてもらったら結婚できない。ジレンマだ」

 殿下は背もたれに体を預けて天井を向いた。


「四大魔法でないことをコンプレックスに感じているのなら、強くなるしかないのでは? そうすれば、美姫が殿下に群がりますよ」

 強者になるか、私と結婚するか。どちらが幸せかを考えれば天秤にかけるまでもない。前者一択だろう。他人の介入した未来は不確定要素しかない。


「そうだね。結局強くなるしかない。強くなり、私がクロエを守ることができると認められれば、自主的に私のことを好きになってもらう可能性もあるものね」


 そのときは、私はもっともっと〈草魔法〉の高みにいる予定だけど。


「では殿下、キッチリ書面に残していただきます」

「……わかった」


 兄がこの約束事をきちんと契約として残してくれるようだ。ホッとして、ソファーの背もたれに沈み込む。


 兄のサラサラっと書いた契約書をじっくり吟味し、殿下はサインした。

「秘伝の書はいつもらえるかな?」

「他人の目に触れたくないので、兄を通して学校で直接手渡しがよろしいのではないかと」

「わかった。申し訳ないが至急頼む。ドミニクを推す奴らが最近煩わしいんだ」

「そうですか……わかりました」


 ドミニク殿下を推す奴ら、前世はモルガンが筆頭だったのだろう。今世ではドミニク殿下の頭の片隅にも私がいなければいい。コメカミに指先を当てて、ゆっくりと揉む。


「クロエ……そんなにつらそうなのに申し訳ない。恩人であるクロエをそこまで傷つけたルルとかいう女、王都から追い出してやろうか?」


 何を、どこまで知っているのだろう?私は急いで首を振る。


「いいえ。おそらくもう関わることはないでしょう。ところで恩人って?」

「クロエの強さを見て、私は流される生き方をやめた。力を得て傀儡ではない、本当の王になる道があることを知った。クロエは恩人だ。押しかけて悪かったね。あとで何か滋養のあるものを届けさせるよ」


 アベル殿下の言うことに真っ直ぐ同情した。侯爵家の娘でさえ四大魔法適性でないことは出来損ない的な扱いだった。第一王子というあなたはどれほど苦しんでいるのだろう。


「ありがとうございます」


 私に過去の記憶がなければ、そばであなたを助けようと思ったかもしれない。




 ◇◇◇



 アベル殿下は私にお大事にと言って、長居せずに帰った。


「クロエ……いつのまにそんな危うい約束してるんだ」

 前回のアベル殿下とのやり取りを聞かせた結果、兄が頭を抱えた。


「だ、だって、あのとき、私一人でお相手する羽目になったんだよ! ねえエメル!」

『うん、まあ子どもにしては上出来な応対だったぞ? リチャードもしょうがないなって諦めてた』


「で、うちのどこに〈光魔法〉秘伝の書があるんだよ」

「ここに!」

 私がエメルを指差す。エメルがドヤ顔する。


「はあ……まあ〈光魔法〉のアベル殿下が王になったほうが、我々のような四魔法じゃないものは生きやすくなるかもな。ドミニク殿下のことはよく知らないが」


『為政者に必要なのは魔法の適性でも強い魔法でもない。揺るがぬ信念だ』


 エメルの言うことは難しい。確かに前世のドミニク殿下には大した信念などなさそうだったけど。

 私の信念はなんだろう。己に恥じない生き方をして、おじい様とお兄様孝行をする……かな?


「お兄様、今からエメルの記憶を聞き取って書き起こしますので、殿下に届けてください」

「はあ、クロエはまだ動けないだろ? 手伝うよ。エメル?」

『そんなすぐには思い出せませ〜ん!』




 ◇◇◇




 私はゴーシュが過保護にクッションを敷き詰めた馬車でローゼンバルクに帰った。


 エメルのこれまでの数ある生で、〈光魔法〉使いとの出会いはそう多くなく、紙一枚埋まる情報は一カ月かけてようやく思い出され、兄経由でアベル殿下に届けられた。


 アベル殿下からはお礼にと、王家の温室にしかない、他国の植物の株が届けられた。

「不老不死の草」という噂のその草は、肺病の特効薬になるもので、肺病が蔓延した時代にそんなあだ名がつけられたのだろう。


『マガジ草は絶滅寸前だろう? もはや値段はつけられまい。本当にクロエに感謝してるんだな』


「どうでしょう?クロエ様の手に渡れば株を増やしてくれると見越して送ってきたのかもしれませんよ?」

 ベルンがお茶を淹れながらそう言った。


「……それが目的でも構わないわ。今、マガジ草は私の手の内にあり、それによって病人が減るのなら」


『いずれそれも王子の手柄にされるかも?』

「別にいいわよ。薬を適正価格で買ってくれて、私の生活を乱さなければ」


「全く、クロエ様は欲がない……」

「マリアに育てられてこうなった」

「ならば仕方ないですね」

 ベルンがニッコリ笑った。


 兄の手紙では、学校の中でもアベル殿下に話しかけられるようになり、鬱陶しいらしい。

 二人でいるところを見た生徒が、勝手にローゼンバルクがアベル殿下寄りになったと噂するとのこと。ローゼンバルクは誰の治世であれ寡黙に辺境を守るだけだというのに。

 まあ、あまりにお粗末な政であれば、文句は言うだろうけど。


 そして……ルルは痩せ細り、兄を目にすると逃げるように走り去るらしい。

 ひとまず無事で、学校を辞めていないのならよかった。リールド高等学校を卒業すれば、平民ではありえない就職先が門戸を開く。


 ルルの心の傷が癒えるのを、私は祈ることしかできない。


 ルルのために、私にできることならば、なんでもする用意がある(死ぬこと以外)。


 でも、それらやたくさんの感謝を、何か形にして表したくとも、ルルがそれを煩わしく思うのならば、その思いは生涯私の心の隅に留めておくだけ。



 手首に残った唯一のスズランも消えてしまった。

 幼き日の思い出は全て、心の奥底で静かに眠りについた。




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