第39話 諦め

 自分の部屋で、顔を歪めて枕に押し付けて、自分にうんざりする。

 あまりに考えなしだった。軽率に、深く考えもせず、思いつくまま口走った。

 それは、祖父の子供でいたくないと言ったも同義なのだ。

 そんなわけない。そんなわけない。おじい様は私の最愛の家族だ。


 ……どうしても、リールド高等学校にだけは行きたくないのだ。

 でも祖父の家族のまま、祖父に傷をつけぬまま、あの学校に行かないで済む方法などないのだ。


 トントンと、ノックのあとに、遠慮なくドアが開いた。顔を上げると兄とエメルだった。

 私の転がるベッドに兄が腰掛ける。

「クロエ、おじい様に謝りにいくぞ。起きろ」

「……はい」

 ノロノロと体を起こす。


「クロエ、言っていい冗談と悪い冗談がある」

「……はい」

「おじい様やオレと、家族をやめたいわけではないんだろう?」

「違う! 絶対違うの! 信じて! おじい様とお兄様は私の命よりも大事なの!」

 私は思わず兄の胸元を握りしめてすがる。


 そして、私は悟った。おじい様とお兄様が命よりも大事ならば、それが優先順位の最上ならば、あの学校に、行くほかないと。行かねば愛する祖父のメンツが潰される。


「それほどまでに、リールドに行きたくないのか。クロエの実力があれば何者も寄せ付けぬと思うが?」

「そうだと……いいですね」

 私はやり過ごすための返事をする。


「クロエ、学校ごときに何を怯えている? 俺が守る。そんなに俺が頼りないか?」

 怯えているのは、前世の記憶。その記憶の登場人物に同じ場所で出会ったら、心臓が縮まって、身動きが取れなくなってしまうだろう、自分自身。


「お兄様は……私が入学した時には卒業しているわ」

 前世、兄とは学校でも、他でも出会ったことがない。


 兄が眉間にシワを寄せて、

「入学さえすればいい。クロエがすでに一人前の薬師であることは、中枢の人間はすでに知っている。成績はどうでもいいさ」


 そうは言っても成績が悪ければ、またしても絶好のターゲットとなり、陰湿ないじめに遭うだろう。

「私はお兄様が思ってるほど強くないのです」

 魔法のレベルとメンタルは別だ。最初は威勢よく跳ね返しても、悪質な仕打ちはじわじわと精神を打ちのめす。ドミニク殿下の婚約者でない分注目度は下がるだろうが。


「じゃあ、成績上位者の飛び級を狙え。四年卒業のところ半分に短縮しろ。そうすれば学校に行く時間が短くて済む。オレはそうしてる」


「お兄様まで? なぜ? お兄様は四年間通って、ご学友と交友を深めた方がいいのでは?」

 そして、将来の花嫁を見つけるときではないの?


 十五才になった兄は、祖父はじめ大柄な男たちに囲まれているからついつい小柄に見えるけれど、実は一般男性の平均身長はとっくに超えている。この辺境で鍛えられたしなやかな体、先日ついにレベル90を超えた氷魔法。秘密だけれど二つの適性を持つ尋常じゃない強さ。

 そして、アイスブルーの瞳に鼻筋の通った美貌。水色の直毛の髪は一つに結えてもサラサラとすぐ解ける。兄の本当のご両親はどんだけ美人だったんだ。


 婚約者のいない女子学生は、絶対兄に舞い上がっているはずだ。

 領地が辺境というマイナスイメージはあるだろうけれど、領主夫人の中には、領地経営にはタッチせず、ずっと王都の屋敷にいる人も多い。それを狙ってアプローチする女性が列をなしているのでは?


「クロエがそれを言うのか? 俺はクロエ以上に貴族であることだけで威張りくさるやつらを疎んじている。忘れたのか? 俺は元平民だ。 それをネチネチ突いてくる奴らが結構いるんだぞ?」


「お兄様に喧嘩を売るバカがいるのですか?」


 呆気に取られた後、怒りが沸く。私のこの最高の兄を侮辱するやつがいるなんて!

 そんな私を見た兄は、私の頭をくしゃりと撫でて、


「ふふっ、クロエ、怒ったネコみたいだぞ? リールド王立高等学校に、俺が学ぶべきものは何一つない。貴族的な手順や作法など辺境にあっては不要なことばかり。この一年で学んだことよりも、エメルに一時間講義を受けたほうが、よほど有用だ」


「あら……」

「俺の欲しいものも、全てここにある。クロエと一緒だ。そうだろう?」

「……はい」


「さあ、おいで」


 私はそのまま兄にふんわり抱かれて、祖父の寝室に行った。

 ソファーに座ってお酒を飲んでいた祖父に、たどたどしく、けれど素直に気持ちを伝えて謝った。

 おじい様より大事な人などいないのだと。おじい様がいなければ、私はとっくに死んでいたと。


 祖父は、はあ……と大きなため息をつき、両手を広げた。私はその胸に飛び込んで、仲直りした。

「おじい様、大好き。一番一番大好き」


 私が祖父の胸にグリグリと頭を押し付けると、祖父はいつもどおりギュッと抱きしめてくれた。よかった……。


 私の頭の上で何か会話が交わされている。


「一番……悪いな、ジュード」

『ジュード、今後の挽回に期待してるぞ!』

「…………」




 ◇◇◇




 兄とともに、エメルから土魔法の指導を受けたり、兄と小さな冷蔵マジックルームを完成させたり、孤児院にプレゼントを渡しに行ったりしていたら、あっという間に年越しした。


 家族や、気心の知れた仲間と穏やかに新年を迎え、ご馳走を食べられる幸せ。


「おじい様、お兄様、エメル、みんな、本年もよろしくお願いします」


 今年の目標はもっと強くなって自信をつけること。

 そうやってメンタルも強化すれば、学校に入学してから起こるであろう意地悪な言葉も突き刺さらなくなるはずだ。

 そうすれば、みんなと1秒でも長く、一緒にいられる……。




 ◇◇◇




 兄が王都の戻ると、本格的な冬になり、窓に吹雪が吹き付ける。

「雪の重みで家屋が壊れ、神殿に身を寄せているものが六家族いるそうです」


 祖父の書斎で、領のあちこちのまとめ役が祖父に現状を報告する。それをお茶を淹れながら聞く。


「……エメル、イノシシでも狩りに行こうか? 神殿の食材の足しに」

『そうだな。悲しい気持ちの時は、うまい肉を食うに限る』


 どんな真冬であろうと、エメルがいれば森に入れる……捕縛されて? 飛んで。

 相変わらず飛行酔いするけれど、困っている人のためならば我慢しよう。イノシシは草の罠で仕留められるし、運ぶのはマジックルーム。捌くのはドーマ神官長に丸投げして……。


「クロエ様! イノシシは我々でも捕まえられます! それよりも薬を! ジリギス風邪の感染者が領内でも爆発的に増えています!」


 この寒さに、遠い異国であるジリギスのたちの悪い風邪が国中を覆っている。高熱が続き、肺がやられ、体力のある若者も、運が悪いと儚くなる。


「こないだ水薬を100本渡したでしょう?」

「もうすぐ底をつきます!」


 脳内のトムじいの知識が、春になり、気温が上がらない限り流行は続くと断言する。

「……おじい様、材料を集めるのに、誰かお手伝いをお願いしても?」


「何人だ? 必要な人数を出す」

 頭の中でざっと計算する。


「トトリに行ってポキ貝を採取するのに一人。カルナの森で熊を5頭倒してくるのは……十人ほどですか? モノが揃ったら、ベルン、調剤手伝って?」


「もちろんです」


「ふむ。最重要だな。ホーク、手配せよ」



 全ての材料が揃ったときはすでに二週間経っており、いよいよ病の流行は深刻な状況になっていた。

 私は近所の女性たちを集め、切ったり砕いたり重さを測ったりしてもらって量産体制に入る。もちろん、調合自体は私とエメルと……スーパー執事ベルンだ。

 この薬の調合は〈草魔法〉レベル54。私が少し手ほどきしただけで、すいすい調合してしまうベルン。勉強熱心で手先が器用で、オールマイティ感がすごい!


 そうやって作った薬を、ジリギス風邪の症状が出ている患者だけでなく、その家族にもどんどん無料で飲ませていく。例えかかっていても軽症で済むはずだ。


 怒涛の一ヶ月が終わった頃、我がローゼンバルク領は流行は国の他の地域より一足先に終息に向かった。

 最後に1,000本ストックを作って、いったん作業を切った。


『さすがに疲れた……クロエ、魔力くれ……』

「どーぞ……」

 お疲れのエメルを抱き込んで、私もベッドでうとうととする。


「クロエ、ご苦労様。落ち着いたら報酬をやらねばな」

 おじい様の大きな手が私の頭をゆるゆると撫でる。

「いいよ……そんなのー……おじい様のお役に立てればそれで……おじい様も飲んだよね? はあ? ダメだよ! 領民優先ってもう行き渡ったよ? おじい様が倒れたらローゼンバルク潰れちゃうよ? 予防になるんだから今すぐ飲んで!」

 マジックルームから慌ててひと瓶取り出し封を開け、目の前で飲んでもらう。……高齢のおじい様が罹患せずよかった……。


「クロエ……」


 おじい様に守られて、私は久々にぐっすり寝た。




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