第38話 冬の訪れ

 この二年でローゼンバルクの神殿の木の扉には、おっきいバージョンのエメルが彫られ、祭壇の向こうには神像と並んでガイア様の絵が飾られるようになった。


 私は週に一度はここで病人に薬を作る。

 ようやく怪我人は管轄外だということが浸透してきた。擦り傷程度なら塗り薬を作れるが、折れたり曲がってひっついた骨を、薬草でどうにかできるわけがない。〈光魔法〉のアベル殿下のところに行ってください。


 そして十分なデータの取れたものは有料で売るようになった。無料だと皆どんどん薬に頼るようになり、まじめに飲まなくても、またクロエにもらえばいいや、という発想になってしまったから。


 ただし、試薬は相変わらず無料で、孤児院の子どもたちや、本当に困窮している人々にはこちらを渡す。

 まあ、レベルMAXの私の薬に間違いなどないけれど……

 いかんいかん、トムじいに慢心は禁物と言われてたんだ!つい手元が狂い、配合ミスすることもあるかも知れない。人の命に関わるのだ。気を引き締めないとね。


「クロエ、今日の患者は終わったようだね。お疲れ様」

「ドーマ様も畑はおしまい?」

『ドーマ、濡れてるな。雨降り出したのか?』


 エメルの声に窓の外を見ると、みぞれが降っていた。

「うわー! 今夜は冷え込みそうだね」


 私は温かい薬草茶を入れて、ドーマ神官長に渡す。

 彼女はしばらくその器を両手で包み、かじかむ手を温めて、ゴクリと飲んだ。

「はあ……美味しい。生き返りますわ」


 そうでしょうそうでしょう! 最近は効能だけでなく、味も追求しているからね。

「でもこんなに冷えると、たちの悪い風邪が流行りそうだよね。野菜の育ちが悪くなりそうだし、栄養剤多めに作っておいたほうがいいかもね」

『うん。空気が乾燥してるしな。オレも手伝うぞ』

「クロエ、エメル、ありがとう」

 ドーマ神官長には私とエメルを呼び捨てで呼んでもらうことにした。こんな働き者のおばあさんに様付けで呼んでもらうのは、気持ちが落ち着かないから。


「クロエ、避妊薬の追加をお願いできる?」

「すぐは無理。手元に昆布が無いの。急ぐの?」

 大至急であれば、万が一用のストックを出すけど?


「いや、私も早めに声をかけたから大丈夫。一カ月後にいつも同様50本お願いしたい」

「はーい」


 避妊薬と、それと同等に高価で、使用に注意のいる薬の販売は神官長と祖父に任せている。私は純粋に生産者だ。売った後のゴタゴタに関わらずにすんでホッとしている。


「ゴタゴタなんかないけれど? お館様が下手を打つわけない」

『そうそう、どうやら、オレの存在を最大限に利用してるみたいだしな!』

「そっか。エメル様ありがとうございまーす! あとで孤児院でお菓子を作るから、エメルに最初に渡すね!」


「エメル、あなた様あてのお供えもたくさんいただいてますよ」

『えーなんだろう〜』

 エメルが空中で縦にクルクルと回る。プレゼントはドラゴンであれ嬉しいらしい。


「今、孤児院の子どもは何人だっけ?」

「18人。おかげさまで、少しずつ減っているよ」

「そっか。そろそろその子たちに、新年のプレゼントを準備しなくちゃねえ」

 兄に王都のおもちゃでも送ってもらおう。


「クロエは新年のプレゼントは何がいいんかね?」

「ふふ、秘密」


 今の穏やかな生活こそが最高のプレゼントだ。これ以上欲しがったらバチが当たる。

 薬師として独り立ちできるようになるまで、この地にいられさえすれば、それでいい。




 ◇◇◇




 トトリの海に行き、黄昆布や、ほかの薬の材料を採取に行く。ゴーシュが馬に乗せて連れて行ってくれた。

 エメルは横をパタパタと飛ぶ。大きさは変わらないけれど、スタミナはついたらしい。


「ゴーシュ、いい加減私も乗馬を覚えていいと思うの」

「クロエ様、お館様の楽しみを奪うなって! お館様はあんな顔をしているが、クロエ様と遠乗りするのが一番の楽しみなんだぞ?」


 おじい様のお顔はこの際関係ないのでは?


「二騎で行けばいいでしょ? ゴーシュからもお願いしてみて! もう二人乗りするには重いですって!」

「クロエ様、伝令鳥より軽いからな。まーったくその理由に信憑性ねえな」


 伝令鳥……そろそろ見てみたい。


 雪がちらちら舞う中、黄緑色の水着を着て、ナイフを握って、自ら海に潜る。冷たい! 風邪をひかないように体温と同じ水の膜を全身に張る。根を残すように、サンゴ礁を傷付けぬように慎重にナイフを使い、たまに水面に上がる。


「生きてるよ〜!」

「りょうかーい!」

『がんばれ〜』


 生存確認してもらったのち、また潜る。獲物を獲ってはマジックルームに放り込む。


「ゴーシュー! アオアワビ食べる〜!」

「食べる〜! 獲ってこーい!」

『獲ってこーい!』

「わかったー!」


 必要な量の採取が終われば、海から上がり、〈水魔法〉で真水を出して、体の潮を流す。そして、ゴーシュの焚火のもとで着替えて暖を取る。ゴーシュはお土産の貝や魚をなれた手つきで捌いて焼いてくれた。


「ムックリダイおいしー!」

「アワビも最高です!クロエ様最高!」

『オレもおかわり〜!』


 無事ミッションクリアしたことを、炎の灯りのもと手紙に書いて、タンポポ綿毛で飛ばす。執事のベルンが受け取ってくれるはずだ。


 その様子を見ていたエメルが四方にサッと草の結界を張った。

『終わったな! よし、寝よう!』


 私はマジックルームから人数分の毛布を出して、ゴーシュに渡した。

「クロエ様、寒くないか? 宿で寝た方が良かったんじゃ?」

「引き潮のとき探したい海藻があるから、今回は野宿がいいの。火があるから全然寒くないよ。じゃあ、おやすみ〜!」

「『おやすみ〜』」


 エメルと抱きしめ合って寝る。エメルは私から魔力を得て、私はエメルから安心をもらう。

 将来、薬師として世界を巡るならば、野宿くらいできないとね。

 ゴーシュをその訓練につき合わせたことを、心の中で謝った。



 ◇◇◇




 数日がかりの収集の旅を終えて、帰宅すると、

「クロエ!」

 なぜか不機嫌な兄に出迎えられた。


「お兄様! おかえりなさい? 学校は?」

「年末年始の休暇だよ! 俺が戻るのにエメルと二人して出かけてるってありえない!」

「だって、連絡なかったし」

「早めに帰って驚かせようと思ったんだ!」


『ゴメンな〜ジュード〜。いつ戻ったの?』

「エメルたちが出発してすぐ!」

「そりゃタイミング悪かったな! ジュード様の代わりにオレが海の幸しこたま食ってきたぞ!」

「ゴーシュ〜!!」


 何故火に油を注いだの? まあ、兄のイライラの標的が移ってよかったけど。

『今のうちの風呂に入ろう?』

「そだねえ」


 私とエメルはそおっと自分の部屋に向かった。



 食事中、兄は祖父にずっと学校での生活や交友関係、そこで手に入れた情報を説明していた。

 私は楽しそうで何よりだわ、と思いながら、持ち帰った素材の調剤順序を考えていた。どれも鮮度が命なのだ。ドーマ神官長が待っている避妊薬が最優先で、次は脳の血栓を溶かす薬……


 ふと視線を感じて顔を上げると、兄は私を睨みつけ、祖父はやれやれと天井を見上げていた。

「……クロエは全くオレの話に興味ないんだな」

「学校に興味がないだけで、お兄様には興味あります」

「へ……そ、そうか……」


 兄はキョトンとした。整った顔の人がそんなことをすると面白い。


「おほん、クロエ、学校のこと、本当に気にならんのか?」

 兄が仕切り直して問う。

「前から言っておりますが、私は学校に行く気はありません。モルガンの両親のような貴族たちと一緒の空間に入ることなど……吐き気がします」


 前世、いじめられたことなど言えないから、貴族と関わりあいたくないと言う。両親を引き合いに出して。ウソじゃないもの。


「もしも、リールド高等学校に入学しないことがおじい様の孫としてカッコがつかないのであれば……そうだ! ベルン! 養子にしてちょうだい! ベルンの養子ならばここでこれまでと同じ生活が続けられて、平民だから学校も行かずに……」


 そうすれば、ここをこっそり出て行かなくてもいいかもと思い、口にしたら、


「ばっかもん!」

 祖父に怒鳴られた!


「養子に出るなど、口が裂けても言うな! お前はわしの庇護の下、大きくなればいいんじゃ!」


 祖父はナフキンをクシャッと放り投げて、食事の途中なのに出て行ってしまった。

 呆気に取られていると、


「お嬢様、今のはお嬢様が悪いです。お館様がどれだけお嬢様を可愛がっておられるかわかっていながら、親子の縁を切るなどと……」

 マリアがため息をつきながら、祖父のテーブルを片付ける。


「私、縁を切るなんて! そんなつもりじゃ!」

「同じことですよ。短慮すぎます!」

 マリアが怒った顔でそう言った。


 ベルンが困った顔をして私のもとに来て跪き、視線を合わせてくれた。


「クロエ様が私の娘になっていいと思うほど、慕ってくれていると分かって、このベルン、とても嬉しいです。ですが、私ではその才能を各方面より狙われているクロエ様を守ることなどできません。平民とは、クロエ様が思うよりずっと立場が弱いのです」

 ベルンは優しく私の頭を撫でた。


「お嬢様、反省なさいませ。そしてお館様にきちんと謝るのです」

 私は食事の途中だったけれど、マリアに出口を指差され、トボトボと自分の部屋に戻った。





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