第105話 ザックへの依頼

 二日目の試験も終え、夕食も済み、エメルと薬のストックを作っていると、ダイアナがドアをノックして入ってきた。


「クロエ様、ご相談が」

 クロエちゃんと言わないダイアナは、仕事モードだ。

「うん?」


「ザックがクロエ様がこちらに滞在中、何かお役に立ちたいと、しつこく申しております」

「ふーん」


 私は手元の作りかけの睡眠薬に仕上げの魔力を隙間なく充填する。

『試験的にそれを飲ませてみたらどう? 馬用だけど』

 エメルがあくびをしながらそう言うと、ダイアナは苦笑して、

「それもいいんですが、提案があります」


 私は手を濡れ布巾で拭いて、ダイアナに向き直った。

「ザックにサザーランド教授の授業を受けさせてはどうかと?」


 思わぬ名前の登場に、両目を細める。


「……ダイアナ、あなたは教授についておじい様になんと聞いているの?」

「要注意人物だと。そして、絶対にクロエ様と接触させてはならぬと」

 私は静かに頷いた。


「ですが、かの者についてあまりに情報が少なすぎます。私はクロエ様のそばを離れませんし、学校に年中いるわけではない。ここはクロエ様の役に立ちたがっているザックを利用してみては?」


『まあな。情報がなければ対策を取りようがない』

 エメルが私に向かって頷いてみせる。


「……ホークを呼んでちょうだい」


 執事長室に籠って働いていたホークを呼び出し、事情を説明する。


「まあ、情報が増えるに越したことはないが、そのサザーランドに我らローゼンバルクがほんの少しでも興味を持たれては厄介だ。既に奴の講義を受講しているものに話を聞くのが一番なのだがな」


「でもホークさん、既に受講してる生徒に突然声をかけるのも厳しいでしょう? そもそもあの人の授業、人気ないから生徒が少ない」


 教授の授業は数学や物理だ。直接魔法に影響するものではない一般教養で、かつ、他国出身の教授には就職先にコネなどないことが人気のない理由だろうか?


「まあ、人気ないからこそ、随時受講生募集中なんですけど。クロエ様、いかがですか?」


 前世の私も、教授の授業は受けていない。私の受講する科目は、王家に決められていたから。

「……興味はある。授業の中身から、ひょっとしたら教授の魔法属性がわかるかもしれないもの。でも、ホークの言うように、私の存在を認識されるのは避けたい」


「……中途半端に隠すと、好奇心を募らせる。俺が話そう。ダイアナ、明日にでもザックをここに呼べ」

「ホークさん、了解です」




 ◇◇◇




「クロエ様、ようやく話せる……ホーク様、お久しぶりです」

「ザック、お久しぶり。夏は私、不在でごめんなさい」

「いえ、ご迷惑と思いつつ、押しかけたのは俺だから……」


 翌日夜、速攻で彼はローゼンバルク邸にやってきた。エメルはザックを脅威とは思ってないらしく、今夜も卵の元に行っている。

「呼び立てて悪かったな。今回はクロエ様の用事というよりも、ローゼンバルク家の用事に付き合ってほしくて呼んだ」

「お、俺にできることであれば、なんなりと」


「学校のサザーランド教授って知ってる?」

「……いや、全く」


「単刀直入に言うと、その人の授業を受けて、感想を教えてほしいの」

「なぜ……と聞いても?」


「サザーランドは隣国ファルゴからやってきた外国人だ。ファルゴにもあまたの教育機関はあるのに、なぜわざわざ、我が国にやってきたのか、国防を担う民として引っかかる。しかし、勝手に怪しんでいるわけで、大っぴらにしたくはない。とりあえず好奇心だ。ゆえにザックに内密に頼んでいる」


「そうなんですか……」


 歯切れの悪いザックに、ちょっと申し訳なくなった。おそらくもっと体を使う系のお願いをされると思ったのだろう。


「ザック、気が乗らないなら断っていいのよ。ザックはザックで忙しいでしょう?」

「いえ、国防に関わることならば、是非にもお手伝いしたいです。ただ……俺、めちゃくちゃ数学やら物理学やら苦手で、俺が志願するって無理があるかなって……そもそも、授業聞いても理解できなくてなんの報告もできなさそうな……」


 ザックが一回り大きくなった体を小さくしてモジモジする。そんなザックにダイアナが、

「やる気はあるのよね?」

「お、おう!」

「秘密も守れるのよね?」

「もちろんだ!」

「じゃあ、勉強するしかないじゃん。クロエ様に汚名返上のチャンスよ!」


「うっ……」


「まあ、数字に私強いから数学は得意よ。物理も必要なかったから手を出さなかっただけ。ザックに教えてあげられるわ」


「た、頼むよ……」


 一気にダイアナが畳み掛けて、協力を取り付けてしまったので、私が慌てて口を挟んだ。

「待って。ダイアナと懇意にしてるのを見たら、ケイト様が嫌な気持ちになるよ。事情は話せないし」


「いや、あの……ケイトのことはいいんです」

「え?」

「最近、うまくいってなくて……多分今後も……」

 ザックの声がどんどん小さくなっていった。


「え? 婚約解消したの? ケイトさんのためにあれほどクロエ様に食ってかかって薬をゲットしようとしたくせに?」


 ダイアナがザックの治りかけていた傷口に塩を塗る。


「いや、婚約はまだしてなかったから。……最近、互いの考え方の違いがはっきりわかってきて……さ」


「「?」」

 私とダイアナは顔を見合わせる。


「ケイトは最近店の手伝いをするようになり、それを楽しんでいる」

 商会の手伝い、今も続いているのか。単純に良いことだと思う。


「俺は昔から親父みたいな騎士になりたい。でもケイトは俺に危険なことはしてほしくないっていう。危険から民を守るのが騎士なのに」

 騎士様ってカッコいい! という漠然とした憧れから、色々見聞きして現実を肌で知ったというところ?


「そして、いっそ商会に入ればいいって言うんだ。婿になれって。少し前まで、子爵夫人になりたいって言ってたのに」

 ザックがため息を吐く。


「へー! ケイトさんに愛か仕事かの二択を迫られたんだ」

 ダイアナが身も蓋もない二択にしてしまった。


「でも、婿っていうのは……ザックは子爵領の跡取りでしょう?」

「弟にまわせって言うんだ。俺の弟まだ四歳だよ。それに、俺だってうちの領地を愛してるし、ローゼンバルクみたいに俺の手で発展させたいって夢を持ってる……」


「ケイトさんの希望とザックの希望、両立させられないの?」

「……あっさり領地を捨てろって言われたらね……クロエ様は許せる?」

「…………」


 ローゼンバルクから独り立ちすることを考えると、身を切られるようだ。それでも、兄や祖父の迷惑にならないためならば……と感情を押し殺し我慢していた。それを他人にさも簡単に言われたら……。


「百年の恋も冷めたってわけだ」

 ホークが、あっさり表現した。


「……今でも好きだよ。でも同じ未来を持てないならどうしようもない。『好き』だけではどうしようもない」


「まあ、若いんだ。勝手に悩め。どうとでもやり直しがきく……生きているのだから。じゃあ、一応ザックに任せていいな!」

「はい」


「あーでも、きっとケイトさん、まだザックを諦めてないよ? 変な誤解されたくないから紙鳥かタンポポ手紙覚えて! 直接会わないでおきましょう」

 教室でのケイトのザックの周囲を探る様子を見るに……ケイトも未練が残っている。ケイトはザックの視線の先に自分でなくて私とダイアナがいることに苛立っていた。


「うわ……どっちも繊細な魔法っぽい……」

「あー、女と拗れてると知ってれば、声かけなかったのに〜」


 ダイアナの、ぼやき混じりのスパルタレクチャーが早速始まった。長くなりそうなので、カフェイン強めのお茶を淹れる。


 ザックとケイト、ホークとお師匠様、好き合っている二人でも、一緒になることは難しい。生きて、同じ未来を信じることができないと……。



『俺が欲しいのは、いかなる時も裏切らず信じ合い、ともにこれからの未来ずっと、手を携えてローゼンバルクを守り抜く、強い苛烈な絆だ』


 兄の言葉が脳裏に浮かぶ。


 兄の望む未来と私の望む未来は、ピタリと重なっていることに気がついた。

 兄が他所から花嫁を迎えないのなら、それを見るのが辛いという理由で、ローゼンバルクを出て行くことはないのだ、と思いつく。教授やドミニク殿下や、その他の原因で危険が及びそうになれば仕方ないけれど。


「あれ?」


 兄が花嫁と幸せそうな様子を見るのが辛いって……そこに自分の場所がなくなるからでなくて、兄の視線が他の女性に向くのが嫌だったのだろうか? ケイトのように。前世の私のように。


 想像してみる……前世のドミニク殿下とガブリエラに重ねて、兄がどこかの美しい女性を腕に抱いて楽しげにダンスをしている様を。

 あの時と同様に、心臓がバクバクとなり、焦燥感が芽生え、泣きたくなった。


 これは……嫉妬だ。

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