第97話 エメルの逢瀬

 少しずつ、日が暮れるのが早くなる。毎日同じ時間に同じ祈りを捧げているから、それが顕著にわかる。

 神殿生活の一応の区切りとした、私の学校に戻るタイミングが間近に迫ってきた。

 アーシェルとともに、一旦王都のローゼンバルク邸に戻り、私が通学しているあいだ、今後の身の振り方を考えてもらおうか……。


 そう思って夕食後、私の部屋にアーシェルとミラーを呼び出す。エメルは最近神域に入り込んでいることが多く、ここにはいない。


「僕は……神殿に残ろうと思う」

 弟は、思いがけないことを言い出した。


「え? 私はどうしても二週間は神殿を離れるわ。ここに一人になるのよ?」

「僕の年頃でも……ここで暮らしている人もいるよ」

「アーシェル、私たちは正式に入信してるわけではない。彼らとは立場が違うの。もう少し休ませてもらいたいのなら、改めてお願いしないと」

「ならば……入信するよ」

 思いがけない発言に絶句する。


「ちょ、ちょっと待って、そんな簡単なことじゃないよ。神に仕えるということは、己を滅し、神に全てを捧げるのよ。今、手にしているものを何もかも捨てるのよ?」


 アーシェルは瞼を伏せてフッと笑った。

「あなたがそれを言うの? あなたも一度、全て捨てたでしょう? 僕ももう捨てた。手の中は空っぽで、捨てるものはないよ」

「……モルガン伯爵家は?」

「誰か、遠縁の人が継げばいいんじゃない」

「モルガンにいたからこそ、得ていた恩恵もあったのよ?」

「そうかな? ちっとも幸せではなかったと、今になってわかるけど」


 それは……わかる。でも


「アーシェル、申し訳ないけれど、たったこの二か月あまりであなたの心に熱烈な信仰が生まれたとは信じられない。ただ、ここでの穏やかな生活が気に入ったからってだけでは、私は背中を押せない。本当の神官見習いになったら、きっととても厳しい修行があるわ」

「……カリーノ先生に聞いてるよ」

「アーシェルは若い。これから何か、やりたいことを見つけても一度入信したら簡単に俗世には戻れないのよ。何か一つこれをしたいから神殿に入りたいのだ! という芯がなければ……賛同できないわ」


「賛同なんていらない。あなたも六歳で全て決めたはずだ」

「あのとき私は一人だった。でも、アーシェルにとっては不本意だろうけど、今アーシェルはお祖父様の庇護の下にいるの。ここで生活できるのも、特別待遇で表だったやっかみを受けないのも、お祖父様の力があったればこそ。一応ご相談しなければいけないわ」


「やっかみ? そうなの? みんな神に仕えているのに?」


 神殿は清らかな場所なのだろうけれど、大勢の人間が集まる場所に、諍いがないわけがない。何の後ろ盾もなくひとりぼっちで出家したら、あっという間に餌食になるだろう。


 どうしたものか……と頭を抱えていると、


「クロエ様、お一人で悩んじゃダメだよ?」

「そうね」

 ミラーに頭をポンポンと叩かれる。それに促されて、祖父にタンポポを飛ばした。




 ◇◇◇




 祖父から手紙が来て、学校に合わせて一度アーシェルとともにローゼンバルク邸に戻るように指示された。アーシェルの希望をはねつけるわけではない、きちんと意思を確認し、もし入信ならば然るべき準備をするためだ、と書いてあり、アーシェルもすんなり了承した。


 私は再びここに戻るつもりはないので、ミラーと二人であちこちやり残しがないように荷物を纏めたり前庭を整えたりしていると、エメルがいつになく真剣な顔をして飛んできた。


『クロエ、神域に付き合ってほしい』

「何かあった?」

『ああ』


 エメルの様子を見るに、最優先だ。私はお暇するので製薬して奉納したいと神域への立ち入り許可を申請した。すると早速午後に許可が降りた。

 リド様は学校だと言うことで、祖父と同じ世代の上級神官が付き添ってくれた。

 手を繋いでもらって、神域に入る。


「ほお〜」

「神官様、どうされました?」

「私はここに立ち入るのは久しぶりなのですが、そうですね、少々森がざわついております」

 それは間違いなく、エメルがいるからだろう。神域にとってエメルは歓迎されているのか? それとも……。


 神官は中ほどのベンチに腰掛け、胸元から小さな本と水筒を取り出した。

「次のお勤めまで三時間あまりです。私の目の届かぬところには行かないように」

「はい」


 私が大人しく頭を下げると、彼は本を読み出した。

 私はしばらく足元の草を摘んで顔を上げると、神官様はお行儀よく座ったまま熟睡していた。


「エメル?」

『水筒にケダ草の絞り汁を入れた』

「ええ? 薄めもしなかったの? エメル、荒っぽいよ!」

 ケダ草は睡眠薬の原料だ。絞り汁を直接混入したのなら、即堕ちしただろう。

『無害に調整した。時間がない。行くぞ!』


 エメルは小さいままに両手を私の脇に通し持ち上げ、低空を飛んだ。

「え、エメルっ!」

 草網でもなく、背に乗るでもなくのこの飛び方にギョッとすると、

『動くな! 神官どもに悟られたくない!』


 私は大人しく、足をぶらぶらさせながら高速移動した。




 ◇◇◇





 神域はこんなに広かったのか? というほど深くに入り込んだ。たしかに歩いていたのでは時間内に戻れなかっただろう。


 森の中を草や木魔法で障害物を払いながら飛んでいくと、すっとひらけた野原に出た。

 石が庭石のように点々と丸く敷かれ、頭上には何やら意味がありそうに、木材が組んであり、呪い?の書かれた紙が等間隔に垂れ下がっている。

 その中央には真ん中が窪んだ巨石。その窪みの中には……


 懐かしの卵があった。


「エメル……これは……」

 思いもよらぬ、二度目の出会いに瞠目する!


『同胞だな』


 迂闊に触ることはできない。私の魔力を吸われてしまうから。そっと近づき顔を寄せる。白く、弱々しい光を放っていること以外何もわからない。


「……生きてるの?」

『ギリギリね。……見てよ』


 エメルの首までを傾けた方向に視線をやると……薄汚れ石化した卵や、割れた殻が転がっていた。


『孵化できなかった時の、俺だ』


 私は思わずジャンプして、エメルを捕まえて、ギューっと抱きしめる。


「……母ドラゴン様は?」


『全く気配がない。卵を生んだあと、とっくに死んだのだろう』

「みんなおんなじ親なの? ガイア様ではないの?」


『ガイアの子は俺だけだ』

「何で……親がいないのに、この卵は生きているの?」


『大神殿には何か秘密の方法あるんだろうよ。でも、何とか卵を生かすことができても、孵化させることにはことごとく失敗し、これが最後の命のようだ。他に気配はない』


「どうして孵化できないの?」

『圧倒的に魔力が足りない』


「ここは大神殿、立派な魔法使い神官がどれだけでもいるわ」

『数が多ければいいってもんじゃない。そう簡単に色の違う魔力を融合させることなどできない。魔親になれるのはせいぜい三人が限界だ。試行錯誤の結果、それも神殿はわかっているのだろう。だからなすすべもなく、少量の魔力を入れるだけで現状放置してる』


「エメルの魔親は私とお兄様二人で何とかなったわ。三人もいれば……」

『三人合わせても、ジュードの魔力量の半分だろう。そしてクロエはジュードの三倍の魔力量だ。そして薬のおかげで俺の〈魔親〉は魔力が戻るのも早い』


「そう……なの?」

『昔はドラゴンに魔力を与えられるボリュームを持つ人間がチラホラいたらしい。でも今ではすっかり魔法が廃れ、魔法使いのレベルの下がり……希望を失っていたガイアは、突如現れたクロエをまさしく死に物狂いで捕まえたんだ』




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