第96話 奉仕作業

 大神殿での生活もだいぶ慣れた。


 最初は異物として、ほかの神官に遠巻きにされていたけれど、ただ淡々と、皆さんの日々のお勤めを真似て、アーシェルは風魔法を特訓し、その視界の隅で草取りをしている私たちは特に害がないとわかってくれたようだ。積極的に関わってはこないが、拒絶反応は無くなったと思う。

 とりあえず、皆様たちの出世レースの邪魔はしないとわかってほしい。


「でもクロエ様、残念だけどアーシェル様がここにいる経緯が神殿の中に徐々に広まってきた。陰口を叩くものもちらほらいるよ。アーシェル様は完全に被害者なのにね」

「そう」

 ミラーの報告に目を閉じる。


 公の裁判が行われたわけではないけれど、侯爵という高位貴族の失脚だ、真実も嘘も混ぜ混ぜになって、面白おかしく流布されているに違いない。

 モルガンの両親はお世辞にも評判が良かったわけではないから、話は広がる一方で、モルガンを面白く思っていなかったものからすれば、アーシェルは格好の憂さ晴らしの標的だ。


 しかし、ここは腐っても大神殿。大っぴらなイジメはないと信じたい。そしてアーシェルもある程度耐性を身につけなければ今後生きていけない。


「アーシェルへの風当たりが、見過ごせないようならば教えて。私が出るから」

「かしこまりました」




 ◇◇◇





 今日はアーシェルに〈風魔法〉を教えてくれているカリーノ神官の誘いで、馬で半刻ほどの農村に来た。神官のいない小さな村への巡回だ。カリーノ神官は中年女性の上級神官で、あまり表情を崩さない、厳しい方だ。


 アーシェルが馬に乗れたことにホッとした。あの親も、貴族子息が最低身につけなければならない技術は与えていたようだ。


 カリーノ神官が、日頃無人の神殿を清めて、村人たちを前に祈りを捧げる。私たちは助手としてそれを手伝い、そのあと、神殿裏手に連れていかれる。


 頭上に大きなプロペラが現れた。私とアーシェルとミラーはポカンと仰ぎ見る。


「神官様、ここは?」

「はい、ここは風車小屋です。年に数度、私はこちらの風車を回し、臼をひいて麦やらなんやら粉にする手伝いをしています。ほら、女たちがもう並んでますよ? アーシェル、一分間に10回転をめどに回しなさい。早すぎると機械が壊れます。制御の練習でもありますからね。クロエ様は村人たちを取り仕切ってくださいね。では私は村長室にて、陳情を受けています」


 カリーノ神官は私の手のひらに鍵をポタリと落とすと、スタスタと去っていった。


「ええっと……」

 私がいきなり突き放されて戸惑っていると、

「あの先生、いつもあんな調子なんだ。はあ……」

 アーシェルは、空を眺め、風車を眺め、適所を見極めそこに行き、右手を突き出した。


 周囲に爽やかな風が巻き起こり、ギギギっと風車が音を立てて動き出す。ゆっくりゆっくり回転速度が上がる。

 アーシェルが小難しい顔をしている。案外敵をぶっ飛ばすよりも繊細な作業なのかもしれない。


 いや、そんなことよりも、アーシェルが現場に順応し、私に説明し、自ら動いている。

 ドキドキと胸を高鳴らせていると、小屋の中からミチミチと音が聞こえてきた。中の臼も動き出したようだ。


「クロエ様! ここは私が! 村人の行列が伸びています!」

「そ、そうね」

 アーシェルのことはミラーに任せて、私は小屋に走り鍵を開け、順番に作物を受け取った。


 長い行列の尻尾が見えてきたころ、カリーノ神官……カリーノ先生が小屋に顔を出して、床に散った粉を掬い、親指と人差し指で感触を確かめている。


「あ、あの、何か問題でも?」

「粉の大きさにムラがある。羽を回す力が均等でないということ。アーシェルもまだまだですわねえ」


「先生、こう言ってはなんですが、風車で粉を挽かなくても、魔法で粉砕すれば良いような気がするのですが」

 どの魔法であれ、高レベルになれば物質を粉々にする技はある。


「クロエ、自分たちで理解できる仕組みであることが肝心なのです。たまに神殿のため、信仰を保つためにこうして手伝いますが、普段は風が吹くのを合図に村人たちは交代で使っている。生活は継続していくのだから、気まぐれにやってきた外の人間が、その時だけ解決しても意味がない」


 話しているうちに、人がいなくなった。私は先生と軽く掃除をして、小屋を出て鍵をかけた。

「クロエ、見てごらん」

 先生の視線の先には村人に囲まれて、口口にお礼を言われて、顔を真っ赤にしているアーシェルがいた。


「このような積み重ねが、今のアーシェルには必要だ」


 自然界の風よりも少し強い風をコントロールする力、その程度なら〈風魔法〉を知らない民も理解できて怯えない。過剰な期待を抱くこともなく、屈託なくありがとうということができる。


 この匙加減が神殿そのものなのかもしれない。

 ゆるく民を助け、ゆるくアーシェルの心を癒している。


「そろそろ帰ろう。アーシェルを呼びなさい」

「はい」


 そばに行くと、アーシェルは汗だくだった。小屋にいた私と違い、ずっと炎天下で風を飛ばしていたのだ。きっとこの場所が最適だったのだろうけど。


「アーシェル、お疲れ様。もう挽き終わったわ!」

「……そう」


 アーシェルは両手を下ろすと、ふうとしゃがみ込んだ。

「しんかんさまー!」


 5、6歳の女の子がアーシェルにかけ寄り、水がなみなみと注がれたコップを差し出す。

「……ありがとう」

 アーシェルはうやうやしく受け取って、一気に飲み干した。

「つめたくておいしいでしょう? いま、いどからくんだばっかりだもーん!」

「……そうだね」


 アーシェルがおずおずとコップを女の子に返すと、彼女は飛び跳ねながら、親元に向かった。


「〈風魔法〉なんて、戦闘でしか役に立たないと思ってた……平時に成果の出せる、〈草魔法〉が羨ましかった」

 アーシェルがポツリとこぼす。


 〈風魔法〉は四大魔法と世間に尊ばれてるのに……など、言いたいことはあったけれど、せっかくアーシェルが話す気になったのだ。私は否定しなかった。


「薬作りは、成果がわかりやすいもの」

「〈風魔法〉でも、工夫次第で、役に立つんだね」


「……そうね、でもその工夫が難しいのよ。私だって、一つの薬を作り出すのに、100はデータを集めてるわ」


「……知ってる。毎日見てるから。すごく複雑に魔力を練っているところも」


「クロエ様! アーシェル様! 馬の準備ができました〜!」


 ミラーに声をかけられた。

 私は勇気を出して、アーシェルを誘う。


「アーシェル、大神殿の厩舎まで競走しましょう?」

「……ずっとここに立ちっぱなしで疲れてるんだけど」

「あ、自信がないなら、ハンデをあげるわよ?」

「……いらない」


「じゃあ、よーい、ドン!!」

「ずるい!!」


 私はアーシェルの声を背中に受けながら馬に飛び乗り、走り出した。


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