第8話 父 トーマス・モルガン侯爵

 蔵書室で波を立てた覚えはある。


 思ったよりも早く、父の従者が私を迎えにきた。この男は一年前まで『お嬢様は本当に可愛らしい』と言っていた(まに受けていた私も私だけれど)。

 今のこの人の目は、虫ケラを見る目だ。この人に限らず、使用人皆、そういう思想なのだろう。


 執事が父の書斎の扉を開けて、私を中に促す。

 大きな机の向こうに久しぶりの父が座り、その横に顔色の良くない母が立っている。

 父が侮蔑のこもった瞳で私を見下し、


「お前の婚約者が決まった」


 思わず目を見開く。……婚約? 今? 何故? あれこれ想定し、身構えていたけれど、予想もしていなかった。


「相手は恐れ多くも第二王子ドミニク殿下だ。喜べ!」



 殿下……なの? また? いや、でも早すぎる。前世では八歳だった。とっさに八歳で顔合わせたときから、捨てられるまでの殿下の容姿が脳裏をめぐる。金髪に碧眼、優雅な微笑み。最後の罵声……


 それにしても、父はこれだけ毛嫌いしている娘を、どうして王子との結婚という、一応『女性の夢』を見させる気になったの? 確かに今世でも王子の同年代女性は私しかいないようだけれど……。

 早くも前世と同じように、王家の評判上げに利用されるってこと?


「こそこそと〈草魔法〉なんか使いおって。もう面倒見きれん。王子妃の行儀見習いとしてお前は王宮にあがることになった。もちろん適性は〈火魔法〉と言っている。くれぐれもばれんようにすることだ。偽証罪で死ぬぞ?」


「なっ!」

 王家に嘘をついたというの? 信じられない……。


「もし〈草魔法〉とばれたら、このモルガン家ごと おとがめを受けるのでは?」

 パン! と大きな音が立つと同時に、まだ小さな私の身体は床に転がった。


「クロエ! 旦那様に口答えなど!」


 母に、平手でぶたれたのだと気づいた。思わず頰に手をやる。口の中が鉄の味で充満する。


 マジマジと母を見上げると、そわそわと父の顔色を伺っていた。その父は満足げに声をあげて笑った。


「クロエ、安心するがいい。お前は届出上も〈火魔法〉だ。せいぜい、王宮の家庭教師に習うがいい。お前の出来が悪いのは、モルガンのせいではない。その家庭教師の腕が悪いのだ。気の毒なことだ」


 神官を……買収したの?


「話は以上だ。せいぜい王子に媚びて、モルガン家の役に立て! 目障りだ。さっさと出ろ!」


 私は心身ともに負ったショックで呆然として、立ち上がれなかった。






 そうしているとバタバタと廊下から騒がしい音がして、バタンと音を立ててドアが開いた!


「なりません! 今取り込み中です!」

 若い使用人が、入り口に立ち塞がるが、そんなことなどものともせずに初老の? 体格のいい男がズカズカと入ってきた。


 男は全身から威圧感を放っていた。どうしても目に入るのは、大きな左頰の大きな古傷。長い白髪を後ろに撫でつけそのまま襟足で結んでいる。そして身につけているのは軍服に黒い長靴ちょうか。私の記憶ではこの国の軍服は紺だったけれど、この人のものは意匠はそのままでカーキ色だ。


「何奴! 無礼な! はっ!?」

「お、おとうさま……」


 ああ……この人が……私の母方のおじい様、ローゼンバルク辺境伯。


「久しぶりだな、婿殿、そしてエリー」


 金色の目でギロリと父を睨みつける。


「いかにお義父上とはいえ、先触れなしの訪問は歓迎致しかねます」

 父が狼狽しながらも、なんとか言いたいことを言う。


「わしも長居するつもりなどないわ。わしの目的はただ一つ。クロエを連れ帰ることだ」


 手紙……ちゃんと届いていたのだ。唇が震える。


 私が一年前に出した手紙の宛先は、この、辺境の地を守る任につくおじい様。逃亡先が祖父の元であれば、貴族的に体裁がつき、最小限の騒動に収まると踏んだ。

 そして選んだ決め手は前世、全く会わなかったことと……適性が〈火魔法〉でないこと。


 会ったこともない孫娘に情をかけてくれるかどうかは……賭けだった。


「な、何を勝手なことを! クロエは十日後に王宮に上がることが決まっております」

「はっ! そんなもん、断ればよかろう。『残念ながら、娘は王家に相応しくない〈草魔法〉だっだから、謹んで婚約は辞退申し上げる』と言ってな!」


「な……なぜ……貴様! 盗み聞きしていたな!!」


 祖父はフンと鼻で笑った。

「嫁いだあとの娘の様子を気にかけぬ親など、どこにもおらん。最近になって、わしの草の報告に孫が虐待されていると報告があった。信じられぬ思いで来てみれば、食事は与えない、ウソを背負わせて王子と婚約させる、そして暴力……」


 祖父はどうやら、自分の手のものをこの屋敷の使用人に紛れ込ませているらしい。


「お、お父様! 違うのです! この子が生意気な口を……」

「エリー、これ以上情けないことを言ったら殺すぞ?」


 祖父の視線は人を殺しかねない鋭さだった。母は顔を引きつらせる。


「さて、婿殿、この書類にサインしてもらおうか?」

 祖父は懐から巻紙を取り出して、父の前にドンっと広げた。


「これは……養子縁組書? あなたと……クロエの……」

「お前らはクロエがいらんのだろ? ならばわしがもらう。クロエの〈草〉は荒地の辺境では最強の戦力になる」


 父がカッとして立ち上がり、ツバを吐きながら言い返す!

「か、勝手なことを! クロエの親は私だ! 私にクロエの将来を決める権利がある!」


「黙れ! クロエの将来はクロエのものだ! いいからさっさと書け! 書かぬなら、この度の偽証、わしが王に直訴してもいいんだぞ? まさか五歳の子どもが神官に金を握らせ、大それたウソをつけるとは誰も思わんだろうなあ。クロエの真の適性など、王宮で測ればすぐわかる」


「く……」


 祖父はいとも簡単に、私の前世からの最大の敵をねじ伏せてしまった。父は祖父を睨みつけ、ギリギリと歯軋りしながら、己のサインを入れた。


 祖父はさっと書類を回収し、後ろに控えていた、やはり体格の良い、金髪の中年の従者に手渡した。

「……はい。不備はありません。これにてクロエ様はお館様の籍に入られました」


「ふむ」


 祖父は流れるような所作で尻もちをついている私を片手で軽々と抱え上げ、己のマントの中に入れた。


 温かい。

 乾いた野の空気の匂いがする。


「用は済んだ。侯爵殿、くれぐれも短慮な真似をせんようにな。わしは盟友としていつでも王に会える立場だ。今回の計画を、つるっと王に話してしまうかもしれん」


 父は顔を真っ赤にして、拳をプルプルと震わせた。


「エリー、子を殴るなど見下げ果てたわ。二度とワシの前に顔を出すな」


 祖父は私を抱いたまま、後ろを振り返ることもなく、大股で外に向かった。祖父の肩越しに机の上の物に当たり散らかす父、膝から崩れ落ちる母が目に入った。


 そしてバタバタと駆け寄る足音。

「お嬢様!」

 涙目のマリアが手を揉みしぼりながら私に向かって、うんうんと頷いた。私も頷き返した。


 必ず……必ず大人になって、力をつけた暁には、マリアを迎えに来よう。そして小さな家で一緒に住むのだ。


 モルガン侯爵家の正面玄関の扉がバタンと閉まった。


 この瞬間、私はクロエ・ローゼンバルクとなった。



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