第7話 一年ぶりの母 エリー・モルガン侯爵夫人

 栗色の髪にオレンジの瞳の約一年ぶりの母の姿を見て、今世の私は大好きなお母様に駆け寄り抱きつこうと思った。


 しかし、前世の記憶の混ざった、新しい私がその衝動を押さえつける。

 あの日、彼女は夫の言に泣くばかりで、立ち尽くす五歳の我が子を救ってくれなかった。

 前世では救わぬばかりか、夫とともに家の恥と罵った。私の目の前で弟をこれ見よがしに可愛がった。

 教授に言われるまま毒は作っていたけれど、未成年で、未遂であるにもかかわらず、牢のなかの私をあっさり勘当して、こんな出来損ないは死刑になって当然と言ってのけた、自分の子どもを平気で見殺しにした、怪物。


 数回、深呼吸して、呼吸を整える。落ち着いて現状を考える。これまで一年も放置してきたのだ。急に私に会いにきたとは考えにくい。

 うん、偶然だ。母が蔵書室を利用するタイプとは思わなかったけれど、そもそも私は母のことをどれほど知っているというのだ。前世も五歳からほとんど接触なく、たまに会えば目障りなものを見たとばかりに、しかめた顔しか思い浮かべられない。


 ここは、これまでどおり、透明人間になっておこう。母がドアから離れたら、さっさと出ていこう。

 私は本探しに戻る。とりあえず隣国のガイド本と、ネコとドラゴンが冒険する絵本。前世の記憶もあるものの、今世の幼い私も健在で、本当に可愛い絵本を読みたい渇望もあるのだ。


 二冊両手に抱いて顔を上げると、母はこの室内に入り、窓の外を見ていた。土砂降りの光景をジッと見て、何か発見があるのだろうか? まあ私にはわかりっこない。

 ドアに向けての一直線の道が開けた! 走ると行儀が悪いといわれたことを思い出し、早足で出口に向かい、母とすれ違う。


「ま、待ちなさい!」


 あと一歩でゴールというところで声をかけられた。ゆっくりと振り向く。

 私が何か言うのを待っているように、母は口をつぐんでいる。

 でも私だって声のかけ方などわからない。前世はひとりぼっちだったし、現在は放置された幼い六歳児だ。


 私は首を傾げてみせた、するとようやく母は口を開いた。


「ええと……反省したのかしら?」

「なにを?」

「……」


 全くわからない。私はドアに向きなおり、再度出ていこうとした。


 すると、母が声を裏返らせて叫んだ。


「く、〈草魔法〉だったことをよ!」


 思わず目を見開いた!

「それ……私のせいだと おっしゃるのですか?」

「何よ! じゃあ私のせいだって言うの? 旦那様のように!」


 母がヒステリックに叫ぶ。まさか、私に八つ当たりに来たとは……。


「〈草魔法〉に産んだ私への当て付けのように、庭師風情に取り入って、〈草魔法〉なんか覚えて!」


 ……頭が冷える。無意識な選民思想にもヘドが出る。あなたの言う庭師風情のおかげで、私は人間の尊厳を取り戻したのだ。

 小さなため息を一つ吐き、説明する。


「適性が〈草魔法〉だったことは、私のせいではありません。でもおかあさまのせいでもありません。そこの三番目の本に書いてありますが適性は偶然、運なのです」


「偶然?」


「はい。そして、私が庭師に〈草魔法〉を教わっているのは、農家や薬屋さんになって生きいくためです」


「何故……侯爵家の人間が仕事など……」


「だって、おとうさまもおかあさまも〈草魔法〉の私など、いらない子でしょう?」


「いらないなどと……」


「だって、ごはんよばれないし、昨日は朝も昼も持ってきてくれなかったもの」


 母が驚いて自分の侍女を見る。侍女は居心地悪そうに俯く。


「自分で稼ぐことができないと死んでしまうので、嫌がる庭師にむりやり教えてもらってます。おかあさまが私のことを、もうだいきらいだということはわかっています。一年も会ってくれなかったもの。アーシェルには会っているのでしょう? 早くひとりだちして、できるだけ会わないようにがんばりますので、ごめんなさい」


 非力な六歳児、居候している以上、一応謝ってみた。私って大人だ。頭を下げて、今度こそ蔵書室を出た。


「あ……」


 母が途方にくれた顔をしていたことなど、私には知る由もなかった。




 ◇◇◇




 今日の母とのやり取りが、父の耳に入るのは時間の問題だ。

 私はマジックルームに、石鹸やタオルなど日用品も目立たぬくらい、入れていく。


「ああ……せめてルルと同じ八歳だったらなあ……」


 八歳であれば、男の子に扮して孤児として、隣国に渡れたかもしれない。でもさすがに六歳では無理だ。


 窓の外はまだ雨が降り続いている。

「ルル、今頃何をしているかしら?」


 決まっている。トムじいに魔法を伸ばしてもらってるって。

 小さくも温かい民家で、トムじいとルルが膝を突き合わせて話し込み、ケニーさんは道具の手入れをして、まだお会いしたことのない、ルルのお母様がニコニコ笑いながらお茶を淹れている光景が頭に浮かぶ。


「いいなあ……」


 私には前世でも今世でも叶いそうにない、夢。


「私が……いるではありませんか?」

 振り向くと、マリアが苦しげな顔で立っていた。


 マリアのことは大好きだ。でもマリアは子どもを亡くして離縁されて、実家で肩身の狭い思いをしている。侯爵家の給料を少し入れることで、居場所を作っている。

 大好きだからこそ、今の給料の面で安定した生活を、台無しにさせないようにしないと。


 私は何も語らずに、マリアの腰に手を回して、ギュッと抱きしめた。

 雨はますます降り続けた。



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