第152話 トリー

「トリー……ふふっ、みんなにも、短髪も似合ってたって言っておいてね。心配しないでいいって」

「心配しないわけ、ないじゃん……」

 トリーが視線を落として、らしくない小さなため息をついた。


 すると突然エメルが私の腕をすり抜けて、床に落ちるように着地した。

「エメル?」

『……トリー、紙とペンをここに』

「エメル様? はい」


 トリーがエメルに懐から取り出したペンを渡すと、エメルはそれを器用に咥えて、床に置いた紙に何か書いた。

 その紙を折りたたみ、トリーを見上げる。


『トリー、この手紙を決して見ないと、誓え』


 トリーは即座に、右手を胸に当てた。

「エメル様のご命令であれば、いかような要件であれ誓いを立てます。誰に届ければよろしいのですか?」


『リチャードだ。ダイアナに紙鳥に変えさせて、至急送るように』

「かしこまりました……でも、エメル様、ジュード様ではダメなのですか? ジュード様は此度もお館様から全権移譲されております」


『……その紙には、オレの〈逆鱗〉の場所を書いている』

「「〈逆鱗〉……」」


 〈逆鱗〉とは……ドラゴンの急所だと言い伝えられられている場所だ。


「エメル、どうして? どうしてそんな大事なことをおじい様に教えるの?」

 祖父は、エメルの急所を知りたいなんて思うわけがない。


『オレが結局王女に操られ、ローゼンバルクに危機をもたらしたときに、即座に殺してもらうためだ』


 あまりのことに、息が止まりかける!

「殺すなんて! なんてこと言うの!? そんなことするわけないじゃないっ!」

 私は怒りながら、エメルをきつく抱きしめた。


『……だからリチャードだ。クロエとジュードはオレを殺せない。でもリチャードならば躊躇いなく殺すだろう。こういう……神殺しは年寄りの仕事なんだとわかってくれる』


「エメル……」


 茫然となり、言葉も出てこない。


『オレはあのクソ女の命令を拒めず望まぬ殺生をし、誇り高きドラゴンという我ら種族に泥を塗ることなどしたくない。それに……オレももはやローゼンバルクが好きだ。その厳しい風土も、逞しい人間も。オレのせいでローゼンバルクが苦境に立たされるなんて見たくない。自分の手で愛する土地を破壊するよりも、信頼する人間、リチャードの木の杭で殺される方が、何倍もいい』


 私の結界に振動が走る。誰か来た。エメルもドアの方向をチラッと見る。


『トリー、もう時間だ。行け。オレの本心の願いだ』


 すると意外なことに、トリーがギッっと反抗的な視線を私たちに向けた。


「……次期様からの伝言です。『二人とも俺を信じて待て』と」


「『…………』」


 下唇をぎゅっと噛む。エメルも爪を私の腕に食い込ませる。

 お兄様……もちろん信じてる……でも、手立てが……。


「エメル様! 殺せなんて、なんでそんな悲しいこと言うのっ! オレたちのっ! 次期様を信じてください! オレたちだって、エメル様のこと、大好きですからっ! すぐ戻りますっ! 影路!」


 トリーは涙声で鼻を啜りながら、私とエメルの影に向かってジャンプして、ズブズブと潜って消えた。


 私たちは影のできた床が平らになっていく様子を、ぼんやりと見守った。


『……あんなやかましいなんて、影としてダメだろう』

「そこがトリーでしょ? 可愛くて……仕方ない」

『……うん。でもまだ子どものトリーを使うのは……酷だったかな』


 でも、トリーしかいなかったのだ。私たちはギリギリの選択をしながら、生き残る道を探っている。

 私の結界が、来訪者の魔力をジャックと判断した。もう下の階まで来た。


「エメル、一旦マジックルームに入って。あ、私、魔力ストック用のマジックルームを作ったから、それとエメルのマジックルームを合体させてみる」


『……もう、ますます非常識なことやってるし……』

「エメル、やはり他人のマジックルームに入るの怖い?」


 エメルはあっさりと首を横に振った。

『ジャックのとクロエのでは雲泥の差だよ。クロエのマジックルームに入るのは……きっと卵のころに戻るのと同じだ』


 ふと、草で編んだ柔らかい網にエメラルド色の卵を入れ、ちょこまかと領地を走り回っていた小さい頃の日々が思い出された。おじい様やマリア……ローゼンバルクの愛に包まれて。


「卵かあ……エメルと私のマジックルームが殻ってことね。卵と同じく、外の声が聞こえるようにできないか……あ、いけそう! さすが教授! じゃあ、卵のなかで……お兄様を信じて待ってて」


『クロエもジュードを信じて、持ち堪えてね』


 エメルの言葉に、唐突に、一番に伝えておきたいことがあったことを思い出した。

「もちろん信じてるん……だけど、あのっ、あのね、エメルに最初に教えるけど、私、お兄様のこと……好きだから。そのっ、恋愛みたいな、感じで……」


 我が子に秘密を打ち明けることが、こんなに恥ずかしく、バツの悪いものとは思わなかった。


 するとエメルが目を丸くして、大げさにため息を吐いた。


『何を今更……そんなの、屋敷全員が知ってるよ』

「うそぅ!」

 つい声が高くなる!


『くくっ! 早くクロエの口からジュードに伝えてやって?』


 ショックを受けてる私の頰にエメルが笑いながらキスをした。私も脱力しながらキスを返し、笑った。お互いの笑顔を、脳に刻みつける。


「……じゃあエメル……いくよ!」


『おう!』


「『マジックルーム!!』」


 エメルがかつての自分の殻のような、光沢あるグリーンの箱を自分の周りに展開した。状態が安定したところで私が、教授から引き継いだ巨大な空間の口を開けた。


「エメル、エメルが卵だったころのように……命懸けで守るから!」

『……それも、知ってるよ』


 私の空間がエメルのグリーンの箱を横から覆っていく。両手でふんわり包み込むように。

 エメルが静かにアイスブルーの瞳を閉じたのを確認し、私の異空間に取り込み……厳重に私の心臓と縛りつけた。これで私とエメルは一心同体。


 〈空間魔法〉MAXごときでは、引き剥がせない。


 さすがにMAXレベルの魔法を連発しすぎた。おまけに使い慣れぬ〈時空魔法〉。これまでになく、魔力が減り体がだるい。

 前回の私が見つけた、最も背中にフィットする壁に寄りかかって座り込み、マジックルームから回復ポーションを取り出し、グイッと飲む。


 寝巻きゆえに膝下が剥き出しなのが心許ない。スカート部分を引っ張り、足首を隠しながら、来訪者を息を殺して待った。

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