第153話 ジャック

 二人……いや、三人の足音がして、まず隣の独房に向かっていく。

 私がいつか……いつか取り返してカーラの腕に届けるまで、せめて丁重に取り扱ってほしい。


 慌ただしい叫び声がし、バタバタと階段を駆け降りる音が一人分。

 きっと教授の躯を見つけたのだ。私のゼロの薬は完璧。何も痕跡を残さない。一度目の教授や……王女が望んだとおり。どの角度から見ても、自然死だ。


 しばらくすると、一人分の足音が、こちらに向かってきた。

 私はとりあえず膝を抱きしめ、顔を埋めた。

 パキン! と魔法で解錠する音がなり、重い鉄扉がギギギと音を立てて開いた。


「……クロエ様」


 ノロノロと顔を上げると、予想どおり青い顔をしたジャックが立っていた。

 一度だけ互いに視線を合わせたが、ジャックが言葉を探しているうちに、また顔を伏せた。


「泣いていたのですか?」


 教授を亡くしたときの名残が、目元に残っていたのだろうか? 


「……泣くの、普通でしょう?」


 16歳の少女が大好きなドラゴンと引き離され髪を切られ、独房に入れられたのだ。

 この涙が教授に関連つけられることはないだろう。


「……何か、このフロアで変わったことはありませんでしたか?」

「……たとえば?」


「悲鳴が聞こえた、とか。魔法の発動を感じた、とか」


「悲鳴も魔法も私が目一杯出したけど? どちらも効果なかったわ」


「…………」


 バタバタと足音がして、やはり、ヒゲ男が入ってきた。

「クロエ嬢、お前一体何をした?」


 男は怒りからか低い声を震わせて、私に詰め寄る。私は視線を上げ、彼の目を見据えた。


「さっきから、何を聞かれてるかさっぱりわからない。私はあなたたちにここに閉じ込められて、一歩も動けてないことくらいわかってるでしょ? いったい何があったっていうのよ。ねえ、それよりも私の髪を届けたらうちの執事は何と……」


「うるさい黙れ! おい、ドラゴンが大切ならば、この部屋の結界を解け!」

 私は顔を顰めながら立ち上がり、これ見よがしに草を枯らせてみせ、定位置に再び座った。

 二人は私と隣室を仕切る壁を調べはじめた。しかし、当然なんの細工も見つからない。


 教授が空間を歪め、壁をガラスのように透明にしたことや、捻じ曲げて行き来したことは〈時空〉の次元で、ジャックには手がかりすら掴めない。


「クソッ!」

 ヒゲ男はそう言うと、壁をガツッと蹴った。


「……私も散々この牢を破壊しようとしましたが、傷ぐらいしか入りませんでしたよ」

「そのくらい知ってるよっ!! ったくジャックよお? 何やらかしてくれてんだ! ああん?」

 ヒゲ男が右腕を振りかぶりジャックの頭を殴った。ジャックがよろけて膝をつく。


「…………」


「戻って、他の〈空間魔法〉使いを片っ端当たるぞ! クソッ!」


 ヒゲ男はバタバタと私の独房から出ていった。数秒遅れでジャックがよろよろと立ち上がる。

 そんなジャックの頰は……意外にも涙で濡れていた。


「ジャック?」


「僕が命令に応じれば……教授を命だけは助けてくれると言ったのに……」


「え?」


「クロエ様、大事なものを人質に取られたからって言いなりにならないほうがいいよ。結局、そんな約束守るつもりもないんだ……」


 私の背中にぞわぞわとした嫌な違和感が走る。


「ジャ、ジャック、待って」


 ジャックはチラリと私に顔を向け、寂しげな笑みを見せて、早足でヒゲ男の後を追った。

 パキンと再び鉄扉が施錠される。


「まさか……そういうことなの?」


 ジャックは、教授を生かす条件で、王女の駒になっていた? ジャックの人質は教授だったの? そんなこと、教授は知らないまま……逝ってしまった?


 ダンジョン演習のとき、ジャックが教授に駆け寄る様子が思い出される。ジャックは教授のことを疑いようもなく……慕っていた。


「ああ……」

 胸が、苦しい。


「王女は……なんて……なんて恐ろしいことを考えるの……」


 ボロボロと涙が床に落ち、またしても黒く変色する。次々と色の変わる様を眺めていると、心が何か、爽やかなもので保護された。

 これは……エメルの魔力だ。エメルは今、ちゃんと聞いている。私に寄り添ってくれている。


 そうだ。私は一人じゃない。泣くのは後だ。耐えろ! 踏ん張れ!

「エメル、ありがとう。もう、大丈夫」


 手の甲で涙を拭う。


 まずは、ここからエメルと脱出し、忌まわしい魔道具を外すことに注力せねば。

 それが達成され万全な状態になれば、前回の私やジャックと同じく、いいように踏み台にされている人々の無念を晴らす機会は、必ず来る。


「とりあえず……魔力を戻さなきゃ……草繭!」


 私の心と体を守る一人用シェルターに入るのは、随分久しぶりだ。

 あの時は壊れそうな心のために避難したけれど、今日は違う。来るべき戦いに向け英気を養うため。ロクに動けず、兄や皆の足手まといにならないため。


「朝までぐっすり寝る。おやすみエメル」


 私は横向きに、卵を抱きしめる体勢で、目を閉じた。




 ◇◇◇




 夜明けを感知し、草繭がサワサワと外側から解け始めた。その感触に目を覚ます。

 己の魔力をチェックすると、思ったよりも魔力が回復していなかった。エメルをマジックルームに入れていること、そのエメルに向け魔力を注いでいること、が想像以上に魔力を消費しているのかもしれない。


 何もかもシャットアウトしていた草繭にいるうちに、外の世界は少し騒がしくなったようだ。空気が刺々しい。完全に草繭から脱し立ち上がると、ピリピリとした空気と反比例して、音は不自然なほどなかった。


 マジックルームの中のエメルを確認する。ちゃんと生きていることが伝わったが、相変わらず魔力が吸収できず、危険な状況だ。たとえ垂れ流されるとわかっていても、エメルに渡す魔力だけは確保しなければ。

 通常マジックルームから、自分では一度も使用したことのない特級ポーションの封を切りぐいと飲む。まずい。こんな万能薬に日頃から頼らないようにわざとそう調整している。避妊薬と同じだ。


 邪魔にならないように髪をまとめようと手を頭にやって、昨日の出来事を思い出す。マリアが毎日、心を込めて手入れをしてくれた……大丈夫! 髪なんて、すぐ伸びる。


 そうして私が手早く、手洗いや身繕いを済ませるうちに外が完全に明るくなった。


 カツンと私の独房の外壁に何かがぶつかった音がした。合図だ。敵のものか味方のものかわからないけれど。


「エメル、いよいよはじまるよ。とりあえずエメルは私の中でじっとしてて」


 私は深呼吸して、換気口から外を覗いた。


 そこには、期待を裏切らない光景が広がっていた。


「お兄様……」


 兄が、幼い私をモルガン邸に迎えにきた時の祖父と同じ、ローゼンバルクのカーキ色の指揮官の軍服を着て、馬上からこちらを見上げていた。


 兄の両脇には険しい表情のホークとニーチェ。後ろに怒りを隠せない様子のミラーとデニス。

 その後ろに覆面の兵士たちが30名ほど。


 そして、そんなローゼンバルクの中隊規模の軍団の周りには、百……いや二百のこの牢の警備兵が倒され、転がっていた。


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